栃木県総合文化センター メインホール
● 開演は午後2時。チケットは6,000円。だいぶ前に買っておいた。一律で6,000円なので,どうせならいい席で聴きたいな,と。
1階左翼席の前から2列目の一番右。総合文化センターだと左翼席が自分の好みだ。ただし,この席だと演奏中の諏訪内さんの表情は窺うことが難しかった。その代わり,ベレゾフスキー氏の指の動きはよく見える。
● 自分のようなヘッポコ聴き手が彼女の生演奏を聴いていいんだろうか。そんな資格があるんだろうか。それは思いましたよね。
ぼくの耳だと,音大を卒業したヴァイオリン弾きのレベル以上は区別がつかない。同じに聞こえる。目隠しをされて,卒業したばかりのヴァイオリン弾きと諏訪内さんのヴァイオリンを聴かされたら,おそらくどっちがどっちだかわからない。
でも,お金を払ってチケットを買ってるんだからな。オレは客だぞ,と。
● 曲目は次のとおり。
ベートーヴェン ヴァイオリン・ソナタ第5番「春」
ヤナーチェク ヴァイオリン・ソナタ
プロコフィエフ 5つのメロディ
R.シュトラウス ヴァイオリン・ソナタ
(アンコール)
マスネ タイスの瞑想曲
ウォーロック 「カプリオール組曲」より“Basse-dance”
クライスラー シンコペーション
ホイベルガー 「オペラ舞踏会」より“Midnight Bells”
● 諏訪内さんの所作は優雅で柔らかい。天女の舞もかくやと思うほど。所作はもちろん演奏の本質ではないと思うんだけど,ステージで観客に見せる(観客に見られる)わけだから,見せる要素はたくさんあるに越したことはないと,単純にぼくは思う。
ただし,優雅や柔らかさがないとダメかといえば,そんなことはないのだろう。奏者それぞれに所作があって,それが絵になっていればいい。実力者の所作は,それがどんなものであれ,絵になっているものだというのも,ぼくの経験則ではある。
● 演奏はといえば,これが世界水準か,と。神々しいほどでしたね。客席で息をするのも憚られるような感じで,じっと目と耳をそばだてていた(つもり)。
ということはつまり,聴き手としてのぼくが,奏者の諏訪内さんに圧倒されていたというわけですね。当然,そうなるわけだけど。
この世界にも評論家という職業の人がいて(素人評論家もいる,にわか評論家も),中には彼女に否定的な見方を披瀝する人がいることも知ってはいる。伸び悩んでいるとかね。
が,ぼく程度の聴き手にはあまり関係のないことで,そこはヘボな聴き手の気楽さだ。
● ベートーヴェンのスプリング・ソナタ。7番と9番は諏訪内さんのCDで何度も聴いているけれども,5番も聴けるとは幸せだ。
たとえばベートーヴェンの全9曲を特定の奏者の演奏で聴きたいという嗜好はあまり持っていないつもりだけれど,もし諏訪内さんのCDが出れば,これは買うでしょうね。
● シュトラウスのソナタは,むしろピアノに見せ場が多い曲のようだ。ベレゾフスキー氏が躍動。彼も1990年のチャイコフスキー・コンクールの覇者で,諏訪内さんとはコンクール同期らしい。
どうも諏訪内さんばかりに目が行くけれども,彼のピアノもまた滅多に聴けない貴重なものだ。譜めくりの若い女性も緊張したろうなと,余計なことを思った。
● 世界水準の奏者はエンタテイナーとしての振るまいもできるのが常で,彼女も例外ではない。上手いというより,身についている。聴衆に対する捌きも鮮やか。
自分がまさか諏訪内さんの生演奏に接することができるとは思っていなかったので,まだちょっとフワフワしている。
● アンコールはよく知られている曲とかなりマイナーな曲を交互に4曲。“Basse-dance”と“Midnight Bells”はCDでも聴いたことがない。
4つもやってくれると,客席の満足度は高くなる。これも演出なんだろうかなぁ。そうなんでしょうね。
この4曲を続けて聴くと,ヴァイオリンは歌う楽器なのだということが,理屈抜きにわかる。
● 最後にこのコンサートには無関係な憎まれ口をひとつ。
彼女のビッグネームに引かれて来たお客さんもかなりいたでしょう(ぼくもそうなんですが)。そうなると,客席の水準は下がることになる。
ここをさらに一般化して言うと,着飾ったお客さんが多い演奏会ほど,聴衆のレベルは落ちる。これが過ぎると,少々困ったことが起きる。今回,それはなかったけどね。
● でね,サントリーホールで催行されるベルリン・フィルとかウィーン・フィルの演奏会にやってくるお客さんというのは,お金持ちの困った君や困ったさんが多いんじゃないかなぁと思ってね。
そんなこともないのかね。ぼくがそれらの演奏会に行くことはまずあり得ないと思うんで,いろいろ妄想するんだけどね。
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