大田区民ホール アプリコ 大ホール
● 最近(といっても,だいぶ前から),コンサートに出かけてもフワッと聴いてしまっているような気がする。一期一会というとさすがに大げさになるけれども,この一回という真剣さが目減りしている。
開演前の緊張感を聴衆のひとりとして共有しなければいけないのだけど,その構えにも欠けるところが出ているように思う。
● 馴れてしまったということか。そういう態度でしか聴けないのであれば,奏者に対して失礼だから,聴きに出かけてはいけないとも思うのだが。
聴き巧者になる必要は必ずしもないと思っている。ただし,真剣な聴き手である必要はある。これがないと自分の人生もないと思えるくらいの場に仕立てることができればいいのだが。
● さて,レイディエート・フィルハーモニック・オーケストラの定演。拝聴するのはこれが2回目。前回聴いたのは,2014年の第21回。
開演は午後2時。チケットは1,000円。
● ホールに入ってみると,ステージには何も置かれていない。オーケストラはといえば,ピットに入るようだ。ということは,ステージではバレエダンサーが華麗に踊りを繰り広げるのだろう。
おいおい,1,000円でこんな贅沢をさせてもらっていいのかい?
● ということにはならず,ステージ上には奏者が座る椅子が並べられていた。コントラバスもスタンばっていた。バレエなしの,あくまで音楽を演奏するのだった。そりゃそうだよね。
曲目はグラズノフ「バレエの情景」とプロコフィエフ「シンデレラ(組曲版)」。指揮は小倉啓介さん。
● 演奏の前にプレトークがあった。話者は団長の山崎慎一さん(クラリネット)とチェロの山野雄大さん。山野さんの本業は音楽ライターだそうだ。っていうか,そちこちで健筆を振るっている人ですよねぇ。そりゃあ,蘊蓄を蓄えているはずだ。そういう人がここでチェロを弾いていたのか。
曲とその背景を解説したんだと思う。だけど,ぼくが憶えているのは,シンデレラのストーリーにとらわれず,自分が振付師になったつもりで,自分ならこの音楽にどういう踊りを振り付けるか,そこを想像しながら聴いてみれくれ,というところだけ。
が,それはなかなかに高度な技だね。音楽からリズムとストーリーを紡ぎだして,それをダンスに置き換える。かなり高度な技だな。
● どちらも初めて聴く。「バレエの情景」はCDも持っていない。「シンデレラ」も演奏されたのは組曲版だったんだけど,組曲版のCDはやはり持ってない。
チャイコフスキーやストラヴィンスキーのような例外はあるにしても,バレエ音楽って,音楽だけ聴いてもさほど面白いものではないという先入観があった。
踊るための音楽だから,リズム重視で,他はないがしろにされている,という理由による。が,ぼくが思っている以上に例外が多いのかもしれない。
● 「バレエの情景」のうち,第4曲「スケルツィーノ」は演奏されず。山野さんによれば“大人の事情”による。つまり,難解で本番までに形にするには時間が足りなかったということのようだ。
「シンデレラ」は曲目解説によれば「深い叙情と透明感」とあるんだけど,“金管の咆哮”的な場面も登場する。あぁ,やっぱりロシアなんだなぁとは思うんだけど,それ以上にはなかなかいかないね。
これにどんな踊りを合わせるか,まったく見当もつかないや。いや,それ以前に踊りについて知らないものね。
● バレエ音楽では,オケはピットにいて,舞台ではダンサーが華やかに踊っているっていうのがいいね。その方が受け身の気楽さを享受できるというわけですよね。
それを生で観るというのは,とんでもない贅沢ではあるんだけどね。
● ところで,指揮者の小倉啓介さん。彼もまたユニークというか破天荒というか,面白い人なんですね。彼が半生を語っているインタビュー記事がネットにあるんだけど,これが無性に面白い。
藝大付属高校を卒業したのに藝大に落ちた話。部外者はアッハッハと笑えるんだけど,本人は複雑だったろうねぇ。
● ここに書かれているところがその通りなのだとすれば,藝大の教授陣にもケツの穴が小さすぎる男たちがいて,そういう男たちが若者の生殺与奪の権を握っていたってことだよね。つまらん大学だね,藝大って,という印象になってしまう。
小説かドラマになりそうな話ですよ。ま,今だったら同じことをやってもセーフだったかもしれない。時代が小倉さんに追いついてきたってことでしょうかね。
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