栃木県総合文化センター サブホール
● ピアノの単独演奏を聴くのは,ぼくには少々荷が勝ちすぎる。たんに聴くだけなんだけど,そのたんに聴くのが荷が重い。
と,言い訳したくなるほど,苦手意識がある。それじゃヴァイオリンは聴けるのかよ,チェロはどうなんだよ,と言われますか。同じですと言うしかないんだけど,ピアノよりは取っつきやすいかな。気のせいかもしれないけど。
● というわけで,行くか見送るか当日まで迷って,結局,行くことにした。ので,チケットも当日券。残り少なかったけれども,それでも何でここが空いてるのっていうような席があって,いい席で鑑賞できた。
開演は午後3時。チケットは2,500円。
● プログラムは次のとおり。
シューマン フモレスケ
バッハ パルティータ第1番
ショパン ノクターン ロ長調
ショパン ソナタ第3番 ロ短調
(アンコール)
ガーシュウィン スリープレス・ナイト
ガーシュウィン 3つのプレリュード第3曲
ドビュッシー 月の光
● ペコリと頭を下げて,椅子に座るやさっと弾き始める。これがぼくには好もしく映る。中には,集中を高めるためか,しばらく虚空の一点を見つめるようにしてから弾き始める人もいるけど,集中力は楽屋で高めておけよと思っちゃったりする。
ルックスがいい。いうところのイケメンだ。羨ましい。
ルックスと実力は別。それはそうだ。ところが,オペラなんか,そうも言ってられない状況になっているのじゃあるまいか。ルックスも実力のうちというふうになりつつあるように思える。
● シューマンはスーッと聴いてしまった。何も引っかかりなし。
バッハに移ってから,こういうバッハ,聴いたことあったけ,と思った。モダンなバッハだと思った。
もともとバッハはモダンなるものを内包している作曲家かもしれず,そうだとすればオーエンはそこを表にだした演奏をしたということになるのかなぁ。これがぼくの解釈するバッハです,と。
グレン・グールドのゴルトベルク変奏曲を思いだしたりするんだけど,オーエンの演奏はそれとはまるで違う。
● 休憩後のショパンも,独特のショパンだった。力強く激しいショパン。ノクターンでこういう表現があるのかと思った。ソナタに移っても印象は同じ。
ショパンって印象派の絵画のような,イメージがわかりやすくて女性好きがするっていう感想をぼくも持っていたんだけど,そこをはずされた感じ。
● オーエンはショパンの一生を丹念に追って,彼なりのショパン像を持つに至っているのだろう。それによればショパンはこうなんですよ,というのを見せてくれたのだろう。
こちらとしては受け取るしかない。何度か聴けば違和感もなくなるかもしれない。
● アンコール曲がなんだか染みてきた。ガーシュウィンもだけど,最後のドビュッシーは静かにしっとりと聴かせるもので,おいおい,言っとくけどこういう弾き方だってできるんだぜ,いちおう見せとくよ,といった感じだったか。
● 外国人の演奏家で日本が嫌いっていう人はいるんだろうか。たぶん,いないんじゃないかと思うんだよね。
客席が暖かいもん。もちろん,日本だけじゃないんだと思う。ウィーン・フィルのニュー・イヤー・コンサートの様子をテレビで見ていると,ウィーンのお客さんも演奏家に敬意と親愛を示している。さすが本場という感じがする。
なんだけど,日本の場合,それがもっと近しいんじゃないですかね。包みこむような感じというか。演奏家もかなり快感を覚えるんじゃないかなぁ。
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