You Tube 配信
急遽,無観客にしてネット配信に変えたのではなく,最初からネット配信の予定だった。予定どおりネットで配信したということ。
● ヘンデルの「メサイア」全曲を生で聴いたのは1回しかない。2年前に新百合ヶ丘まで出向いて,昭和音楽大学のメサイア演奏を聴いた。
そのときに,キリスト教系の大学ではこの時期にメサイアを演奏するところがあることを知った。ベートーヴェンの「第九」に比べると目立たないけれども,年末(というよりクリスマス)の風物詩になっているようだ。
しかし昨年は,声楽で神を称えるこの曲が演奏されることはなかったろう。通常の器楽曲以上の逆境になったはずだ。
● 今年は昭和音楽大学は通常開催するようだ(ただし,演奏時間を圧縮)。青山学院も通常開催。愛知県の金城学院でも11月に開催し,ネットで全部を聴くことができる。京都の同志社は中止にしたらしい。立教は実施するけれども,観客は入れずにネット配信というわけだ。
状況はこんなところだ。現状はほとんどゼロコロナ状態なので,一切の感染対策をしないで開催しても問題が起きる可能性はない。が,準備を始める時点ではそうではなかった。
● 指揮は上野正博さん。現田茂夫さんの予定だったが,変更になった。ソリストは佐竹由美(ソプラノ),山下牧子(アルト),小貫岩夫(テノール),久保和範(バリトン)。チェンバロ・オルガンが大藤玲子さん。
合唱は立教大学グリークラブと立教学院諸聖徒礼拝堂聖歌隊。そのOB・OG。合唱団の中にはかなりの年配の人も混じっていた。管弦楽は立教大学交響楽団。
● YouTubeチャンネルにて生配信したあとは,アーカイブ動画を来年11月30日まで公開するとのことなので,今後1年間はいつでも都合のいいときに聴けるわけだ。時間に縛られない。
のだが,まずはリアルタイムで視聴。本当はライヴを聴きたいのだがオンラインになった,というとき,奏者とリアルの時間を共にすることが,ライヴに近づけるためにけっこう以上に重要なことだと思っている。
● 入ってくる動画はいつでも同じなのだが,演奏は演奏として他と切り離されて屹立して存在するのではない。聴き手との関係性において立ち現れてくるものだ。
ならば,聴き手,つまりこちら側の聴く態勢を整えなくてはいけない。環境整備が必要だ。その第1番目に来るものがリアルタイムで聴くということだ。
途中で20分間の休憩時間があるのだが,その休憩時間も共有した方がいいのだ。トイレに行きたくなれば画面を止めていつでも行けるのだが,ホールで演奏を聴いているのと同じにした方がいい。トイレに行くなら休憩時間に行く。
● とはいえ,リアルの演奏をホールで聴いているときに,アルコールを飲みながらくつろいで楽しみたい,手許にコーヒーがあればなぁ,と思ったことがない人は少ないと思う。
それはこういう機会に試してみるといいと思う。が,事前に準備を整えておくこと。途中で席を外してコーヒーを用意するというのではなくて。
● ネット配信で聴く演奏がどれだけリアルに近づくか。当然,はるかに及ばない。第1に,こちらの機材が貧弱極まるからだ。
ネット配信だからパソコンかスマホ,タブレットで受信するしかないのだが,ぼくはノートパソコンに外付けスピーカをつないだ状態で受信している。おそらくXperiaかストリーミングWALKMAN(+ハイレゾ対応イヤホン)で聴いた方が音はいいのだと思うが,画面が小さくて視る楽しみが減殺される。
ミニコンポを買ってパソコンをつないで聴くのがいいのだろうか。でなければ,ちゃんとした性能のスピーカを備えたデスクトップパソコンに買い替えてしまうか。NECや富士通から良さげなのが出てるんだけど,テレビ機能まで付けているのが大難。なんでそんな余計なものを。
が,まるでダメ。“ノートPC+外付けスピーカ” の方がまだ音が立っているような気がする。
のだが,ネット配信がリアルのライヴに伴走するのがあたりまえになるのだとすると,対応を考えた方がいいのかもなぁ。たとえば,右のような機材でテレビの音響を補強するとか。
● ネット配信の画面は超絶S席になるか。ホールのどんな席で見るよりも特定の部分を高解像度で表示してくれるわけだから。
残念ながら,これまたリアルには及ばない。全体を視野に入れたうえで特定の部分に注意を集めることができるのは,リアルならではだ。
むしろ,特定の部分を必要以上に明瞭に示してもらうのは迷惑だと感じることもある。たとえば,ソリストの化粧の具合をここまでハッキリと見せてもらわなくてもいい。見えない方が幸せだ。
● 視聴者数が画面に出るのだが,“ハレルヤ” の時点で約670人だった。こんなものか。このあとアーカイブを視聴する人が出るのだろうが,どのくらいの数になるのだろう。
リアルに開催して,地道に集客した方が,ネット配信よりも多くに人に聴いてもらえるということか。
● ネット配信の技術が現状のままということはない。どんどん良くなるだろう。受信用の端末の性能も同様だ。いずれはリアルのライブに肩を並べるところまで進歩するのかもしれない。
え,まだホールで聴いてるの? 遅れてるな,おまえ,と言われる時期が来ることを夢想したりもする。現状はそうなっていないが,遠くない将来にライブとの差がかなり詰まってくることはあり得ると思っている。
● ネット配信がこれから増えるのだとしよう。すると,とても全部は聴ききれないという数になるはずだ(個人演奏的なものを含めれば,現状ですでにそうなっているのかもしれないが)。
そのときにどれを聴くことにするか。はっきりしている。この演奏会がリアルであったらホールまで出かけて行って聴きたいかと自分に問い,Yesと答えられるものだけを聴くことになるだろう。
この立教大学のメサイア演奏会が普通に観客を入れて開催されていれば,ぼくは今日,電車に乗って池袋まで出かけたはずだ。だからネット配信を視聴することにしたのだ。
● 合唱陣はマスクを付けて歌っている。先月の学習院輔仁会音楽部の第九もそうだったのだが,歌えるマスクという画期的な製品が出ているのかもしれない。
けれども,当然ながら歌いづらそうで,見ていて気の毒だった。本当は歌ってはいけないのだが,マスクを付ければ特例的に歌ってもいいことにするというのでは,合唱陣の士気もあがるまい。
マスクは付けないとダメなのかね。今の状況でもマスクを外してはダメだと言うなら,外せる時期は永遠に来ないのじゃないか。
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