● この年代の若者たちでなければ表現できない「一所懸命」がある。20代や30代の人間が同じようにやっても,こうはならないっていう。
「その場」にとどまることを許されず,駆け去っていかなければならない若者たちが,それでも石の台座に鉄筆で刻むようにして,「その場」に残そうとする「一所懸命」。
● 彼らは今にしか存在できない。明日の彼らは今日の彼らではない。別の人になっている。
そう思わせるほどに成長(あるいは変化)の速さをビルトインされた年齢の若者たちが漂わせる,あわいのようなもの。はかなく,哀感にも通じるもの。
日々,「死と再生」を続けて行かざるを得ない疾風怒濤の渦中にあって,それでもなお,「その場」にとどまろうとする「一所懸命」。
日々,「死と再生」を続けて行かざるを得ない疾風怒濤の渦中にあって,それでもなお,「その場」にとどまろうとする「一所懸命」。
その「一所懸命」がステージから客席に向けて,次々に押し寄せる。息苦しくなるほどに。
● もちろん,台座もろとも流されるしかない。どうやったって,それを止める手だてはない。
生々流転。その流れが最も速い年代に置かれた若者たちだ。激流に翻弄される。それ以外,何ができるだろう。
● そうした若者たちのあわいやはかなさが,音楽という表現形態の一回性,瞬時性と,ぴったり重なるようだ。
音楽もまた生まれた瞬間に消えていく。そのことを先鋭に知らしめる演奏だった。
● この楽団の定演は過去に一度聴いている。2009年の第14回。以後,8年も遠ざかっていたのは,今回のようなインパクトをそのときは受けなかったからだと思う。
おそらくは,こちら側が聴き手として今よりさらに未熟だったからだろう。申しわけのないことだった。
● 以上で感想は尽きている。したがって,以下はまったくの余談。形作りにすぎない。
● そうした若者たちのあわいやはかなさが,音楽という表現形態の一回性,瞬時性と,ぴったり重なるようだ。
音楽もまた生まれた瞬間に消えていく。そのことを先鋭に知らしめる演奏だった。
● この楽団の定演は過去に一度聴いている。2009年の第14回。以後,8年も遠ざかっていたのは,今回のようなインパクトをそのときは受けなかったからだと思う。
おそらくは,こちら側が聴き手として今よりさらに未熟だったからだろう。申しわけのないことだった。
鹿沼市民文化センター |
● 開演は午後1時30分。入場無料。
開演前にロビーコンサートも行われた。これは聴いたような聴かなかったような。
っていうのはですね。JR駅から会場まで歩くわけですよ,この炎天下を。タクシーに乗るほど偉くないし。
途中にあるコンビニで二度,休憩した。寄る年波ってことでしょうね,会場に着いたときには疲労困憊。ということで,まぁ。
● 曲目は次のとおり。
シベリウス フィンランディア
ミュージカルメドレー=オペラ座の怪人,サウンド・オブ・ミュージック,レ・ミゼラブル
外山雄三 管弦楽のためのラプソディ
プロコフィエフ バレエ音楽「ロメオとジュリエット」から,第1,2,5,6,7曲
● 特に記憶に残ったものをどれかひとつ選べと言われたら,「フィンランディア」か「オペラ座の怪人」かで悩むところなんだけど,「フィンランディア」かな。
金管による最初の一音で,ガッと聴衆を鷲掴みにした。楽譜の然らしめるところでもあるわけだけど,演奏の妙にもよる。特に,トロンボーンが印象的。ここが決まれば,あとは一気呵成。
● 「オペラ座の怪人」は楽譜どおりにメリハリを付けるのが,なかなか大変なのじゃないかと思う。それがメリハリの細かいところまで,ほぼ完璧。小さな事故は愛嬌というものだ(事故にまでは至っていないか)。
「オペラ座の怪人」っていい曲じゃん,と教えてくれる演奏だった。吹奏楽を含めて,この曲は何度か聴いているんだけど,今回しみじみいい曲だと思った。
● 「管弦楽のためのラプソディ」はソーラン節や八木節などの民謡をつなぎ合わせたもの。民謡を取り入れるっていうのは,マーラーもやってるし,ドヴォルザークもやっている。わりと多く見受けられるものだ(と思う)。
しかし,ここまでのものはあまりないでしょ。アレンジとかオーケストレーションにオリジナリティがあると言われれば,それはそのとおりなんだろうけど,それを「作曲」といってはいけないのじゃないか。
● 印象に残った奏者が3人いた。チューバをしっかり支えていた女子生徒。1番フルートを担当した,これも女子生徒。それから,奏者としての所作が美しかったコンミス(当然,女子生徒)。
ヴァイオリンを担当していた生徒が途中でパーカッションに回るとか,臨機応変の対応もあった。高校の管弦楽ではわりとあることなんでしょうね。8年前の定演でも,同じことがあった記憶がある。
● ぼくの知る限り,栃木県内の高校で吹奏楽ではなく管弦楽部を有しているのは,この鹿沼高校のほかに,宇高,宇女高,栃女高,足利高,足女高,合わせて6校にとどまる。その中でも,鹿沼高校と宇女高がおそらく双璧なのではないか。
中学校で管弦楽部があるのは鹿沼市内の西中と東中のみ。その西中と東中から優秀な経験者を集めることができる,地理的な優位性を鹿沼高校は持っている。
のだろうと思ったんだけど,プログラム冊子の部員名簿を見ると,両中学校の出身者は3分の1に過ぎない(といっても,弦に限ればさすがに割合はもっと高くなる)。鹿沼からひと駅電車に乗れば,そこは宇都宮だからね。ゴッソリかき集めるというわけにはいかないようだ。
● 大人の市民オケに混じったとしても,鹿高オケが埋没することはないように思う。
6月に鹿沼ジュニアオケの演奏を聴いたときに,鹿沼は栃木県の音楽活動のセンターのひとつなのだと思った。今回,いよいよその感を深くした。
開演前にロビーコンサートも行われた。これは聴いたような聴かなかったような。
っていうのはですね。JR駅から会場まで歩くわけですよ,この炎天下を。タクシーに乗るほど偉くないし。
途中にあるコンビニで二度,休憩した。寄る年波ってことでしょうね,会場に着いたときには疲労困憊。ということで,まぁ。
● 曲目は次のとおり。
シベリウス フィンランディア
ミュージカルメドレー=オペラ座の怪人,サウンド・オブ・ミュージック,レ・ミゼラブル
外山雄三 管弦楽のためのラプソディ
プロコフィエフ バレエ音楽「ロメオとジュリエット」から,第1,2,5,6,7曲
● 特に記憶に残ったものをどれかひとつ選べと言われたら,「フィンランディア」か「オペラ座の怪人」かで悩むところなんだけど,「フィンランディア」かな。
金管による最初の一音で,ガッと聴衆を鷲掴みにした。楽譜の然らしめるところでもあるわけだけど,演奏の妙にもよる。特に,トロンボーンが印象的。ここが決まれば,あとは一気呵成。
● 「オペラ座の怪人」は楽譜どおりにメリハリを付けるのが,なかなか大変なのじゃないかと思う。それがメリハリの細かいところまで,ほぼ完璧。小さな事故は愛嬌というものだ(事故にまでは至っていないか)。
「オペラ座の怪人」っていい曲じゃん,と教えてくれる演奏だった。吹奏楽を含めて,この曲は何度か聴いているんだけど,今回しみじみいい曲だと思った。
● 「管弦楽のためのラプソディ」はソーラン節や八木節などの民謡をつなぎ合わせたもの。民謡を取り入れるっていうのは,マーラーもやってるし,ドヴォルザークもやっている。わりと多く見受けられるものだ(と思う)。
しかし,ここまでのものはあまりないでしょ。アレンジとかオーケストレーションにオリジナリティがあると言われれば,それはそのとおりなんだろうけど,それを「作曲」といってはいけないのじゃないか。
● 印象に残った奏者が3人いた。チューバをしっかり支えていた女子生徒。1番フルートを担当した,これも女子生徒。それから,奏者としての所作が美しかったコンミス(当然,女子生徒)。
ヴァイオリンを担当していた生徒が途中でパーカッションに回るとか,臨機応変の対応もあった。高校の管弦楽ではわりとあることなんでしょうね。8年前の定演でも,同じことがあった記憶がある。
● ぼくの知る限り,栃木県内の高校で吹奏楽ではなく管弦楽部を有しているのは,この鹿沼高校のほかに,宇高,宇女高,栃女高,足利高,足女高,合わせて6校にとどまる。その中でも,鹿沼高校と宇女高がおそらく双璧なのではないか。
中学校で管弦楽部があるのは鹿沼市内の西中と東中のみ。その西中と東中から優秀な経験者を集めることができる,地理的な優位性を鹿沼高校は持っている。
のだろうと思ったんだけど,プログラム冊子の部員名簿を見ると,両中学校の出身者は3分の1に過ぎない(といっても,弦に限ればさすがに割合はもっと高くなる)。鹿沼からひと駅電車に乗れば,そこは宇都宮だからね。ゴッソリかき集めるというわけにはいかないようだ。
● 大人の市民オケに混じったとしても,鹿高オケが埋没することはないように思う。
6月に鹿沼ジュニアオケの演奏を聴いたときに,鹿沼は栃木県の音楽活動のセンターのひとつなのだと思った。今回,いよいよその感を深くした。
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