2021年4月30日金曜日

2021.04.29 東京藝術大學同声会栃木県支部演奏会 第4回『上野の森の響き』コンサート

栃木県総合文化センター サブホール

● この演奏会,昨年はコロナで中止になった。チケットを買っていた人に対して,事務局が確認の電話を入れたようだ(ぼくのところにも電話があったから)。払い戻しますか,それとも来年に繰り越しますか,と。当然,来年に繰り越すことにした。2月の末に今年のチケットが郵送されてきた。
 まったく余計な手間を発生させてしまって,申しわけなかった。昨年のチケット購入時点では,ここまで甚大な影響があるとはとても予想できなかった。

● 開演は13時30分。入場料は,1年前に払っているわけだが,2,500円。プログラムは次のとおり。
 山木検校 松風
  近藤有里子 長岡園美咲 山下紗綾(山田流箏曲)

 シューマン 愛の歌 ズライカの歌
 平井康三郎 うぬぼれ鏡
 ヘンデル オペラ「リナルド」より “私を泣かせてください”
  中山眞理子(ソプラノ) 細田秀一(ピアノ)

 ベートーヴェン 交響曲第7番 第1楽章(ピアノ連弾)
  新井啓泰 新井祐子(ピアノ)

 サン=サーンス オーボエとピアノのためのソナタ
  小林知永(オーボエ) 西村京一郎(ピアノ)

 ベルク 七つの初期の歌
  小高史子(ソプラノ) 大山秀子(ピアノ)

 ベートーヴェン ピアノソナタ第29番より 第1,第2楽章
  田中あかね(ピアノ)

● 会場はほぼ満席の状態。1席おきにはしていない。自由席で席数分のチケットを販売したようだ。これだけ入るとは正直,意外。
 最初の「松風」が目当てでやって来た人たちだろうかとも思ってみた。曲目情報を事前にネットで知る方法があるにはある。けれども,それをやってそうな人たちではなさげなんだが。
 「松風」が終わったあとに席を立った人が数人はいたけれど,大半は最後までいた。大入りの理由はよくわからない。

● 普通の大学,法学部とか文学部とか,最近だと国際ナントカ学部とか総合ナントカ学部とか,を卒業した人は,大学で学んだことなどすぐに錆びつかせる。使わないからだ。
 大学の専攻などにこだわっているようでは戦線から脱落するだろうから,錆びざるを得ないし,錆びてもいいわけだが,とにかくすぐに錆びつく。外語大学で英語を専攻したという人も,その英語を錆びつかせているかもしれない。そんなものだろう。
 大学の4年間はそれだけで完結していてかまわない。その前後とは切れていていい。卒業後の数十年とつながっているようではむしろ問題だ。卒後の数十年が若い頃のたかだか4年間に拘束されている,ということでもあるからだ。

● が,音大卒の場合はどうなのだろう。基本は同じだと思うのだけれども,こういう演奏会を聴いてみると,錆びつかせないで維持している(あるいは,さらに進歩させている)のかと思える。
 同声会支部の演奏会で演奏するのは,藝大卒業生の中でも一部なんだろうか。音楽を職業か準職業にしている人たちに限られる? 同声会に加入しているのも卒業生の一部にとどまっているんだろうかね。

● ともあれ。さすがは藝大ということ。最初の「松風」にしたって,これだけのものを単独で聴こうとしたら大変でしょうよ。大変っていうか,そもそもその機会を見つける術がないっていうかさ。それこそ,藝祭(藝大の学園祭)に行くよりしょうがない。
 ベートーヴェンの7番をピアノ連弾で聴くのも然りで,テレビかラジオをつけたらちょうどやっていたっていう偶然に恵まれることはあるかもしれないけれども,事前にどこで誰がやるという情報を取るのは,インターネットがある現代でも難しそうだ。ネットに告知しないのがずいぶんあるんじゃなかろうか。

● 小高さんの「七つの初期の歌」もグワッと来る。グワッと来てガシャッと掴んで,サーッと去っていく。
 特に驚いたのが,最後に登場した田中あかねさん。ベートーヴェンのピアノソナタ第29番。第1&2楽章のみ。全部やったら40分かかるから仕方がないんだけれども,全部聴きたいと切に思った。

● さて,これだけのコンテンツを盛った演奏会のチケットはいくらが適当でしょうか? 1万円くらいかな。
 が,1万円にしたんじゃ聴きに来る人がいなくなる。どんな場合でも妥協は必要だ。といって,2,500円は笑っちゃうほど安いと思った。

● しかし,残念なこともあった。ここからが書きづらいのだ。
 開会時刻がだんだん迫ってくるにつれて期待が高まってくる。どんな演奏を聴けるんだろうか。プログラム冊子には目を通した。こうでもあろうか,ああでもあろうか,と想像(妄想)する。それがマックスに達したときに演奏が始まるわけだ。
 ところが,そこでステージに出てきたのが爺さまで。同声会の会長が挨拶に出てきたわけだ。しかも,その挨拶が長い。気が滅入ってくる。
 一番困るのが,高まっていたテンションがストンと落ちてしまうことで,これを立て直すのは至難だ。不可能に近い。

● 演奏以外のものをステージに登場させてはいけない。演奏がすべてを語るのだから,言葉による補足は要らない。
 まして,年寄(しかも男)を出してはダメだろ。演奏会で絶対にやってはいけないことの筆頭がこれだ。年寄りの出番を作ってはいけない(彼が演奏するなら別)。今は昭和じゃないのだぞ。犬も歩けば爺婆にあたる令和の御代だぞ。
 終演後も同じ爺さま(つまり会長さん)が挨拶に立った。これはかまわない。終演後なら好きなだけやってもらっていい。

● もうひとつは観客で,こちらは婆たちだ。何人かで来ているのだが,休憩時間の15分間を黙って過ごすことができない。喋りっぱなしに喋る。
 このご時世,口はケツの穴より汚い排泄器官だと心得てもらわないと困る。排泄器官だからこそ,マスクで隠しているのだ。15分間,のべつ汚物を撒き散らすとはどういうことか。

● あなた方に感染させないために,若者たちは不自由を我慢しているのだ。若者たちにとっては,コロナなど風邪と同じかそれ以下だ。あなた方がいるから,彼らは不自由を強いられている。
 しかるに,あなた方は何をしている? 大勢で固まって出かけて,ところ構わず,のべつ幕なしに唾を飛ばす。たった15分間,ピタッと口を閉じる程度のことがなぜできない?
 というわけで,後半は汚物まみれの席で聴かなければならなかった。その害たるや,受動喫煙どころではない。ホールにも主催者にもまったく責任のないことであるが。

2021.04.25 黒岩航紀 ピアノ・リサイタル -ゆめ-

宇都宮市文化会館 小ホール

● 今月は18日から28日まで10泊11日で東京滞在中。今日からコロナの緊急事態宣言が東京に適用される。百貨店まで営業できなくするのだから,公共施設の多くは休業・休館になるだろう。
 今日も都内で開催されるはずの演奏会に行く予定にしていたのだが,無観客試合になった。

● で,どうしているかというと,宇都宮に向かっている。何のために? 右の演奏会を聴くためだ。チケットは買ってあるんだけど,相方から今回の東京滞在の話が出たときに,聴きに行くのは諦めた。
 で,都内の別のやつを押さえたんだけど,コロナでそれが消えて・・・・・・。東京から宇都宮に出て,2時間の演奏を聴いて,また東京に戻るわけだ。
 やってることがチグハグだ。東京に留まって無為に過ごした方が良かったのか。

南宇都宮駅
● 徒し事はさておき。南宇都宮駅に着いた。土の匂いがする。いいなぁ,土の匂い。どうしたって自分は都会の人間にはなれないな,と痛感。田舎人だよ,田舎人ですよ。
 もう,これはしょうがないね。生まれも育ちも田舎だもん。

● 開演は15時。チケットは1,000円(全席指定)。この1,000円は破格に安い。ホールの主催公演になっている。上述のとおり,チケットは買っておいた。
 1席おきではなくて,全席販売。ほぼ,満席。これでコロナのクラスタが発生するかといえば,まずその心配は不要だろう。したがって,これでいいと思うのだけども,主催者はけっこう大胆だなとも思ったね。

● 曲目は次のとおり。
 シューマン アラベスク
 シューマン 子供の情景より「トロイメライ」
 リスト 超絶技巧練習曲集 第7番「英雄」
 ブラームス 2つのラプソディ 第1番
 ブラームス 6つの小品より「間奏曲」
 リスト ハンガリー狂詩曲第2番

 ドビュッシー 2つのアラベスク 第1番
 ラヴェル 亡き王女のためのパヴァーヌ
 ラヴェル クープランの墓 より「メヌエット」
 レヴィツキ 魅せられたニンフ
 ドビュッシー ピアノのために
 ドビュッシー 夢(夢想)

 アンコール
 ショパン ノクターン 第2番
 ショパン エチュード「黒鍵」
 リスト 愛の夢 第3番

● 合間に演奏者である黒岩さんのトークが付く。基本的には曲や作曲者についての解説なのだが,それが自身の来し方(といっても,まだ30歳前)や音楽観を語ることにもなる。
 あるいは,好みの作曲家とその理由であったり,演奏に向かう際にどう構えを作るかであったり,芸術は永く人生は短いと感じるという話であったりする。
 まだ若い彼の話を年寄りたちが頷きながら拝聴するの図,だ。誠実な人柄が語り口に現れており,たぶん,観客は皆,彼のファンになったろう。ぼくもその例にもれない。

● 同様に,プログラム冊子の曲目解説も黒岩さんが書いているのだが,通り一遍ではなく,グイッと自分に引き寄せて書いているので,楽曲を知るほかに,演奏者を知るのに格好の資料になる。
 というわけなので,演奏された曲の一々についてぼくが何かを言うのは,天に唾するものでしかないだろう。
 18日にも感じたことだけれども,ピアノ曲を聴く環境を整えなければいけない。リスト,ショパン,ドビュッシー,ラヴェルの作品を整理してみるという初歩的なことをまずやってみよう。

● 終演は17時30分。地元出身ピアニストの凱旋を暖かく迎える地元ファン。その声援に全力で報いようとするピアニスト。いい演奏会になった。
 東京の非常事態宣言は,ぼくをここに来させるための神の配剤でありました。すっかりいい気分になった。

● 終演後は東京に帰る。一度,言ってみたかったんだよ。東京に帰る,って。もともと,この言い方は,地方出身の東京在住者が使うものだろうけどね。
 待てよ。今,気がついたんだけど,緊急事態宣言が出ている東京で遊び呆けているやつが,来てはいけなかったのか。感染拡大地域からのご来場はご遠慮ください,ってやつ。

2021.04.24 スコペルタフィルハーモニー交響楽団 第1回定期演奏会

江戸川区総合文化センター 大ホール

● 新小岩駅。この駅で降りるのは生涯でたぶん3度目。駅前のカオス状態が気持ちいい。
 駅前に関しては飲食店はチェーン店が席巻している。これはまんま地方都市。が,ルミエール商店街に入っていくと様相が違ってくる。個人商店街だから。
 このアーケードを歩いている途中で,葛飾区から江戸川区に入る。川や峠が境だという思い込みが強すぎるんだろうか,アレッと思ってしまう。区境がたぶんに人工的なものでもあるんだろうけど。

● 新小岩駅から歩いて,着いたところが江戸川区総合文化センター。ここにくるのは,たぶん二度目。
 写真からは閑静なところにあると思われるかもしれないが,基本的に新小岩駅からのカオスが続いている。ぼくの目の前を幼児を乗せた自転車が横切って,ギクリとする。歩行者と自転車が入り混じって通行している生活路を,車がスピードを落とさずに走り抜けていく。
 これで人と自転車と車の3者が共存しているのだから,自ずからなるバランスが存在するのだろう。不思議なところだ,葛飾と江戸川。

江戸川区総合文化センター内部
● ここに来た目的はスコペルタフィルハーモニー交響楽団の立上げ公演を聴くこと。“東京藝大生×若手アマチュア” と前冠(?)が付いているのだが,指揮者と首席奏者を藝大の現役生が務めているらしい。
 彼等がトレーナーをも兼ねていて,練習から本番まですべての過程に参画するという形で運営している。

● 開演は19時。チケットは1,000円。当日券もあったようだけども,原則は事前予約制。事前に申し込んでいた。電子チケットで入場。
 曲目は次のとおり。指揮は村上史昂さん。彼も藝大の学生であるわけだ。「“狂想-共創” 的断章」の作者である天野さんも藝大作曲科の現役生。
 フンパーティンク 歌劇「ヘンゼルとグレーテル」序曲
 天野由唯 “狂想-共創” 的断章
 ベートーヴェン 交響曲第5番

● ベートーヴェンの5番は第4楽章の勝利宣言が白眉なのだろう。遺書まで書いたベートーヴェンが,それでも人生は生きるに値すると全力で謳いあげるところ。
 釈迦が臨終に際して,アーナンダにこの世界は美しいと告げる場面がある(釈迦が本当にそう言ったのではなく,後世の人たちが言わせたのだと思うのだが)。この世は苦だと喝破し,その苦界をどう生きればいいのかを考え抜いた釈迦が,最後にこの世界は美しいと言う。
  アーナンダよベーサーリーは楽しい
  ウデーナ霊樹の地は楽しい
  ゴータマカ霊樹の地は楽しい
  七つのマンゴの霊樹の地は楽しい
  タフブッダ霊樹の地は楽しい
  サーランダ霊樹の地は楽しい
  チャーパーラ霊樹の地は楽しい

● その釈迦の境地にベートーヴェンも至ったものだろうか。釈迦の境地を音楽に翻案すればベートーヴェンの5番になるんだろうか。
 その境地は力に満ちている。もっと言うと娑婆っ気に溢れているようにも思われる。娑婆っ気が艶となり,この楽曲の潤いになっているように感じる。
 逆にいうと,アーナンダにこの世界は美しいと告げたときの釈迦もまた,力に溢れていたのかもしれない。成熟を重ねてきれいに枯れた末の境地なのではなく。

● ベートーヴェンのその心情を思えば,ここで泣かなければ人じゃない(?)。しかし,CDで涙は流れない。カラヤンのベルリンフィルでも,カルロス・クライバーのウィーンフィルでも。
 けれども,生演奏だとそこのところが切々と伝わってくる。今回のスコペルタの演奏は,タメにタメた力を一気に解放したような,思い切りよく弾けたような。若さが持つ力だろう。

● 苦悩を通して歓喜に至るとか,暗から明へといわれるけれども,苦悩や暗にも実が詰まっているところが,ベートーヴェンの魅力。そうしたことをヴィヴィッドに示してくれる演奏だったと思う。
 とりわけコンミス(彼女も藝大の学生さん)のコンミスぶりがお見事。要するに,相当な使い手なんですよね。

● 東京は明日から緊急事態宣言下に置かれる。この演奏会が明日の予定だったら開催できたろうか。際どかったねぇ。
 今日の新小岩駅前のカオスも,明日から百貨店が休業するのを受けて,自衛に走った人たちが作ったものかもしれない。黄金週間を前に,ヤレヤレの週末となってしまった。

2021.04.18 宇都宮ピアノ研究会 第31回スプリングコンサート

栃木県総合文化センター サブホール

● この演奏会を知ったきっかけは,栃木県総合文化センターのサイトの「イベントカレンダー」なんだけども,そこにはスプリングコンサートとだけあって,それ以上のことはわからなかった。
 でも何だかちょっと気になっていて,頭の隅っこの方に引っかかっていた。

● 数日後,総合文化センターに行ってみた。それ以上の情報があるかと思って。チラシというか,ほとんどプログラムなのだが,それが置いてあって概要を知ることができた。
 宇都宮ピアノ研究会というのがあることも初めて知った。すでに31回を数えるのだから,30年前には存在していたことになるのだけれども,ぼくは全然知りませんでしたよ。

● そのチラシに聴き方も書いてあった。入場は無料だけれども,事前予約が必要。電話番号が書かれてあって,電話かショートメールで申し込んでくれという。
 ので,Googleの “メッセージ” を使って,予約を入れた。で,無事に聴くことができましたということ。開演は14時。

● 曲目は次のようなものだった。
 ショパン ノクターン第7番 嬰ハ短調
 ドビュッシー 「版画」より “塔”

 ジョー・ガーランド イン・ザ・ムード
 菅野よう子 花は咲く 
 ドビュッシー 「前奏曲集」より “ヒースの茂る荒れ地” “風変わりなラヴィーヌ将軍”

 レ・フレール Follow Me!
 サティ スポーツと気晴らし,ジュ トゥ ヴ
 宮沢和史 風になりたい

 プロコフィエフ ピアノソナタ第1番 ヘ短調
 シューベルト 幻想曲
 シューマン アベッグ変奏曲
 モーツァルト ピアノ四重奏曲第1番(第1楽章のみ)

● 当然,演奏はピアノがほとんどなのだが,「風になりたい」はいろんな打楽器で奏される曲だし,四重奏曲には当然,弦楽器が入る。
 ピアノにしても連弾もあり,クラシックがメインだけども,ジャズっぽいの,ポップスっぽいの,サンバっぽいのもあって,観客を楽しませ,自分たちも盛りあがる,という趣向のようだった。

● プログラムの曲目解説は,インターネットから引き写したものがわりと多い。悪いことでも問題があるわけでもないと思うが,引き写しではない解説を読むと,何がなしホッとするというところはある。
 重箱の隅を突くようなことを申しあげて申しわけないのだが,あまりカクカクした解説はそもそも必要ないようにも思う。

● プロコフィエフのソナタとシューマンのアベッグ変奏曲が白眉だと思った。が,このあたりは演奏がどうのこうのではなくて,聴き手の曲に対する好みによるものだ。
 このような機会に接すると,ピアノ曲のCDも整えなきゃなと思う。まともには聴けていなかったと思うので,環境整備から始めてみようか,と。

● 管弦楽曲に比べれば,生とCDとの落差は小さいはずだが,小さいというのはゼロではない。0と1の差は1と10の差よりも大きい。
 ゆえに,生演奏を聴く機会もコマ目に捕えていきたいものだが,勉強する姿勢はとりたくない。が,ある程度は勉強もしないと楽しめるところまで行けない。自分はまだそこまで行けていないと思うので・・・・・・と堂々巡りをしそうだな。

2021.04.11 東京楽友協会交響楽団 第110回定期演奏会

すみだトリフォニーホール 大ホール

● コロナのまん延防止等重点措置が東京に適用された。にもかかわらず,東武電車に乗って,その東京にやってきた。聴きたい演奏会があったのだから仕方がないのだ。
 ま,本当に仕方がないのかどうかは定かではない。東京行きは控えるべきなのかもしれない。どれが最善手なのか。正直なところ,わからない。

● 仮にわかったところで,わかったようにやれるかといえば,それもわからない。これまで東京には二度,非常事態宣言が出ているが,その最中にも東京に出かけていた。宿泊していたこともある。
 普段とあまり行動を変えていない。確たる信念(?)があってのことではない。変えない方が楽だからというのがひとつ。
 もうひとつは,コロナに対してタカを括っているからだ。三密を避けて人の飛沫が飛びかうところに近づかなければ大丈夫だと思っている。実際,そのようにしてきて,今までは大丈夫だった。

● 御託はどうでも,今日はすみだトリフォニーホールで東京楽友協会交響楽団の定演がある。チケットは1,000円で,全席指定&事前購入制。【teket】を利用。
 このやり方にもすっかり馴染んだ。ちなみに,ぼくの席は1階-15列-11番だった。ちょうどいい席が空いていた。
 開演は13時30分。曲目は次のとおり。指揮は森口真司さん。
 プロコフィエフ 交響曲第1番「古典」
 ストラヴィンスキー バレエ組曲「プルチネルラ」
 メンデルスゾーン 交響曲第5番「宗教改革」

● メンデルスゾーンの交響曲で3番,4番以外を生で聴いたことはあったろうか。記憶に残る限りはない,と言いたかったのだが,今年の1月にハイリゲンシュタット・フィルハーモニー管弦楽団の創立演奏会で1番を聴いていた。
 しかし,それだけだろう。5番を生で聴くのは今回が初めてだ。2番はかなり大掛かりになるので,はたして聴く機会があるかどうか。
 ちなみに,今回のプログラム解説でも触れられているが,メンデルスゾーンの交響曲を作曲順に並べると,1→5→4→2→3,となる。

● そのメンデルスゾーンの5番が素晴らしかった。言葉も出ない。端正が基本にあり,力に満ちていて,仕上げは流麗。
 前夜,コロナ隆盛によりキャンセルを受付けるとのメールが入ったのだが,キャンセルした人はいたのだろうか。いたとしたら,その人は選択を誤った。つまらぬ理由で大切なものを捨ててしまってはいけない。

● と思わせる演奏だったということ。東京にはとんでもない水準のアマオケが,ぼくが知っているだけでも十指に余る数存在するが,ここは間違いなくそのひとつ。
 コロナマンボウごときで聴くのを諦めてはいけなかったろうね。

● ストラヴィンスキーはココ・シャネルと愛人関係にあったことを知って,俄然,興味が湧いた。何というミーハー。
 しかしだね,シャネルが愛人に選ぶほどの男なのだから,仕事を通じてただならぬオーラを出していたに違いないのだよね。
 ショパンもそうだったのだろうし,ベートーヴェンも然りだったのだろうが,何かに一心に打ち込んでいる状態を継続している男性っていうのは,魅力的なのだろうと思いますよ。

● その対極にいるのが,女の尻を追いかけている男。若いのに妙に女あしらいが上手い男っているでしょ。けれども,そうだった男は,意外につまらない人生を送っちゃってるでしょ。
 彼の世界にはつまらない女しか入ってこなかったからというのが,たぶん理由の1つだね。類は友を呼んじゃうんだよね。ストラヴィンスキーを研究した方がよろしいでしょう。

2021.04.04 森村学園中高等部管弦楽部 第16回定期演奏会

ミューザ川崎 シンフォニーホール

● オーケストラの生演奏を聴く場合,まずはいつどこでどの楽団が演奏するのかを知らなければならない。今はインターネットがあるので便利だ。
 “オケ専” とかでチェックしていくわけだが,森村学園の名前はこれまでも何度か見ていた。その度に,ふぅん,こういうところがあるのか,と思った。今回,やっと聴く機会を得た。

● 開演は13時30分。入場無料だが,座席は指定。事前にメールで申込むと指定席の番号が返送されてくる。こういう時期ゆえ,良くも悪くもこの方法しかないだろう。
 指定された席は4階。ミューザに悪席なしと思っているけれど,4階席は初めてだった。さすがにステージが遠い。

● 学園の案内によると,「本校の管弦楽部は,中等部1年生から高等部2年生まで約80名で活動して」おり,「その部員のほとんどは中等部に入学してから楽器を始め,中には楽譜も読めずに始めた部員も多くいます」とのこと。
 それはそうだろう。小学校を卒業した段階で楽譜を読める人はまずいない。小学校の音楽の授業で楽譜の読み方など習わないからだ。ピアノやヴァイオリンを習っていたのでもない限り,それが普通だ。

● 中学生から始めるのなら早い方だ。プロを目指すにはそれでは遅いのだろうが,プロになって何かいいことがあるのかというのはよくよく考えるべき問題であって,平凡なプロになるよりはアマチュアにとどまる方が賢いのではないかと,ぼくなんぞは思っている。
 平凡なプロよりは傑出した(傑出していなくても)アマチュアでいる方が,断然コスパがいいのだ。人生をコスパだけで測るのは寂しすぎるという意見もあるだろう。そのとおりだけれども,そうは言っても,人は口に糊していかねばならないのだ。コスパを等閑に付してはいけないと思う。

● 曲目は次のとおり。指揮は顧問の深井祥二さん。
 ベートーヴェン 交響曲第8番 へ長調
 チャイコフスキー バレエ「白鳥の湖」から抜粋
 シルヴェストリ 交響組曲「フォレスト・ガンプ」
 マイヤーズ カヴァティーナ
 ディズニー・ファンタスティック・セレクション

● 行儀のいい生徒さんだなというのが,第一印象。先生の言うことをよく聞いて,一生懸命に練習してきたのだなと思えた。
 中学生と高校生がベートヴェンの8番を演奏しているのだ。技術や技巧だけに着目するのであれば,プロオケと比べれば,アメリカのメジャーと日本の高校野球の地区大会ほどの差があるに違いない。あたりまえのことだ。
 それでは,メジャーの野球は観戦するに値するけれども,高校野球は観ても仕方がないものか。もとより,そんなことはない。メジャーにはメジャーの,高校野球には高校野球の面白さがあり,観戦の視点がある。
 高校野球に入れあげて,メジャーなんてと言うのもつまらないが,その逆はもっとつまらないだろう。

● 楽器を始めてまだ年端もいかぬのにここまで仕上げてくる進歩の速度は,この年代にしかないものだ。成人になってから同じようにやってみろと言われたって,できるわけがない。無理というものだ。まずはその驚異を味わう。
 次は,コンミスの女子生徒がコンミスたろうと一生懸命なところ。そこもまた味わうに足る。

● 「白鳥の湖」は“情景” “4羽の白鳥の踊り” “ハンガリーの踊り” “スペインの踊り” “小さな白鳥たちの踊り” “フィナーレ” の6曲。組曲版と重なるのが半分。
 “情景” の冒頭の旋律(白鳥の主題)は,白鳥の姿に変えられてしまったオデットが,王子に向かって「ここよ。私はここにいるのよ」と切なく訴える,その訴えの音楽的アイコンになっている(と思っているのだが)。
 トップバッターのオーボエが,そのオデットの切ない訴えをどこまで載せて歌えるか。ここが聴きどころ。ここが上手く行けば,あとは流れのままに。・・・・・・上手く行った。

● このあとは映画音楽。マイヤーズ「カヴァティーナ」は「ディア・ハンター」で使われているらしい。らしいというのは,ぼくはこの映画を見ていないからだ。
 「フォレスト・ガンプ」も見ていない。何だか恥ずかしくなってきた。「ドラえもん」の劇場版ばかり見ていてはいけないかもなぁ。「ドラえもん」は「ドラえもん」で面白いんだけどね。

● ディズニー・セレクションはアンダー・ザ・シーなど7曲。重いものを先にこなして,最後ははじけて終わるという趣向だったのだろうか。
 3年生はこれで部活を終えて,これからの1年間は受験に専念するんだろうか。少し早すぎる引退のようにも思えるけれども,都会ではこれが普通なんだろうかね。