東京芸術劇場 コンサートホール
ところが今日は平日の金曜日で,平日なら夜公演にしないとお客さんが来れなくなる。ので,今回だけは19時だったのだ。
けれども,19時からの公演を最後まで聴くと,今日中に家に帰り着くことが難しくなる。北関東の在から出ていくと,こういう問題がある。
● ので,通し券を買っているけれども,今日だけは諦めるしかないという結論にいったんはなった。
しかぁし。「一休」で都内のホテルをチェックしてたら,この日,3,072円で泊まれるビジネスホテルがあったのだ。これなら泊まれるぞ,と。
ので,チェックインして風呂に入って,ここにやってきた。優雅なものだ。ホテルは浅草なので,銀座線 → 半蔵門線 → 丸の内線と乗り継いだ。
上野学園はベートーヴェンの1番とシベリウス「フィンランディア」。指揮は福島康晴さん。
どちらも何度も聴いている曲だが,ぼくは「フィンランディア」の方により大きく感応した。これほどしっとりと届く「フィンランディア」を過去に聴いたことがあったろうかと,記憶をまさぐってみる。
● こういう心的操作をすることが無意味であることはわかっている。過去に聴いたことがあろうとなかろうと,そんなことはどうでもいい。「今,ここ」に集中すべきなのだ。過去を探っても仕方がない。
でも,まさぐってしまった。しっとりとじんわりと入ってくる。
● 武蔵野音大はブルックナーの7番。指揮はルドルフ・ピールマイヤー氏。ドイツ連邦軍中央音楽隊の隊長で,武蔵野音大の客員教授だそうだ。
ブルックナーを聴くのは久しぶりだ。その久しぶりがこの音大フェスであったのは幸いだ。渾身とはどういうものか,こういうものだ。そういう演奏ですよね。
● プロの演奏よりも音大フェスを聴きたいとぼくは思っているのだけど,その理由になりうるキーワードのひとつが “渾身” だろう。彼ら彼女らにしても,今しかできない演奏じゃなかろうか。数年後にこのメンバーを招集できたとしても,今日と同じ演奏ができるか。できないのじゃないか。
一期一会感が強烈にある。 “渾身” と “一期一会” がこの音大フェスの大いなる魅力といっていいのだと思う。
● 彼ら彼女らの中で,プロとして立っていける人はひと握りしかいないと言われる。ひと握りでも多すぎるとして,ひと摘みだと言う人もいる。
そのとおりなのだと思うのだが,そのプロの演奏よりも,今日の只今現在の彼ら彼女らの演奏の方が力がある。刹那の力に過ぎないのだとしても,力がある。
● 東京まで出て聴くのはこの音大フェスに限ることにしようか。それ以外は地元に沈潜することにしよう。そうだ,そうしよう。いつから? 今日からだ。
すでにチケットを買ってしまっている演奏会は聴きに来るけれども,それ以外に東京に出張るのはこの音大フェスに限る,と決めてしまおう。
唐突にそう思った。年金生活者になってそろそろ使えるお金も限られてくるのでね。
● 開演時刻よりだいぶ前に着座したのだが,退屈することはなかった。武蔵野音大の機関誌があって,ご自由にお持ち下さいとなっていた。ここに将棋の佐藤天彦元名人の対談記事があったので,それを読んでいたからだ。
元名人の趣味のひとつがクラシック音楽だというのは知っていたけれども,ここまで深く入れ込んでいたとは知らなかった。並みのクラシック音楽好きとは一線も二線も画している。渡辺名人の競馬と比べるとどうなんだろうか。
将棋との関連で,「なかなか壁を突破できずにいたんですね。そんな時,これからの人生で将棋だけに傾注するのは少し寂しいなと感じ,ピアノを習おうと決心しました。そして,ピアノを始めてからそれほど時を経ずに,自分でも不思議な感覚でしたが,将棋の結果が出始めました」と語っている。
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