第一生命ホール
● 会場の第一生命ホールに行くのはこれが2回目。前回は地下鉄大江戸線を使った。
今回は有楽町から晴海通りを歩くことにした。銀座,築地を通って,隅田川を渡って月島に入る。
散歩にちょうどいい距離だし,歩いて面白いエリアだと思われた。だいたい,ぼくは築地には行ったことがない。
で,予想どおり小さい旅を楽しむことができた。
● 開演は午後2時。入場料は1,000円。当日券を購入。
● プログラムはオール・ベートーヴェン。
歌劇「フィデリオ」序曲
交響曲第7番 イ長調
ピアノ協奏曲第4番 ト長調
この楽団の名前のBはBeethovenのことだろう。ベートーヴェンのピアノ協奏曲全曲を演奏することをミッションとして設立したらしいから。
プログラムに入る前に,バッハの“G線上のアリア”を演奏した。熊本を中心とする地震で亡くなられた方々への鎮魂。
● 演奏順も上記のとおり。最後にピアノ協奏曲。
指揮者は畑農敏哉さん。この楽団を立ちあげた中心人物で,その経緯は畑農さんの著者『アマチュアオーケストラに乾杯! 素顔の休日音楽家たち』に詳しく解説されている。
● ベートーヴェンの7番は2週間前に聴いたばかり。重なるときは重なるもので,サイコロの目と同じだ。確率は均等に散らばるものではないね。
こういうベト7を聴くと,ワーグナーが「舞踏の聖化」と評したのも頷ける気になる。ワーグナーに対して頷くっていうと,いかなる了見かって問いつめられてしまうけれども,ここは言葉の綾なのであしからず。
● 客席に届いてくる音の重なり,連なりが気品をまとっている(と感じた)。気品という表現でいいと思う。
演奏に限るまいが,直接それを求めると逃げていくのが気品というものだ。結果においてそこにある。それ以外のあり方はない。
● 結果において気品を生んだ理由は何か。オーボエとフルートの健闘は当然として,縦の線がピタッと揃っていたことが大きい。
揃う度合には幅がある。揃っているといっても,その態様は一様ではない。この楽団の演奏においては,1ミリのズレもなくピタッと揃っている。
● ところで。ティンパニの音は聞こえてくるのに奏者がいない。どうなっているのだ,舞台に載りきらずに袖のほうで叩いているのか,としばらく落ち着かない思いでいた。
非常に単純な理由なのだった。ぼくの席からだと,指揮者に隠れて見えなかっただけなんでした。ティンパニが隠れるってあまりないことなんで,その可能性に気づくのに少し時間を要してしまった。
● 7番を聴いて,すっかり満足した。これで終わりでもいいと思った。しかし,この楽団としては,次がメインの演しものということになるのだろう。
ソリストは田中良茂さん。今回に限らず,ずっとコンビを組んでいるようだ。
● ピアノ協奏曲に関しては,3番と5番には少しは馴染んだつもりでいるけれども,4番を生で聴くのは初めてだ。CDを何度か聴いているにすぎない。
管弦楽ではなくピアノが曲の始まりを告げる。どことなく控えめに。
● 地味といっていいんだろうか。でも,そんな言葉,ベートーヴェンにあるんだろうか。
静かといったらどうか。2楽章は特にそうだけど,静かなだけではない。3楽章は気持ちよくうねる。
● こうしてライヴを聴くと,困るなと思うことがある。聴きたい曲,聴くべき曲がどんどん増えてしまうことだ。
多くの人は一生かかっても聴ききれないほどのCDを持っていると思う。その中でオレを聴いてよ,ボクも聴いてよ,と,CDの山から自己主張しだすのがどんどん増えていく。
かといって,もう聴き飽きたからいいやっていう曲は出ない。入るは増え,出るはない。溜まる一方だ。貯金ならそれで何の問題もないわけだけど。
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