矢板市文化会館 大ホール
● 塩谷地区と那須地区の高校(すべてではない)が一同に会して,合唱と吹奏楽を披露するという催し。年1回やっていて,今年で14回を数えるというのに,一度も行ったことがない。
今回も那須フィルの定期演奏会と重なっていて,どちらにしようかとギリギリまで迷ったんだけど,こちらを選んだ。
● 開演は午後1時。入場無料。
2部構成で第1部が合唱。2部が吹奏楽。合唱のプログラムは次のとおり。
大田原高校
中勘助 多田武彦 かもめ
岩井俊二 菅野よう子 花は咲く
さくら清修高校
バルトーク Hejja, hejja, karahejja!
バールドシュ Cantemus
矢板東高校・附属中学校
バールドシュ Magos a rutafa
多保孝一ほか 愛をこめて花束を
黒磯高校
モンテヴェルディ「Lagrime d'amante al sepolcro dell'amata」より
Incenerite spoglie
Dara la notte il sol
大田原女子高校
荒井由実 ひこうき雲
北川悠仁 佐藤和哉 雨のち晴レルヤ
合同合唱
信長貴富 混声合唱とピアノのための「くちびるに歌を」
● 最も印象に残ったのは,大田原高校の「花は咲く」。
この曲はYouTubeで杉並児童合唱団の演奏を聴くことが多いんだけど,男声合唱にするとこうなるのかという発見がひとつ。
少ないながら,一騎当千の歌い手たちに驚いたことがひとつ。
● が,それ以上に曲そのものによるでしょうね。この時期だとなおさら。
歌詞は津波で命を散らした少女(中学生か高校生)が彼岸から現世に向けて,自分の思いを語るというもの。
叶えたい 夢もあった
変わりたい 自分もいた
今はただ なつかしい
あまりに説得力がありすぎる。生きている少年少女(かつて少年や少女だった者を含む)に真っ直ぐに届くだろう。
他愛のない夢だったのかもしれない。遠大な夢だったのかもしれない。平凡に結婚して母親になりたいと思っていたのか。医師か看護師になって,アフリカに渡って,多くの命を救いたい,人の役に立ちたい,と考えていたのか。仲良しの友だちといつか銀座を歩いてみたいねと語っていたのか。みな,等しく夢たり得る。
それを叶えることができなくなった自分が「わたしは何を残しただろう」と顧みる。わからない。わからないけれども,必ず,何かは残しているのだよ。人は生まれてきたというそれだけで,必ず何かを残していくものだ。
傷ついて 傷つけて
報われず 泣いたりして
今はただ 愛おしい
そういう時間をもっともっと過ごしたかっただろう,過ごさせてやりたかったと,この曲を聴く人のすべてがそう思うだろう。
● 大田原高校の部員たちは,気持ちをこめて丁寧に歌っていた。一方で,気持ちをこめすぎてもいけないものだろう。
まだ行方不明者は多数いる。東日本大震災は過去になったわけではない。だからこそ,放っておくと気持ちを込めすぎる方に傾くかもしれない。
● 黒磯高校のモンテヴェルディは清新な印象。お初にお目にかかります,という状況だったからかもしれないんだけど。
まだまだ上手くなれる余地がありそうだ。いい練習をしているんじゃないかと思わせる。
● 合同合唱はさすがに圧巻。指揮をしている魔法使いのような婆様は何者だ?
合唱が世界のすべてという人のようだ。他とバランスを取るなんぞという発想はおそらくないだろう。
細部への気配り(監視ともいうか)の効いた指揮ぶりといい,大勢の団員を一点に向かわせる統率力といい,ただ者ではない風格がある。カリスマという言葉を思いだした。
● 第2部は吹奏楽。
矢板東高校・附属中学校
ステファン・ブラ編 アナと雪の女王 ハイライト
大野雄二 ルパン三世のテーマ
大田原女子,黒羽,黒磯南,黒磯,那須,那須清峰,幸福の科学学園 合同演奏
後藤洋編 バレエ音楽「くるみ割り人形」ファンタジー
和泉宏隆 宝島
高根沢,さくら清修,矢板東,矢板中央,那須拓陽,馬頭 合同演奏
カルモナ Fiesta española (pasodoble)
久石譲 魔女の宅急便 セレクション
樽屋雅徳 無辜の祈り
● 合同演奏のための練習はそんなに時間が取れるわけではない(と思う)。まとめるのはなかなか難しいだろう。
一番楽に聴けたのは,最初の矢板東高校・附属中学校の2曲だった。楽に聴ける演奏=いい演奏,というわけではないと思うのだが。
● 高校生の一生懸命はまっすぐにこちらに届く。事故はあった。が,そんなのは問題じゃない。二度や三度のエラーで試合が決まるわけでもない。
一生懸命を忘れて久しいグータラ社会人としては,おまえなんか全然ダメじゃん,と叱咤激励された気分になった。
● 気になったことが2つあった。ひとつは,部活紹介に「楽しく練習しています」と書いているところが多かったこと。
レトリックとしてそう書いたのならいいんだけれど,本当に楽しく練習してるんだとすると,それはつまり練習してないってことだぞ。楽しいのはできることしかやってないからだよ,たぶん。
● 楽しくない練習をどれだけ積みあげられるかの勝負だもん。それをやらないと本番が楽しくならないでしょ。楽しむべきは本番であって,練習じゃない。言い方を換えると,楽しくない練習をどれだけ楽しめるかが,つまり才能ってことかもしれないんだよ。
と言ってしまったあとに取って付けたようで悪いんだけど,やはりレトリックだよね。練習,楽しくないよね。
● もうひとつは,部員数が極端に少ないところがけっこうあることだ。少なければ少ないなりにやりようはある,というレベルを超えて少ない。
このままでは,たとえば吹奏楽についていえば,作新や宇都宮北とその他の学校の差は開くばかりだ。
吹奏楽をやりたいんだったら,頑張って作新や宇都宮北に行けばいいんだよ,というのは,ひとつの考え方として成立しないわけではないけれども,少し以上に乱暴だ。
● 部活を学校単位に押しこめておくのは無理があるのかもしれない。いくつかの学校が共同して行うのが常態であるべきなのかも。
そうしようとすると,生徒の移動や指導者をどうするかなど,厄介な問題が生じるけれども,どうもそこに向うしかないのかもしれないね。
この「百花繚乱春爛漫コンサート」も,その答のひとつなのかもしれない。
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