逗子市 結・yui コミュニティホール
● 4日から東京に遊びに来てて,今日,帰る。帰るんだけども,新橋から横須賀線に乗って,自宅とは真逆の方向にある逗子にやってきた。
ピアノデュオのコンサートがあるからだ。この時期,生音を聴ける機会は貴重だ。自宅とは真逆の方向であっても,行ける距離ならば行くのだ。
● 唯一面倒なのは,今の時期は当日券というのが事実上なくなっていることだ。当日,受付で,現金と引換にチケットを渡すというのをしなくなっている。
ソーシャルディスタンスを確保するために,座席数を4分の1しか使わなかったりするので,事前に来場者数を確定しておきたいのでもあるだろう。
● 今回も事前にメールでチケットの取置を依頼するというひと手間があった。10秒もあればすむ手間であって,手間というほどのことでもないのだけれども,ふらっと行ってみるってのはしにくくなっているね。
催行する側の手間はこんなものではない。これをいつまで続けなくてはならぬのか。
まったく中国の不手際が恨めしい。ササッと情報を公開して武漢を封鎖していれば,「武漢で妙な風邪が流行ったようだよ」ですんでいたろうに。
● さて。金村奈緒さんと佐藤善彬さんのピアノデュオ。開演は15時30分。チケットは1,500円。
お二人とも20歳。慶応の理工学部の学生。音大を受けても余裕のよっちゃんで合格していたはず。
いろんな意味で羨ましいわけだが,個体に大いなるばらつきを与えるのが神の御業というものでしょ。
● 曲目は次のとおり。この時期としては,アンコールを含めて2時間弱の堂々たるリサイタル。
ラヴェル(シム編) 亡き王女のためのパヴァーヌ(2台ピアノ)
ドビュッシー 小組曲(連弾)
デュカス 交響詩「魔法使いの弟子」(2台ピアノ)
バッハ 楽しき狩こそ我が悦び アリア「羊は憩いて草を食み」(連弾)
モーツァルト 2台のピアノのためのソナタ ニ長調 K.448(2台ピアノ)
ラフマニノフ ロシア狂詩曲 ホ短調(2台ピアノ)
ラヴェル ラ・ヴァルス(2台ピアノ)
アンコール:ラフマニノフ 「組曲 第2番」より “序奏”(2台ピアノ)
● まず思ったのは,音楽や演奏とはまったく関係のないことで,金村さんはチラシの写真より実物が美人だなってことなんですよね。ということは,写真が間違っている。
素人が撮ったスナップ写真ではなくて,プロに撮ってもらうべき時期に来ているのではないかなと思った。ちゃんと自分の外見の美しさを捉えた写真を使うこと。
● 腕の確かさは相当なものとお見受けする。音大でもここまでの技量の持ち主はそうそういないのでは。
それぞれがソロでやるのももちろんありだと思うけれども,デュオとしての歯車の噛合がミクロン単位でヤスリをかけたように(そんなヤスリがあるのかどうかは知らないが),精緻を極めている。
1+1が2ではなく,3か4になっている,という印象。最初の「亡き王女のためのパヴァーヌ」を聴いて,なるほどねぇと独り言ちた。何がなるほどなのか,自分でもわからないのだが。
● 最も印象に残ったのは,デュカス「魔法使いの弟子」。デュカスの “遊び” を表現するのに,2人の若さが放つ何ものかが決定的な作用を果たしている。たとえば,金村さんの席に仲道郁代さんが,佐藤さんの席に横山幸雄さんが座って,同じ曲を弾いたとしても,この面白さはおそらく生まれない。
この曲では佐藤さんの技量に瞠目。デリカシーという言葉を思いだした。
● デリカシーとは,新明解国語辞典によれば「繊細(な心づかい)」とある。その意味でのデリカシーだ。
女性が彼氏や恋人に向かって,「デリカシーのない人ね」と非難するときのデリカシーではない。そのデリカシーは,エゴの別名だからね。どうして私に快をくれないの,という意味だからさ。デリカシーのまさに対極。
● モーツァルトの「2台のピアノのためのソナタ」もちゃんと聴いたのは初めてだ。帰ったら,すぐさまCDをウォークマンに転送することに決めた。こういう曲を聴かないまま一生を終えてしまっていいはずがない。
そういうことを実地に教えてもらえるのも,こうした演奏会の功徳にかぞえていいだろう。果たせない宿題が増えてしまうということでもあるのだが。
● というわけで,逗子に来て正解だった。満足感に浸りながら,湘南新宿ラインの列車に乗りこんだ。
はるかなかなた,北極星の先にある宇都宮まで帰ることにする。さしずめこの列車は銀河鉄道999というわけだな。
逗子から宇都宮までは3,080円。もちろん “青春18きっぷ” を使っている。新幹線に乗換えるという発想はない。乗換なしで宇都宮まで行くわけだしね。
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