2013年5月26日日曜日

2013.05.26 宇都宮シンフォニーオーケストラ第12回定期演奏会

宇都宮市文化会館 大ホール

● 宇都宮シンフォニーオーケストラの12回目の定演。当日券(1,000円)で入場。開演は午後2時。6分ほど遅れて始まった。

● 今回の曲目は次のとおり。
 ワーグナー 歌劇「タンホイザー」序曲
 モーツァルト クラリネット協奏曲 イ長調
 ドヴォルザーク 交響曲第9番 ホ短調「新世界より」

● ドヴォルザークの9番をライヴで聴くのは,今回が8回目。直近では,今月,宇都宮ジュニアオケの演奏を聴いている。
 幸いなことに,過去に聴いたものの記憶は残っていない。部分的に憶えているところはあっても,たぶん変容を受けているに違いない。人の記憶は信用してはいけないもののひとつだ。自分の記憶もしかり。
 何が幸いかというと,何度聴いていても憶えてないんだから,その都度,新鮮な気持ちで聴くことができる,ってことね。初めての気分で接することができる。
 ウチの奥さんや職場の同僚に対しても,この法則が適用されれば,人生はどれほど素敵なものになるだろう(いえいえ,ウチの奥さんは素敵な女性ですけどね)。

● そのドヴォルザークなんだけど,聴きごたえがあった。木管の男性陣に注目。特にフルートとオーボエ。
 こうして聴くと,ドヴォルザークの9番ってたしかに凄い曲なんだなぁと思わされる。壮大だ。でもけっして大味ではなく。世界三大交響曲のひとつに数えられるのも,理由がないわけではないんだな,と。
 そういうことを悟らせてくれる演奏だったと思う。曲に対してオケがきちんと対峙できてましたよね。曲に呑まれてないんだもんね。

● このオーケストラを初めて聴いたのは,4年前の第8回定演。ひょっとして当時よりだいぶ巧くなってます? 社会人の個々の奏者が有意に巧くなることってあるのか。メンバーの入れ替えがあったとか?
 あるいは,こちらが少しは聴けるようになってきたからかなぁ(そうだといいんだけど)。
 要するに,巧くなっているんじゃないか,と。オケとして。

● モーツァルトのクラリネット協奏曲。これは3回目になる。これほどの名曲なのに,演奏される機会はそんなに多くはないんだね。あまり演奏会向きではないんだろうか。
 したがってCDで聴くことが多くなるんだけど,ぼくはこの曲はバックの管弦楽,特に弦,で決まると考えていた。弦が巧けりゃ半ば以上は成功したようなもの。クラリネット(ソリスト)は弦の邪魔をしなければそれでいい。
 どうなんでしょ,これ。違いますよね,きっと。

● ソリストは平田彩圭さん。明るいブルーのドレスで登場。
 奏者はステージでは花でなければならない。女性奏者は特に。花としてきちんと咲いて,そこにいなければならない。
 もって生まれた容姿や体型や年齢は関係ない。それぞれが花。それぞれなりにきちんと咲いていてほしい。普段はどうでも,ステージでは。
 ソリストは目いっぱいに咲くことを強制される役柄だろう。平田さん,見事な咲きっぷり。文句なし。

● ときどき,曲を色にたとえてみることがあるんですよ。この曲って色でいえば何色だろう,この楽器の音色は色で表すとどんな色になるだろう,とか。
 ちなみに,クラリネットの音色は,ぼく的にはオレンジ色。フルートはブルーだね。かなり濃いめのブルー。オーボエははっきり黄色。っていうか黄金色。
 でね,このクラリネット協奏曲の色は,平田さんが着ていたドレスの色とドンピシャリ。
 第1楽章の出だしの部分は清冽な水の流れを連想させる。そのイメージがぼくの中に強烈にあって,この曲の色は透明感のあるブルーってことになっている。
 どうでもよかったですか。

● ところで,ソリストの平田さんもゲストコンミスの田中さんも,武蔵野音大の出身。指揮者の石川さんもそうだし,前のコンミス(小泉さん)もそうだった。
 ここは武蔵野音大の牙城ですか。いや,それがいいとか悪いとかじゃなくて。ここに限らず,栃木県で演奏活動をしている人って,武蔵野音大出身者がけっこう多いような気がしててさ。

2013年5月25日土曜日

2013.05.25 とびやま古城の音楽会 「邦楽ゾリスデン」コンサート

飛山城史跡公園

● 宇都宮の東部に飛山城史跡公園っていうのがある。かなり地味めな存在で,宇都宮市民でも知らない人がいるんじゃないかと思う。ちょっと不便なところにあるしね。
 ここで「邦楽ゾリスデン」のコンサートが行われた。邦楽では栃木県内最高水準。しかも,圧倒的な水準。
 これを聴いてダメなら,邦楽は自分には無縁なものと諦めなければならないと思いますね。それはそれで,別に恥ずかしいことでもないわけだし。

● じつはですね,3月24日に宇都宮市文化会館で「邦楽ゾリスデン」のちゃんとした(?)コンサートがあったんですけどね。
 でね,行ったんですよ。当日券で聴こうと思って。ところが。入口に「完売」と告知されていて。ガックリして回れ右という仕儀にあいなった。
 小ホールではあったんだけど,まさか当日券がなくなるとは思わなかったよなぁ。自由席で完売ってのは,ひょっとすると年末の「第九」なんかにはあるのかもしれないけれども,ぼくは今まで遭遇したことがない。そのときが初めて。

● なめてましたね。知る人ぞ知るっていう域を超えてきたのかなぁ。ぼくが知ってるくらいなんだから,多くの人が知っているはずだと思うべきだった。邦楽って濃いファンもいるんだろうし。
 そのときの残念感を少しでも埋めたいなというわけなんでした。

● 野外での演奏だった。白いプラスチック製のビーチチェアというんですか,その椅子が並べられていた。
 お客さんは圧倒的に年寄りが多かった。近くの老人ホームの入所者も集団で来ていたっぽい。あとはオバサンのグループ。オバサンに比べれば少ないけれども,オジサンのグループ。小さい子供を連れた夫婦もいるにはいたけれど。
 幸い,天気がもったのでよかった。ここには「とびやま歴史体験館」なるミニ博物館もあるから,雨天の場合は,その体験館の研修室かホールを使うつもりだったのだろう。

● 手作り感が濃厚で,こういう演奏会も悪くないと思えた。主催者のNPO法人飛山城跡愛護会の職員が一生懸命にやっていたことも,そう感じさせた一因。
 最初のうちは,ちょっとうるさいと思ってたんだけどね。が,よく観客を見て対応してて,途中からこれでいい(っていうか,こうでなければいけない)と納得。
 野外だから,マイクで音を拾ってスピーカーにつなぐというやり方だった。開演は午後2時。入場無料。

● 登場したのは,福田智久山(尺八),前川智世(箏,十七絃),津野田智代(箏)のお三方。これほど間近にお三方を見るのは初めてっていうか,こういう形の演奏会じゃないと,こんなに近くで拝謁することはかなわないでしょうね。
 福田さんのみ男性。彼の指が細くてきれいなのに一驚。体も華奢ですな。尺八以外に,箸より重いものを持ったことがないんじゃないのか,と。
 前川さんは和美人という感じ。当然,演奏中は俯くわけだけど,その俯いている様が様として鑑賞に耐えるということね。要するに,箏の音が聴こえてこなくても,演奏している姿だけ見てても満足できるっていうか。
 津野田さんは現代型の美人。チラシに載ってる写真より本物の方が美人。普通は逆でしょ。実物を見るとガッカリするっていうのが約束事だからさ。

● お三方とも輪郭がクッキリしてる。一芸に秀でた人がその一芸を披露しているときに発散する凛々しさっていうんですか,それが客席に伝わってくる。キリッとしたもの。それもライブの恩恵のひとつだと思っている。
 自分もこうしちゃいられないと背中を押される感じ。感じるだけで,死ぬまで「こうしたまま」でいるんだろうなってのは,わかってるんですけどね。

● 「邦楽ゾリスデン」のメンバーは5人。ほかに吉澤延隆さん(箏)と鮎沢京吾さん(三味線)がいるわけですな。
 津野田さんの説明によると,「ゾリスデン」とはソリストたちという意味だとのこと。矜恃を込めているんでしょうね。それだけの実績と腕前と才能を備えている。

● 「道化師」(沢井忠夫)を皮切りに,「早春賦」とかジブリの「散歩」とか「荒城の月」をはさみながら,「春の海」(宮城道雄),「夏」(山本邦山),「雪ものがたり」(沢井忠夫)を演奏。
 休憩のあと,「八重衣」(石川勾当)。ここでは津野田さんが三味線(三絃)を抱えて謡を披露。この曲だけは,マイクを使わず生音で勝負。充分に聴こえてた。たぶん,すべての曲をマイクなしでやっても問題はなかったかも。
 最後は,松任谷由実の「春よ,来い」。アンコールは彼ら自身が作曲したという「月花」。
 アンコールを含めると,2時間弱のコンサートになった。これだけ聴ければ,満足しないわけにはいかない。

● 彼らの演奏を初めて耳にしたのは,昨年10月の 「学生邦楽フェスティバル」で,さらに翌11月の「栃木県芸術祭 三曲演奏会」が二度目だった。
 そのときは,箏を並べてのアクロバティックな迫力に満ちた奏法も見せてもらえたんだけど,今回の演奏にそれを望むのは望む方が間違っている。今年も10月6日に「学生邦楽フェスティバル」が,来年の3月23日に「邦楽ゾリスデン」の演奏会がある。そのときにまた,聴かせてもらえるだろう。
 今度は,事前にチケットをゲットして,今年の轍を踏まないようにと,それだけを考えている。

● お三方とも幼い頃に箏や尺八に出会い,それに魅せられてか,やむを得ない事情に縛られてかはわからないけれど,ずっと箏や尺八と生きていくことを選んだのだろう。
 が,こうして彼らの演奏を聴き,演奏ぶりを見ていると,箏や尺八の方が,彼女や彼を選んだのだと思えてくる。選ばれた彼女や彼には,ノーという選択肢は最初から与えられていなかったんじゃないか。必然の人生だったんじゃないか。
 彼女や彼にとって,それが幸運なことだったのか,そうではなかったのか。神のみぞ知る。

2013年5月22日水曜日

2013.05.21 間奏29:スパムによるアクセス


● ブログを読んでいただけるのはとても嬉しい。したがって,PVカウンターの数字が増えていくのも嬉しい。

● とはいっても,「参照元サイト」を見ると,よくわからないものがいくつもある。
 http://www.filmhill.com
 http://current.com
 http://pregolom.com
 http://www3.bestbxcleaner.com
 http://vk.com
 http://topblogstories.com
 http://flf-course.com
 http://www.linkedin.com
 http://blogsrating.pw
 http://blogs.needz.it
 http://www.vampirestat.com
 http://www.adsensewatchdog.com
 http://thetaoofbadass.pw
 などなど。

● これらのサイトの多くは,アメリカかロシアをフランチャイズにしている(ようだ)。当初は,すごい,アメリカやロシアに住んでいる日本人も見てくれているんだ,と思ってた。
 ところがどっこい。

● Referer spam(リファラースパム)というらしい。「理詰めのアフィリエイト日記」にわかりやすい説明があった。
 グーグルの提供する無料ブログ「Blogger」だが,このサービスについているアクセス解析にあたる「統計」という機能を悪用したウェブスパムが,最近特に目立つ。
 サイト内容に全く関係ないような海外からのアクセスがあったように装い,サイトに誘導,サイト内に設置してあるアドセンスなどの広告をクリックさせることを目的としたスパム手法。
● こちらとしてできることは,これらのサイトをクリックしないこと。

● 一番の問題は,見かけのPV数が増えてしまうことだ。そんなものは気にしなけりゃいいんだろうけど,なかなかね。
 どのエントリーが読まれているのか,ってのはじつはけっこう気にしている。こう書けば読んでもらえるのかとか,ここがツボなのかなとか,エントリーごとのPV数から示唆されることはわりとあって。

● でも,この数字がじつはアヤフヤでした,かなりの程度水増しされてますよ,っていうんじゃ,それらの推測の前提が消えてしまうっていいますかね。
 少々以上に困ったものだな(ただし,個々のエントリーのPV数には影響しないようでもある。このあたり,ハッキリしない)。

● グーグル「Blogger」では,最近,もうひとつ困った問題が発生するようになった。「自分のページビューを追跡しない」の設定をしても,バンバン追跡してくれちゃうんですな。
 これも,理由と対処法を解説してくれているサイトは複数ある。そこで解説されているとおりの対処をすればいいだけなんだけども,面倒だよなぁ。こうした後ろ向きの対処っていうのはね。

● グーグルにサクッと対応してもらえるとありがたいかなぁ。
 タダで便利なサービスを使わせてもらってるんだから(しかも,広告表示を強制されない),文句を言ったんじゃバチがあたるというものだけどさ。

(追記)
 Referer spam って国内にもあるっぽい。およそあり得ないと思われるサイトが「参照元サイト」にあがっていることがある。たいていはネットショップのサイト(それだけではないけど)。
 DMのようなものか。効果はないだろうけどなぁ。

2013年5月19日日曜日

2013.05.19 峰ヶ丘フィルハーモニー管弦楽団第2回演奏会

宇都宮市文化会館 大ホール

● 峰ヶ丘フィルハーモニー管弦楽団は「愛称」だというのだが,では正式名称は何か。「宇都宮大学OB・OGオーケストラ」がそうなんだろうな,たぶん。
 ともあれ,今回はオール・ベートーヴェン。エグモント序曲,ピアノ協奏曲第3番,交響曲第7番。指揮者は前回と同じく井崎正浩さん。
 開演は午後2時。チケットは1,000円。

● 栃木県の大学オケでは宇都宮大学管弦楽団が突出した存在。そのOB・OGであれば,腕前に関してはリスペクトしていいと思っている。東京の音大を出てUターンしてきた人たちを別にすれば,県内の市民オケを支える屋台骨にもなっているはずだ。
 実際,昨年の創立演奏会で,そのことは確認済みですな。

● OB・OGといっても若い人が多いので,活きがいい。フレッシュ感がある。日本の場合,プロでもそうですよね。まぁ,若干の例外はあるにしても,プロオケでも若い人が多い。40歳定年制が敷かれているんじゃないかと思うくらい。
 プロ・アマ問わず,オーケストラは若手が担っている。

● ソリスト(ピアノ)は阿久澤政行さん。栃木県出身。彼のピアノは他のオーケストラとの共演を何度か聴いている。
 好きか嫌いかでいえば,かなり好き。どこがと問われると答えられない。それを情けないともじつは思っていない。
 手練れであることは言うまでもない。オケをおいて自分だけ好きなように走るなんてことはしなさそうな感じ(してるのか)。オケとすれば合わせやすいのじゃあるまいか。

● 第7番は,テンポに緩急をつけたようだ。もとよりぼくの耳だ,アテにはならない。ざっくり言うと,ゆっくり目だったか。
 弦にはぜんぜん不安がない。管も単調にならないように,きちんと色にメリハリをつけようと努めていたようだ。特にフルートにそれを感じた。しかし,それが完璧にできたらすごすぎるというか,並プロ以上ってことになる。
 井崎さんの指揮のよろしきをかなり受けたと思うんだけど,きちんと仕上げて客席に提供。どうですか,皆さん,という感じでね。

● 今回はプログラムに「サポートのお願い」という文書が挟まれていた。要は,参加者が減ってしまったので,会費収入が減少した。このままでは赤字になる。ゆえに,よろしければ寄付をお願いしたい,と。
 ソリストを呼んで演奏会を開くと200万円くらいかかるとあった。一大イベントだよなぁ。
 ぼくも応分の寄付をしなければならない年齢だ。

● それはそれでいいんだけど,一方で,次回の演奏会に200名様を招待するとある。こういうのをやめたらどうかっていう意見は出ないのか。ほとんどのアマオケがやっていることだとしても,決算で赤字をだしているのに,株主への配当は継続するのか,と。
 あるいは,チケットを値上げすれば,っていう意見はない? チケットの値上げってけっこう勇気がいると思うんだけど,1,000円というのも深く考えての結果でもないだろうし。
 どちらも集客に響きそうだ。でも,そのリスクは取らなくちゃしようがないんじゃないの,っていう意見はないのかなぁ。

● あとね,どうせするなら上手なおねだり。「サポートのお願い」もさ,もうちょっと寄付したくさせるような文章の書きようがあるんじゃないのかねぇ。
 文章の視点が「自分の都合」に貼りつきすぎかな,と。ここをちょっと離れてみると,かえって説得力が出るもので。

● と,偉そうに書いちゃったけど,実際,大変だろうと思うんです。
 手段を選ばずに安くあげようとすれば,方法はなくもないんだろう。でも,せっかくやる以上は,自分たちにとっても勉強になるようにしたいし,お客さんにも楽しんでもらいたい。とすれば,1回につき200万円はかかる。これは所与の前提。
 まったく寄付を受けないでやっているところなんてないんでしょ(中にはあるのか)。応分の寄付を求めうるだけの演奏はしてるしさ。

2013年5月18日土曜日

2013.05.18 ルックスエテルナ ミニコンサート「ルネサンス 教会の響き」

カトリック松が峰教会聖堂

● プログラムノートによれば,ルックスエテルナは「1999年に誕生したアンサンブルグループ」で,「ルネサンス期のラテン語テキストによる音楽を中心に取り組んで」いるとのことだ。
 といわれてもよくわからないんだけど,披露された曲目は次のとおりだ。

● 2部構成で,1st Stage では全日本合唱コンクールの過去の課題曲を並べている。
 ウィリアム・バード Cibavit eos(良い麦で養ってくださる)
 パレストリーナ Ego sum panis vivus(私は命あるパンである)
 グレーロ Sancta Maria(聖マリア)
 ヴィクトリア O magnum mysterium(偉大な神秘)
 ヴィクトリア Ne timeas,Maria(マリア,畏れるな)
 2nd Stage はパレストリーナの「Missa brevis(小ミサ)」。

● 開演は午後2時。チケットは500円。観客は女子高生から爺さままで。ほとんど満席。
 今までにも,器楽+声楽の演奏は,数は少ないものの何度かは聴いている。けれども,器楽なしの合唱のみの演奏会は,ルネサンス期も何も,今回が初体験。CDでもまず聴くことのない分野だ。
 予備知識ゼロで松が峰教会の堅い木のベンチに座った。

● そういうものになぜ出かける気になったかといえば,じつにどうも立派ならざる理由で,このコンサートのチラシをたまたま手に取ったのがきっかけ。宇都宮市文化会館だったろうか。
 チラシのデザインに惹かれたんですよ。白地に黒文字で必要事項が書かれているだけの単純なものなんだけど(あと会場内部の写真があった),そこはかとなく上品な仕上がり。気になったので,捨てないでとっておいた。
 それが理由。ほかにはなし。

● 少人数のグループなんですな。少数精鋭。ぶらさがっているヤツなんかいない。大人数の合唱団にはときどき見られるよね。
 昨年は関東大会をも突破して全国大会に出場したそうだ。ということは,相当なもの。合唱を聴くのが好きな人たちの間では,知らない人はいないくらいのものなんでしょう。

● 大人の女性が歌うと,どうしたってビブラートがかかってしまう,そうすると生体の生々しさが出てしまって,聖歌にふさわしくない,そういうときのためにボーイソプラノがあるのだ,という言われ方をすることがある? どうなんだろ。
 ほどよい生々しさは必要条件で,それがなかったら合唱を聴く醍醐味は失われるという意見もありそうだ。たとえ聖歌でも。大人の合唱である以上,声に生々しさ(=セクシーさ)を乗せてほしい,と。
 っていうか,以上はぼくの意見。で,抑制されたセクシーさを耳で味わえて,相当以上に満足。

● もっとわかりやすかったのは,テノールが達者であること。バスもしっかりと全体を支えていた感じ。男声もいいものですよねぇ。
 あとね,女性陣の粒が揃っている。歌唱もだけど,ルックスの話。これ,得点大きい。オヤジ的視点が過ぎるかもしれないけどね。

● プログラムに載っているメンバー表を見てると,どうやら夫婦で出ている人たちもいるようだ。ここで知り合って結婚したんでしょうかね。
 ということは,夫婦の趣味が同じか。どうなんだ,これ。大変じゃないかなぁ。一般論は成立しないものだけれど,夫婦で趣味が同じって,うぅむ,逃げ場がない感じ。
 暴言多謝。余計なことを言いました。大きなお世話だ。

● アンコールを含めて,約90分のコンサート。こういう曲をこんなふうに歌っているグループが栃木県にあったんだねぇ。
 遅ればせながら,うれしい発見。

2013年5月16日木曜日

2013.05.15 間奏28:黄金週間にワーグナー「ニーベルングの指輪」を観る

● どこかに連れて行けとせがんでくる年齢を,わが息子ははるかに過ぎた。夫婦で行くのは近くのショッピングセンターくらいのものだ。
 ゆえに,ありがたくも黄金週間はどこにも出かけなくてすむようになった。黄金週間に限らない。年末年始も出かけなくなった。出かけなくなると,出かけたくもなくなる。いい悪いは別にして,そうなる。

● で,自ずと暇ができる。暇っていいもんだね。その暇にあかせて,今年はワーグナーの楽劇「ニーベルングの指輪」を観ることに挑戦。
 ま,挑戦っていうほどのことでもないね。DVDを観るだけのことだからね。
 生でこのオペラを観る機会は,この先たぶん一度も訪れないだろう。しかし,今はDVDなるものがある。ありがたくも便利な時代になったものだ(昔だってVHSビデオがあったわけだけど)。

● DVDで観ても観たことにはならないよ,って言われるかもしれない。っていうか,自分でもそう思っている。管弦楽をCDで聴いても,聴いたことにはならないのかもしれないなぁ。
 これを厳密に適用すると,一生の間に観られる演目,聴ける曲目は,ほんのわずかだってことになりますな。観たり聴いたりするのは,なかなか難儀なことだ。
 でも,せっかく文明の利器があるんだからね。その利器を使うことによって,観るや聴くに近い体験が可能になるわけだから。あんまり厳密に考えるのはよしましょうよ,ってことで。
 DVDを観るうえで気をつけなければいけないことは,DVDが手元にあるんだから何回でも観れると思ってしまうことでしょうね。集中が甘くなる。それこそ観たことにならない結果になりがちかも。

● 「ニーベルングの指輪」はご承知のとおり4部作。ひと晩にひとつずつ観ていくことにしよう。
 使用したDVDは,小学館が出している『魅惑のオペラ』シリーズ。 演出はハリー・クプファー,指揮はダニエル・バレンボイム。
 その前に,「ニーベルングの指輪」がどんな作品なのか,「ウィキペディア」で確認しておく(DVDに付いてくる解説書は読まず)。こういうものはザッと知っておけばよい。精確でなくてもかまわない。観りゃわかるんだから。
 むしろ,事前に詳細かつ正確に知ってしまっては,鑑賞の妨げになるとしたものだ。日本版のウィキペディア程度でちょうどいい。

● 4月27日(土)に“序夜「ラインの黄金」”,28日に“第1夜「ワルキューレ」”,5月2日に“第2夜「ジークフリート」”,3日に“第3夜「神々の黄昏」”というスケジュール。

● 前提としてギリシア神話と聖書くらいは知っておく必要があるんでしょうね。ワーグナーは北欧の神話から着想を得たらしいんだけど,ヨーロッパの神話って地域差があまりないでしょ(あるのか)。ギリシア神話で代表させても,とりあえずいいかな,と。
 それをしないで,これだけ観ても,わかる度合いはかなり浅くなるのかもしれないね。もちろん,ぼくはどちらも知らない。聖書なんて一度も読んだことがないし,聖書を読んだところで,それだけでキリスト教に対する欧米人の感覚がわかるわけもない,と諦めてもいる。
 つまりは,「ニーベルングの指輪」を見ても,かの国の人たちがわかるわかり方には,ぼくらは至れないだろう。どうあがいてみても。あがくつもりもないけど。

● で,まず「ラインの黄金」。
 冒頭は地下の国に住む「水の精」3姉妹の踊りから。つまり,お色気から始まる。悪くない感じ。
 そこにニーベルング族の男(アルベリヒ)が忍び込んでくる。何が目的でやってきたのかはわからない。3姉妹を誘惑しに来たのかもしれないし,3姉妹におびき寄せられたのかもしれない。道に迷った結果なのかもしれない。
 当然にして誘惑は成就しないんだけど,3姉妹がラインの黄金の話を彼にしてしまう。で,黄金を彼に奪われてしまう。

● このあたりがさ,男が描いた女って感じがするね。コケティッシュでセクシーで,可愛らしくてちょっとおバカ。そんな女性がいるはずない(それを演じようとする女性は,ときにいる)。早い話が,バカと可愛らしさは両立しないからね。
 でも,物語の初発はここ。ちょっとおバカなお色気ネーチャンが,いうなら原爆の発射ボタンを押したわけね。

● 後半は神々が登場。キリスト教以前の神なんでしょうね,当然。あまりに人間的な神。欲望に負けそうになったり,奥さんを持てあましていたり。

● 「ワルキューレ」になってから,物語が活発に動き始める。ここでも最初の推進力は,神様の親分(ヴォータン)が奥さんを黙らせることができなかったことに発する。
 彼が奥さんを説得できていれば(浮気がらみだから,できっこないんだけど),ジークムントは幸せに生きることができたろうに。妹でもあるジークリンデの尻にしかれて。
 ま,それでは劇にならないわけだけどさ。

● ヴォータンがブリュンヒルデを岩に閉じこめる前の,二人のやりとりは圧巻。自分の眠りを最初に覚ました男の妻にならねばならぬと告げられたブリュンヒルデが,臆病者の妻にだけはなりたくないとヴォータンに懇願するところなんて,鬼気迫るものがありますな。
 でもさ,そんなに嫌なのか,臆病者の妻になるのが。とすると,ウチのヨメは可哀想だなぁ。
 言っておくけどね,臆病じゃない男なんてそうそういないよ。男って,基本,弱くて脆くて臆病なもんだよ。女のようなしなやかさは持ちあわせていないよ。だって,神さまがそう造ってるんだもん。

● DVDはパソコンで観ているんだけど,5月2日の夜,「ジークフリート」を観始めたところで,そのパソコンが逝ってしまった。予備機は持っていなかった。
 で,黄金週間中に「ニーベルングの指輪」を観終えることができなくなった。あらためて,5月12日(日)に「ジークフリート」を鑑賞。

● ジークフリートって勝手なガキだよ。育ててもらった恩を忘れて,ことごとくミーメに反抗する。それはないだろうよ。
 ミーメもジークフリートを操って指輪を手に入れようとするわけで(しかも,指輪を手にしたら,ジークフリートを始末しようと考えている),ワルっちゃワル。しかし,描かれ方がユーモラスでピエロっぽいから,ワルという感じは前面に出てこない。

● でもそうじゃなかったら,ドラマにならない。賢い若者だったら,どうにもなりませんな。
 賢は何も生まないが,愚はドラマを創る。賢は平板だが,愚は起伏に富む。賢者とは愚者になり損ねた者のことかもしれぬ。
 というようなことをチラチラ思いながら,展開を追った。

● ジークフリートがブリュンヒルデの眠りを醒ます。醒めた直後の彼女はまだ神だ。だんだん神としての知恵がかすみ,人間の度合いが増していく。そのさまを描くのに,執拗と思えるほど細かく歌を刻んでいく。見せ場だもんね。
 人間になったブリュンヒルデとジークフリートが手を取りあって,思いっきり歓喜を発散させて,「ジークフリート」は終了。ただし,このまま順風満帆に進んでいくはずはない。

● 「神々の黄昏」は14日と15日に分けて観た。寝不足が続く。黄金週間に観ることができてれば,ずっと楽だったんだけどね。
 パソコンのやつ,肝心なときに壊れてくれたなぁ。

● 前半の白眉は,謀られてブリュンヒルデを他の男に与えようとするジークフリートが,当のブリュンヒルデと対峙する場面。ストーリー的にもここは山場。管弦楽も効果的に緊張感を演出する。
 それにしても,いとも簡単に謀られてしまうんだなぁ。稀代の英雄も形なしじゃないか。って,そういうことを考えてはいけないね。これはお約束ごと。

● 結局,ブリュンヒルデはジークフリートを許すことができず,彼の唯一の弱点をジークフリートを謀ったハーゲンに教える。
 自分を裏切ったといっても,謀られてのことだぞ。自分をヴォータンの怒りから救ってくれた恩人だぞ。しかも,この人しかいないって決めた相手だぞ。
 それなのに殺してしまうのか。って,これも神話的ストーリーの常道であって,ここに異議をさしはさむのは,これまた,お約束ごとに反するだろう。

● 第3幕は大団円に相応しい盛りあがり。
 ただし,どうも細かなことが気にかかる。指輪にはアルベリヒが呪いをかけ,それを持った者は死を免れないことになっている。ただし,恐れを知らないジークフリートにはその呪いが効かない。けれども,この幕にいたって呪いが効くことに変わっていた。なんで? 謀られはしたけれども,臆病者になったわけじゃないんだけどね。
 最後の最後。神々の世界もジークフリートもブリュンヒルデも灰になって,何もかもが消滅したあとに,愛の復活ってことなんだろうけど,現代風のパーティー会場が現れる。そこで幼い男の子と女の子が手をつないで終わる。この演出,どうなんだろう。

● このオペラって傑作なのか? 傑作なんだろうけど,正直なところ,そのへんの判別がつかなかった。
 これをひとつの作品として捉えれば(4つの作品の集合とは看做しがたい),やはり長すぎる。冗長さを感じることはなかったんだけど,観る側もそれなりの覚悟と忍耐を要求される。それを支払ってまで観るに値するかといわれると,少々微妙なところ。
 ぼくには高級すぎたのかもしれない。将棋の初心者がプロ棋士の対戦棋譜を見ても,意味がわからないのと同じことかも。

● 終始,舞台をおどろおどろしさが支配する。舞台をおおう色は,基本的に黒。大衆性を獲得するにはマイナスだろう。オペラは芸術であって,大衆性なんて要らない? うん,そうかもしれないけど。

● やっぱりDVDじゃ観たことにはならないかもなぁ。オペラというより映画のように見えてしまうんだよね。
 登場人物のキャラ設定にしばしば破綻が見られるし,ご都合主義的な場面転換もある。生で観ていれば,その破綻やご都合主義は気にならないものだと思う。演者の歌やバックの管弦楽がそんなものは吹っ飛ばしてくれる(だろう)。劇に没入できる。オペラとはそういうものだと思うことができる。
 が,これが映画になってしまっては,そうはいかない。破綻として,ご都合主義として,映ってしまうんですね。

● 本来,破綻はあるのがリアルですよね。キャラが首尾一貫している人なんて,それこそドラマの世界にしか存在しないわけで。
 最古の物語である神話にも,この二つはふんだんにある。ギリシア神話にしても日本の神話にしても,これが付きものだ。

● DVDのもうひとつの問題点(問題とはいえないかもしれないけど)。
 ルックスが決定的に重要になりますね,DVDで観る場合は。いくら歌が上手くても,ルックスが役柄に沿っていないと,観ててかなり苦しい。
 生の舞台だったら観客に想像力の喚起を求めてよいと思うんだけど,DVDでそれをやれと言うのは,男に子供を産めと要求するようなものだ。
 これからオペラを楽しむ人が増えるのか増えないのか。もし増えていくとすれば,ぼくのような者も観ることになるわけだから,観客の鑑賞水準は下がるはずだ。鑑賞水準が下がれば,演者におけるルックスの比重は上がらざるを得ない。まして,DVDで観る人が増えるとなると,ルックスを等閑に付すことは許されなくなる。
 実際,この傾向はすでに出ているんだと思う。若手歌手のルックスって,昔に比べれば格段に良くなってない?

● ルートヴィヒ2世がバイエルンの国家財政を傾けるほどにワーグナーに入れあげていなければ,このオペラは上演される機会を得なかったかもしれない。でも,上演のあてがなくても,ワーグナーは作ったろうね,これを。
 結局ね,ある種の狂気だよなぁ,こういうのを作っちゃうのって。健全な社会人では絶対できないはずだよなぁ。作曲の才能の問題は考慮の外においても。

● ワーグナーの時代にこのオペラを観れた人って,ごくごく少なかったし,今でも少ないだろう。日本人なら尚更だ。当然,ぼくにしたって,DVDがなければ,話には聞くけどねぇ,で終わっていたはずだ。
 何を言いたいのかといえば,DVDを観ることができるだけでもありがたいと思え,ライヴを観れれば印象が違ってくるだろうなどと,たわけたことを言ってるな,ってことなんですけどね。

● ストーリーの詳細は頭に入ったわけだから,以後は映像なしのCDを聴くのが賢いかも。映像は自分の想像力で勝手に作ればいいんだもんな。DVDはCDへの橋渡し。
 とはいっても,これだけ長いんだから,CDでもそうそうは聴けないけど。

2013年5月14日火曜日

2013.05.12 宇都宮ジュニアオーケストラ第17回定期演奏会


栃木県総合文化センター メインホール

● 宇都宮ジュニアオケの演奏を聴かせてもらうのは,今年で3回目。開演は午後2時。入場無料。指揮は粂川吉見さん。
 メンバーは小学5年生から大学3年生まで。大学生がジュニアなのかと思わないでもないんだけど,22歳までは在籍できるらしい。
 大人の賛助出演者もかなりの数いたので,ジュニア色は薄くなったかもしれない。前回もこんなものだったけ?

● まずは,スッペの「軽騎兵」序曲。ほとんどの人は幼少のみぎりに耳にしたことがある曲。運動神経があまり良くなかった人にとっては,あんまり思いだしたくない曲。たとえば,ぼくのような。
 序曲だけでなく,全体を聴いてみたいと思うわけだけど,そうは問屋が卸してくれない。もともとは全2幕のオペレッタ作品らしいんだけど,現在,演奏されることはほとんどないようだ。ないにはないなりの理由があるんだろう。

● 次は,チャイコフスキーの組曲「くるみ割り人形」から「行進曲」はじめ7曲。メインはドヴォルザークの9番。
 フルートなんか上手なもんだ。ホルンも難しい楽器だろうに,巧みに操っていた。総じて,木管・金管がしっかりしてた感じ(大人の賛助の効もあり)。
 ドヴォルザークの9番は木管・金管が活躍するから,そこから逆にそう思ってしまったのかもしれない。

● コンミスは高3の女子。ステージ上では大人びて見える。話してみれば普通の高校生なんだろうけど。
 パーカッションの女の子に注目。場所がら,目立つからね。小なりといえども凛として立つ。ティンパニ,タンバリン,トライアングルと次々に担当。姿がサマになってる。
 ってことは,つまり巧いんですね。トライアングルなんて,タイミングさえ間違えなければ誰がやっても同じだろうと思ったら,とんでもないもんね。メンバー表によれば,高2のようなんだけど,もっと若い(?)だろう。メンバー表には載ってなかった子かもしれない。
 ドヴォ9の途中からティンパニを叩いた男の子も姿が良かったね。これまたメンバー表の教えるところでは,賛助出演のようなんだけど。

● プログラムの団長あいさつに,「年齢も男女も経験の有無も超えて」とあったけれど,たしかに技術差,経験年数の差がかなりあるようだ。
 でも,だからどうだということはない。その種の差は時間が解決してくれる。プロを目指すわけではないんだろうから,才能があるかどうかなんてのも,さほど気にすることじゃない。楽しくやれてりゃ,それでいいわけで。苦楽しいでも楽苦しいでも。

● でも,あんまり辛ければ,無理して続けることはないよな。わざわざ苦手に飛びこんでコンプレックスを背負いこむなんて,馬鹿馬鹿しい限りだ。
 音楽以外にも楽しいことは数え切れないほどあるんだし。

● 中学生になったら,苦手の克服は放棄してしまった方がいいと思っている。得意を伸ばす方向に舵を切った方がお得だ,たぶん。
 ただし,得意が好きとは限らない。好きだからといって得意になると限ったものでもない。下手の横好きってのがある。
 苦手が嫌いとも限らない。嫌いだから苦手かというと,そうではないことも,これはときたまだけど,ありそうだ。
 苦手で嫌いならやめちゃえ。それ以外だったら,とりあえず続けてみる。その程度のざっくりとした選択でいいんだろうなぁ。どうせ,正解なんてわかりゃしないんだから。

● ついでに言うとね,親とか先生も正解なんてわかっちゃいないからね。馬鹿と書いて「おや」と読むこともある。「せんせい」と読むこともある。
 そういうことも知っておいた方がいいね。いずれ,知ることになるだろうけど。あるいは,もう知っているのかもしれないけど。
 ついでのついでに言うと,馬鹿と書いて「せんぱい」と読むこともあるぞ。社会人になると「じょうし」と読むこともある。オーケストラの団員だったら,「しきしゃ」と読むこともあるのかな。
 あ,それから,「ぶろがー」と読みたくなることも,しょっちゅうあるだろうな。上から目線でいろいろ言ってくれちゃうからね。そこまで言うならおまえがやってみせろ,と啖呵切っちゃってもいいと思うぞ。

2013年5月12日日曜日

2013.05.11 真岡市民交響楽団第48回定期演奏会

芳賀町民会館ホール

● 開演は午後6時。チケットは500円。当日券で入場。
 この日の天気は,昼から雨。久しぶりの雨はありがたいんだけど,今日じゃなくてもいいよな。

● 県内のアマチュアオーケストラはいくつもあるけれども,客席から見ていると,個性といっていいのか,それぞれ色合いが違うように思える。
 ひとりで複数のオケに参加している人もいるだろうし,お互いにエキストラになったり,なってもらったりしているのだろうけど,それでも雰囲気の違いってのは出るものです。
 で,この真岡市民交響楽団はといえば,ぼくのイメージではリンゴなんですよ。果物にたとえればリンゴ。どこがリンゴなんだよって詰め寄られると,答えられないんだけど。何となくリンゴのイメージ。

● 今回はトップにフォーレの組曲「マスクとベルガマスク」を持ってきた。
 1年前のウォーロック「カプリオール組曲」ほどにはマイナーではないと思うんだけど,フォーレっていうと,ぼくは「レクイエム」しか知らない。それも満足には聴けていない。
 この曲も,今回初めて聴いた。優雅に踊りたくなるような曲(踊れないけど)。こういう曲って,絶対,隠れファンがいそうだな(別に隠れているわけじゃないか)。

● 次は,チャイコフスキーの幻想序曲「ロミオとジュリエット」。
 ぼくの拙い感性でいうと,この曲の魅力は緩急の落差。ジェットコースターに乗ってるような。スリルがあるっていうか。
 木管で始まりますよね。ファゴットとクラリネット。「修道僧ロレンスを表す」らしいんだけど,それはともかく,ここでこの曲の「場」を用意できるかどうか。
 ここで躓いても修復のチャンスはいくらもあるのかもしれないけれども,大事ですよね,ここ。

● で,そのスタートから,登ったり降りたりの展開を経て,終局まで,ほどよい緊張の連続。終わったときには,聴く側にも心地よい疲れが残る。
 こういうのを堪能するっていうんでしょうね。かなり満足。

● 「ロミオとジュリエット」ってさ,プログラムの曲目解説にもあるとおり,「哀しくも美しい物語」なわけだけど,愚かな物語でもあるよねぇ。もうちょっと頭使えよ,って言いたくなるよなぁ。
 仮死状態になる薬を使うってのを手紙でロミオに知らせておけよ。あるいは,ロレンスにでも言い含めておけよ。普通,するだろ,その程度のことは。あれほどの芝居を打つんだから。
 そんなこと言ってたら,偉大な戯曲がこの世に存在しなかったことになるんだけどさ。

● 15分間の休憩後に,メインのシューマン3番。軽快な曲。
 コンミスの躍動感が印象的。栃木県内のコンサートマスターを一堂に集めて,King(Queen)of Concertmaster(mistress) in Tochigi を選ぶなんていうコンクールがあったら(あるわけないけど),ぼくは彼女に1票。
 技術の巧拙については,ぼくのよく判定し得るところではないので,たたずまいの様子とか,演奏中の動きとか,背中でメンバーに指示を出す具合とか,諸々の外形的な印象点ということだね。

● 会場の芳賀町民会館のホールは,芳賀地区ではまずトップの施設。音響でも震災前の真岡市民会館の大ホールをしのぐ。トイレなどの付属施設も,なんでこんなところにこんな立派なものが,と思うほどだ。
 問題は収容人員が中途半端なことくらい。あと,田舎のホールの常として,利用頻度が少ないこと。

● でも,次回は二宮文化会館になるようだ。
 団員にとっては,あそこで演奏するのはかなりの苦行になるだろう。アンプで音を増幅するタイプの演奏ならしらず,オーケストラを乗せることは想定されていない(二宮文化会館の建設時に,ここでオーケストラの演奏をすることがあるとは誰も考えなかったろう)。
 次回も芳賀でやればいいのにと単純に思うんだけど,そうもいかない事情があるのかな。あるんだろうね。

● 森博嗣さんが,『TRUCK&TROLL』(講談社文庫)で次のようにお書きになっている。
 一度ちゃんとしたオーディオ環境で聴いてしまうと,もうあれで聴くとせっかくの音楽が・・・・・・,と思えてしまうはずだ。つまり,歩きながらでも聴けるから得だ,というのではなく,本来の音の一部だけを聴かされるなんて損だ,という方向に考えるようになる。(p14)
 それはそうなのだと思う。問題は,「ちゃんとしたオーディオ環境」を整備するのに必要な資金繰りがつかないこと。かりについたとしても,住宅環境の壁が立ちはだかること。
 隣近所に迷惑という以前に,家族から猛烈な苦情が来るだろう。ヘッドフォンで聴くのは,「ちゃんとしたオーディオ環境」にはあたらないだろうし。

● それもクリアできたとしても,一意専心,自宅で音楽に向きあう時間を取れるかどうか。ぼくは忙しく立ち働いている社会人には属さないけれども,それでもけっこう難しいと思う(意を決すればできなくもないか)。できたとしても休日だろう。
 であれば,「ちゃんとしたオーディオ環境」は家庭外にアウトソーシングするのが,現実的かなぁ,と。かといって,アウトソーシング先なんてあるのかよってことになる。

● 残るのはライヴを聴くことだけだ。
 ライヴの問題点は,自分が聴きたい曲を聴けるとは限らないことだけど(当然,そうではない確率の方が圧倒的に高い),音楽だけに向きあえる環境を作るってことになると,これ以外の方法は思いつかない。

● 実際はさ,そのライヴを聴いているときでも,演奏に集中している時間は意外に短い。埒もない雑念に翻弄されている時間の方がずっと長いんだけどね。
 でも,そうして2時間のライヴが終わったあとに,この時間を別の何かに使えばよかったと思ったことは,今までのところ,ただの一度もない。

2013年5月6日月曜日

2013.05.04 宇都宮北高等学校吹奏楽部第27回定期演奏会

栃木県総合文化センター メインホール

● 昨年に続いて二度目の拝聴。昨年はドジを踏んで30分の遅刻となったけど,今回はそんなこともなく,開場時刻前に到着。
 開演は午後2時。チケットは800円(自由席)。当日券は1,000円。前売券を買っておいた。

● 他高の生徒もいたし,中学生がかなりの数,聴きに来ていたようだ。県内の高校吹奏楽部においては,たぶん,抜群の知名度を誇っているのだろうな。
 受付でモギっていたのはOGだろうか。中にはホテルのフロントとか,接客を仕事にしている方もいたのじゃないかと思った。にこやかに手なれた感じでプログラムを渡された。会場のスタッフに委託していたとは考えにくいから,OGなんでしょうねぇ。

● 主催がOB・OG会ということもあってか,開演前の学校関係者のあいさつがない。能書きなしに,いきなり演奏が始まる。これがいいですな。プロっぽくなるね。
 校長あいさつなんてのはプログラムに載せておけばいいので,本人が出てきて喋ってしまっては,演奏会の格調を損なう(場の空気を冷やしてしまう)結果になるのが常。演奏会には演奏以外のものはない方がいい。

● 第1部はクラシック。オール・フランスで,ベルリオーズの序曲「ローマの謝肉祭」と,ドビュッシーの「小組曲」から第1曲(小舟にて)と第4曲(バレエ)。同じくドビュッシーの交響詩「海」から第3楽章(風と海との対話)。
 フランスって,ぼく的には苦手な分野。たんに曲を味わえばいいっていうか,聴こえてくる音楽から自由にイメージを作って,そのイメージに遊べばいいのだと思う。
 とはいうものの,音という抽象からイメージという具象を描きだすのは,けっこう脳に負荷をかける作業のようだ。どうもうまくできない。

● プログラムの「曲目解説」で知ったんだけど,「1905年に出版された(「海」の)スコアの表紙には葛飾北斎の浮世絵である富嶽三十六景「神奈川沖浪裏」が使用され」たらしい。
 でもなぁ,「海」を聴いてぼくの脳内に浮かんでくるのは(あまり明確な像は出てこないんだけど),「神奈川沖浪裏」とは似ても似つかぬものなんだよなぁ。ああいう荒々しいものではないんですよね。かといって,瀬戸内のような海でもないんだけど。

● 第2部は吹奏楽曲モード。ポーターの「Be A Clown」,ガーシュウィンの「I Got Rhythm」,そしてアウグスティン・ララの「Granada」。
 演奏についていえば,さすがは北高ということ。北高クオリティ。昨年に比べると,奔放さが若干減じたかと思わないでもなかったんだけど,たとえそうだとしても,それが演奏にどう出ていたのかと問われれば,特に何も感じなかった,とさえない感想を申し述べることになる。
 「Granada」では大貫比佐志さん(サクソフォーン)がソリストで登場。北高吹奏楽部の木管トレーナーでもあるらしい。その大貫さんに引っぱられて,高校生もあっぱれな演奏で第2部のフィナーレ。

● その後,女子部員が大貫さんに短いインタビュー。驚いたことに,そのインタビューが巧いのだった。事前の打合せはしたのかもしれないけど,それが過剰ではなかったのだろう。
 そういうことよりも,これだけの観客の前で彼女があがっていなかったのがすごい。日常の延長のような感じだった。今の子は「あがる」ってことがないんだろうか。
 大貫さんの応えっぷりも良かった。こういうふうに応接してくれれば,生徒もあがらずにすむのかも。

● 大貫さんが部員たちを評して,「良くも悪くも暢気だよね」と言っていたのが面白かった。北高吹奏楽部の部員たちに限らず,今の若者全般にあてはまるかなぁと思ったものでね。
 暢気でいた方がいいときもあるし,暢気でいてもいいときもあるし,暢気でいちゃいけないときもあるんだろうけど,基本,暢気でいいんじゃないの。と,ぼくは思ってますけどね。
 息せききって走っても,悠々と歩いても,要する時間に驚くような違いはないと思ってるんで。人生とマラソンは違うぞ。

● さらに驚いたのが次の第3部。プログラムでは「ミュージカル」となっている。題目はプロコフィエフのバレエ音楽「ロミオとジュリエット」。
 昨年は「くるみ割り人形」だったと記憶してるんだけど,音楽がメインで,舞台はつけたし的な印象があった。けれども,今回は舞台が舞台として成立してた。音楽は舞台を引き立てる役回りになってたっていうか。

● ひとつには,選曲と演出による。誰もが知っている「ロミオとジュリエット」を持ってきたこと。さほどに難易度の高いダンスを盛りこまなかったこと。バレエだから言葉はないんだけど,その代わりに演者に楽器を持たせて演奏させたことも,効果的な工夫だったかもしれない。
 第2には,バックの吹奏楽の表情豊かな演奏が,充分以上に舞台にリアリティをもたらしたこと。

● しかし,第3には,ジュリエットを演じた女子生徒の功績だ。照れないで演じたのが良かった。私がジュリエットでいいの,なんて余計なことを考えてなかったのがいい(いや,考えたのかもしれないけどね)。
 メイク効果もあったろうし,ステージ効果もあったんだろうけど,貴族の娘って感じが出ていた。少女から大人への移行が終わりかけている乙女の雰囲気。
 っていうか,清楚な大人の女性のお色気が滴っているような感じね。まぶしかったですよ。こういうのってさ,有無を言わさぬ説得力があってさ,それに対抗するにはどうすればいい?

● リアルの恋愛だって演技によって成立している。弱い男が強いふりをして。強い女が弱いふりをして。
 いつまでも「ふり」を続けるわけにはいかないから,恋愛の持続時間は長くはない。そうでなかったら困ることになる。強いふりを続けなければならない男は,全員,過労死にいたるだろう。

● ということなんだけど,恋愛ってのは,バレエでもオペラでも永遠のテーマですな。その心は? 青春への郷愁なんですかねぇ。そんなことでもないと思うんだけど,鉄板のテーマだね,恋愛って。
 でも,恋愛が似合うのは,やはりこれから生殖年齢を迎える若い男女であって,ジジババの色恋はあまり美しくはないよな。美しくなくても,やるのは自由だけどさ。

● プログラムの冊子も面白くできてて,楽しめた。特に「3年生紹介」。3年生部員を一人ずつ紹介してるんだけど,紹介文のセンスがかなりいい。当然,合作でしょうね。
 もし,これだけのものを一人で書いたんだったら,そいつはある種の天才だ。いうところのクリエイティブな方面に職を求めるべきだな。しかも大学なんか行かないで,いきなり始めちゃった方がいいだろうね。

● 添えられている写真も凝っている。よく考えられたコラージュになってますな。勢いよく配置を決めていったんだろう。その勢いが活きている。
 一方で,作業にはコンピュータを使っているんだろうけど,手間ひまもかけてる感じ。結果において,面白い仕上がりになった。

● コピーも斬新だ。ひとつだけあげろと言われれば,「遠目イケメン!」ってやつ。何でもないようだけど,すごいぞ,これ。
 すでにどこかで誰かが言っているのをパクった? そうではなく,オリジナルだとしたら(たぶん,オリジナルなんだろうけど),一も二もなく脱帽する。

● 白昼堂々と女子にこういうことを言っても大丈夫な時代になったんだなぁ,ってことにもちょっとした感慨あり。吹奏楽部という場があって,その場を共有している者に限って許される話ではあるんだけど,それにしても時代は変わってきてたんだなぁ,って。
 もちろん,そういうことを言わせ得る彼女もすごい。どちらかというと,彼女の方がすごい。

2013.05.03 第18回マーキュリーバンド定期演奏会


宇都宮市文化会館 大ホール

● 初めて聴く機会を得た。っていうか,今まで知らないでいた。
 マーキュリーバンド「宇都宮商業高校吹奏楽部OB・OGを中心に結成」され,「名称は商業の神,「マーキュリー」から付けられました」とのこと。
 開演は午後2時。入場無料ということもあって,さほどに期待もしないで行った。のだが。

● 内容は2部構成。
 第1部はシベリウスの「フィンランディア」とスパークの「シンフォニエッタ第4番」。
 吹奏楽で「フィンランディア」を演奏するとこうなるのか。ロシアの圧制に立ち向かおうと,フィンランド人を鼓舞する曲だから,吹奏楽で演奏することに何の違和感もない。
 安心して聴いていられた。若い高校生の演奏もいいけれども,大人の演奏もいいよなぁ,と。大人といっても,女性団員の平均年齢はだいぶ若そうだ。フレッシュでもある。

● 練習は毎週土曜日とのことだ。社会人の集まりなんだから,練習する時間はそうそうはないのが道理だ。
 もともと相当な心得のある人たちが参加しているのか。土曜日以外にも個人的に練習を重ねている人が多いのか。あるいはその両方か。

● 第2部は,「THE対決! 昭和VS平成」と題して,昭和と平成を代表するアニメ,刑事ドラマ,歌謡曲(平成のはJポップと言った方がいい?)から,それぞれいくつかの曲を演奏。
 客席へのサービス効果は満点。企画の勝利ではあるんだけどさ,それもね,演奏がしっかりしていればこそなんだよね。

● その後は,「君の瞳に恋してる」「虹の彼方に」と演奏し,最後は「シング・シング・シング」で締めた。
 「シング・シング・シング」は聴きごたえ充分。指揮者も務めた鈴木章郎さんと五十嵐貴宏さんの,クラリネットとトランペットはさすがと申しあげるほかはない。
 それとドラムがおいしいね,これ。巧いもんですなぁ。左右の腕を違ったリズムで動かすってのは,曲芸に近くない? 人間って訓練すればこういうこともできるようになるんだなぁ。
 さらに趣向をこらしたアンコール。
 吹奏楽もいいなぁと思いましたね。管弦楽をメインに聴いてきたけど,こうして上質の吹奏楽を聴いていると,こっちもいいわ,って。

● もうひとつ,見どころがあった。鈴木さんの指揮ぶり。
 指揮法は独学で勉強されたかに思われるんだけど(違うかもしれない),ひと言で言うとしなやかな印象。柔らかいと言ってもいい。若いときにきちんと基礎をマスターしてるっぽい。年季が入っている感じ。
 奏者への指示も明確。ということはつまり,楽曲を充分に消化しているわけで,本業のかたわら,この演奏会に向けて勉強を重ねてきたんでしょうね。放っておけば錆びつくものだろうから。

● というわけで,失礼な言い方ながら,思わぬ拾いものをしたって感じ。ここまでの演奏を聴けるとは想像していなかったので。
 このパターンが一番嬉しいですな。次回は来年の5月5日の予定。

● 以下,余談。
 ここまでやるのであれば,有料チケット制にしてもいいのじゃないかと思った。このへんは,もちろん主催者の自由裁量の範疇に属することがらであって,ぼくなどが口をさしはさむ余地はないものだが,そこをあえて申しあげると,無料の演奏会ってそもそもが不自然だと思う。
 だって,時間をかけてきたのだろう。エネルギーを注いできたのだろう。それがどうしてタダになるのだ?

● 演奏する側がアマチュアで,自分たちが好きでやっていることであっても,だ。聴いていただく,のではない。聴かせるのだから,500円でも700円でも取るべきだ。

● チケットの印刷代とか手間といった徴収コストを考えると,少しばかりのお金をもらうよりタダにした方が安あがりだ,ってこともあるかもしれない。
 お金を取れば集客にはマイナスに作用する。どうせなら大勢のお客さんの前で演奏したい。それはそうだ。
 でも,それらが無料にしていい理由になるのかどうか。
 以上,天の邪鬼の繰り言でした。