約2時間のコンサートが終了した直後の満足感は,他のものでは代替できません。この世に音楽というものが存在すること。演奏の才に恵まれた人たちが,時間と費用を惜しまずに技を磨いていること。その鍛錬の成果をぼくたちの前で惜しみなく披露してくれること。そうしたことが重なって,ぼくの2時間が存在します。ありがたい世の中に生きていると痛感します。 主には,ぼくの地元である栃木県で開催される,クラシック音楽コンサートの記録になります。
2013年1月7日月曜日
2013.01.06 東京大学歌劇団第38回公演 ビゼー「カルメン」
サンパール荒川 大ホール
● この団体のホームページによれば,東大歌劇団とは「オペラの完全自主公演を行う団体で」あり,「団内に合唱団,管弦楽団,舞台スタッフを抱え,オペラの舞台の全てを自分達の力で作り」,「選曲も団員全員で行い」,「指揮者,演出家,キャストも団員の中から選ばれ」,「舞台についても,大道具や小道具,衣裳・メイクから照明まで全て自分たちで用意」する。
「年に2回,オペラを全幕上演する演奏会を行って」おり,東大の冠がついているけれども,「社会人も多く参加しており,練習に参加できる方なら誰でも入団でき」る,とのこと。
● とはいえ,音楽大学ではない普通の大学の学生たちが自主公演をするといったって,できるものなんだろうか。ひょっとして,好き者による「オペラごっこ」に過ぎないのじゃないだろうか。
失礼ながら,そう思いつつ,会場へ。開演は午後3時。入場無料(カンパ制)。
● サンパール荒川の大ホールは小ぶりではあるけれども,約千人は収容できる。その大ホールがほぼ満席になった。
当然ながら,ピットにはオーケストラがスタンバっている。
舞台装置は手作りだ。安っぽい感じなのは免れない。が,それが当然だろう。学生たちが観客から入場料を取らないでやっているのだから。
プログラムは洒落ている。っていうか,立派なものだ。表紙の絵も絵として鑑賞するに足るものだよね。
● 演芸っていうか芸能っていうか色物っていうかエンタテインメントっていうか,そういうものの原点に近い形を見せてもらったっていう気がしている。
たとえば歌舞伎だって,現在の洗練を極める舞台になるまでには長い年月を経ている。出雲阿国が出雲大社勧進のために諸国を回って踊っていたのは,まだ10代の,今の言葉でいえば少女の頃だ。今の歌舞伎とはまったくの別物だったはずだ。
屋台が常設の舞台になり,遊女歌舞伎,少年歌舞伎を経て野郎歌舞伎になり,音楽も舞踊も大道具も衣装も変遷を重ねて,現在に至っている。
オペラだって今のスタイルになるまでには幾星霜も経てきている。その途中があったはずだろう。
● いや,そういう言い方は適当じゃないですね。今回の公演を,歌舞伎における出雲阿国にたとえてしまうのは,いくら何でも失礼の極みだし,かつての途中の姿を見せてもらったということでもない。この公演はあくまでも現代オペラの舞台だ。
新国立劇場にかかる舞台がF1カーだとすれば(といっても,その舞台を観たことはないんですけどね),この公演はトヨタのラクティス(ぼくが乗っているクルマなんですけど)かもしれないけれども,とにかく自分で走れるクルマだ。お客さんを乗せて,どこにでも行ける能力は備えている。
● 「原点に近い」というのは,もの作りの現場って最初はこんな感じで始まったんだろうなってことなんですよ。
高校の部活のノリ。一所懸命に,でも,やりたいからやってるっていう感じ。
● カルメンを演じた子は,今年の春に大学生になるという。「カルメン」の劇中人物の年齢は,ステージで歌っている学生たちと同じか,それより少し若いかだろう。要するに,演技者と劇中人物との間に落差がない(少ない)。乙女の役を乙女が演じている。
オバサンが乙女を演じるときには,それらしく見せるために,いろいろ工夫をするんだと思う。その工夫が役柄にコクをもたらすってことが,ひょっとしたらあるかもしれない。
今回はその工夫が基本的に要らない。いうなら素でやれる。それがいいことなのか,そうではないのか。
● ジプシーの話だし,盗賊団も登場するわけだから,全体的にもっとワルっぽさがあると良かったかなぁ,と。皆さん,とてもいい人っぽかったから。育ちの良さを消す作業が必要だったかもね。
たとえば,ドアに手をかけて袖に引っこむところなんか,指が白くて細くてなめらかでねぇ。どう見たってお嬢さんの指で。ジプシーの女には見えないんだよなぁ。
って,こういうのはないものねだりなんだろうなぁ。そこまでやれっていうのはね。
● (再び)カルメンを演じた子は,プログラムに「JK最後の半年を本公演に費やして参りました。大変でした,ほんとに」と書いている(JKって何だ? おじさんにはさっぱりわからんぞ。女子高生? 高校生には見えなかったんだがなぁ)。
これはひとり彼女だけのことではないだろう。ここまで持ってくるには,大変な時間を費やしているわけですよね。
● 管弦楽の指揮は法学部の4年生が担当。彼が書いている挨拶文によれば,過去の公演を渉猟して,では自分たちはどうするか,そこをちゃんと考えて「カルメン」に向き合ってきたようだ。
それを理想的に具体化するには技術も必要だし,お金もいるわけで,そこは現実と妥協しなければいけないけど,姿勢そのものはいたって真摯。遊び半分でやっているわけじゃない。恐れいるよなぁ。
● 元気をもらえる公演だったと思う。怖いもの知らずの部活のノリ。40歳になっても50歳になっても,これを維持できたらどんなにか素敵な人生になるだろう。
加齢とともにそれができなくなるのは,ひとつには,肥えるからだと思う。舌が肥える,目が肥える,耳が肥える。じつにくだらん,そんなものは,と毒づいてみても,普通に生きてれば(人によって程度の差はあれ)肥えてしまうものだよねぇ。
世に芸術とか教養とかいわれるものは,「肥え」を前提にしているようでもあるんだけどさ。
● この公演,学生たちがやっていることもあって,敷居が低い。こういうものを何度も見て,ストーリーと展開を頭に入れてから,プロがやっている公演に臨むのっては,方法論としてはありかなぁと思いました。こずるい考え方だけどね。
しかし,これはこれとして楽しめることは確かで,くだらないことをあれこれ考えないで,目の前の公演(演奏)を楽しむという姿勢で行くのが真っ当というものでしょうね。
● この公演を観たおかげで,CDで「カルメン」組曲を聴いても,いっそう味わい深く聴けるようになった(ような気がする)。それだけでも大きなプレゼントをもらったようなものだ(これも肥えたということか)。
次回は7月28日,ヴェルディ「イル・トロヴァトーレ」の予定。
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