ミューザ川崎 シンフォニーホール
● 東京アマデウス管弦楽団の演奏を聴くのは,昨年3月に続いて二度目。あきれるほどの水準の高さは一度聴けば忘れない。
今回は記念演奏会で「カルメン」全曲をやるという。行かずばなるまい。
● というわけで,チケットはネット(チケットぴあ)で購入していた。多少の手数料はかかるとしても,近くのコンビニで受け取れるのは,すこぶる便利。
ネット以前を知っている世代としては,いろんなところでネットの便利さを実感するんだけど,チケット予約もそのひとつだ。ネットはすでに生活インフラになっている。しかも,インフラの重要な部分を担っている。
● 指揮は三石精一さん。カルメンが米谷朋子さん,ドン・ホセが渡辺大さん,ミカエラに石原妙子さん,エスカミーリョに米谷毅彦さん。
合唱はアンサンブル・ヴォカル・リベルテと東京荒川少年少女合唱隊の皆さん。
まずもって不満がないというか,堂々たる布陣といっていいでしょうね。
● もちろんコンサート形式なんだけど,これでチケットは3,000円(自由席)。格安というほかない。であるからして,ミューザのシンフォニーホールが満席になった。お客さんはよくわかっている。
開演は午後1時。開場前から並んだ。2階席のけっこういい席を確保できた。
● 出だしの数小節で納得。前回とメンバーがまったく同じということはないんだろうと思う。しかし,水準は変わらず維持されている。
歌い手が登場すると,管弦楽の場所は暗くなり,歌い手に照明があたる。当然のことだ。が,奏者の顔も動きも視界から消えるのは,少し残念に思えた。
● 劇中人物の年齢は10代の半ばから後半だと思う。読み書きもできないはずだ。工場勤めが終わると,煙草を喫う女の子たちだ。酒も飲む。教養もヘッタクレもあったものではない。ただ,奔放な野生とでもいうべき魅力を強烈に放っているはずだろう。
それをリアルに表現するには,ソリストも合唱も上品すぎるわけで。リアルに表現しちゃいけないんでしょうけどね。そこは表現の作法というものがあって,それに則っているわけだろう。
それ,わかるんだけど。
● 出演者が芸達者であること。それがオペラの説得力を支える一番目のものだと思った。演出上の小賢しい理屈じゃなくて。
説得力といっても,専門家が考えるものと,客席が受けとるものとでは,違うのかもしれないな。
客席からステージを見ていると,劇の進行にそっていろいろ考えるわけですよ。女の腰の据わり方はスゲーなぁとか,恋愛って惚れた度合いの強い方が負けるよなぁとか,特にそれが男だと無様なことになるなぁ,とか。ドン・ホセって究極のストーカーだからさ。
● そういう埒のないことを思いながら,ここぞというときのアリアに圧倒される快感。埒のない思考拡散と圧倒される快感の合計が,つまりオペラの説得力だと思ってるんですよ。
ぼくのみならず,お客さんの大半はそうではあるまいか。まさか,オペラを人生を考えるよすがにしたいと思っている人はいないと思うんだよね。
● であれば,オペラはやっぱり歌い手で決まりますよねぇ。石原さんのソプラノが最も印象に残った。
石原さんは4年前の“コンセール・マロニエ21”に出場したのを見ているせいもあるかもしれない(そのときの優勝者が石原さん)。
歌手,よし。管弦楽,よし。満足のいく3,000円。
● あとはその満足感をいつまで保持していられるかっていう勝負になるね。3日も4日も保持するのは不可能だとしても,パッと忘れてしまうか,1日,2日は反芻していられるか。人生の幸せなんて,案外こういうもので決まるんじゃないかと思うんですよ。
で,ぼくはここに課題を残していると思っているんです。ホールを出てから,わりとセカセカしちゃうっていう些細なことなんですけどね。
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