2015年8月31日月曜日

2015.08.30 日立フィルハーモニー管弦楽団第39回定期演奏会

ミューザ川崎 シンフォニーホール

● 上野東京ラインができて,川崎はかなり近くなった。宇都宮から乗り換えなしで行けるようになった。横浜は湘南新宿ラインで昔から乗り換えなしで行けたんだけど,川崎からは外れてしまいますからね。
 昨日は小金井に行ったんだけど,小金井より川崎のほうがずっと近い。時間的にもそうだし,心理的にはもっとそうだ。乗り換えなしっていうのは大きい。

● この楽団のサイトには「京浜地区の日立製作所および関連会社の社員,家族,知人を中心にして作られたオーケストラ」だとある。
 いわゆる企業オケってことになるんだろうけど,企業オケってそんなに多くないんでしょ。栃木県にはひとつもないね。
 今まで聴いたことがあるのは,JR東日本交響楽団NSシンフォニー・オーケストラマイクロソフト管弦楽団(今はマイクロソフトから離れて,楽団名も変わっている)の3つにとどまる。

● 日々の仕事は大変だろうに(そうでもないのか),仕事の合間に練習して本番もこなすっていうのは,相当なものだろうと思う。
 多くのものを犠牲にしているのだろう。ここのところは敬意を表されて然るべきだ。

● 仕事を離れたときに,自分の時間とお金を何に費やすか。彼らのように演奏活動に費やす人もいれば,旅行に使う人もいるだろう。ディズニーランドに入れあげている人もいれば,時代小説を読むことに充てる人もいるだろう。何かのスポーツをやっている人もいれば,盆栽や蕎麦打ちに打ち込んでいる人もいるだろう。
 ぼくは演奏を聴くことにうつつを抜かしているわけだ。

● これらはすべて同列にあるものだと思う。音楽や美術やスポーツにはそれを講じる音大や美大や体育大学があるが,ディズニーランドでの遊び方や蕎麦打ちのやり方を教えている大学はない。
 だから,音楽や美術が格が上なんてことにはならない。そんなことがあってたまるかとぼくは思っている。
 人生はしょせんムダの積み重ねに過ぎない。ムダという点では,ひとしなみにみな同じだ。

● 問題は,どれだけうつつを抜かせるか,その一点にある。仕事にうつつを抜かすのでもよい。どこまでうつつを抜かせるかが,その人のキャパだといってもいい。
 で,ごく一般的にいうと,こうした演奏活動にはまっている(?)人たちのほうが,ディズニーランドで遊んでいる人たちより,うつつを抜かしている度合が徹底しているように思われる。
 そこが敬意を表されて然るべきだと考える所以だ。

● ぼく一個を顧みれば,うつつを抜かす度合がまだまだ浅い。といって,演奏を聴きに行く回数を増やせばいいというものでもない。
 2013年にそれを試みたことがあったけれども,今以上に増やしてしまうと,聴き方がどうしても雑になるのだった。
 つまり,それが現在の自分のキャパなのだろう。

● さて。開演は午後2時。チケットは2,000円(前売券は1,500円)。当日券で入場した。
 曲目は次のとおり。指揮は新田ユリさん。
 ニールセン ヘリオス序曲
 シベリウス ヴァイオリン協奏曲 ニ短調
 バルトーク 管弦楽のための協奏曲

● 「ヘリオス序曲」はCDを含めても初めて聴く曲だ。このあたりにもうつつを抜かす度合の浅さが現れていますな。
 チェロとコントラバスで静かに始まって,最後もチェロが静かに終わりを告げる。途中,二度の盛りあがりはあるんだけど,総体として静かな曲という印象。

● シベリウスのヴァイオリン協奏曲。ソリストは毛利文香さん。もう日本を代表するヴァイオリン奏者になっているんですか。
 ミューザのシンフォニーホールを埋めたお客さんの視線が自分に集中するなか,泰然自若。弾きっぷりも王者の貫禄というか。
 ぼくは協奏曲はソリストよりもバックの管弦楽で決まると思っているんだけど,シベリウスのこの曲はソリスト依存度が高いようだ。ソリストの独奏が長く続く。
 そうなると,壇上にいるのは毛利文香ただ一人といった観を呈することになる。見事な存在感。

● じつは,2012年の7月に一度,彼女の演奏を聴いている。当時の彼女は高校生。
 それがこの3年の間に,すっかり凛々しい淑女になってしまうんだからな。この時期の若者の変化というのは,まさに刮目して待つべしだと思う。外見にとどまらないのだろう。中身も,たぶん。

● そのときは,中学生で日本音楽コンクールで第1位になった山根一仁さんも出ていて,彼の演奏に圧倒されてしまって,他に目が届かなかった記憶がある。
 とはいえ,そのときも彼女の演奏は光っていて,「技術においても,表現においても,ここまでの水準に到達していると,この先どうやって伸びていけばいいのか,ぼくには見当もつかない」と思った。到達点に達した状態じゃないかって。今思えば,当時の彼女は伸び盛りだったのか。

● ところで,彼女,高校は普通科だったし,現在は慶応文学部の学生だ。あえて音楽科は避けたんだろうか。高校生のときは,桐朋のソリストディプロマコースにも属していて,いわゆるダブルスクールだったようなのだが。
 考えがあったんでしょうね。

● 休憩で場内の興奮が冷めてから,バルトーク「管弦楽のための協奏曲」。こういう曲に形をつけて客席に差しだせるっていうのは,やはりたいした実力なのだろう。
 ミューザは日本を代表するホールのひとつだと思うんだけど,ホールに負けてる感はまったくなかったし。

● この曲,すでに何度か聴く機会を得ているんだけども,最初は何がなんだかわからなかった。
 が,その都度,プログラムノートの曲目解説を読み,何度か聴くうちに,どうにかこうにか自分なりのイメージを持てるところまで来たかもしれないっていう手応えのようなものを感じることができた。
 次に聴くときには,その手応えは雲散霧消しているかもしれないけれど。

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