栃木県総合文化センター メインホール
● “コンセール・マロニエ21”の優勝者をソリストに迎えて開催する,栃響の演奏会。開演は午後2時。チケットは1,000円。
当日券もあったようだけど,このチケットは前もって買っておくのが吉。この演奏会の価値はお客さんはみな知っている。
● 今回の主役はピアノの田母神夕南さん。曲目は次のとおり。指揮は荻町修さん。
ボロディン 歌劇「イーゴリ公」より ダッタン人の踊り
チャイコフスキー ピアノ協奏曲第1番 変ロ短調
チャイコフスキー バレエ「くるみ割り人形」組曲
● で,いきなり結論。今年ぼくが聴いたコンサートの中で,今回が最も出色。その理由は,第一に田母神さんの渾身のピアノにある。全力投球の私を見て,という。名花,咲く,の趣あり。鬼気迫るという形容の仕方でいいのではないかと思う。
が,それだけでこういう演奏会になるかというと,たぶん,それだけではこうはならない。
● 栃響が彼女を包むわけだが,その包み方がひじょうにいい。企んだことではない。包み方を意図したわけではなく,あくまで結果としてそうなったということなのだが。
栃響の団員が彼女を好ましく思っているとかいないとか,そういうことではない。そういうこととは別のもの。
栃響が田母神さんのピアノに見事に応接した,ということとも違う。さすがは栃響で,余裕すら漂わせていたと思うのだけど,そういうこととは微妙に違う。
● 客席も与って力あったかもしれない。要は,“場”がうまい具合にできあがっていた。
その“場”に乗って,田母神さんが存分に実力を示して,存在感を全開にした。それを栃響(と指揮者の荻町さん)がスッと受けとめて,細かくバックアップ。
さらにそれを客席が許容するというか,押しあげるというか。そういう三重構造がサッサッサとできあがった。ソリストと管弦楽と客席のひじょうに好ましい関係が具現された。
● それを作る核になったものが何かといえば,“田母神さんの渾身のピアノ”であることは確かだから,その功績をしいて特定の誰かに帰せしめるとすれば,田母神さんということになる。
田母神さんはこれから,あまたの会場であまたのオーケストラと共演するはずだけれども,今日のこの演奏会は,彼女の記憶に長く残るのではないかと愚察する。また,そうなってくれればいい。
● その田母神さんのアンコールはショパン「練習曲」の第1曲。お土産までもらってありがとう,という感じね。
● このピアノ協奏曲に登場していた,栃響のフルート。新顔かな。ぼくが気づかないだけで,前からいたのかもしれないけど。
出番が多いからいきおい目立つことになるんだけども,彼女のフルートに瞠目。若い力が入ったのだなと思った。
あと,「ダッタン人の踊り」のクラリネットにも。
● 休憩時にこんな話をしているお客さんがいた。
わずか2時間のために,店を閉めるってリスクだよね。
でも,1回だけのことだから。
そうだね。1日の売上げだけだもんね。
いやいやいや,あんまり良くないかもよ。店を閉めるってよくよくのことでしょ。
1回だけのことっていうんだから,田母神さんの知り合いだろうか。店を閉めてわざわざ宇都宮までやって来た,と。
こんなお客さんも来てたよ,ってことね。
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