2020年8月25日火曜日

2020.08.22 グース室内楽団 第3回コンサート

スタジオ ヴィルトゥオージ

● 手間どったのが会場探し。主催者からメールで地図が送られてきてるのだけど,この地図だけでは辿り着けなかったと思う。地図を読めない男なのだよねぇ。
 百人町は地図にするのが難しいエリアで,地図化するにはけっこうなデフォルメを余儀なくされる。デフォルメもある範囲に収まっていればわかりやすくなるんだけども,限度を超えてしまうと,現地に馴染んでいて地図を必要としない人にしかわからないものになる。
 とか思ってたんだけども,あとで確認したらデフォルメなんて別にされていなかったんでした。

● 地図上の新大久保駅の位置をリアルのどこに措定するかなんだよね。ぼくは実際よりも高田馬場よりの通りを歩いてしまってた。
 地図に記載されていた “スペースDo” に一度行ったことがあるので,間違っていることにすぐに気づけたのは幸い。あとは地図ではなくて地番を頼りに探した。
 この地図だけを頼りにもう一度行っても,辿り着ける自信はない。新大久保駅から延びる “文化通り” がこの地図のどれに当たるのか,わからない。地図をリアルに当てはめるときの支点になるのが,文化通り” だと思うんだけどね。

● コロナ禍はまだ続いているが,外出を自粛して引きこもっているのに厭きてきた。コロナって別に大したことないじゃん,指定感染症から外しちゃってもいいくらいじゃん,と思えるようにもなってきた。
 今のところ,コロナは治った後も後遺症が残ると言われているけど,これも大山鳴動して鼠は一匹も出なかったということになると,素人考えながら思っている。マスコミは飛びつくよね。そよ風が吹いただけでも台風が来たと言いたがる業界だから。

● クラシックの演奏会も中止(延期)一辺倒ではなくなってきつつある。大丈夫なんだという実績がひとつずつ積みあがっていけば,全国的に演奏会復活の流れが本流になるだろう。
 実際,大丈夫のはずだもんね。っていうか,誰がどう考えたって,大丈夫に決まっているという結論しか出て来ないと思うんだけどねぇ。

● 演奏する側は演奏したくてしょうがないのだし,聴く側も聴きたくて仕方がない。欲望や欲求は実現されるのが自然であって,あまり抑圧しちゃいけないや。
 戦後,東京で真っ先に復活したのは映画館だったそうじゃないか。おそらく,日本に限るまい。人間はときに,衣食住より娯楽を先に求めるものだ。
 映画,演劇,音楽。そういった不要不急のもの。なくても生存には影響しないもの。そうしたものを鋭角的に欲するときがある。ぼくらはヨハン・ホイジンガが説くところの,ホモ・ルーデンス(遊ぶ人)でもあるのだから。

● グース室内楽団は木管五重奏の団体。今年2月に第2回を聴いて,しばらく追ってみようかと思っていた。
 開演は午後2時。入場料は1,000円。こういう時期なので,事前予約制。

● 今はまだ中止や延期が普通だから,生演奏を聴けるってことそのものがありがたくて。同じ思いの人が多いことは,客席が埋まっていたことでわかる。
 ホールじゃなくスタジオだ。パイプ椅子を並べてあるんだけど,ソーシャルディスタンスなんてどこの国の話だという感じで,きっちりと並べてあったが(それでいいのだ),それでもひとつの空きもなし。

● 曲目は次のとおり。
 ハイドン ディベルティメント 変ロ長調
 ドヴォルザーク 弦楽四重奏曲第12番「アメリカ」(木管五重奏編曲版)
 モーツァルト ピアノ協奏曲第23番イ長調(木管六重奏編曲版)

 いずれも,管弦楽曲だったり弦楽合奏だったりするオリジナルを木管五重奏にアレンジしたもの。木管五重奏で聴くと何が違うかというと,曲の仕組み,成り立ちがクッキリするってことですか。
 いずれも腕に覚えのある人たちなんだろうけど,ぼくは前回からオーボエに注目していて。柔軟性が際立っているように思われる。どんな状況にも対応できそうな。まぁね,他の楽器の奏者もそうなんだけども。
 
● 午前中の練習とお客さんを入れての本番とでは,響きがまるで違うので戸惑っているという話があった。人間が吸音装置になるから,大ホールでも同じ現象はあるのだと思うけど,これくらいの場所にこれだけの人がいれば,てきめんにそうなるんでしょうねぇ。
 演奏者は本番のたびに感じることのはずだから,今回は少し予想を超えたってことなんでしょう。

● マスクをして聴いていると,酸素不足になるのかねぇ。眠気が襲ってくるんですよね。いやいや,将棋の藤井棋聖だってマスクをして対局しているんだから,まさか酸素不足を招くことはないんだろうけど,顔にベタッと化学繊維が貼りついている状態は,とにかく不快。
 加えて,息をするたびに眼鏡が曇る。眼鏡とマスクの相性って,ほんと悪い。要するに,マスクは鑑賞の妨げになるってことね。
 ちなみに,日常生活では3月以降も基本,マスクはしていない(入店時にチェックする百貨店とかあるので,そういうときにはしている)。けれども,外にいるときは喋らない。口を開かない。いつも1人なので,勢いそうなるわけだが。

● こういうところに来るのは女性が圧倒的に多かったものだが,これが変わってきている。今回もそうで,男女比は4対6くらいにまで縮まっている。
 大雑把に,性差の縮小,消滅という現象があるのかと思う。男の世界,女の世界というのが成立しにくくなっている。進歩と考えていいのだろう。それでも残る性差があるとは思うが。

● というわけで,どうも演奏に関して語るところは大いに少なくて,周辺事情ばかりになってしまった。聴く態勢を以前の状態に戻せていない。
 マスク以外にも原因があることはわかっている。24時間の生活リズムをちゃんとしないとだな。

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