● 5月の黄金週間にワーグナーの「ニーベルングの指輪」を観た。もちろん,DVDで。これだけ長いオペラだと,一番苦痛なのは,観ている間ずっとパソコンの前に座っていなければならないことだ。DVDもパソコンで観ているんだけど,DVDをテレビに映している場合でも同じだろう。
要は,パソコンなりDVDプレーヤーがある場所に固定される。しかも,けっこう長い時間拘束される。
● 寝転がって観ることができたら,どれほど楽か。黄金週間中に東京に出かけることもあったんだけど,電車の中で観ることができたらどれほど便利か。
実際にそれをやろうとしたら,DVDをリッピングすることが前提になる。パソコンでリッピングして,スマートフォンなりタブレットなりに移して,それらの器機を持ち歩く。
● やろうと思えばいくらでもできる。が,昨年の著作権法改正で,これが違法になったわけですね。自分で買ったDVDをリッピングして,自分だけで楽しむのも違法(罰則はない)。
著作権法を導く理念などというものがあるはずもない。著作権の取扱いは,供給側の利益と消費側の利便との綱引きで決まる(のだと思う)。
● で,供給側の都合がだいぶ通ったということなんでしょうね。
でもですよ,ぼくがお店で購入したDVDはそっくりぼくのものだよねぇ。それをどんな方法で使おうと,ぼくの自由でしょ。複製を作って転売するとかはしないんだからさ。
このところについては,いろいろと思うところがないでもないんだけど,つまるところ,法律ごときにガタガタ言われる筋合いはないよ,と。
● タブレットがいいかもしれませんね,こういうときは。タブレットっていまいち使い途が想像できないでいたんだけど,動画を見るときには格好なものかもしれない。
でも,今どきのスマホって解像度が1920×1080だったりするんですよね。画面も大きなのが出ている。携帯性と天秤にかけなければならないんだけど,たとえばARROWS NXだと5.2インチ。これなら許容範囲だ。
ぼくは来年9月に機種変する予定なんだけど(悠久の彼方だ),DVDを見るのもスマホでいいかなぁと思ってるんですよねぇ。バッテリィもかなりもつようになってるようだし。
● お金を湯水のごとく使えるんだったら,さっそく買っちゃうんだけどね。なかなかそういうわけにもいかなくて。
約2時間のコンサートが終了した直後の満足感は,他のものでは代替できません。この世に音楽というものが存在すること。演奏の才に恵まれた人たちが,時間と費用を惜しまずに技を磨いていること。その鍛錬の成果をぼくたちの前で惜しみなく披露してくれること。そうしたことが重なって,ぼくの2時間が存在します。ありがたい世の中に生きていると痛感します。 主には,ぼくの地元である栃木県で開催される,クラシック音楽コンサートの記録になります。
2013年7月31日水曜日
2013年7月29日月曜日
2013.07.28 東京大学歌劇団第39回公演 ヴェルディ「イル・トロヴァトーレ」
三鷹市公会堂 光のホール
● 前回行ってみて,東大歌劇団の力量は承知したつもり。今回も楽しみに出かけていった。生のオペラを楽しめる機会なんて,そうそうはないからね。
何でもかんでも田舎に住んでいるせいにしたくはないんですけどね,この分野においても,東京と非東京ではだいぶ様相が違う。経済に限らず,学術,文化,エンタテインメント,ファッション,美食などなど,あらゆるものが東京に一極集中。
それが悪いことだなんてぜんぜん思ってない。だって,しようがないもんね。人の集まっているところに,人以外のモノやコトも集まるのは道理というものだ。それじゃ,人為的に人を分散させる? それは悪の最たるもの。
● 開演は午後3時。入場無料(カンパ制)。
だいぶ前に着いたので,開演前にプログラムを隅から隅まで読んだ。
前回の「カルメン」で主役を張った女子高生が慶応の学生になってた。頭もいいんだねぇ。勉強する時間もそんなになかったろうに(逆にそれが良かったのかもしれないけど。受験だからといって勉強だけにフォーカスしてしまうと,かえってパフォーマンスが悪くなるのかもしれないものね)。
彼女に限らず,皆さん,同じ。パンピー(死語?)からすれば,羨ましいぞ,かなり。
● 今回,総監督と指揮を務めたのは,学部の2年生。ぼくから見ると,ものすごい早熟。呆れるほどに。いるんだねぇ,こういう人がねぇ。
その彼が「半年間,各団員が楽譜や台本を真剣に読み込み,作品の世界が成就するよう創り上げて参りました」と書いている。
演出担当者も「人生の救いようのなさを直視してペシミズムを徹底的に煮詰めた先に,本当に生き生きとした生があるのではないか,そんなことを考えさせられる作品です」という。
創る側は,そうですよね。原作も読み,時代背景も調べて,いろんなことを考えて考えて,そしてまた考えて,その結果や経過を形にしていくのだろう。
● では観る側にとってはどうか。自分を観る側の代表にするわけにはいかないから,あくまでもぼく一個のことなんだけど,オペラは憂さを晴らすためのものだ。
見事なアリアに聴きほれたい。管弦楽の盛りあがりを味わいたい。
劇中人物に対して,あいつらバカだなぁ,オレはもう少しマシだぞ,とホッとしたい。
舞台上のレオノーラに,服毒のタイミングが早すぎだろ,マンリーコが助かるのを見届けてからでよかったろ,と突っこんでスッキリしたい。
● オペラから渡世の教訓を得たいとは思わない。人はどこから来てどこへ行くのかを考える糧にしたいとも思わない。
徹頭徹尾,エンタテインメントであってほしい。浅い解釈でも楽しめるものであってほしい。
● いまどき(昔も同じだったろうけど),レオノーラの純愛にリアリティを感じることは難しい。瞬間風速的には,恋する女性の胸のなかにそうした気持ちがよぎることがあるのかもしれないけどさ。
オペラのストーリーは作り事であり,フィクションであり,尾ひれどころか背びれも胸びれもつきまくりだ。
もちろん,それでいいわけで,劇として面白く仕上がってれば,何も文句はない。
● やっぱりさ,オペラって,演出とかによってどうにかできることなんてしれててさ(そんなことはないのか),職人仕事が支えますよね,基本。歌い手の技量,管弦楽の巧みさ,そいういうもので決まるんでしょうねぇ。
問題は,その技量に歌い手の解釈や自分はこう思うってのを織りこんでくれないと困るってことだ。迷っているなら迷っているように。
だから創る側は浅い解釈じゃダメだよね。きちんと悩んでもらわないと。
● で,その真摯さがよく出ていたステージだったと思う。設えも少ない予算を効果的に使っていた感じ。
主役のふたり,レオノーラとマンリーコが引っぱりましたかねぇ。特にレオノーラ役の真野綾子さんは,プロをめざしているセミプロですか。洒落にならない巧さ。
そこに慶大生のアズチェーナが絡んでいく。こちらもお見事。ふてくされ方が巧いんだな,彼女。顔を伏せて寝ている姿勢で,あそこまでの声がでるのもすごいねぇ。
● 第4幕の展開が白眉なんでしょうね。フィナーレではこちらも心地良い疲れを感じた。
1回の公演に膨大な手間がかかることは,客席にいても想像できる。衣装も手縫いだったりするらしいし。しかも,年2回の公演。
次回は12月22日に,オッフェンバックの「ホフマン物語」。さっそく,明日から本読みや譜読みにとりかかるのだろう。頭さがります,ほんとに。
● オペラについては,まだまだ知るところが少ない。でも,無知蒙昧なこの時期こそ,最もオペラを楽しめるゴールデンエイジなのかも。妙に詳しくなったり,頭デッカチになったりしたくない。
大満足で会場をあとにしながら,そんなことを思ったりした。
● 前回行ってみて,東大歌劇団の力量は承知したつもり。今回も楽しみに出かけていった。生のオペラを楽しめる機会なんて,そうそうはないからね。
何でもかんでも田舎に住んでいるせいにしたくはないんですけどね,この分野においても,東京と非東京ではだいぶ様相が違う。経済に限らず,学術,文化,エンタテインメント,ファッション,美食などなど,あらゆるものが東京に一極集中。
それが悪いことだなんてぜんぜん思ってない。だって,しようがないもんね。人の集まっているところに,人以外のモノやコトも集まるのは道理というものだ。それじゃ,人為的に人を分散させる? それは悪の最たるもの。
● 開演は午後3時。入場無料(カンパ制)。
だいぶ前に着いたので,開演前にプログラムを隅から隅まで読んだ。
前回の「カルメン」で主役を張った女子高生が慶応の学生になってた。頭もいいんだねぇ。勉強する時間もそんなになかったろうに(逆にそれが良かったのかもしれないけど。受験だからといって勉強だけにフォーカスしてしまうと,かえってパフォーマンスが悪くなるのかもしれないものね)。
彼女に限らず,皆さん,同じ。パンピー(死語?)からすれば,羨ましいぞ,かなり。
● 今回,総監督と指揮を務めたのは,学部の2年生。ぼくから見ると,ものすごい早熟。呆れるほどに。いるんだねぇ,こういう人がねぇ。
その彼が「半年間,各団員が楽譜や台本を真剣に読み込み,作品の世界が成就するよう創り上げて参りました」と書いている。
演出担当者も「人生の救いようのなさを直視してペシミズムを徹底的に煮詰めた先に,本当に生き生きとした生があるのではないか,そんなことを考えさせられる作品です」という。
創る側は,そうですよね。原作も読み,時代背景も調べて,いろんなことを考えて考えて,そしてまた考えて,その結果や経過を形にしていくのだろう。
● では観る側にとってはどうか。自分を観る側の代表にするわけにはいかないから,あくまでもぼく一個のことなんだけど,オペラは憂さを晴らすためのものだ。
見事なアリアに聴きほれたい。管弦楽の盛りあがりを味わいたい。
劇中人物に対して,あいつらバカだなぁ,オレはもう少しマシだぞ,とホッとしたい。
舞台上のレオノーラに,服毒のタイミングが早すぎだろ,マンリーコが助かるのを見届けてからでよかったろ,と突っこんでスッキリしたい。
● オペラから渡世の教訓を得たいとは思わない。人はどこから来てどこへ行くのかを考える糧にしたいとも思わない。
徹頭徹尾,エンタテインメントであってほしい。浅い解釈でも楽しめるものであってほしい。
● いまどき(昔も同じだったろうけど),レオノーラの純愛にリアリティを感じることは難しい。瞬間風速的には,恋する女性の胸のなかにそうした気持ちがよぎることがあるのかもしれないけどさ。
オペラのストーリーは作り事であり,フィクションであり,尾ひれどころか背びれも胸びれもつきまくりだ。
もちろん,それでいいわけで,劇として面白く仕上がってれば,何も文句はない。
● やっぱりさ,オペラって,演出とかによってどうにかできることなんてしれててさ(そんなことはないのか),職人仕事が支えますよね,基本。歌い手の技量,管弦楽の巧みさ,そいういうもので決まるんでしょうねぇ。
問題は,その技量に歌い手の解釈や自分はこう思うってのを織りこんでくれないと困るってことだ。迷っているなら迷っているように。
だから創る側は浅い解釈じゃダメだよね。きちんと悩んでもらわないと。
● で,その真摯さがよく出ていたステージだったと思う。設えも少ない予算を効果的に使っていた感じ。
主役のふたり,レオノーラとマンリーコが引っぱりましたかねぇ。特にレオノーラ役の真野綾子さんは,プロをめざしているセミプロですか。洒落にならない巧さ。
そこに慶大生のアズチェーナが絡んでいく。こちらもお見事。ふてくされ方が巧いんだな,彼女。顔を伏せて寝ている姿勢で,あそこまでの声がでるのもすごいねぇ。
● 第4幕の展開が白眉なんでしょうね。フィナーレではこちらも心地良い疲れを感じた。
1回の公演に膨大な手間がかかることは,客席にいても想像できる。衣装も手縫いだったりするらしいし。しかも,年2回の公演。
次回は12月22日に,オッフェンバックの「ホフマン物語」。さっそく,明日から本読みや譜読みにとりかかるのだろう。頭さがります,ほんとに。
● オペラについては,まだまだ知るところが少ない。でも,無知蒙昧なこの時期こそ,最もオペラを楽しめるゴールデンエイジなのかも。妙に詳しくなったり,頭デッカチになったりしたくない。
大満足で会場をあとにしながら,そんなことを思ったりした。
2013年7月28日日曜日
2013.07.27 ル スコアール管弦楽団第34回演奏会
すみだトリフォニーホール 大ホール
● 「青春18きっぷ」が使える今の時期は,東京に出るのに絶好。昔はこの切符で国内のそちこちに出かけていたけれども,今や「青春18きっぷ」は東京フリー切符みたいな感じ。ありがたいです,これ。
若い頃は東京に住みたいと思った。なにせ,都会らしい都会で暮らしたことがないのでね。でも,加齢に伴って,東京には住めないなと感じるようになった。埼玉でもちょっときつい。何がきついかって,人が多すぎる。人工圧が強すぎるような感じがしてまして。
ゆえに,住むのは栃木でいい。栃木に住んで,たまに東京に遊びに行く。その際,新幹線を使わなくても何とかなる距離なのが,栃木の絶妙なところだ。
ともあれ,この時期は2,300円で東京まで行ってこれますよ,と。安いですね,と。
● 今回はル スコアール管弦楽団の演奏会。初めて聴く楽団。なぜこの演奏を聴くことにしたかといえば,1週間前に楽団カーニバル2001の演奏会で渡されたチラシの中に,今日の演奏会のチラシもあって,その絵柄が洒落てたからなんですね。
ぼく,わりとこういう理由で,どれを聴くか決めちゃうタイプ。
● 開演は午後2時。チケットは1,000円。当日券を購入。指揮は田部井剛さん。
客席はほぼ満席。アンケートに答えてくれた人に,次回の招待状を送ることは,この楽団でもやっているようだ。そうした集客の努力によるところもあるんだろうけど,客席側にしてみれば休日をどう過ごすか,オプションはたくさんある。この日は隅田川の花火大会もあったしね(残念ながら雨のため,開始後30分で中止になったらしい)。
たくさんあるオプションの中からどれを選ぶかとなったときに,招待状があってタダで聴けるからというそれだけの理由で,演奏会に足を運ぶ人は,さほど多くはないと思われる。
● 足を運ばせるだけの演奏水準があるんでしょうね。このあたり,お客さんは正直なものだと思う。
言っちゃなんだけど,聴く耳をちゃんと持ってるお客さんって,そうはいないんだと思うんですよ。ぼくなんか典型的にそうだけどね。
ところが,不思議なんだけど,マスとしてのお客は,こういうところでは間違えないんだよね。微差であってもキチッと見分けてくるんですよ。
● 1曲目はニールセンの「仮面舞踏会」序曲。ハチャトゥリアンでもヴェルディでもなく,ニールセン。ニールセンがこのタイトルのオペラを作曲していること自体を知らなかった。
オペラの序曲であれば,当然,本編の展開を期待させる華やかさを持ってるわけで,この曲も絢爛に満ちているんでした。
● コンマスがコンマス然としているのは,客席から見てても気持ちがいいものだ。この楽団のコンマスもそうで,確かな腕前。
あと,コンマスの隣の1stの2番奏者に注目。彼女の弾きぶりに目が釘づけっていうか,ずっと彼女を見ていたかな,オレ。
● 2曲目はベートーヴェンの交響曲第7番。
この曲はとにかくフルートでしょ。第2の指揮者っていうか,要所要所でオケを差配するでしょ。そのフルートを担った麗人が見事な差配ぶり。
フルートがここまでやってくれれば,全体が締まる。全力疾走のエンディングまで間然するところがなかった。
終局後の感想は,これで終わりじゃないんだな,大変だぁ,ってこと。これをやったあとに,もう1曲やる?
● 15分間の休憩後に,ストラヴィンスキーのバレエ音楽「ペトルーシュカ」。チラシの絵柄もこの曲をあしらったもの。
ストラヴィンスキーといえども,バレエ音楽を音楽だけ聴くのは何だかなぁと思ったり,オケにとってはクールダウンなのかなぁと思ったり。クールダウンにしては長すぎるわけだけど。
とか思ってるうちに,「ペトルーシュカ」が子守唄になってしまった。申しわけない。
● でもさ,ベト7のあとにバレエ音楽を聴かされれば,たとえそれがチャイコフスキーであったとしても,うーん,寝ちゃうかも。
というわけで,すべてをベト7のせいにして,会場をあとにした。
● 「青春18きっぷ」が使える今の時期は,東京に出るのに絶好。昔はこの切符で国内のそちこちに出かけていたけれども,今や「青春18きっぷ」は東京フリー切符みたいな感じ。ありがたいです,これ。
若い頃は東京に住みたいと思った。なにせ,都会らしい都会で暮らしたことがないのでね。でも,加齢に伴って,東京には住めないなと感じるようになった。埼玉でもちょっときつい。何がきついかって,人が多すぎる。人工圧が強すぎるような感じがしてまして。
ゆえに,住むのは栃木でいい。栃木に住んで,たまに東京に遊びに行く。その際,新幹線を使わなくても何とかなる距離なのが,栃木の絶妙なところだ。
ともあれ,この時期は2,300円で東京まで行ってこれますよ,と。安いですね,と。
● 今回はル スコアール管弦楽団の演奏会。初めて聴く楽団。なぜこの演奏を聴くことにしたかといえば,1週間前に楽団カーニバル2001の演奏会で渡されたチラシの中に,今日の演奏会のチラシもあって,その絵柄が洒落てたからなんですね。
ぼく,わりとこういう理由で,どれを聴くか決めちゃうタイプ。
● 開演は午後2時。チケットは1,000円。当日券を購入。指揮は田部井剛さん。
客席はほぼ満席。アンケートに答えてくれた人に,次回の招待状を送ることは,この楽団でもやっているようだ。そうした集客の努力によるところもあるんだろうけど,客席側にしてみれば休日をどう過ごすか,オプションはたくさんある。この日は隅田川の花火大会もあったしね(残念ながら雨のため,開始後30分で中止になったらしい)。
たくさんあるオプションの中からどれを選ぶかとなったときに,招待状があってタダで聴けるからというそれだけの理由で,演奏会に足を運ぶ人は,さほど多くはないと思われる。
● 足を運ばせるだけの演奏水準があるんでしょうね。このあたり,お客さんは正直なものだと思う。
言っちゃなんだけど,聴く耳をちゃんと持ってるお客さんって,そうはいないんだと思うんですよ。ぼくなんか典型的にそうだけどね。
ところが,不思議なんだけど,マスとしてのお客は,こういうところでは間違えないんだよね。微差であってもキチッと見分けてくるんですよ。
● 1曲目はニールセンの「仮面舞踏会」序曲。ハチャトゥリアンでもヴェルディでもなく,ニールセン。ニールセンがこのタイトルのオペラを作曲していること自体を知らなかった。
オペラの序曲であれば,当然,本編の展開を期待させる華やかさを持ってるわけで,この曲も絢爛に満ちているんでした。
● コンマスがコンマス然としているのは,客席から見てても気持ちがいいものだ。この楽団のコンマスもそうで,確かな腕前。
あと,コンマスの隣の1stの2番奏者に注目。彼女の弾きぶりに目が釘づけっていうか,ずっと彼女を見ていたかな,オレ。
● 2曲目はベートーヴェンの交響曲第7番。
この曲はとにかくフルートでしょ。第2の指揮者っていうか,要所要所でオケを差配するでしょ。そのフルートを担った麗人が見事な差配ぶり。
フルートがここまでやってくれれば,全体が締まる。全力疾走のエンディングまで間然するところがなかった。
終局後の感想は,これで終わりじゃないんだな,大変だぁ,ってこと。これをやったあとに,もう1曲やる?
● 15分間の休憩後に,ストラヴィンスキーのバレエ音楽「ペトルーシュカ」。チラシの絵柄もこの曲をあしらったもの。
ストラヴィンスキーといえども,バレエ音楽を音楽だけ聴くのは何だかなぁと思ったり,オケにとってはクールダウンなのかなぁと思ったり。クールダウンにしては長すぎるわけだけど。
とか思ってるうちに,「ペトルーシュカ」が子守唄になってしまった。申しわけない。
● でもさ,ベト7のあとにバレエ音楽を聴かされれば,たとえそれがチャイコフスキーであったとしても,うーん,寝ちゃうかも。
というわけで,すべてをベト7のせいにして,会場をあとにした。
2013年7月22日月曜日
2013.07.20 楽団カーニバル2001フィルハーモニーオーケストラ第11回定期演奏会
杉並公会堂 大ホール
● この日,久しぶりにヨメと東京に出た。恵比寿(ガーデンプレイス)の「叙々苑」でビールを呑んで焼肉ランチを食べ,三越を覗き,さらにヱビスビール記念館でもビールを呑んだ。
ビール記念館のテイスティングサロンってさ,以前は館内見学を終えた人が最後にビールを味わうっていう,文字どおりのテイスティングサロンだったような記憶があるんだけど,今は本格的に呑むための施設になってますな。居酒屋の要素が大きくなっているっていうか。テーブル席も増えてるし。お客さんの滞在時間も長くなっているようだった。
● 実際アレですよ,種々の反論があることを承知のうえで申しあげますが,ここは日本で一番旨いビールが呑めるところだと思ってますんでね。
日本で一番ということは,ひょっとすると世界で一番かもしれない。こちらの体調によって味なんかぜんぜん違ってくるから,安易な比較は慎まなければいけないんだけど,ミュンヘンで呑んだビール,さほどじゃなかったような気がしててね。イギリスのパブで出てくるエールなんてやつは,呑まなくても想像がつくような気がしちゃっててさ。呑んだことはないんだけど,別に呑みたいとも思わねーよ,って感じでね。
日本で呑むビールは美味しいですよ。グラスに対してまで気配りが行き届いているしね。しかも,この猛暑だし。
● このまま帰ってもよかったんだけど,せっかくだからというんで,スマホでフロイデを確認したところ,この楽団カーニバルの演奏会があるのを発見。で,聴いて帰ろうか,と。
ヨメは別なところに行きたそうだったので,ここからは単独行動。彼女は中学だか高校で吹奏楽部に入ってて,クラリネットを吹いていたらしいし,子供の頃からピアノを習っていたっていうんだけど,今では音楽とは無縁な生活をしている。それが悪いわけではない。ぼくも強いては誘わないことにしている。
● 開演は午後5時半。入場無料。曲目は次のとおり。
ボロディン 「イーゴリ公」序曲
グリーグ 「ペール・ギュント」組曲から抜粋
チャイコフスキー 交響曲第6番「悲愴」
曲ごとに指揮者が代わった。
● 最近読んだ『漂流 本から本へ』で,著者の筒井康隆さんが,イプセン『ペール・ギュント』を取りあげて,次のように書いている。
● 恥ずかしながらCDでも聴いたことはないはずだ。要するに,初めて聴く。
「朝」はほんとに朝という感じ。しかも,大方のサラリーマン諸氏にとってそうであろう憂鬱な朝ではなくて,やっと朝が来たぞって感じの朝ですね。あるべき朝っていいますか。
でも,面白かったのは「アニトラの踊り」。こちらの気持ちにポンポン針をつついてくる。針といっても不快な痛みはなくて,快い刺激。
● でも,この曲を聴くには,イプセンの『ペール・ギュント』を読んでおくべきなんでしょうね。この作品をきちんと知っておけば,曲の細かいところにこちらの味わいが行き届くかもしれない。
演奏する側にとっても,当然そうでしょうね。って,ステージで演奏している人たちの中に,この作品を読みましたっていう人はどのくらいいるんだろう。指揮者はさすがに読んでいるんだろうけど。
● チャイコフスキーの6番は久しぶりに聴く。若干のノイズはあったものの,さほど気にならない。
第3楽章が終わったところで拍手が出てしまうのは仕方がないんでしょうねぇ。楽章間で拍手をしてはいけないことになっている。その理由もちゃんと説かれている。でも,この曲に関してはねぇ。
ひょっとすると,楽章間での拍手を否定すること自体,何者かによる洗脳かもしれないなぁと思うこともあるんですよ。楽章間で拍手されると演奏する側の集中が途切れると言われたりもするんだけど,その割りには,次の楽章に移るまでに間を取り過ぎているような気がすることもあるしねぇ。これだけ間をあけたんじゃ,同じように集中が途切れるんじゃありませんか,と訊ねたくなることもあってさ。
● プログラムも高校生か大学生の部活のノリだし,ホームページもしかり。見てると楽しい。こういうふうにするのが好きな人がいるんでしょうね。楽しんでやってますよ,ってのを伝えようとしているんでしょう。それは伝わりすぎるくらいに伝わってくる。楽団の名前からしてそうですよねぇ。「楽団カーニバル」だからね。
アマオケの原点だもんね。歯を食いしばって音楽性の追求だの,アンサンブルの純度を上げるだのって,そればかりじゃやってらんないでしょ。
聴く方にしたって,芸術を味わうという以前に,エンタテインメントを楽しみに行くわけでね。よほどの朴念仁でもない限り,そうだと思うんですよ。というより,エンタテインメントの要素を含まない芸術なんて存在を許されないよねぇ。
● お客さんもかなり入っていた。2階席も含めて8割は埋まっていたんじゃないだろうか。これもなかなかすごい。無料効果? それだけじゃないと思いますね。
最後は,オッフェンバッハの「天国と地獄」で盛りあがって終演。
● 帰りに,荻窪駅前の「富士そば」で夕食。かけそばとミニとろろ丼のセット,500円。こういうのって,味を云々してはいけないものだけど,「富士そば」ってけっこう美味しいですな。
昼に食べた焼肉ランチは1,800円だったんだけど,原価率は「富士そば」の方が低いでしょ。おまけに,食券制だから,会計はお客さんが自動券売機を相手に自分でやってくれる。配膳もセルフ。人件費も節約できる。「叙々苑」より利益率は高いはずだ。
一方でアレですよね,こういうところで食べる人って,そんなにお金持ちはいないんだと思う。これからお金持ちになる人はたくさんいるんだろうけど。
● 結局さ,お金を持っていない人が高い利益率を支えるという構図だよね。ぼくもだいぶ貢献してきたなぁ。
商売は貧乏人を相手にするに限るって,一般則として成立しますか。数からいっても,お金持ちより貧乏人の方が圧倒的に多いだろうしね。
とはいえ,この分野も競争は激甚なんだろうけどさ。
● この日,久しぶりにヨメと東京に出た。恵比寿(ガーデンプレイス)の「叙々苑」でビールを呑んで焼肉ランチを食べ,三越を覗き,さらにヱビスビール記念館でもビールを呑んだ。
ビール記念館のテイスティングサロンってさ,以前は館内見学を終えた人が最後にビールを味わうっていう,文字どおりのテイスティングサロンだったような記憶があるんだけど,今は本格的に呑むための施設になってますな。居酒屋の要素が大きくなっているっていうか。テーブル席も増えてるし。お客さんの滞在時間も長くなっているようだった。
● 実際アレですよ,種々の反論があることを承知のうえで申しあげますが,ここは日本で一番旨いビールが呑めるところだと思ってますんでね。
日本で一番ということは,ひょっとすると世界で一番かもしれない。こちらの体調によって味なんかぜんぜん違ってくるから,安易な比較は慎まなければいけないんだけど,ミュンヘンで呑んだビール,さほどじゃなかったような気がしててね。イギリスのパブで出てくるエールなんてやつは,呑まなくても想像がつくような気がしちゃっててさ。呑んだことはないんだけど,別に呑みたいとも思わねーよ,って感じでね。
日本で呑むビールは美味しいですよ。グラスに対してまで気配りが行き届いているしね。しかも,この猛暑だし。
● このまま帰ってもよかったんだけど,せっかくだからというんで,スマホでフロイデを確認したところ,この楽団カーニバルの演奏会があるのを発見。で,聴いて帰ろうか,と。
ヨメは別なところに行きたそうだったので,ここからは単独行動。彼女は中学だか高校で吹奏楽部に入ってて,クラリネットを吹いていたらしいし,子供の頃からピアノを習っていたっていうんだけど,今では音楽とは無縁な生活をしている。それが悪いわけではない。ぼくも強いては誘わないことにしている。
● 開演は午後5時半。入場無料。曲目は次のとおり。
ボロディン 「イーゴリ公」序曲
グリーグ 「ペール・ギュント」組曲から抜粋
チャイコフスキー 交響曲第6番「悲愴」
曲ごとに指揮者が代わった。
● 最近読んだ『漂流 本から本へ』で,著者の筒井康隆さんが,イプセン『ペール・ギュント』を取りあげて,次のように書いている。
イプセンはグリーグに伴奏音楽の作曲を依頼している。この組曲を初めて聞いたのは高校の放送部室でだったが,「オーセの死」「ソルヴェイグの歌」「アニトラの踊り」など名曲揃いで,特に「朝」にはいつもうっとりとしてしまう。今回は,「朝」「オーセの死」「ペール・ギュントの帰郷」「アニトラの踊り」「山の魔王の宮殿にて」の5曲を演奏。
● 恥ずかしながらCDでも聴いたことはないはずだ。要するに,初めて聴く。
「朝」はほんとに朝という感じ。しかも,大方のサラリーマン諸氏にとってそうであろう憂鬱な朝ではなくて,やっと朝が来たぞって感じの朝ですね。あるべき朝っていいますか。
でも,面白かったのは「アニトラの踊り」。こちらの気持ちにポンポン針をつついてくる。針といっても不快な痛みはなくて,快い刺激。
● でも,この曲を聴くには,イプセンの『ペール・ギュント』を読んでおくべきなんでしょうね。この作品をきちんと知っておけば,曲の細かいところにこちらの味わいが行き届くかもしれない。
演奏する側にとっても,当然そうでしょうね。って,ステージで演奏している人たちの中に,この作品を読みましたっていう人はどのくらいいるんだろう。指揮者はさすがに読んでいるんだろうけど。
● チャイコフスキーの6番は久しぶりに聴く。若干のノイズはあったものの,さほど気にならない。
第3楽章が終わったところで拍手が出てしまうのは仕方がないんでしょうねぇ。楽章間で拍手をしてはいけないことになっている。その理由もちゃんと説かれている。でも,この曲に関してはねぇ。
ひょっとすると,楽章間での拍手を否定すること自体,何者かによる洗脳かもしれないなぁと思うこともあるんですよ。楽章間で拍手されると演奏する側の集中が途切れると言われたりもするんだけど,その割りには,次の楽章に移るまでに間を取り過ぎているような気がすることもあるしねぇ。これだけ間をあけたんじゃ,同じように集中が途切れるんじゃありませんか,と訊ねたくなることもあってさ。
● プログラムも高校生か大学生の部活のノリだし,ホームページもしかり。見てると楽しい。こういうふうにするのが好きな人がいるんでしょうね。楽しんでやってますよ,ってのを伝えようとしているんでしょう。それは伝わりすぎるくらいに伝わってくる。楽団の名前からしてそうですよねぇ。「楽団カーニバル」だからね。
アマオケの原点だもんね。歯を食いしばって音楽性の追求だの,アンサンブルの純度を上げるだのって,そればかりじゃやってらんないでしょ。
聴く方にしたって,芸術を味わうという以前に,エンタテインメントを楽しみに行くわけでね。よほどの朴念仁でもない限り,そうだと思うんですよ。というより,エンタテインメントの要素を含まない芸術なんて存在を許されないよねぇ。
● お客さんもかなり入っていた。2階席も含めて8割は埋まっていたんじゃないだろうか。これもなかなかすごい。無料効果? それだけじゃないと思いますね。
最後は,オッフェンバッハの「天国と地獄」で盛りあがって終演。
● 帰りに,荻窪駅前の「富士そば」で夕食。かけそばとミニとろろ丼のセット,500円。こういうのって,味を云々してはいけないものだけど,「富士そば」ってけっこう美味しいですな。
昼に食べた焼肉ランチは1,800円だったんだけど,原価率は「富士そば」の方が低いでしょ。おまけに,食券制だから,会計はお客さんが自動券売機を相手に自分でやってくれる。配膳もセルフ。人件費も節約できる。「叙々苑」より利益率は高いはずだ。
一方でアレですよね,こういうところで食べる人って,そんなにお金持ちはいないんだと思う。これからお金持ちになる人はたくさんいるんだろうけど。
● 結局さ,お金を持っていない人が高い利益率を支えるという構図だよね。ぼくもだいぶ貢献してきたなぁ。
商売は貧乏人を相手にするに限るって,一般則として成立しますか。数からいっても,お金持ちより貧乏人の方が圧倒的に多いだろうしね。
とはいえ,この分野も競争は激甚なんだろうけどさ。
2013年7月17日水曜日
2013.07.15 山岸淳子氏講演会-「第九」その魅力と歴史
宇都宮市文化会館 小ホール
● 山岸さんは,芸大楽理科を卒業して,日フィルに入団。スタッフとして日フィルの運営に携わってきた人。
その彼女が「第九」についての講演をするというので,聞いてきた。
● 主催は宇都宮第九合唱団事務局。毎年,年末に宇都宮市文化会館で「第九」演奏を催行している。最近は,というかだいぶ前から,オーケストラは日フィルが務めている。その縁で,彼女に話をしてもらうことになったのだろう。
一般開放されていたのでぼくも聞くことができたんだけど,聴衆の多くは宇都宮第九合唱団のメンバーだったようだ。山岸さんも,「聴衆=宇都宮第九合唱団のメンバー」の前提で話をした。
● 開演は午後6時半のところ,10分ほど遅れて始まり,8時前に終了。レジュメ等の配布資料はなし。VAIOのノートパソコンでパワーポイントを使用。
ベートーヴェンの一生を簡単に振り返り,「苦悩」から「歓喜」に至るその至り方を説明。ドミソの短長和音をピアノで聴衆に聞かせながら,話を進めた。音楽構造の話ってことになりますか。
スライドには同主調だとか平行調なんていう用語も載ってたんだけど,その辺はごくサラッと。難しい話はしない方針だったようだ。こちらとしてはありがたい。聞いてもたぶんわからないから。
● ぼくの歳になると,話の中身もさることながら,話し手の声質がまず気になる。耳障りな声だと,いくらいい話でも,聞かなくてもいいかと思ってしまうっていうか。声じたいに反発してしまうっていうか。
年寄りは何かと我慢が効かなくなるものなんですかねぇ。これから自分の心身で実験していくことになるんだけどね。
山岸さんの声は聞きやすいんでした。これならOK。声をはじいてしまうっていう反応はしなくてすんだ。
● はるかな昔,岩波文庫の『ベートーヴェンの手紙』を読んだことがある。まったく何もわからなかった。あたりまえだね。ベートーヴェンの生涯について知識皆無,楽曲もほとんど聴いたことがないという状態で読んだんだからね。
今読めば,多少は染みてくるところがあるのかもしれないんだけど,読む気にならない。はるか昔の無味乾燥だった記憶が残ってしまっているので。
ものごとには順序というものがありますな。順序を間違うと後々までひびくということね。
● 講演が始まる前に,事務局のスタッフが聴衆に対して,「第九」を1楽章から通して聴いたことがある人はどのくらいいるか,ベートーヴェンの9つの交響曲をすべて聴いたことがある人はどのくらいいるか,と訊ねた。挙手を求めたんだけど,こういうのに正直に答える人はどのくらいいるものか。
という前提でなんだけど,両方とも少なかったんですよねぇ。意外なほど少なかった。合唱団として「第九」のステージに立てば,少なくとも「第九」については自動的に全楽章を聴くことになると思うので,これは別にしても,9つの交響曲をすべて聴いた人は,実際,あまりいないのかもしれない。
交響曲以外のピアノソナタやヴァイオリンソナタ,協奏曲や弦楽四重奏曲になると,さらに少なくなるんだろうね。だからダメってことにはならないはずだけどさ。
● 宇都宮第九合唱団による演奏会は,今年も年末に開催される。管弦楽はもちろん日フィル。指揮は高関健さん。ソプラノが森麻季さん,テノールが錦織健さんという豪華版。
ぼくは一昨年に飯森範親さんの指揮のときに聴く機会を得た。わりと早めにソールドアウトになるようで,なかなかチケットが入手できないという印象がある。特に,西本智実さんが指揮するときは,はなから諦めることになる。
ぼくが聴いた前の年には,ピエタリ・インキネンが指揮者だった。2009年から日フィルの首席客演指揮者に就任している人で,若手ながら将来はベルリン・フィルの指揮者になるかもしれない逸材だとは,山岸さんの弁。
● 合唱団の皆さんは,講演終了後に練習をするという。今回は33回に及ぶ練習を重ねて本番に臨むのだとか。うーん,たいしたもんだ。33回のすべてに参加できる人は,そうはいないのかもしれないけどね。
● 山岸さんは,芸大楽理科を卒業して,日フィルに入団。スタッフとして日フィルの運営に携わってきた人。
その彼女が「第九」についての講演をするというので,聞いてきた。
● 主催は宇都宮第九合唱団事務局。毎年,年末に宇都宮市文化会館で「第九」演奏を催行している。最近は,というかだいぶ前から,オーケストラは日フィルが務めている。その縁で,彼女に話をしてもらうことになったのだろう。
一般開放されていたのでぼくも聞くことができたんだけど,聴衆の多くは宇都宮第九合唱団のメンバーだったようだ。山岸さんも,「聴衆=宇都宮第九合唱団のメンバー」の前提で話をした。
● 開演は午後6時半のところ,10分ほど遅れて始まり,8時前に終了。レジュメ等の配布資料はなし。VAIOのノートパソコンでパワーポイントを使用。
ベートーヴェンの一生を簡単に振り返り,「苦悩」から「歓喜」に至るその至り方を説明。ドミソの短長和音をピアノで聴衆に聞かせながら,話を進めた。音楽構造の話ってことになりますか。
スライドには同主調だとか平行調なんていう用語も載ってたんだけど,その辺はごくサラッと。難しい話はしない方針だったようだ。こちらとしてはありがたい。聞いてもたぶんわからないから。
● ぼくの歳になると,話の中身もさることながら,話し手の声質がまず気になる。耳障りな声だと,いくらいい話でも,聞かなくてもいいかと思ってしまうっていうか。声じたいに反発してしまうっていうか。
年寄りは何かと我慢が効かなくなるものなんですかねぇ。これから自分の心身で実験していくことになるんだけどね。
山岸さんの声は聞きやすいんでした。これならOK。声をはじいてしまうっていう反応はしなくてすんだ。
● はるかな昔,岩波文庫の『ベートーヴェンの手紙』を読んだことがある。まったく何もわからなかった。あたりまえだね。ベートーヴェンの生涯について知識皆無,楽曲もほとんど聴いたことがないという状態で読んだんだからね。
今読めば,多少は染みてくるところがあるのかもしれないんだけど,読む気にならない。はるか昔の無味乾燥だった記憶が残ってしまっているので。
ものごとには順序というものがありますな。順序を間違うと後々までひびくということね。
● 講演が始まる前に,事務局のスタッフが聴衆に対して,「第九」を1楽章から通して聴いたことがある人はどのくらいいるか,ベートーヴェンの9つの交響曲をすべて聴いたことがある人はどのくらいいるか,と訊ねた。挙手を求めたんだけど,こういうのに正直に答える人はどのくらいいるものか。
という前提でなんだけど,両方とも少なかったんですよねぇ。意外なほど少なかった。合唱団として「第九」のステージに立てば,少なくとも「第九」については自動的に全楽章を聴くことになると思うので,これは別にしても,9つの交響曲をすべて聴いた人は,実際,あまりいないのかもしれない。
交響曲以外のピアノソナタやヴァイオリンソナタ,協奏曲や弦楽四重奏曲になると,さらに少なくなるんだろうね。だからダメってことにはならないはずだけどさ。
● 宇都宮第九合唱団による演奏会は,今年も年末に開催される。管弦楽はもちろん日フィル。指揮は高関健さん。ソプラノが森麻季さん,テノールが錦織健さんという豪華版。
ぼくは一昨年に飯森範親さんの指揮のときに聴く機会を得た。わりと早めにソールドアウトになるようで,なかなかチケットが入手できないという印象がある。特に,西本智実さんが指揮するときは,はなから諦めることになる。
ぼくが聴いた前の年には,ピエタリ・インキネンが指揮者だった。2009年から日フィルの首席客演指揮者に就任している人で,若手ながら将来はベルリン・フィルの指揮者になるかもしれない逸材だとは,山岸さんの弁。
● 合唱団の皆さんは,講演終了後に練習をするという。今回は33回に及ぶ練習を重ねて本番に臨むのだとか。うーん,たいしたもんだ。33回のすべてに参加できる人は,そうはいないのかもしれないけどね。
2013年7月16日火曜日
2013.07.15 栃木チェロ協会第14回定期演奏会
宇都宮市文化会館 大ホール
● 栃木チェロ協会というのがあって,すでに定期演奏会を何度も開催している。のだが,ぼくはその存在を知らなかった。当然,定期演奏会を聴くのも今回が初めて。
開演は午後2時。チケットは1,000円。
● 会長は宮田豊さん。今やメジャーに登りつめた感のある宮田大さんのお父さん。サイトを見ると,宮田大後援会といった趣もありますな。
● けっこうな数の会員がいる。考えてみればアレだよねぇ,楽器ってたくさんの種類があるわけだから,何らかの楽器を趣味としていじってますよっていう人の数,相当なものですよね。加えて,ぼくのように彼らの演奏を聴く人がいる。
言っちゃなんだけど,これ,そっくり遊びだよね。膨大な時間が遊びに費やされているわけだよねぇ。
遊びのない人生なんて生きるに値しない。同じように考える人はたくさんいるだろう。生存を維持するのに精一杯の人生なんて,ちょっと願いさげだ。
● でも,地球規模で見れば,遊びどころじゃない人たちが多数派だろう。食べるものがろくにないとか,内戦中だとか。日本っていい国だし,今っていい時代だなぁ,と。
どんな状況下でも,たぶん何らかの遊びを見つけるっていうか,見つけずにはいられないのが人間というもので,厳しい状況下に生きている人たちも,何らかの遊びは手中にしていると思う。
だけども,遊びをむさぼれるのは,やはり限られた人たちだよね。週に1回,楽器の練習をするなんてのは,むさぼるといっていい水準だと思う。
ぼくらは国と時代に恵まれている。なんだかんだ言ってもね。
● 前半は,チェロのみで次の3曲を演奏。
バッハ G線上のアリア
バッハ シャコンヌ
エルトル・ヴィラ=ロボス ブラジル風バッハNo.5
● この演奏会に行く気になったのは,バッハのシャコンヌが聴けるから。シャコンヌは元々はヴァイオリンのソロで演奏されるもの。そのヴァイオリンと管弦楽版はCDで聴いたことがある。弦楽合奏版は生でも聴いた。チェロで演奏するとどうなるのか。これは聴くしかないでしょ。
チェロのシャコンヌも素晴らしいんでした。ズンズンと体に響いてくる。曲の荘重感とチェロの音色,放射される音の照度が,ピッタシカンカンという感じ。
チェロって,オーケストラで低音を担当する弦楽器っていうイメージだけど,実際にはけっこう高音まで出せるんですね。チェロだけでカバーできちゃうんですな。
● ブラジル風バッハでは細野尚美さんのソプラノが加わった。
プログラムの曲目解説によると,「ヴィラ=ロボスは,バッハの音楽こそが全ての民族に通じると信じていて,バッハ音楽とブラジル音楽を合わせたのがブラジル風バッハ」というわけなんだけど,こちらは基本的にブラジルの音楽を知らない。
かといって,どこがブラジルでどこがバッハなのかを,頭で聴き取ろうとしたんじゃ,演奏を楽しめない。なので,ボーッと聴いてたんだけど,ブラジル風じゃないただのバッハの方がいいよなぁ。
● 後半は,ゴスペルグループの「Brown Blessed Voice」も登場。
「Amazing Grace」をまず歌って,次の「Total Praise」はBBV代表の山中陽子さんが指揮した。
山中さん,まだお若いのは当然として,リーダー特有の凜々しさを発散していた。キラキラしていたなぁ,羨ましいほどに。
たまたま音楽の才能があって,こういう形で活躍しているけれども,彼女のような人はどの方面に進んでも,ひとかどの仕事をするんでしょうね。
人をまとめていくってのは,相当に大変なことだろうから,その過程で色々と磨かれますよね,途中で潰れさえしなければ。
でも,石はいくら磨いたところで石なわけで,彼女の凜々しさは,BBVを始める前から彼女の中にあったものだろうな。
その彼女が作曲した「One」も披露。
● ゴスペルとは「教会で歌われる賛美歌を黒人音楽として発展させたもの」。県内にもいくつかのグループがあることは知っていたけど,そこにとどまっていた。黒人音楽を日本人が歌ったところでサマにならないだろう,と固く思ってました。
で,聴いてみてどうだったかというと,楽しんで歌っているなぁという感じですね。これなら,ひょっとすると,歌うというそれだけで完結できるかもしれない。聴衆に聴かせるというのは要らないかも。
神をたたえるための音楽だからね。自分が神と向き合ってれば,ほかに何も要らない。
● 再び,細野さんが登場して,ジュリオ・カッチーニの「アヴェ・マリア」。これも聴きごたえあり。
「アヴェ・マリア」はシューベルトをはじめ何人もの作曲家が作品を残しているけど,全部まとめて森麻季さんのCDで聴くことができる。ぼくはそれで聴いているけど,今回はチェロの伴奏とBBVのバックコーラス付き。
最後はチェロのみで,クレンゲル「讃歌」。
というわけで,今回の演奏会は「Play to Pray」。神に捧げる祈りの演奏。にしては,だいぶ明るいステージで,腹にもたれることがない。
● プログラムに掲載されている宮田豊さんの「ごあいさつ」も収穫。バッハについての短い紹介文として,ぼくが言うのも変だけど,出色のものではないだろうか。
彼は終演後にも挨拶。チェロは人間の声に一番近い音をだす楽器だとか,チェロの魅力をいろいろと。これも面白かったんだけど,ちょっと長すぎたか。
お茶目な感じの爺さまで,会員からも好かれているようだ。たいていの会員とは師弟関係にあるんだろうから,好かれる以前に遠慮もされているんだろうけど,その遠慮を過大にさせないだけの好かれ方をしているっぽい。
● 唯一の難点は客席にあった。演奏中の乳幼児の泣き声はやはりきつい。演奏中に通路を行ったり来たりする。ケータイの電源は切れと言っているのに,スマホで演奏中のステージを動画に収める。この3つ。
一人三役なわけね。同一人物がこの3つをやってくれる。乳幼児を連れてきて,泣く子を抱いて通路を横切り,着席中は動画撮影,と。そういうやつって,どういうわけだか前方に席を取る。いやでも目に入る。
こういう人が何人かいた。ごく少ないんだけど,客席全体に及ぼす影響は甚大。
もうひとつ。前方右側の扉は演奏中にも開けっ放しになってたんだけど,これだと,ホールが穴のあいたバケツになってしまわないか。何か理由があってそうしていたんですか。
● 栃木チェロ協会というのがあって,すでに定期演奏会を何度も開催している。のだが,ぼくはその存在を知らなかった。当然,定期演奏会を聴くのも今回が初めて。
開演は午後2時。チケットは1,000円。
● 会長は宮田豊さん。今やメジャーに登りつめた感のある宮田大さんのお父さん。サイトを見ると,宮田大後援会といった趣もありますな。
● けっこうな数の会員がいる。考えてみればアレだよねぇ,楽器ってたくさんの種類があるわけだから,何らかの楽器を趣味としていじってますよっていう人の数,相当なものですよね。加えて,ぼくのように彼らの演奏を聴く人がいる。
言っちゃなんだけど,これ,そっくり遊びだよね。膨大な時間が遊びに費やされているわけだよねぇ。
遊びのない人生なんて生きるに値しない。同じように考える人はたくさんいるだろう。生存を維持するのに精一杯の人生なんて,ちょっと願いさげだ。
● でも,地球規模で見れば,遊びどころじゃない人たちが多数派だろう。食べるものがろくにないとか,内戦中だとか。日本っていい国だし,今っていい時代だなぁ,と。
どんな状況下でも,たぶん何らかの遊びを見つけるっていうか,見つけずにはいられないのが人間というもので,厳しい状況下に生きている人たちも,何らかの遊びは手中にしていると思う。
だけども,遊びをむさぼれるのは,やはり限られた人たちだよね。週に1回,楽器の練習をするなんてのは,むさぼるといっていい水準だと思う。
ぼくらは国と時代に恵まれている。なんだかんだ言ってもね。
● 前半は,チェロのみで次の3曲を演奏。
バッハ G線上のアリア
バッハ シャコンヌ
エルトル・ヴィラ=ロボス ブラジル風バッハNo.5
● この演奏会に行く気になったのは,バッハのシャコンヌが聴けるから。シャコンヌは元々はヴァイオリンのソロで演奏されるもの。そのヴァイオリンと管弦楽版はCDで聴いたことがある。弦楽合奏版は生でも聴いた。チェロで演奏するとどうなるのか。これは聴くしかないでしょ。
チェロのシャコンヌも素晴らしいんでした。ズンズンと体に響いてくる。曲の荘重感とチェロの音色,放射される音の照度が,ピッタシカンカンという感じ。
チェロって,オーケストラで低音を担当する弦楽器っていうイメージだけど,実際にはけっこう高音まで出せるんですね。チェロだけでカバーできちゃうんですな。
● ブラジル風バッハでは細野尚美さんのソプラノが加わった。
プログラムの曲目解説によると,「ヴィラ=ロボスは,バッハの音楽こそが全ての民族に通じると信じていて,バッハ音楽とブラジル音楽を合わせたのがブラジル風バッハ」というわけなんだけど,こちらは基本的にブラジルの音楽を知らない。
かといって,どこがブラジルでどこがバッハなのかを,頭で聴き取ろうとしたんじゃ,演奏を楽しめない。なので,ボーッと聴いてたんだけど,ブラジル風じゃないただのバッハの方がいいよなぁ。
● 後半は,ゴスペルグループの「Brown Blessed Voice」も登場。
「Amazing Grace」をまず歌って,次の「Total Praise」はBBV代表の山中陽子さんが指揮した。
山中さん,まだお若いのは当然として,リーダー特有の凜々しさを発散していた。キラキラしていたなぁ,羨ましいほどに。
たまたま音楽の才能があって,こういう形で活躍しているけれども,彼女のような人はどの方面に進んでも,ひとかどの仕事をするんでしょうね。
人をまとめていくってのは,相当に大変なことだろうから,その過程で色々と磨かれますよね,途中で潰れさえしなければ。
でも,石はいくら磨いたところで石なわけで,彼女の凜々しさは,BBVを始める前から彼女の中にあったものだろうな。
その彼女が作曲した「One」も披露。
● ゴスペルとは「教会で歌われる賛美歌を黒人音楽として発展させたもの」。県内にもいくつかのグループがあることは知っていたけど,そこにとどまっていた。黒人音楽を日本人が歌ったところでサマにならないだろう,と固く思ってました。
で,聴いてみてどうだったかというと,楽しんで歌っているなぁという感じですね。これなら,ひょっとすると,歌うというそれだけで完結できるかもしれない。聴衆に聴かせるというのは要らないかも。
神をたたえるための音楽だからね。自分が神と向き合ってれば,ほかに何も要らない。
● 再び,細野さんが登場して,ジュリオ・カッチーニの「アヴェ・マリア」。これも聴きごたえあり。
「アヴェ・マリア」はシューベルトをはじめ何人もの作曲家が作品を残しているけど,全部まとめて森麻季さんのCDで聴くことができる。ぼくはそれで聴いているけど,今回はチェロの伴奏とBBVのバックコーラス付き。
最後はチェロのみで,クレンゲル「讃歌」。
というわけで,今回の演奏会は「Play to Pray」。神に捧げる祈りの演奏。にしては,だいぶ明るいステージで,腹にもたれることがない。
● プログラムに掲載されている宮田豊さんの「ごあいさつ」も収穫。バッハについての短い紹介文として,ぼくが言うのも変だけど,出色のものではないだろうか。
彼は終演後にも挨拶。チェロは人間の声に一番近い音をだす楽器だとか,チェロの魅力をいろいろと。これも面白かったんだけど,ちょっと長すぎたか。
お茶目な感じの爺さまで,会員からも好かれているようだ。たいていの会員とは師弟関係にあるんだろうから,好かれる以前に遠慮もされているんだろうけど,その遠慮を過大にさせないだけの好かれ方をしているっぽい。
● 唯一の難点は客席にあった。演奏中の乳幼児の泣き声はやはりきつい。演奏中に通路を行ったり来たりする。ケータイの電源は切れと言っているのに,スマホで演奏中のステージを動画に収める。この3つ。
一人三役なわけね。同一人物がこの3つをやってくれる。乳幼児を連れてきて,泣く子を抱いて通路を横切り,着席中は動画撮影,と。そういうやつって,どういうわけだか前方に席を取る。いやでも目に入る。
こういう人が何人かいた。ごく少ないんだけど,客席全体に及ぼす影響は甚大。
もうひとつ。前方右側の扉は演奏中にも開けっ放しになってたんだけど,これだと,ホールが穴のあいたバケツになってしまわないか。何か理由があってそうしていたんですか。
2013年7月14日日曜日
2013.07.13 宇都宮大学管弦楽団第75回定期演奏会
宇都宮市文化会館 大ホール
● この楽団の演奏会に来る人の多くは,招待状を持つ人たちだ。多くのアマオケがそうしているように,アンケートに答えると,次回から招待状が送られてくる。タダで入場できるんだから,わざわざお金を払ってチケットを買う必要はない。
ぼくも長らく招待状で入場してたんだけど,今回はチケット(当日券)を購入した。
● 大学オケだとカンパ制のところも多い。最初から無料にして,終演後にカンパを募る。それだと安心してタダで聴けるんだけど,ここではカンパ箱などは置いていないのでね,どうしたものかとちょっと落ち着かないでいた。タダで聴くのって,あまりいい気分のものじゃないんだよねぇ。
かといって,せっかく手間ひまかけて送ってくれた招待状を使わないのも,申しわけないかなぁと思うし。どうしたものか,と。
が,今回は,チケットを購入してみましたよ,と。聴いている間,この方が据わりが良かったですね,やはり。
● ということで,開演は午後6時。チケットは800円(悩むほどの金額じゃなかった?)。
プログラムは,チャイコフスキーの「スラヴ行進曲」とラフマニノフのピアノ協奏曲2番,それにベートーヴェンの5番。
● チャイコフスキーの「スラヴ行進曲」を生で聴くのは,今回が二度目。低弦部隊の何事ならんと思わせる響きから始まるわけですね。
音楽大学ではない普通の大学の学生が,学業のかたわらの部活で(実際には部活のかたわらの学業なんだろうけど。当然,それでいいとぼくは思ってますけど)ここまでのレベルで仕上げてくるんだからね。堅い言葉でいえば,敬意を表しますってことね。
● 緊張過多だったかと思われるところもないではなかった。でも,それによってかえって清新さが強調されることがある。音が損なわれる度合いと清新さが表現される度合いとを天秤にかけたら,さてどちらが大きいか。
ここは聴く人によっても意見が分かれるだろう。ぼくはこれもありだと思うんだけど,そういうことも含めて,ライヴは演奏する側にとっても生きものなのだろう。
ミスが結果的にミスにならないことがある。あるいは逆に,巧いがゆえに何かが欠けてしまうこともあるかもしれない。だからこそのライヴだ。
間違いのない安定した演奏を聴きたいのであれば,1千万円程度を用意して,オーディオ環境をそれなりに整えたうえで,ゆったりとCDを聴くのがいいだろう。
● ラフマニノフのピアノ協奏曲2番。ソリストは犬飼まおさん。武蔵野音大の2年生だから,まだ19歳か。赤いドレスで登場。
腕前については,ぼくが語る範疇を超えている。感心したのは終演後の所作だ。何度かお辞儀をしてから舞台の袖に去っていく。そのタイミング,逡巡のなさ。
去って行くときのドレスを摘んで歩くその歩き方。こうすれば最もきれいに見えると知っているかのような。おそるべき19歳。
って,あれですか,女性はみんなそんなものですか。
● メインはベートーヴェンの5番。ゆっくり目のテンポで(いや,これが普通か)丁寧に曲を表現しようとしていた,という印象。
宇大OB・OGオーケストラでコンマスを務めていた石堂さんが,OB賛助でステージ上にいた。他にも,OB・OGの俊英がアシストしていたようで,弦にはちょっとやそっとではビクともしないと思わせる安定感があった。
木管もそれぞれ出番があって,それぞれが健闘していた。その中でしいて勲一等を選ぶとしたら,今回はオーボエの1番。できるんだねぇ,ここまでねぇ。
● なんだかんだいっても,ベートーヴェンの5番は途方もない曲だ。人類共通の財産だと思う。そういうことをわからせてくれる演奏だったということ。
弓の角度が一斉に変化するところなど,オーケストラって見た目にも美しいものだと,感じさせてももらった。そうしたことも含めて,聴く側(のひとり)としては,かなり満足度の高い演奏だった。
● 指揮は北原幸男さん。貴族的な顔立ちですな。冷静沈着が服を着て指揮棒を振っているという感じね。実際のところは,冷静沈着だけで指揮者が務まるとは思えないので,ぼくには窺えないいろんなものがあるはずだけどね。
派手なパフォーマンスをまじえて,大向こうの受けを取りに行くなどということは,彼には無縁。きっちりと指揮を詰めていく。玄人感濃厚。っていうか,玄人も玄人,大変な玄人であるわけですが。
● アンコールはブラームスのハンガリー舞曲第5番。ここでもきっちり盛りあげて締めた。
その後に,北原さんが犬飼さんをステージに呼んで最後のご挨拶。彼,武蔵野音大の教授でもあるから,学生である犬飼さんに,終わるまで着替えないで待ってろよ,と言い含めておいたんでしょうね。いかな指揮者といえども大御所のソリストにそんなことは言えないだろうけどね。
それとも,終演まで着替えないでいるのがマナーというか,そういう慣わしなんですか。
● この楽団の演奏会に来る人の多くは,招待状を持つ人たちだ。多くのアマオケがそうしているように,アンケートに答えると,次回から招待状が送られてくる。タダで入場できるんだから,わざわざお金を払ってチケットを買う必要はない。
ぼくも長らく招待状で入場してたんだけど,今回はチケット(当日券)を購入した。
● 大学オケだとカンパ制のところも多い。最初から無料にして,終演後にカンパを募る。それだと安心してタダで聴けるんだけど,ここではカンパ箱などは置いていないのでね,どうしたものかとちょっと落ち着かないでいた。タダで聴くのって,あまりいい気分のものじゃないんだよねぇ。
かといって,せっかく手間ひまかけて送ってくれた招待状を使わないのも,申しわけないかなぁと思うし。どうしたものか,と。
が,今回は,チケットを購入してみましたよ,と。聴いている間,この方が据わりが良かったですね,やはり。
● ということで,開演は午後6時。チケットは800円(悩むほどの金額じゃなかった?)。
プログラムは,チャイコフスキーの「スラヴ行進曲」とラフマニノフのピアノ協奏曲2番,それにベートーヴェンの5番。
● チャイコフスキーの「スラヴ行進曲」を生で聴くのは,今回が二度目。低弦部隊の何事ならんと思わせる響きから始まるわけですね。
音楽大学ではない普通の大学の学生が,学業のかたわらの部活で(実際には部活のかたわらの学業なんだろうけど。当然,それでいいとぼくは思ってますけど)ここまでのレベルで仕上げてくるんだからね。堅い言葉でいえば,敬意を表しますってことね。
● 緊張過多だったかと思われるところもないではなかった。でも,それによってかえって清新さが強調されることがある。音が損なわれる度合いと清新さが表現される度合いとを天秤にかけたら,さてどちらが大きいか。
ここは聴く人によっても意見が分かれるだろう。ぼくはこれもありだと思うんだけど,そういうことも含めて,ライヴは演奏する側にとっても生きものなのだろう。
ミスが結果的にミスにならないことがある。あるいは逆に,巧いがゆえに何かが欠けてしまうこともあるかもしれない。だからこそのライヴだ。
間違いのない安定した演奏を聴きたいのであれば,1千万円程度を用意して,オーディオ環境をそれなりに整えたうえで,ゆったりとCDを聴くのがいいだろう。
● ラフマニノフのピアノ協奏曲2番。ソリストは犬飼まおさん。武蔵野音大の2年生だから,まだ19歳か。赤いドレスで登場。
腕前については,ぼくが語る範疇を超えている。感心したのは終演後の所作だ。何度かお辞儀をしてから舞台の袖に去っていく。そのタイミング,逡巡のなさ。
去って行くときのドレスを摘んで歩くその歩き方。こうすれば最もきれいに見えると知っているかのような。おそるべき19歳。
って,あれですか,女性はみんなそんなものですか。
● メインはベートーヴェンの5番。ゆっくり目のテンポで(いや,これが普通か)丁寧に曲を表現しようとしていた,という印象。
宇大OB・OGオーケストラでコンマスを務めていた石堂さんが,OB賛助でステージ上にいた。他にも,OB・OGの俊英がアシストしていたようで,弦にはちょっとやそっとではビクともしないと思わせる安定感があった。
木管もそれぞれ出番があって,それぞれが健闘していた。その中でしいて勲一等を選ぶとしたら,今回はオーボエの1番。できるんだねぇ,ここまでねぇ。
● なんだかんだいっても,ベートーヴェンの5番は途方もない曲だ。人類共通の財産だと思う。そういうことをわからせてくれる演奏だったということ。
弓の角度が一斉に変化するところなど,オーケストラって見た目にも美しいものだと,感じさせてももらった。そうしたことも含めて,聴く側(のひとり)としては,かなり満足度の高い演奏だった。
● 指揮は北原幸男さん。貴族的な顔立ちですな。冷静沈着が服を着て指揮棒を振っているという感じね。実際のところは,冷静沈着だけで指揮者が務まるとは思えないので,ぼくには窺えないいろんなものがあるはずだけどね。
派手なパフォーマンスをまじえて,大向こうの受けを取りに行くなどということは,彼には無縁。きっちりと指揮を詰めていく。玄人感濃厚。っていうか,玄人も玄人,大変な玄人であるわけですが。
● アンコールはブラームスのハンガリー舞曲第5番。ここでもきっちり盛りあげて締めた。
その後に,北原さんが犬飼さんをステージに呼んで最後のご挨拶。彼,武蔵野音大の教授でもあるから,学生である犬飼さんに,終わるまで着替えないで待ってろよ,と言い含めておいたんでしょうね。いかな指揮者といえども大御所のソリストにそんなことは言えないだろうけどね。
それとも,終演まで着替えないでいるのがマナーというか,そういう慣わしなんですか。
2013年7月8日月曜日
2013.07.07 石原千代バレエスクール School Performance 2013
栃木県総合文化センター メインホール
● 開演は午後3時。入場無料だけれども,チケットは必要。当日,会場入口で配ったのかもしれないけど,総合文化センターのプレイガイドにも置いてあって,ぼくはそこでもらった。
プログラムは別売で400円。ほかに募金も。プログラムの売上と募金は東日本大震災の被災地に寄付されるらしい。
被災地への募金はいろんなところが行っている。募金に応じる人は,もう数え切れないくらい応じているだろう。何度応じてももう充分ってことにはならないにしても,そろそろ募金疲れが出てるかなぁ。
● だから,募金を募るのはそろそろやめたらと言いたいのではなくて,その逆。募金疲れが出てる人も,それを忘れて思わず募金してしまうような,そんなやり方が開発されればすごいことで,今回のようなやり方は,間違いなくそのひとつだってことを言いたいわけですな。
バレエスクールの発表会にしては相当以上にレベルが高い。これだけのものを無料で見せてもらったとあっては,その主催者が募金箱を持って立っている場合,その前を素通りすることはできない。
● 栃木県,特に北部や東部に住んでいる人なら,自分も被災者であることがさほどに珍しくはないだろう。かく申すぼくもそのひとりで,屋根は葺き替えざるを得なかったし,家財もだいぶ損なわれた。
しかし,石巻や気仙沼や釜石や南三陸や陸前高田や相馬に住んでいる人に比べれば,っていうか,比べることじたいが無礼千万ってことになるんだけど,被害のうちに入らないだろう。命もあるんだし。
● 震災後に何が変わったかというと,モノが増えることへの拒否感が増大したことだ。モノが増えてしまうことに恐怖を感じるというか。ぼくの場合はだけど。
だから,物販はダメだ。グッズか何かを売って,その売上を寄付するってのはダメ。カネは出すけどモノは要らないよ,と言いたくなる。で,そう言ってしまうことの失礼さってのもわかるわけね。ゆえに,この方法を取っているところには近づかないことにしている。
● 内容は3部構成で,休憩時間を含めて3時間弱の公演だった。
まず登場する普通のステップ。ポワントでの細かい刻み。そこに含まれる尋常じゃない運動量。それをあくまで優雅にやってのけなくちゃいけない。よくできるなぁと思うんですよねぇ。人間技じゃないような。
実際はたぶんいっぱいいっぱいなんだと思うんだけど,余裕綽々ですよとハッタリをかまさなくちゃいけない。
バレエはやっぱりビジュアルだと思う。ハッタリもまたビジュアルを構成する大事な要素だ。
● 圧巻だったのをひとつだけあげろと言われれば,第3部「パキータ」のヴァリエーション。9つ。最後がエトワールのヴァリエーションということですか。エトワールは佐久間奈緒さん。
男性のダンサーも存在感がありましたねぇ。男性の場合は,どれだけ高く跳べるか,なんでしょうね。滞空時間の長いジャンプ。頂点でフワッと浮いてるんじゃないかと思わせるような。それができるかどうかは,たぶん,才能がすべてなんでしょうね。残酷なほどに才能がすべて。
● ソロやパ・ド・ドゥあるいはデュエット,パ・ド・トロアで次々に繰り出されるウルトラC。驚きをとおりこして呆れるしかない。
ただ,こうしたウルトラCは,続けて見てると飽きてきちゃうってところがありますね。その点,一定の水準を超えているコール・ドはずっと見ていられる。
1部から3部まで,このコール・ドがしっかりしているから,ウルトラCも活きる。部分も大事だけれども,全体はさらに大事で,しかも部分の総和が全体ではない。全体を全体たらしめているいるのは,ウルトラCではなくてコール・ドの方でしょうね。
と,知ったふうに書いてしまったけれども,実際のところはどうなんだろうなぁ。
● 客席は出演者の保護者,家族,友人たちが大部分だろう。したがって,客席のざわめきは公演中も収まることがない。スマホやケータイを使っての動画撮影も誰かがやっている。客席の照明をすべて落とした中でのスマホの明かりは興ざめだけれども,これをゼロにするのは困難(っていうか不可能)だろうな。
ゼロにする必要はないものでしょうね。たぶん,これでステージと客席のバランスが取れているんだろう。管弦楽と同じように考えてはいけない。ステージと客席とが,管弦楽ほど離れていないもんね。
● 開演は午後3時。入場無料だけれども,チケットは必要。当日,会場入口で配ったのかもしれないけど,総合文化センターのプレイガイドにも置いてあって,ぼくはそこでもらった。
プログラムは別売で400円。ほかに募金も。プログラムの売上と募金は東日本大震災の被災地に寄付されるらしい。
被災地への募金はいろんなところが行っている。募金に応じる人は,もう数え切れないくらい応じているだろう。何度応じてももう充分ってことにはならないにしても,そろそろ募金疲れが出てるかなぁ。
● だから,募金を募るのはそろそろやめたらと言いたいのではなくて,その逆。募金疲れが出てる人も,それを忘れて思わず募金してしまうような,そんなやり方が開発されればすごいことで,今回のようなやり方は,間違いなくそのひとつだってことを言いたいわけですな。
バレエスクールの発表会にしては相当以上にレベルが高い。これだけのものを無料で見せてもらったとあっては,その主催者が募金箱を持って立っている場合,その前を素通りすることはできない。
● 栃木県,特に北部や東部に住んでいる人なら,自分も被災者であることがさほどに珍しくはないだろう。かく申すぼくもそのひとりで,屋根は葺き替えざるを得なかったし,家財もだいぶ損なわれた。
しかし,石巻や気仙沼や釜石や南三陸や陸前高田や相馬に住んでいる人に比べれば,っていうか,比べることじたいが無礼千万ってことになるんだけど,被害のうちに入らないだろう。命もあるんだし。
● 震災後に何が変わったかというと,モノが増えることへの拒否感が増大したことだ。モノが増えてしまうことに恐怖を感じるというか。ぼくの場合はだけど。
だから,物販はダメだ。グッズか何かを売って,その売上を寄付するってのはダメ。カネは出すけどモノは要らないよ,と言いたくなる。で,そう言ってしまうことの失礼さってのもわかるわけね。ゆえに,この方法を取っているところには近づかないことにしている。
● 内容は3部構成で,休憩時間を含めて3時間弱の公演だった。
まず登場する普通のステップ。ポワントでの細かい刻み。そこに含まれる尋常じゃない運動量。それをあくまで優雅にやってのけなくちゃいけない。よくできるなぁと思うんですよねぇ。人間技じゃないような。
実際はたぶんいっぱいいっぱいなんだと思うんだけど,余裕綽々ですよとハッタリをかまさなくちゃいけない。
バレエはやっぱりビジュアルだと思う。ハッタリもまたビジュアルを構成する大事な要素だ。
● 圧巻だったのをひとつだけあげろと言われれば,第3部「パキータ」のヴァリエーション。9つ。最後がエトワールのヴァリエーションということですか。エトワールは佐久間奈緒さん。
男性のダンサーも存在感がありましたねぇ。男性の場合は,どれだけ高く跳べるか,なんでしょうね。滞空時間の長いジャンプ。頂点でフワッと浮いてるんじゃないかと思わせるような。それができるかどうかは,たぶん,才能がすべてなんでしょうね。残酷なほどに才能がすべて。
● ソロやパ・ド・ドゥあるいはデュエット,パ・ド・トロアで次々に繰り出されるウルトラC。驚きをとおりこして呆れるしかない。
ただ,こうしたウルトラCは,続けて見てると飽きてきちゃうってところがありますね。その点,一定の水準を超えているコール・ドはずっと見ていられる。
1部から3部まで,このコール・ドがしっかりしているから,ウルトラCも活きる。部分も大事だけれども,全体はさらに大事で,しかも部分の総和が全体ではない。全体を全体たらしめているいるのは,ウルトラCではなくてコール・ドの方でしょうね。
と,知ったふうに書いてしまったけれども,実際のところはどうなんだろうなぁ。
● 客席は出演者の保護者,家族,友人たちが大部分だろう。したがって,客席のざわめきは公演中も収まることがない。スマホやケータイを使っての動画撮影も誰かがやっている。客席の照明をすべて落とした中でのスマホの明かりは興ざめだけれども,これをゼロにするのは困難(っていうか不可能)だろうな。
ゼロにする必要はないものでしょうね。たぶん,これでステージと客席のバランスが取れているんだろう。管弦楽と同じように考えてはいけない。ステージと客席とが,管弦楽ほど離れていないもんね。
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