栃木県総合文化センター サブホール
● こういう演奏を自分に聴かせることと,馬に念仏を聞かせることとは,何がどう違うのだろう。聴くたびに思うことだ。
演奏の高みを自分がそれと認識できているかどうか,われながら疑問だ。
● ここまで来ると,微差が大差の世界なんだと思うんだけども,その微差がわからない。わからないものはわからないのだから仕方がない。
では,その微差を作るものは何なのか。才能だと言ってしまえばそれまでなんだけれども,才能っていうのは分子のようなもので,それを原子,さらにその先の素粒子レベルまで分解できそうな気がするんだけどね。
● 開演は午後3時。チケットは3,000円。プログラムは次のとおり。
モーツァルト ヴァイオリン・ソナタ第34番 変ロ長調
ドビュッシー ヴァイオリン・ソナタ ト短調
ウェーベルン ヴァイオリンとピアノのための4つの小品
R.シュトラウス ヴァイオリン・ソナタ 変ホ長調
(アンコール)
クライスラー スラブ幻想曲,ロンディーノ,美しきロスマリン
● モーツァルトと戯れているような感じ。曲の世界を体化しているっていうか。跳んだり,スキップしたり,あるいはちょっとおすまししたり,っていう。それを活き活きと表現して,しかも表現しすぎていない。企みを感じさせない。自然。
第1楽章が終わったところで,場内に拍手がわいた。これ,ルール違反ですよってことになるんだろうけど,拍手したくなるような終わり方だもんね。許してほしいよなぁ。
● ドビュッシーを聴いているときは,海の底にいるような気がした。ちょっとシリアス。深い青を感じさせた。
ウェーベルンのこの作品は,ヴァイオリンのかそけき,客席に届くかどうかギリギリの(しかし,きちんと届いている),空気の振るわせ方が特徴ですか。ぼくは超絶技巧と呼びたいけれども,弾いてる方は,ま,この程度はね,ってことかもしれないね。
かすかな音は,いやおうなく観客をステージに集中させる。客席のテンションを高めますね。
● R.シュトラウスは,むしろ村田千佳さんのピアノを聴くための曲だった。力強い動作で,しかもセクシー。力強さとセクシーさって,女性においても両立するんだね。
● アンコールの3曲を聴き,ゆっくりと会場をあとにした。ほかのお客さんが出てから,ゆらゆらと立ちあがって。
こういうときはすこぶる満足したということを体が表している。皆さん,そうなんじゃないかと思うんですけどね。ちょっと立ち去りがたい気分っていうか。
● こうした演奏を聴くと,ヴァイオリン曲を集中的に聴いてみようかなと思うんだけどね。ピアノのリサイタルを聴くと,ピアノ曲も聴かなきゃと思い,弦楽四重奏を聴くと,これも聴かないとって思うのが常。
なんだけど,なかなかねぇ。小規模の演奏は鑑賞のハードルが高いような気がしてて,敷居が高いなと思ってしまってる。自分に残された時間はそんなに長くはないと思うので,いつまでもたたずんでいるわけにはいかないんだけど。
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