2013年1月27日日曜日

2013.01.26 Comet Project presents The Secret Concert

ティアラこうとう大ホール

● 演奏曲目非公開の1回限りのコンサート。したがって,演奏するオーケストラも常設のオケではなくて,このために集まったプロジェクトオーケストラ(という言葉があるのかどうかは知らないけど,つまり一発オケ)。
 「Project Leader」がブログ『彗星の尻尾』でこのコンサートに向けた進捗状況を逐一報告しているのだけど,そのブログによれば,曲目非公開とはいいながら,もはや誰でも知っている公然の秘密になっているらしかった。

● チラシには「運命の扉を開いたその先には…今から72年前のサンクトペテルブルク」なるコピーがあったので,ベートーヴェンの5番とプロコフィエフの交響組曲「1941年」をやるのかと思ったんだけど,それじゃちょっとバランスが悪いよなぁ,と。
 その後,「壮大なる愚作」といわれたとの紹介があったので,あ,あれか,と。

● このコンサートを聴くためにわざわざ栃木から出張ったのは,ひとつにはその『彗星の尻尾』が面白かったことですね。なにゆえに面白いかといえば,若い女性の躍動感がそこここに感じられるところ。
 今回の企画の言いだしっぺであり,コンサートミストレスであり,事務局の責任者であり,雑用万般の担当者。ひとつの演奏会をゼロから立ちあげて実現に漕ぎつけるまでには,こういう作業をこういう段取りでやっていくのかと,こちらもひとつ利口になった。

● 業としてやっている人なら,もっと手際よくやるんだろうけど,基本,素人がやることだから,手戻りができちゃったりもする。愚直に泥くさくやっているところが,共感を呼ぶかも。
 しかも,嫌々やっているわけじゃない。具体的な夢をリアル化する過程だからね。嬉々として(とまでいっていいのかどうか)粘り腰を発揮している。その辺も素直に伝わってくるので,このブログ,かなりの応援者を獲得したはずだ。

● 計算していないのもいい。自分がやりたいことに一所懸命で,その姿勢が清々しい。なかなかできないもんなぁ。
 たいていは,生活の安定を第一にする。っていうか,それだけで手一杯。自分のやりたいことをやるなんてのは,その陰に隠れてしまう。
 ぼくもまた同じ。そんなことを真面目に考えたことがあったかどうか。
 やりたいことが明確にあるってのはそれだけで幸せなことなんだろうな,神さまに選ばれた人だよな,と気楽に考えてしまうんだけどもね。

● 当然,自分の生活もあるわけだから,相当に忙しかったろう。いろいろあっても気分を切り替えて次に向かおうとする様は,一途というか凛々しいというか。
 それにしてもこの切り替えの速さは女性ならでは。大方の男性にはできないものだろう。

● どうしてなんだと時々考えるんですよ。浮かんでくる理由はふたつ。
 ひとつは,男よりも女の方がやるべきことがたくさんあるのだろうってこと。サッサと切り替えないとこなしていけない。
 もうひとつは,埋没する度合いが男より深いんじゃないかってことなんですけどね。深く関わったから,未練を残さないですむんじゃないか,と(ただ,これはちょっと自信なし)。
 こういうのを読むと,男よりも女の方が神に近いところにいるなぁと思うんですよねぇ。

● 曲目を明かさないという遊びも,1回限りのプロジェクトだから成立する。常設のオケではできない相談。
 けれども,いくら1回限りとはいえ,その遊びを実際に遊んでみせるってのはなかなかできないことですよね。これも「Project Leader」による企みかと思われるんだけど,男では発想はできても実行はできないのじゃないか。
 男の遊びって,昔なら呑む打つ買う,今だと何ですかねぇ,何らかのオタク系になるのかなぁ。ひとりか少人数での遊びになりますねぇ(あるいは,逆の極端に振れて,政治家になって社会を動かすのを遊びにするとか,自己顕示まるだしの目立つことを考えるとか)。

● 徒手空拳で大勢を巻きこんで遊ぶのは女性の方が得意なのかも。人生を楽しむという面では,男より女にアドバンテージがあるかなぁ。
 これが遊ばせ上手ってことになると,ほぼ女性の専売特許になるわけで,今回の企画もこちらの範疇に入るかもしれない。
 と書きながら,こういう分類好きはいかにも男のものだなぁと思うんだけどさ。要するに,くだらないんだよね。この種の分類って。

● 開演は午後1時半。入場無料。指揮者は河上隆介さん。
 曲目はベートーヴェンの5番とショスタコーヴィチの7番。Comet Projectオーケストラ,平均年齢が若い。それゆえ,清新な演奏。
 ベートーヴェンの5番は小細工をしない直球勝負の演奏って感じでしたね。この曲に小細工はあり得ないんだろうけど。

● ショスタコーヴィチの7番については,前日にCD(バーンスタイン指揮,シカゴ交響楽団)を聴いてみた。でね,途中で寝てしまったんですよ。ダメだねぇ。
 っていうかですね,たとえばベートーヴェンの9番であれば,90分の演奏時間は納得できるんですよ。90分間,集中して聴いていられる。そうさせる必然性が曲の側にある。マーラーの3番は100分。これも,しかし,納得できる。
 ショスタコーヴィチの7番は80分。これはどうか。大変に畏れ多いことながら,少し長すぎるのではないか。いや,ホントに畏れ多いことなんですけどね。

● プログラムの曲目解説には,ショスタコーヴィチが「自国の極端な全体主義,そしてその根底にあるファシズム精神に対し,異議を唱えた」とある。
 ショスタコーヴィチをそこまで哲人に祭りあげるのはいかがかとも思うけど,そうだったのかもしれないとも思う。

● 当時,レニングラードはナチスに包囲されて,数十万人の餓死者が出たと言われる。その渦中にいるときに,自国の政治体制に思いを向けるとは考えにくい。そんな暢気な状況ではない。愛国心に燃えていたはずだ。敵を退ける,その思いだけだったはずだ。
 しかし,自国の政治体制に対する絶望感のようなものがずっと彼を被っていたかもしれない。

● でも,そうした解釈って,あまり議論する実益はないのだろう。どのどちらだとしても,演奏に違いをもたらすことはなさそうだから。
 Comet Projectオーケストラは,そんなこととは関係なく,集中を切らさずに演奏してくれた。この曲を生で聴ける機会は,ひょっとするとこれが最初で最後かもしれない。ありがたかった。
 ぼくの場合,何度かCDを聴かないとこの曲は身体に入ってこないようだ。せっかく生で聴く機会を得たのだから,しばらくCDのお世話になってみようと思う。これを機にショスタコーヴィチの他の曲にも馴染んでいければ,ラッキーこのうえない。

● 客席の埋まり具合は半分ほどだったろうか。「Project Leader」のブログはかなりの共感を呼んだと思う。ただ,そのことと実際に会場に足を運ぶのとは別のこと。それ以前に,ブログを読む人は限られるだろう。チラシの効果も限定的だろうし。
 リアルの集客は難しい。いや,半分埋まれば上出来といっていいのかもね。

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