2017年10月23日月曜日

2017.10.15 毛利文香ヴァイオリンリサイタル

真岡市民会館 小ホール

● 毛利文香という名前は憶えておくべきだと思う。いや,憶えておくべき名前の筆頭に来るかもしれない。若きヴァイオリニストの一人として。
 その若き名手が真岡くんだりまで来てくれるんだから,これはもう行かざるべからず。というわけで,前売券を買っておいた。2,000円。開演は午後2時。
 惜しむらくは,天気がよろしくなかった。雨。

● 彼女,栃木で演奏するのは二度目とのこと。以前,小山で演奏したことがある,と。その小山での演奏をぼくは聴いているのだ。ので,彼女の栃木県での演奏を聴くことに関しては,ぼくは十割打者なのだ。
 それ以外にも一度聴いている。2015年8月に日立フィルハーモニー管弦楽団の定演に招かれて,ミューザ川崎でシベリウスのヴァイオリン協奏曲を演奏したとき。

● 今回の曲目は次のとおり。
 ベートーヴェン ヴァイオリンソナタ第3番
 エルガー 愛の挨拶
 ラフマニノフ ヴォカリーズ
 サラサーテ 序奏とタランテラ
 R.シュトラウス ヴァイオリンソナタ 変ホ長調

● 最初と最後が大きな曲で,間の3つは小品。この小品がしかし,聴き応えがあったというか,気持ちが良くなってきたというか。
 ヴァイオリンが歌うっていうのはこういうことをいうのか,っていう。彼女ほどの名手の手にかかると,ヴァイオリンが気持ち良く歌っているように見えてくる。彼女が鳴らしているんじゃなくて,ヴァイオリンが勝手に鳴っている,みたいな。

● 彼女,現在はドイツで修行しているそうだ。留学生は世界中のいろんなところから集まってきているので,彼ら彼女らと話すときには英語になる。で,ドイツに住んでるのにドイツ語が上手くならないという話をした。
 慶応大学の独文科にも在籍しているらしい。休学してドイツに行ったんだけど,今は復学している。単位を取り終えたらまたドイツに戻る。

● 授業に出て試験を受けてっていうのをやりながら,コンサートもやるっていうのはなかなかに大変なようだ。
 でも,どうして大学なんだろう。ぼくなんか単純に,それってムダなんじゃない? と思ってしまうんだけど,そういうものではないんだろうか。
 音楽だけの人にはなりたくないってことなんだろうかなぁ。各界のいろんな人と話す機会があって,やはり教養とか知識とかっていうのが必要になるのかねぇ。だとしても,教養とか知識を得るのに大学っていう場は必ずしも相応しいかどうか。
 音楽漬けの毎日にメリハリを付けたいってことなんだろうかなぁ。とにかく彼女が選んだのは,音大ではない大学を卒業するっていうこと。

● 伴奏のピアノは稲生亜沙紀さん。彼女のピアノも鬼気迫るものがある。自分を曲に埋めこむようにする集中の高め方がね,すごいものだな,と。
 シュトラウスのヴァイオリンソナタは,むしろピアノの方に聴かせどころが多いかもしれない。ここまでの演奏を聴けると,何だかニンマリしてしまう。

● 前売券を買っておいてよかった。ほぼ満席だったからね。真岡のどこからこんなに人が湧いてきたのかと思うほど。
 ただし,お客さんの平均年齢はかなり高い。ゆえに,と続けていいのかどうか,楽章間の拍手が起きてしまう。毛利さんにしても稲生さんにしても,これは想定の範囲内だろう。
 楽章間の拍手はしちゃいけないってことになっているけれど,実際はどうなんだろう。奏者にとってイヤなものなんだろうか。集中を削がれたりするんだろうか。
 ぼく一個は,これ,解禁してもいいんじゃないかと思っているんだけど。拍手したくなったら拍手していいんじゃないかなぁ,と。

2 件のコメント:

  1. 普通の大学を卒業したのは、

    洗足高校(普通科)と桐朋・ソリストディプロマ(音大卒業レベル。日本では飛び級が認められない為に桐朋が考えた科目履修生扱)をダブルスクールで通い、高校卒業時点で音大卒業レベルの知識や技術が身に付いてしまったために、進路については悩まれたのだと思います。

    海外へ音楽留学するって考えも一つの選択でしょうが、勉強も出来たから慶應受験したら合格したので、また二足のわらじを履いて、慶応とドイツ留学、頑張られたのでしょうね。

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    1. たぶん,そういうことなんでしょうねぇ。
      音楽に限らず,表現は人間が出るものだから,音楽だけに小さく固まるな,という言い方はわりとされるんじゃないかと思うんです。ぼくはそれにちょっと疑問を感じるんですけど,たとえそうだとしても,日本人が日本の大学を出たところで,人間性の幅や深さには影響しないよなぁと思ってるものですから,本文のような書き方になってしまいました。

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