2013年5月12日日曜日

2013.05.11 真岡市民交響楽団第48回定期演奏会

芳賀町民会館ホール

● 開演は午後6時。チケットは500円。当日券で入場。
 この日の天気は,昼から雨。久しぶりの雨はありがたいんだけど,今日じゃなくてもいいよな。

● 県内のアマチュアオーケストラはいくつもあるけれども,客席から見ていると,個性といっていいのか,それぞれ色合いが違うように思える。
 ひとりで複数のオケに参加している人もいるだろうし,お互いにエキストラになったり,なってもらったりしているのだろうけど,それでも雰囲気の違いってのは出るものです。
 で,この真岡市民交響楽団はといえば,ぼくのイメージではリンゴなんですよ。果物にたとえればリンゴ。どこがリンゴなんだよって詰め寄られると,答えられないんだけど。何となくリンゴのイメージ。

● 今回はトップにフォーレの組曲「マスクとベルガマスク」を持ってきた。
 1年前のウォーロック「カプリオール組曲」ほどにはマイナーではないと思うんだけど,フォーレっていうと,ぼくは「レクイエム」しか知らない。それも満足には聴けていない。
 この曲も,今回初めて聴いた。優雅に踊りたくなるような曲(踊れないけど)。こういう曲って,絶対,隠れファンがいそうだな(別に隠れているわけじゃないか)。

● 次は,チャイコフスキーの幻想序曲「ロミオとジュリエット」。
 ぼくの拙い感性でいうと,この曲の魅力は緩急の落差。ジェットコースターに乗ってるような。スリルがあるっていうか。
 木管で始まりますよね。ファゴットとクラリネット。「修道僧ロレンスを表す」らしいんだけど,それはともかく,ここでこの曲の「場」を用意できるかどうか。
 ここで躓いても修復のチャンスはいくらもあるのかもしれないけれども,大事ですよね,ここ。

● で,そのスタートから,登ったり降りたりの展開を経て,終局まで,ほどよい緊張の連続。終わったときには,聴く側にも心地よい疲れが残る。
 こういうのを堪能するっていうんでしょうね。かなり満足。

● 「ロミオとジュリエット」ってさ,プログラムの曲目解説にもあるとおり,「哀しくも美しい物語」なわけだけど,愚かな物語でもあるよねぇ。もうちょっと頭使えよ,って言いたくなるよなぁ。
 仮死状態になる薬を使うってのを手紙でロミオに知らせておけよ。あるいは,ロレンスにでも言い含めておけよ。普通,するだろ,その程度のことは。あれほどの芝居を打つんだから。
 そんなこと言ってたら,偉大な戯曲がこの世に存在しなかったことになるんだけどさ。

● 15分間の休憩後に,メインのシューマン3番。軽快な曲。
 コンミスの躍動感が印象的。栃木県内のコンサートマスターを一堂に集めて,King(Queen)of Concertmaster(mistress) in Tochigi を選ぶなんていうコンクールがあったら(あるわけないけど),ぼくは彼女に1票。
 技術の巧拙については,ぼくのよく判定し得るところではないので,たたずまいの様子とか,演奏中の動きとか,背中でメンバーに指示を出す具合とか,諸々の外形的な印象点ということだね。

● 会場の芳賀町民会館のホールは,芳賀地区ではまずトップの施設。音響でも震災前の真岡市民会館の大ホールをしのぐ。トイレなどの付属施設も,なんでこんなところにこんな立派なものが,と思うほどだ。
 問題は収容人員が中途半端なことくらい。あと,田舎のホールの常として,利用頻度が少ないこと。

● でも,次回は二宮文化会館になるようだ。
 団員にとっては,あそこで演奏するのはかなりの苦行になるだろう。アンプで音を増幅するタイプの演奏ならしらず,オーケストラを乗せることは想定されていない(二宮文化会館の建設時に,ここでオーケストラの演奏をすることがあるとは誰も考えなかったろう)。
 次回も芳賀でやればいいのにと単純に思うんだけど,そうもいかない事情があるのかな。あるんだろうね。

● 森博嗣さんが,『TRUCK&TROLL』(講談社文庫)で次のようにお書きになっている。
 一度ちゃんとしたオーディオ環境で聴いてしまうと,もうあれで聴くとせっかくの音楽が・・・・・・,と思えてしまうはずだ。つまり,歩きながらでも聴けるから得だ,というのではなく,本来の音の一部だけを聴かされるなんて損だ,という方向に考えるようになる。(p14)
 それはそうなのだと思う。問題は,「ちゃんとしたオーディオ環境」を整備するのに必要な資金繰りがつかないこと。かりについたとしても,住宅環境の壁が立ちはだかること。
 隣近所に迷惑という以前に,家族から猛烈な苦情が来るだろう。ヘッドフォンで聴くのは,「ちゃんとしたオーディオ環境」にはあたらないだろうし。

● それもクリアできたとしても,一意専心,自宅で音楽に向きあう時間を取れるかどうか。ぼくは忙しく立ち働いている社会人には属さないけれども,それでもけっこう難しいと思う(意を決すればできなくもないか)。できたとしても休日だろう。
 であれば,「ちゃんとしたオーディオ環境」は家庭外にアウトソーシングするのが,現実的かなぁ,と。かといって,アウトソーシング先なんてあるのかよってことになる。

● 残るのはライヴを聴くことだけだ。
 ライヴの問題点は,自分が聴きたい曲を聴けるとは限らないことだけど(当然,そうではない確率の方が圧倒的に高い),音楽だけに向きあえる環境を作るってことになると,これ以外の方法は思いつかない。

● 実際はさ,そのライヴを聴いているときでも,演奏に集中している時間は意外に短い。埒もない雑念に翻弄されている時間の方がずっと長いんだけどね。
 でも,そうして2時間のライヴが終わったあとに,この時間を別の何かに使えばよかったと思ったことは,今までのところ,ただの一度もない。

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