杉並公会堂 大ホール
● 合奏団ZEROの演奏を初めて聴いたのは3年前のこの時期。以来,年に2回ある定演の1回は聴いている。今回が4回目。
開演は午後2時。チケットは1,000円。当日券を購入。
● 腕のほどはすでに知っている。この演奏を1,000円で聴けるというのは,日本に生まれた恩恵のひとつだ。っていうか,この分野でも東京集中がくっきりしているわけだから,東京に日帰りできる距離に住居があることの恩恵か。
あと,“青春18きっぷ”が使えることもね。
● 指揮者はいつもの松岡究さん。プログラムは次のとおり。
ワーグナー 歌劇「ローエングリン」より第一幕への前奏曲
ブルックナー 交響曲第8番(ノヴァーク版第2稿)
● 「ローエングリン」第一幕への前奏曲,ヴァイオリンの高くかそけき響きから始まって,チェロ,コントラバス,木管が加わり,管弦楽全体に広がっていく。その都度,音が厚くなって,こちらを陶酔に誘う。オーケストレーションの妙。
短い曲だけれども(短いからこそ),音楽を聴く楽しさというものをわかりやすく味わえる。
● ブルックナーの8番。ブルックナーの聴き方のコツってあるんですかね。物語に寄りかかれないわけですよね。
ベートーヴェンの5番や9番だったら,苦悩を経て歓喜に到れ,っていうストーリーに寄りかかれる。6番だったらヨーロッパの田舎の風景が彷彿としてくるから,そのイメージに遊んでいればいい。
が,ブルックナーはそうはいかないようで。
● この楽団にしても,終演後は達成感に包まれたように思われた。80分に及ぶ大曲に加えて,相当に難易度が高い(ように思われる)。
ひょっとすると,演奏する側だって,拠りどころが楽譜しかないっていうのは不安なんじゃなかろうか。解釈のよすがが欲しいのではないか。指揮者が指示してくるであろうアレやコレがどうしてそうであるべきなのか,そこのところがモヤッとしててじれったくなることはないんだろうか。
● 最初の弦のトレモロ。原始の霧と呼ばれたりするらしんだけど,ぼくのレベルだと,混沌から何かが生まれてくるんだなというイメージはあるものの,その先に行けない。
そもそも,ブルックナーって,イメージを絡ませて聴いてはいけないんだろうか。要するに,聴く側にとっても難解だ。
● しかしながら。この曲が燦然としているということだけはわかる。わかるっていうか,そう感じる。それを芸術性と言ってしまってはいけないように思う。どうにでも掻き回せる安直な言葉ではない,別の言葉で表現する努力をしないといけない。
が,当然,ぼくの脳内にはその言葉がない。
● とにかく,相手がブルックナーだ。圧倒的に馴染みがない。これで何をどうやって書くというのだ?
知識が欲しくなる。ブルックナーを扱った書籍を読んで,ササッと納得したくなる。が,安直に知識を持ち,それに頼って聴くのもつまらない。格好悪くても,しばらくジタバタしたほうがいいんだろうな。
● こうして東京に出てきて,音楽を聴いて帰る。栃木から東京に出て,ピンポイントで音楽だけ聴いて,終わったらまっすぐ帰宅する。
それ以外に東京でお金を使うことがない。せいぜい「富士そば」やコンビニに寄るくらいだなぁ。あ,ときどき,本を買って帰ることはあるか。
東京にしてみれば,しみったれたヤツだな,おまえは,ってことだ。
● でも,ライヴを聴きにくると,それ以外のことはする気にならないものでね。それ以外のことをするんだったら,ライヴなしで,そのことのために上京しないとダメなんだよねぇ。
いつもご来場ありがとうございます。ZEROでヴァイオリンを弾いている者です。偶然このブログを見つけました、記事にしていただきありがとうございます。こうしてわざわざ足をお運びいただき感想を頂けるだけでとても嬉しく励みになります。今後ともどうぞ合奏団ZEROをごひいきにお願い致します^^
返信削除ありがとうございます。
削除聴くたびに素晴らしい演奏で,これで1,000円でいいのかと下世話なことを感じています。
頓珍漢なことを書いているのではないかと,いつも不安です。
ステージに立つ方々の背中を少しでも押すことができているなら(できていないのかもしれませんが),私としてはこのうえない幸せです。