ミューザ川崎 シンフォニーホール
● 今回の音楽大学オーケストラ・フェスティバルもこれが4回目。つまり最終回となる。3回目に行けなかったのは残念だけれども,4回中3回行ければ,上々だろう。僻遠の地(栃木)から行くわけだし。
● 今回の会場はミューザ川崎。国内のコンサートホールのすべてに行ったことがあるわけではないけれど,ぼくが行った中では,座っていて一番気分がいいのが,ここミューザだ。
座席の間隔が他よりあいているわけでもない。どうして気分がいいと感じるのかよくわからないんだけど,でもともかく気分がいい。
あるいは,スタッフの多くが発散している柔らかさのようなものが与って力あるのかもしれないと思ってみたりする。
● 東邦がシベリウスの2番,東京音大がムソグルスキー(ラベル編曲)「展覧会の絵」,国立がラフマニノフの2番。シベリウスの2番は,先月8日に洗足学園も演奏しており,「展覧会の絵」は武蔵野音大が演奏している。
ダブりをなくせないかなどと言うつもりはない。まったく問題はない。何度聴いてもいい曲だもんね。
ただし,こちら側に両者を比較するというベクトルが生まれてしまいかねない。このベクトルだけは自分の中に存在することを許してはいけないと思うだけだ。
● まず,東邦音楽大学管弦楽団。指揮は田中良和さん。
シベリウスの2番は彼のイタリア滞在の果実だ,とはよく言われることだ。実際そうなんだろうけど,この曲から感じるのはどうしたって北欧の澄んだ空気がベースになったものだ。遠くまで見晴らしがきくような風景,あるいは森林。そういったイメージが湧いてくる。
透明で涼やか(ときに冷涼)で,雑踏や原色的風景とはほど遠いもの。
● ロシアに対するフィンランドの反発や独立心を示しているとの解釈を見ることもあるけれども,ぼくにはそういうところは感じ取れなかった。その時代にはそう思えたのかもしれない。
このあたりは,当時の空気を共有した人にしかわからないところがあるのだろうと思うほかはない。
● 東京音楽大学シンフォニーオーケストラ。指揮は現田茂夫さん。
元々はピアノ曲。辻井伸行さんの演奏をCDで聴いた程度。それはそれでしっとりするんだけれども,やはり管弦楽版のほうを聴きたくなる。
ラヴェルのオーケストレーションの巧さ,すごさを思い知ることになる。輝度の高さは誰もが認めるところだろう。これはムソグルスキーの功績なんだろうけど,大衆性も備えている。
● 第2曲で登場するサクソフォン。華々しく活躍したあとは,最後まで出番がない。その間,背筋を伸ばして凜として座っていたのが印象的。
これ,できそうでなかなかできないことじゃないですか。
● 国立音楽大学オーケストラ。指揮は尾高忠明さん。
国立というと,声楽が注目されることが多いという印象。ところがどっこい,器楽も相当なもの。このラフマニノフは熱演というのか,見事な集中とアンサンブル。
● 緩徐楽章はあまりにも有名だけれども,ぼくには正直,ピンとこないところがあって,自分の感覚を疑いたくもなっていた。みんながわかるところを自分はわからないのか,ってね。それならそこに居直るしかないな,と。
が,今回わかりましたよ。いいんですね,これ。いいんですよ。
この楽章を支える屋台骨はクラリネットとオーボエだと思えたんだけど,そのクラリネットとオーボエがね,艶っぽかったですね。艶っぽい,この言い方がピッタリくるように思う。
● 長生きしたいと思った。長生きして,こういう演奏を聴きたい。生命が迸っているような,若い彼らにしてもそう何度もはできないであろう,こういう演奏を。
そのためには長生きしなきゃ。足繁くホールに足を運ばなきゃ。ムダ弾を何発も撃つのは覚悟のうえで。そうすると,たまにこういう演奏に遭遇できる。
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