2017年7月8日土曜日

2017.07.08 フラットフィルハーモニーオーケストラ 第5回演奏会

紀尾井ホール

● 四谷駅で降りるのは,今回が生涯で三度目だと思う。
 御茶ノ水は学生街であり,書店街でもあるので,若い頃にはしばしば訪れていた。新宿はあまり行きたいところではないけれども,それでも用事があったり私鉄への乗り換えがあったりで,降りざるを得ない駅だ。
 その間にある四谷にはまずもって用事がない。上智大学があるところという以外のイメージがない。四谷は新宿区にある。が,四谷駅は千代田区になるんでしょ。新宿,港,渋谷,千代田の区堺に位置している。面白いっちゃ面白いところなんだけど,上智大学以外に何かあるんだろうか。

● 逆に上智大学のイメージが強すぎるのかも。松原惇子さんのいうルイヴィトン大学(ブランド大学)の代表だ。偏差値も高い。間違ってもぼくが入れるところじゃない。
 かつては一億総中流と言われていた。日本の金持ちなんて知れてるんだし,庶民といっても日本の庶民はそこそこお金を持っている。上智とか青山とか聖心女子大とか慶応とか,坊ちゃん嬢ちゃんが集まる大学といっても,その他大勢とさして違うところはあるまいと,ぼくは思っていた。

● ところが,今に限らず,昔からそうではなかったらしいんだな。間違って入ってしまった庶民はけっこう疎外感を味わうらしい。本当かねとじつは今でも思ってるんだけど,どうもそうらしいのだ。
 しかし,だ。お金持ちが集まると,彼ら彼女らに独特の話題があり,雰囲気を醸すのだとしても,それが金持ち倶楽部のスノッブと言われるものかどうかにかかわらず,どう転んでも大したものではあるまいと思っている。
 と,わざわざ書くところがすでに,庶民の劣等感の裏返しかもしれないんだけどね。

● とにかく,その上智大学を見ながら歩くこと5分,紀尾井ホールに着いた。このホールに来るのは,今回が二度目。前回も暑い時期だった。
 開演は午後2時。チケットは2,000円。当日券を購入。

● 紀尾井ホール。華美でも絢爛でもないけれども,とんでもないお金をかけたホールだというのは,ひと目でわかる。椅子にしろ柱にしろ壁にしろ天井にしろ天井からさがっているシャンデリアにしろ,高級な部材でできている。
 世が世であれば,ぼくなんぞが出入りしてはいけないところであろうな。が,ぼくだけではない。お客さんの大半は,世が世であれば・・・・・・というのに該当しそうだ(暴言多謝)。日本ではクラシック音楽ファンの大衆化は,ほぼ完成の域に達しているのではあるまいか。

● 外は暴力的と言いたくなるほどの猛暑。が,ひとたびホールに入れば,冷房が完璧に作用していて,むしろ肌寒いほどだ。
 それ自体が,ぼくの年齢層の人間には,あっていいのかと思えるほどの贅沢に感じる。いや,“ぼくの年齢層の人間には”と言ってしまっては言い過ぎであろうな。“ぼくには”と言い換えておこう。

● フラットフィルハーモニーオーケストラの演奏を聴くのは今回が初めて。紀尾井ホールでやるくらいなんだから,腕には覚えがあるとみた。プログラムはオール・ブラームス。
 大学祝典序曲,ヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲,交響曲第3番。指揮は平真実さん。ブラームスの4つの交響曲のうち,3番は比較的演奏される機会が少ないのではないかと思う。今日はその3番を聴くことができる。

● 女子奏者はそれぞれのカラフルなドレスで登場。こうあるべきだと思う。黒一色も悪くはないんだけど,黒一色の上品さと多くの色が織りなす華やぎとを比べれば,ぼくとしては後者に軍配をあげたい。
 女性はそれぞれが花。花は花らしくあるのがいい。どの花もみな黒いというのは,自然界にはありえないことだ。

● 「ヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲」を聴ける機会はそんなにないだろう。ヴァイオリンはこの楽団のコンミスの田遠彩子さん。チェロはやはり首席奏者の塚本敦史さん。
 長大な曲で,これがなぜ交響曲にならなかったのか不思議。っていうか,ブラームスは交響曲として構想していたんですね。大人の事情ってやつで,協奏曲になった。

● が,あろうことか,ここでぼくは断続的に意識を失ってしまった。猛暑に晒されたあとの涼しさがいけなかったのか。昼食は食べていなかったので,食後の午睡ではないんだけどね。
 もちろん,戦いはしたんですよ。戦ったんだけれども,泣く子と睡魔には勝てないわけで。申しわけのないことだった。
 っていうか,これでチケット代の半分は捨てたも同然だな。

● 交響曲第3番。なぜこの曲だけ,演奏される機会が少ないのか。ひょっとしたら,ブラームスの4つの交響曲の中でも,最も奏者に運動量を要求するからなんだろうか。
 そんなことはないね。第3番は4つの中で最も演奏時間が短い曲なんだしね。

● 1楽章の強烈さ。激情というか情熱というか。大波がうねっているような。2楽章の雅。3楽章の憂愁。そして4楽章の躍動。そして,静かな終局。
 どう聴くかは聴き手の勝手。自分で自由にシーンを妄想することを保証してくれる。その自由を支えてくれるのがいい曲,という単純な見方をぼくはしているんだけど。

● この曲をCDで聴くときには,もっぱらカラヤンで聴いている。カラヤンって,今は非難を一身に引き受ける存在になった感があるけれど。
 が,いくらカラヤンでもベルリン・フィルでも,生演奏には敵わない。言うまでもないことだ。
 生の魅力って何なんだろうか。奏者の一挙手一投足が見えること。固唾をのむ大勢の聴衆の中で聴けること。部屋では聴けない音量を味わえること。それだけでは尽くせない何かがあるような気がするね。
 なのに,生演奏を聴きながら居眠りをしてしまうバカもいるんだな。

● 楽団紹介に「演奏者も団員もふらっと楽しめる演奏会を目指しています」とあった。それでフラットフィルという名前にしたのかね。
 ま,でも,団員が演奏会を楽しむためには,楽しくない練習を重ねる必要があるんでしょうね。

2017年7月2日日曜日

2017.07.02 さくらウィンドアンサンブル 第1回定期演奏会-サマーコンサート2017

さくら市氏家公民館

● 従来は「さくら吹奏楽フェスティバル」として開催されていたもの。開演は午後2時。入場無料。
 3部構成。須賀由美子さんが司会を担当。

● 第1部はホルスト「吹奏楽のための第一組曲」と酒井格「たなばた」。
 よくまとまっている吹奏楽団だと思った。演奏もだけれど,それ以前に団員の仲がいいような感じといいますか。本当はやめたいんだけど,大人の事情で我慢して付き合っているっていう人はいなさそうだ(いるのか?)。
 さくら市以外に住んでいる楽員もけっこういるらしい。さくら市はこのエリアでは交通の便の良さにおいて,かなりのアドバンテージを持っているから,ヨソからも集めやすいのかも。

● とはいえ,隣町の高根沢でも吹奏楽団結成の動きがある。日帰り温泉と同じで,各市町村にひとつの吹奏楽団なんてことになるんだろうか。
 日帰り温泉ならそれでもいいけれども,吹奏楽団がそうなったら,たぶん共倒れになる。おらが町にもひと揃えっていう抱えこみはよろしくない。自然発生ならいいんだけど。

● 第2部は「ジュニアウィンドハーモニーうじいえ」が次の3曲。
 宮川 泰 宇宙戦艦ヤマト
 中山晋平 シャボン玉
 山下国俊編 日本愛唱歌集

● 「宇宙戦艦ヤマト」といえば,ぼく的には2010年に公開された,木村拓哉主演の「SPACE BATTLESHIP ヤマト」だ。っていうか,アニメは知らない。
 ガミラスの放射能攻撃を受けた地球は,人類の滅亡まで残すところ1年余。地球防衛軍に唯一残された戦力である戦艦ヤマトが,放射能除去装置を求めてイスカンダルに向けて出発する。多大の犠牲を出しながらも,放射能除去装置を得ることができた。
 が,もうすぐ地球だというところで,ガミラスの残党が待ち構えていた。撃退する方法はただひとつ。波動砲だけだ。が,満身創痍のヤマトがここで波動砲を打てば,ヤマト自身が粉々になる。
 木村拓哉演じる古代進は,他の乗組員を救助艇に移し,ひとりヤマトに残る決心をする。そして,敵に照準を合わせて波動砲を発射する。
 その最後の場面では,どうしたって泣くわけですよ。

● この曲を聴くと,その最後の場面,ここまでの戦いで戦死した仲間たちの顔がフラッシュバックし,必死の面持ちで発射準備をし,準備が整って発射ボタンを押すときの木村拓哉の恍惚に近い最期の表情を思いだして・・・・・・ありゃま,泣いちゃいましたよ。

● パーカッションの男の子が勲一等かな。目立つところにいるからなぁ,そのせいかもしれないんだけど,かっこよかったね。

● そのあと,さくらウィンドアンサンブル(の選抜隊)が次の3曲。
 福田洋介 さくらのうた-five
 成舞新樹編 アメージング・グレイス
 久石 譲 「魔女の他急便」メドレー
 「さくらのうた-five」はクラリネット五重奏。女子奏者が浴衣で登場。やる方も聴く方も楽しんで,ってことなんだけど,まだ「宇宙戦艦ヤマト」の余韻が残っていて,わりとこの3曲の印象が薄い。
 指揮の村上さんが,団員に話を向けて楽屋話というか裏話を引き出していたのが面白かった。そこは憶えているんだけど。

● で,第3部。
 中村大八(福田洋介編) 上を向いて歩こう in Swing
 久石 譲(星出尚志編) となりのトトロ Highlights
 グラハム&ラヴランド(高橋宏樹編) ユー・レイズ・ミー・アップ
 ボーデュック(岩井直溥編) サウス・ランパート・ストリート・パレード
 第3部を命名すれば,何でもありステージ。最後の2曲はあまり聴く機会がないような気がする(YouTubeでならいくらでも聴けるんだが)。

● 「さくら吹奏楽フェスティバル」として開催してきた蓄積があって,そこで得たノウハウに添った運営のやり方だったと思える。が,団員の中にもこのやり方を変えたいという意見はあるんじゃないかと愚察する。バラエティーショーじゃないんだから,と。
 ただ,これはこれとして成立しているので,もし変えるとすれば,微調整ではなくてガラッと変えることになるでしょうね。

● 先によくまとまった楽団だと言ったけれども,市民吹奏楽団としては団員数も多くはなく,可愛らしいと形容してもいい。
 さくら市の重要無形文化財のひとつに数えていいものだろう。本当にね,こういうのは大事にしないといけないよ。行政が直に介入するとロクな結果にならないから,遠くから見守るだけでいいんだが。

2017年6月27日火曜日

2017.06.25 諏訪内晶子&ボリス・ベレゾフスキー

栃木県総合文化センター メインホール

● 開演は午後2時。チケットは6,000円。だいぶ前に買っておいた。一律で6,000円なので,どうせならいい席で聴きたいな,と。
 1階左翼席の前から2列目の一番右。総合文化センターだと左翼席が自分の好みだ。ただし,この席だと演奏中の諏訪内さんの表情は窺うことが難しかった。その代わり,ベレゾフスキー氏の指の動きはよく見える。

● 自分のようなヘッポコ聴き手が彼女の生演奏を聴いていいんだろうか。そんな資格があるんだろうか。それは思いましたよね。
 ぼくの耳だと,音大を卒業したヴァイオリン弾きのレベル以上は区別がつかない。同じに聞こえる。目隠しをされて,卒業したばかりのヴァイオリン弾きと諏訪内さんのヴァイオリンを聴かされたら,おそらくどっちがどっちだかわからない。
 でも,お金を払ってチケットを買ってるんだからな。オレは客だぞ,と。

● 曲目は次のとおり。
 ベートーヴェン ヴァイオリン・ソナタ第5番「春」
 ヤナーチェク ヴァイオリン・ソナタ
 プロコフィエフ 5つのメロディ
 R.シュトラウス ヴァイオリン・ソナタ
 (アンコール)
 マスネ タイスの瞑想曲
 ウォーロック 「カプリオール組曲」より“Basse-dance”
 クライスラー シンコペーション
 ホイベルガー 「オペラ舞踏会」より“Midnight Bells”

● 諏訪内さんの所作は優雅で柔らかい。天女の舞もかくやと思うほど。所作はもちろん演奏の本質ではないと思うんだけど,ステージで観客に見せる(観客に見られる)わけだから,見せる要素はたくさんあるに越したことはないと,単純にぼくは思う。
 ただし,優雅や柔らかさがないとダメかといえば,そんなことはないのだろう。奏者それぞれに所作があって,それが絵になっていればいい。実力者の所作は,それがどんなものであれ,絵になっているものだというのも,ぼくの経験則ではある。

● 演奏はといえば,これが世界水準か,と。神々しいほどでしたね。客席で息をするのも憚られるような感じで,じっと目と耳をそばだてていた(つもり)。
 ということはつまり,聴き手としてのぼくが,奏者の諏訪内さんに圧倒されていたというわけですね。当然,そうなるわけだけど。
 この世界にも評論家という職業の人がいて(素人評論家もいる,にわか評論家も),中には彼女に否定的な見方を披瀝する人がいることも知ってはいる。伸び悩んでいるとかね。
 が,ぼく程度の聴き手にはあまり関係のないことで,そこはヘボな聴き手の気楽さだ。

● ベートーヴェンのスプリング・ソナタ。7番と9番は諏訪内さんのCDで何度も聴いているけれども,5番も聴けるとは幸せだ。
 たとえばベートーヴェンの全9曲を特定の奏者の演奏で聴きたいという嗜好はあまり持っていないつもりだけれど,もし諏訪内さんのCDが出れば,これは買うでしょうね。

● シュトラウスのソナタは,むしろピアノに見せ場が多い曲のようだ。ベレゾフスキー氏が躍動。彼も1990年のチャイコフスキー・コンクールの覇者で,諏訪内さんとはコンクール同期らしい。
 どうも諏訪内さんばかりに目が行くけれども,彼のピアノもまた滅多に聴けない貴重なものだ。譜めくりの若い女性も緊張したろうなと,余計なことを思った。

● 世界水準の奏者はエンタテイナーとしての振るまいもできるのが常で,彼女も例外ではない。上手いというより,身についている。聴衆に対する捌きも鮮やか。
 自分がまさか諏訪内さんの生演奏に接することができるとは思っていなかったので,まだちょっとフワフワしている。

● アンコールはよく知られている曲とかなりマイナーな曲を交互に4曲。“Basse-dance”と“Midnight Bells”はCDでも聴いたことがない。
 4つもやってくれると,客席の満足度は高くなる。これも演出なんだろうかなぁ。そうなんでしょうね。
 この4曲を続けて聴くと,ヴァイオリンは歌う楽器なのだということが,理屈抜きにわかる。

● 最後にこのコンサートには無関係な憎まれ口をひとつ。
 彼女のビッグネームに引かれて来たお客さんもかなりいたでしょう(ぼくもそうなんですが)。そうなると,客席の水準は下がることになる。
 ここをさらに一般化して言うと,着飾ったお客さんが多い演奏会ほど,聴衆のレベルは落ちる。これが過ぎると,少々困ったことが起きる。今回,それはなかったけどね。

● でね,サントリーホールで催行されるベルリン・フィルとかウィーン・フィルの演奏会にやってくるお客さんというのは,お金持ちの困った君や困ったさんが多いんじゃないかなぁと思ってね。
 そんなこともないのかね。ぼくがそれらの演奏会に行くことはまずあり得ないと思うんで,いろいろ妄想するんだけどね。

2017年6月26日月曜日

2017.06.24 宇都宮大学管弦楽団 第83回定期演奏会

宇都宮市文化会館 大ホール

● 開演は午後6時。チケットは800円。といっても,招待状で入場したので,要するに無料になった。
 曲目は次のとおり。指揮は北原幸男さん。
 ベルリオーズ ラコッツィ行進曲
 チャイコフスキー ヴァイオリン協奏曲 二長調
 ベートーヴェン 交響曲第5番 ハ短調

● 栃木県内にある市民オケの人材供給源としても,宇都宮大学管弦楽団が大きな役割を果たしているのではなかろうか。
 そういう意味では栃木県に存在するオーケストラのセンターに位置するのが,この宇大オケといっていいかもしれない。

● 今回の演奏で最も印象に残ったのがチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲だ。その功績の過半はソリストの澤亜樹さんに帰せられる。
 次々に繰りだされる澤マジック。ケレンミがないというか思い切りがいいというか。大変なものだと感じ入った。

● 宇大オケも懸命の応接で,曲をまとめていった。幾重にも巡らされた糸がすべてピィィンと張っているような,見事な演奏。
 チャイコフスキーのこの曲は,ソリストの見せ場が多い。それゆえ,澤マジックが目立ちもするわけだけれども,そうであってもなお,協奏曲のできばえを最終的に決定するのは管弦楽だと思う。ピアノ協奏曲はピアノ曲ではなくて管弦楽曲であるのだし,ヴァイオリン協奏曲もまた同じだからだ。

● この曲のCDは2枚持っている。五嶋みどりさんと諏訪内晶子さんのもの。が,こうして澤亜樹+宇都宮大学管弦楽団のライヴを聴いていると,CDなんて問題にもならないと思わないわけにはいかない。
 ただ,急いで付け加えておくけれども,ぼくは再生装置をウォークマンしか持っていない。せめてミニコンポがあれば「問題にもならない」とまでは思わなかったかもしれないね。

● 第1楽章が終わったところで,会場から拍手が響いた。一部の人がオズオズと手を叩いたというふうではなくて,満場の拍手だった。
 そうしたい気持ちはぼくにもよくわかった。ので,3秒遅れて,ぼくも拍手に参加した。

● 新進気鋭の実力者と学生オーケストラという組合せがよかったか。“功成り名を遂げた大御所+プロオケ”の演奏が常にアマチュアに勝ると思ったら,大間違いだ。
 その演奏からぼくらが持って帰れるものは,技術のみによっては決まらない。うまく言えないんだけれども,そこに込めた思いであるとか,ピュアな気持ちであるとか,難曲に向かうときの心ばえや緊張感であるとか,そういうものが結果において演奏の質を高めることがあるように思う。

● ベートーヴェンの5番は今月4日に鹿沼ジュニアフィルの演奏を聴いたばかり。中高生の演奏とは思えないほどに完成度が高かったと思う。それがまだ耳に残っている。耳に残っているということは,おそらく美化された状態に変わっている。
 ので,それが今回の演奏を聴く妨げになるかもしれない。そこを少し怖れていた。

● しかし,まぁ,杞憂でしたね,そんなのはね。目の前の演奏が始まってしまえば,この世に存在するのはその一曲だけになるんでした。
 鹿沼ジュニアの演奏は第4楽章がかすかに弱かったかと思えた。今回の演奏はその第4楽章がこちらのイメージにぴったりの強さで,そこが好印象。

● かように聴く方は勝手な聴き方をする。聴き方に作法があるわけではあるまいから,そういう勝手も許される(と思う)。っていうか,そういう勝手を包含できるのがいい曲ということなんでしょ。
 第1楽章こそ管にわずかな乱れが見られたけれども,それ以降は闊達自在と形容したくなる演奏。
 それにしても。この学生オケからこれだけの演奏を引きだしたのは,指揮者の北原さんの仕業ということになる。宇大オケと北原さんの相性がいいんだろうか。

● アンコールはエルガー「威風堂々」。
 これねぇ,困ることがひとつだけあるんだよね。来て来て,あたしん家,っていう言葉が浮かんで来ちゃうってことね。アニメの主題歌にこの曲の一部が使われたゆえなんだけど,こういうのって時々,困った事態を招くことがあるねぇ。

● 改装なった宇都宮市文化会館。ここで聴くのはこれが2回目になる。前回は5月に作新学院吹奏楽部の演奏を聴いた。そのときは吹奏楽だったためか,改装の前後で何が変わったかのかあまりピンと来なかったんだけど,音響がかなり良くなっていたんですね。
 今回の演奏を素晴らしいと感じた理由の2割くらいは,文化会館の音響改善によるかもしれない。ホールも演奏者なんだよね。

2017年6月23日金曜日

2017.06.17 成城大学レストロ・アルモニコ管弦楽団 第40回メイフラワーコンサート

成城学園澤柳記念講堂

● アマチュアオーケストラの演奏会情報を得るのに,「フロイデ」はすこぶる便利だった。さすがに網羅的ではなかったものの,東京のアマオケの演奏会情報を知るのに,これ以上のサイトはなかった。
 ところが,昨年末から更新が間遠くなり,ついにはサイトそのものがなくなってしまった。管理人氏がお亡くなりになったようだ。

● それに代わるサイトは「オケ専」くらいだろうか。「フロイデ」に比べると高機能なんだけど(条件検索ができる),その分,かえって使いづらいようにも思う。広告が多いのは我慢するとしても。
 ただし,「フロイデ」がなくなったあと,頼りにできるのはこれくらいだ。その「オケ専」で成城大学レストロ・アルモニコ管弦楽団の演奏会を見つけた。

● 指揮は松岡究さん。松岡さんに指揮を頼めるくらいなら,かなりの実力を持ったオーケストラなのだろうと思って,聴きてみることにした。
 開演は午後2時。入場無料。会場は成城大学の構内にある澤柳記念講堂。もちろん,初めてのところ。

● 学内にこれだけのホールを備えているところ(大学)は珍しいのではないか。多目的ホールだけれども,少なくとも,東大の安田講堂や早稲田の大隈講堂より,使い勝手はずっと良さそうだ。新しい分,実用性においてアドバンテージを持っている。

● 曲目は次のとおり。
 ベートーヴェン 劇音楽「エグモント」序曲
 シベリウス カレリア組曲
 チャイコフスキー 交響曲第1番「冬の日の幻想」

● ところで,松岡さんは成城大学の卒業生なんですね。指揮をしたのはその縁ということなんでしょうか。
 この大学は文芸学部に芸術学科を備えているものの,美学・美術がメインのようで,音楽に関しては手薄い。
 松岡さんはその芸術学科を卒業したのかもしれないけれど,今日の松岡さんがあるのに成城大学が果たした役割は,限りなくゼロに近いのではないかと想像する。

● カレリア組曲はしっとりと聴かせてくれた。たまにシベリウスを聴くと,ジンワリ染みてくる。
 カレリア組曲に限らず,コンミスのコンミスとしての健闘が目立った印象がある。

● チャイコフスキーの第3楽章でオヤッと思う箇所があった。けれども,これ,反省するあまり落ちこむことのないように願う。すぐに立て直したんだしね。気を抜いてしまったわけでもないと思う。
 そもそも,演奏中に反省するのは御法度だ。終演後の反省も3秒でいい。案外,反省って何も産まないからね。

● 「冬の日の幻想」ってね,ロシアの冬ってどんななのかと,この曲を聴くたびに思う。幻想を見れるような生やさしい寒さではないはずで,当然,この幻想は家の中で外を見ながら(あるいは,見ないで)脳内に描いているものだろう。
 外国の曲を聴くときに,日本の四季に引き寄せてイメージを作ってしまいがちだけれど,それでいいのか。って,いいも悪いもない。そうして聴くことしか,ぼくらにはできない。
 そういう聴き方をしている異国の聴衆にもきちんと伝わるだけの普遍性を備えているのが,すなわち芸術というものだろうと,勝手に思うことにする。

2017年6月13日火曜日

2017.06.11 那須室内合奏団第9回演奏会

那須野が原ハーモニーホール 交流ホール

● 開演は午後2時。入場無料。曲目は次のとおり。
 パッヘルベル シャコンヌ
 クープラン スルタン
 ヴィヴァルディ 合奏協奏曲「四季」より“夏”
 モーツァルト 交響曲第25番 ト短調(弦楽合奏版)
 バロックとモーツァルト。前回も前半はテレマン,ヴィヴァルディ,ヘンデル。バロックだった。

● 曲間にこの合奏団の音楽監督である白井英治さんの解説がつく。白井さんによれば,バロックは小節線にとらわれず,途中から旋律が展開することが普通にあって,それが今聴いても新鮮に感じる,ということ。

● モーツァルトは古典派。古典派のバロックとの第一の違いは,ソナタ形式。バロックは変奏,フーガ,カノンといった技法で曲ができあがっているのに対して,ハイドンとモーツァルトは主題の提示-展開-再現というソナタ形式を作りあげた。
 以後,一部の例外はあるものの,ほとんどの作曲家はこれを踏まえている。よほどよくできた形式なのだろう。

● 終演後に白井さんが,一緒にやりませんかと団員勧誘。その際,大人になってから楽器を始めた人を立たせたところ,ヴァイオリンの3分の2以上の奏者が立ちあがった。
 プロになるなら5歳から始めていなければいけないんだろうけども,大人になってから始めても楽しめるんですな。あるいは,聴く人を楽しませることができる。

● 最も印象に残ったのは,1曲目のパッヘルベル「シャコンヌ」。それと,アンコール曲のシベリウス「アンダンテ・フェスティーヴォ」。
 旋律の美しさ。美しさを取ったら何も残らない。そこが素晴らしい。夾雑物がないということだから。

● ヴィヴァルディでは独奏ヴァイオリンとチェロが絡む箇所がある。ここは白井さんと賛助出演の本橋裕さんの絡みになるわけで,ここも聴きどころってことになるだろう。
 お得感があるところだ。

● 次回は天満敦子さんを向かえて,5月20日に大ホールで開催する。

2017年6月6日火曜日

2017.06.04 鹿沼ジュニアフィルハーモニーオーケストラ 第28回定期演奏会

鹿沼市民文化センター 大ホール

● 鹿沼ジュニアフィルの存在は知っていたけれど,定演を聴くのは今回が初めて。当然,今回で28回を数えることも知らなかった。かなり前からあったのだな。
 定演を知らないでいたのは,情報がなかったからだ。今回はたまたまTwitterでつぶやいてくれた方がいたから,知ることができたけれども,それがなければやはり知らないままで過ぎたろう。
 ま,定期的に鹿沼市民文化センターのサイトで催し物案内をチェックすればいいわけだけどね。
 開演は午後2時。入場無料。

● 曲目はベートーヴェンの5番とブルックナーの4番。交響曲が2つ,しかもひとつはブルックナーという重量級のプログラム。
 最近はこういうのが珍しくなくなったけれども,ジュニアでもその傾向があるのか。と思ってプログラム冊子を眺めたところ,自分の不明を恥じる結果になった。前からそうなんだ,ここ。
 第8回ではベートーヴェンの5番とショスタコーヴィチの5番,第14回ではレスピーギ「ローマの松」とベルリオーズ「幻想交響曲」,第15回はドヴォルザークの8番とストラヴィンスキー「春の祭典」,第20回ではマーラーの5番。

● 「ローマの松」にしても「春の祭典」にしてもマーラーにしても,大編成のオーケストラになるはずだ。「幻想交響曲」もそうだけれども,そもそも,ジュニアには難易度が高すぎるのではないか。
 本当にこれをやったのか。って,やったんでしょうねぇ。ちょっと驚きだ。

● プログラム冊子の“演奏者紹介”によると,このジュニアオケは鹿沼東中と西中の卒業生が立ち上げたものらしい。「近年は中学生が多くなってきました」ともある。東中と西中で部活で管弦楽をやっている生徒たちがジュニアのメンバーにもなっているんでしょ。
 東中と西中の定演は何度か聴いたことがある。その都度,この生徒たちの演奏で交響曲をまるごと聴いてみたいものだと思った。生徒たちもやりたがるんじゃなかろうか,とも思った。

● やっていたんだね。ジュニアオケで(全員ではないのかもしれないけれど)。しかも,たっぷりと。
 学校の部活のほかに,こちらまでやっているとなると,けっこう負担が大きいでしょうねぇ。好きなことなら負担を負担と感じないってことなんだろうかなぁ。

● 断言するけれども,大人になっても仕事に対してそれができたら,どんな仕事であっても必ずひとかどの人物になれる。まぁ,仕事となるとなかなか好きにはなれないものだけど。
 逆に,この生徒たちが授業と音楽に費やしている時間と労力を,並の大人が仕事に費やしたら,九分九厘,過労で倒れるかメンタルに疾患を来すだろうね。

● ベートーヴェンの5番は,当然,CDで何度も聴いている。CDはカルロス・クライバー&ウィーン・フィルのものだ。
 クラシック音楽の玄人筋には批判の対象でしかなくなった感のあるカラヤン。けれど,そういった批判者をぼくはあまり信用していない。おまえら,ほんとにわかって言ってるのか,程度に思っている。ぼく一個は,たいていの曲にはカラヤンの録音があるのだから,カラヤンで聴けばいいじゃないかと思う。
 が,カルロス・クライバーだけが例外で,彼の録音があれば,できればそれで聴きたい。ので,ベートーヴェンについていえば,4番,5番,7番はクライバーで聴く。その程度がぼくのこだわりといえばこだわりだ。

● って,どうでもいい話ですな。そのクライバーでベートーヴェンの5番は数え切れないほど聴いているってことです。
 しかし,そのCDと今回のジュニアフィルの生演奏とを並べて,どちらを択るかといえば,躊躇なく後者を選ぶ。生の迫力というのはハンパない。特に,5番のような曲はね。
 もちろん,その演奏が一定の水準に達していることが前提になるんだけど。

● 5番を「運命」と名付けているのは日本だけらしい。“曲目紹介”でも触れられているけれど,シントラーに対して,ベートーヴェンが「このように運命は扉をたたく」と言ったとか。どうもこれはシントラーの作り話のようだけどね。
 でも,「暗から明へ」という構成であること,第4楽章で歓喜が迸るような曲想になっていることは,誰もが認めるところなので,苦悩を通して歓喜にいたる音楽だという理解でいいのだろう。っていうか,それ以外の聴き方をするのはほとんど不可能だ。

● となると,この曲の第一の聴かせどころは,3楽章からアタッカでなだれこむ4楽章の冒頭の部分ということになる。われ,(運命に)勝てり,という高らかな勝利宣言。
 満を持して控えていたトロンボーンとピッコロも加わって,管弦楽が全身ではじけるところ。
 ここが少し弱かったような気がした。

● のだが。瑕疵ではないのでしょうね。あえてそうしたのかもしれない。解釈の問題かも。
 次のブルックナーを聴いたあとで,そう思い直した。できなかったのではなくて,やらなかったのだ。

● 中高生がここまでの演奏をすることに驚く。管弦楽の豊穣さを思い知らせてくれる。
 この曲をノーミスで通すのは至難。かといって,ミスるまいと守勢に入ってしまっては,つまらない演奏になる。演奏が横臥してしまう。
 あくまで攻める。ステージには間違いなくベートーヴェンが立ちあがっていた。

● 次はブルックナー。中高生がブルックナーを演奏するということ自体が,ぼくの常識にはなかったもの。
 ブルックナーの交響曲はそれぞれの楽章に交響曲の全体が折りこまれている(という印象を持っている)。交響曲が4つ集まって,ひとつの交響曲になっているのがブルックナー。
 4番もしかり。そこを強いていうと,1,2楽章でひとつのまとまり。3,4楽章でもうひとつのまとまり。全体として壮大な戯曲のようなもの。
 これを中高生が演奏しているという目の前の現実が,あり得ないことのように思われる。

● 出だしはお約束の“原始の霧”。そのあとに,静寂を破るホルン。ここ,責任重大。ここでホルンがこけたら,そこで聴衆の演奏全体に対する印象が著しく損なわれるし,そのあとのオーケストラ全体の士気をも大きく下げてしまう。
 ホルンの女子生徒,見事に責任を果たした。が,そこでひと息つくわけにはいかない。すぐに次の出番が控えている。

● 弦の清澄さ。低弦部隊がしっかりしているから,ヴァイオリンが思うさま踊ることができる。チェロの落ちついた響きが特に印象に残ったけれども,チェロに限らない。
 ファゴットをはじめ,木管陣の1番奏者の技量も相当なもの。1番はどうしても目立つのでそう感じるわけだが,1番だけではないだろう。

● この演奏をブルックナーに聴かせてみたい。さいはて(極東)の島国の,しかも地方の,しかも中高生の,この演奏を聴いて,ブルックナーはどう感じるだろうか。彼の感想を聞いてみたいものだ。

● あえて難癖をつけるとすれば,弦のピッツィカートだろうか。指先(だけ)で弾くと音が寝てしまう。ペチャっとなってしまう。三味線じゃないんだから,腕全体を使った方が良いような。
 もちろん,コンマスをはじめ,そうしている奏者の方が多かったとは思うのだが。

● というわけで,大きな拾いものをした気分。
 栃木県内の音楽のセンターは,ひとつは宇都宮大学(教育学部音楽科と宇都宮大学管弦楽団),もうひとつは音楽学科を有する宇都宮短期大学。
 そして,三番目の核がどうやらこの鹿沼にある。理由はわからないけれども,そうなっているらしい。