2017年9月25日月曜日

2017.09.10 アズール弦楽合奏団 第8回定期演奏会

すみだトリフォニーホール 小ホール

● ひっさびさのダブルヘッダー。2回目のが上書き保存されるから,1回目の印象が消去されてしまう。
 ので,ダブルヘッダーは避けた方がいいと思いながら,ときどきやってしまうんだよね。
せっかく電車賃をかけて行くんだからっていう,ケチ根性がなせる業ですなぁ。

● アズール弦楽合奏団。開演は午後5時。入場無料。
 すみだトリフォニーの小ホールで聴くのは,今回が初めて。さすがはすみだトリフォニー。小ホールも風格のある空間だった。

● プログラム冊子によれば,アズール弦楽合奏団は「大人になってから弦楽器を始めたメンバーだけの合奏団」であるらしい。いわゆる「レイトスターター」の合奏団。
 率いるのは柏木真樹さん。この柏木さんがユニークというか,変わった人というか,「成長期までに始めないと上達しない,楽しめない」という「常識」に抗って,「ヴァイオリンを弾くための身体の作り方・使い方」を考究してきたらしい。何だか素敵な人のようなのだ。

● 曲目は次のとおり。
 アルビノーニ オーボエ協奏曲
 ヘンデル ヴァイオリンソナタ ニ長調
 テレマン ヴィオラ協奏曲
 バッハ 管弦楽組曲第3番より「Air」
 C.P.E.バッハ   シンフォニア第2番 変ロ長調
 ハイドン 弦楽四重奏曲「皇帝」第2楽章より主題
 アンゲラー おもちゃの交響曲

● 合間に柏木さんのトークというかレクチャーが入る。というか,トークの合間に演奏が入る。
 それがまた面白いというかタメになるというか。柏木さん,話し好きなんでしょうね。話したくてしょうがないっていうか。伝えたいことがたくさんあってもどかしいといった感じ。

● トークの中身はプログラム冊子に掲載されている。プログラム冊子の文書も饒舌で,しかも面白いのだ。いくつか転載してみよう。
 (バロックの)時代としての音楽の共通点はあります。それは「音楽に何を求めたか」ということです。(中略)簡単に言うと,「音楽が音以外の何かを示すことができた(言葉としての機能を持った)時代が終わり,音の心地よさだけが求められるようになった」ということなのです。
 17世紀のイタリアバロックでは,楽譜に書かれていなくても習慣として装飾をつけたり変奏にすることは珍しくありませんでした。17世紀の楽譜には,装飾音符がほとんど書かれていませんが,実際に演奏する時には「派手に」装飾を施すことが普通に行われていました。それが,18世紀になると,「楽譜に書かれていない装飾をつけない」「楽譜に書かれていることを勝手に変奏しない」という演奏習慣が広がっていきます。
 (バッハがメンデルスゾーンに再評価されるまで埋もれていたのは)18世紀までは音楽は基本的に「地産地消」のものだったのがその理由のひとつです。ハイドンやモーツァルトですら,再評価が始まったのは19世紀中盤以降なのです。(中略)音源が楽譜を正確に残せるようになった現代でも,最も人気があるのは現在の音楽です。脈々と受け継がれていく民族的な音楽以外,丼楽とは本来そのようなものだったのです。
 エマニュエルは現在ではあまり演奏されない「過去の人」になってしまいましたが,直後の作曲家に与えた影響は非常に大きく,ハイドン,モーツァルト,ベートーヴェンなどもエマニュエルの作曲形式と技法を学びました。まさに,古典派の音楽を先導した立役者なのです。
 というような叙述が散りばめられている。無料の演奏会で,こんな冊子をもらえるんだから,それだけでもかなりお得。

● アルビノーニの「オーボエ協奏曲」。オーボエ独奏は小林彩子さん。端正な演奏。
 ヘンデルの「ヴァイオリンソナタ」は,柏木さんが楽器を変えて二度演奏した。バロック風とロココ風の違いを味わってほしいということだったんだけど,正直,ぼくにはその違いがピンと来なかったんですよね。聴き手としてあまりにお粗末?

● テレマンの「ヴィオラ協奏曲」。ヴィオラはこれも柏木さんが担当。とんでもなく多くの曲を書いた人だってことはぼくも知っていたけれど,なかなか聴く機会はないね。自ら分け入っていかないといけないでしょうね。
 バッハの管弦楽組曲第3番より「Air」。「G線上のアリア」として有名。ニ長調からハ長調に移調するとG線のみで演奏できるっていうやつ。が,柏木さんによると,そうしてしまったのでは,旋律の美しさはともかく,こぼれ落ちるものが多すぎるということ。

● 「おもちゃの交響曲」はレオポルド・モーツァルト作とされていた。が,近年,アンゲラーの作と確定されたようだ。
 小林さんも水笛で参加。この曲を聴いて面白いと思えるかどうか。それが,クラシック音楽との親和性が自分にあるかどうかの試金石になるかもしれない。ならないか。

2017年9月12日火曜日

2017.09.10 グローバル・フィルハーモニック・オーケストラ 第58回定期演奏会

すみだトリフォニーホール 大ホール

● 東京に演奏会を聴きに行くのは,久しぶりな感じがする。と思ったんだけど,7月に聴いてたんでした。さほどに久しぶりでもないのか。
 東京は大好きな街だ。おかげでニューヨークにもロンドンにもパリにもシンガポールにも,あまり行ってみたいとは思わなくなった。東京に住んでいる人の中には,田舎に引っ越したいと思っている人も少なくない数,いるのかもしれないけれど。

● 田舎に住んで,たまに東京に出る。その東京体験はけっこう贅沢なものになる。
 といって,東京に住むのはどうもね,とは思っていない。住む機会があれば住んでみたいものだ。
 が,東京で働きたいとは思わないね。それだけはイヤだ。何がいやかといえば,通勤時の電車だ。あれに毎日乗ることの消耗を考えたらね。東京で働いている人たちは偉いと思う。

● 8日から今日まで,上野の藝大の大学祭(藝祭)が開催中。今まで二度ほど行ったことがある。もっぱら音楽の方なんだけど,さすがは藝大で,藝大版ジュルネといいたいほどにメニューが豊富だ。
 けど,整理券が必要だったり,抽選で入場できるかどうかが決まったり,手続きが面倒になった。それだけ人気があるということ。
 ただね,それが面倒なのと,ロートルが紛れこんでは申しわけないと思うのとで,しばらく行っていない。今年も結局,見送ることにした。

● で,東京は錦糸町,すみだトリフォニーホールに参りましたよ,と。グローバル・フィルハーモニック・オーケストラの定期演奏会。ぼくは初めて拝聴する。
 毎度の感想だけれども,東京のアマチュアオーケストラの層の厚さを痛感する。これ,ただものじゃない。田舎に住んでいると,ホントそう思う。
 人口も大学も経済も文化も東京に集中しているからだと頭ではわかるんだけど,その頭を越えて圧倒される思いがする。

● 開演は午後1時半。チケットは2千円。当日券を購入。
 曲目は次のとおり。指揮は三石精一さん。
 R.シュトラウス 交響詩「ドン・ファン」
 R.シュトラウス 交響詩「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」
 サン=サーンス 交響曲第3番「オルガン付き」

● シュトラウスの2曲は木管が活躍する。オーボエ,フルート,クラリネット,ファゴット。それぞれ凄いんですわ。
 弦もそうなんだけど,音大出が相当いるんでしょうね。あるいは音大ではなくても,○○大学の△△学部ではなくて○○大学管弦楽団の卒業生だ,というような人。

● ぼくごときがこの演奏に対して,あそこで小さな事故があったとか,終曲のところでやや足並みが乱れたとか,やれ縦の線がどうのっていうのは,チャンチャラおかしい。われながらそう思う。
 もともとパワーがあるプレイヤーが,心をこめている。その結果として生まれる演奏に,多少の事故など疵にもならない。そういうものをはね飛ばすだけの,何というのか,ギュッと詰まった高密度な演奏だったと思う。

● 指揮者の三石精一さん。東大オケの演奏会をはじめ,三石さんの指揮には何度か接している。
 85歳になる。客席から見る分には,とてもその年齢には見えない。まだ60代なのじゃないかと思える。
 暗譜で指揮をし,身体は柔らかく十全に動く。動作も敏捷。舞台袖を往復するときの表情の豊かさも印象的(指揮中の表情は見えないわけだけども)。
 演奏家や指揮者に長命な人は多いし,高齢になっても現役で活躍している人も少なくないから,そのこと自体には格別驚くこともないんだけれども,三石さんはルックスが若い。いわゆるひとつの奇跡を見ているような気分になった。

● もうひとつ。プログラム冊子で三石さんの経歴を見て,羨ましいと思うことがあった。芸大の指揮科一期生。しかも,指揮科の学生は三石さんただ一人。つまり,上がガラガラに空いているから,スイスイと上がっていけた。
 今の若い指揮者は空きがないから,食べていくための労働量が,三石さんの頃とはだいぶ違うのじゃないかと思う。
 もちろん,上に重石がないという理由だけじゃなくて,三石さんの才能や資質が与って力あったんだろうけれど。

● コンサートホールで婆さまの集団が隣に来た。婆さまに限らないんだけど,女の集団というのはねぇ。
 あとから来る人のために席取りをする。あとから来た人を見つけると,大きな声で呼びかける。○○さん,こっちこっち。うるさい。べつに固まって聴かなくてもいいじゃないか。

2017年8月31日木曜日

2017.08.26 山形由美&金子鈴太郎 デュオ・コンサート

那須野が原ハーモニーホール 大ホール

● 開演は午後2時。チケットは3千円。当日券を購入。全席指定。前から2列めの席がひとつ空いていたので,そこにした。

● 金子さんの演奏は,ここ那須野が原ハーモニーホールで何度か聴いている。毎年,大晦日に上野の東京文化会館で,ベートーヴェンの全交響曲を演奏する催しがある。その2011年の演奏会にも出ていたと思う。
 山形さんのフルートを聴くのは初めて。もちろん,名前は知っていましたよ。昔,NHKの「連想ゲーム」のレギュラー解答者だった。美貌は今も健在。
 彼女がMCを務めた。声も若い。NHKがレギュラーに起用したのもむべなるかなと思えるほどに,声質も柔らかい。

● その山形さんのMC宜しきを得て,和やかな雰囲気のコンサートになった。聴く側の程度をわきまえてか,曲や作曲家について丁寧に説明していた。
 金子さんもきちんと協力して,盛りあげに努力。彼の声もいいんでした。羨ましいね,声質のいい人。

● プログラムは次のとおり。
 エルガー 愛の挨拶(山形 金子)
 マレ ラ・フォリア(山形)
 バッハ 無伴奏チェロ組曲より(金子)
 モーツァルト 5つの二重奏(アレグロ,アンダンテ,メヌエット,ポロネーズ,アレグロ)(山形 金子)

 マスカーニ 「カヴァレリア・ルスティカーナ」間奏曲(山形 金子)
 ドヴォルザーク ユモレスク(山形 金子)
 カサド 無伴奏チェロ組曲(金子)
 ピアソラ タンゴエチュード第4番(山形)
 ピアソラ 「タンゴの歴史」より「ボルデル」「カフェ」(山形 金子)

● 山形さんは声だけじゃなくて,フルートも柔らかい。もちろん柔らかいだけではないんだけど,柔らかさが際立って目立っていたように思う。
 柔らかく歌うという感じ。だから,「カヴァレリア・ルスティカーナ」の間奏曲なんかはピッタリはまるんでしょうね。

● 金子さんのカサド「無伴奏組曲」を聴けたのは収穫。数年前に趙静さんの演奏で同じ曲を聴いているんだけど,今回の方がくっきりした印象。
 陳腐な表現を許していただければ,途中から鳥肌が立ってくるような按配だった。ステージの近くで聴けたからっていうのもあると思うんですけどね。

● アンコールでも客席サービス。ヴェルディ「乾杯の歌」。
 無条件で盛りあがる。山形さんのフルートは存分に(しかし,きちんと抑制を効かせて)歌ってたんでした。

那須野が原ハーモニーホール
● 最初からオヤッと思うことがあった。金子さんの前に置かれた譜面台がいやに小さいのだ。これで楽譜が載るんだろうか。といっても,たしかに載っているんですよね。
 それが紙の楽譜ではなくてiPadだと気づくのに,しばらく時間を要した。あとで,自身がそれについて語った。譜めくりはずっと原始的なやり方だった,何とかできないのかと思っていた,と。iPadはそれを革新したらしい。
 BT接続の小さなペダルがあって,それを足で踏んでページを送る。

● 演奏前にiPadを満タンに充電しておく必要があるでしょうね。途中でバッテリーが切れたら大ごとだ。
 BT接続にも一抹の不安が残ると思うのは,大きなお世話ですかね。スマホにBT接続のキーボードをつないで使ったことがあるんだけど,けっこう断線して,結局使いものにならなかった経験がある。ま,数年前のことなので,今は改善されているのかもしれないけれど。
 演奏会によっては,金子式は許されないことがあるんじゃないかと思いますねぇ。

● その金子さんを紹介するときに,山形さんが「チェロを抱えた回遊魚」という言葉を使った。要するに忙しいらしい。
 自宅で寝れるのは月に2日しかないこともあるという。昨日も松本で小澤征爾さんのサイトウキネン・オーケストラに参加していた。朝一番で松本を出ても今日のリハーサルに間に合わないので,松本から車を運転してきたそうだ。このコンサートが終わったら松本に戻る。

● ぼくの感覚だと車で移動するのは半径100㎞までだ。それ以上になると,電車を使いたくなる。
 ところが,演奏家(指揮者も含めて)っていうのは,車を運転しての移動を苦にしない人が多い印象がある。車を運転するのがクールダウンになるんだろうか。あるいは,一人になってアレやコレやを考えることのできる貴重な時間になるんだろうか。さらにあるいは,たんにかっ飛ばすのが好きな人が多いんだろうか。

● 山形さんは那須に移り住んで,18年目になるそうだ。活動の拠点は東京なんだろうから,たぶん東京で過ごす時間の方が長いのかもしれないけど。金子さんは西那須野町(那須塩原市)の出身。
 というわけで,なかなか大したところだよ,那須。

2017年8月20日日曜日

2017.08.19 宇都宮女子高等学校オーケストラ部 第1回演奏会

宇都宮市文化会館 大ホール

● 宇女高オーケストラ部は,毎年,宇都宮高校と合同で「第九」演奏会を開催している。そちらは何度か聴いたことがある。ので,「宇女オケ」の腕のほどは知っていたつもりだ。
 吹奏楽では多くの高校が年1回の定期演奏会を開催しているのに,なぜ「宇女オケ」はそれをやらないのだろうとも思っていた。「第九」演奏会がそれに代わるものなのかな,と。
 ちなみに,今回の演奏会があることを知ったのは,栃木県総合文化センターに置かれていたチラシを見たから。

● 創部は昭和48年らしい。2管編成だったそうだから,総勢50人程度だったか。それが,現在の部員は113人。
 在校生の数は,現在の方が当時よりだいぶ少ないはずだ。113人というのは驚きの数だ。

● 開演は午後2時。入場無料。
 3部構成で,曲目は次のとおり。指揮は顧問の菊川祐一さん。

 ビゼー 歌劇「カルメン」より“第1幕への前奏曲” “ハバネラ” “ジプシーの踊り”
 マスカーニ 歌劇「カヴァレリア ルスティカーナ」間奏曲
 ワーグナー 歌劇「ローエングリン」より“第3幕への前奏曲” “エルザの大聖堂への行列”

 久石譲 千と千尋の神隠し“スピリティッド アウェイ”
 すぎやまこういち 「ドラゴンクエストⅠ」より“序曲”
 ディズニー・ファンティリュージョン!
 ウィリアムズ 組曲「スターウォーズ」よりメインタイトル

 モーツァルト アイネ クライネ ナハトムジーク(第1楽章のみ)
 バッハ 主よ人の望みの喜びよ
 ショスタコーヴィチ 交響曲第5番ニ短調(第4楽章のみ)

● 「カルメン」で1番目の山を作って,次にマスカーニの間奏曲,そのあとがワーグナーという,“動-静-動”の対比も効果があったと思うんだけども,それ以前に演奏の説得力でしょうね。
 「カルメン」の前奏曲が始まったその刹那に,客席をしてステージに注意を集中させるだけの力があった。

● 目隠しをして聴けば,演奏しているのが高校生だとは思うまい。完成度が高いというんだろうけど,成熟している感じを受けた。大げさにいえば,王者の風格というやつ。
 余裕があるように見える。本当はこんなものじゃないんだけど,今日はこのくらいにしておこうか,という。
 実際にはそんなことはないんだろう。いっぱいいっぱいの演奏なのだろう。が,そうは感じさせないところがある。

● 真剣さはビシビシと感じる。緊張感を持ってやっている。
 その上を,薄い皮膜1枚ではあるのだけれども,余裕が覆っている。それが華やぎを生んでいる。この華やぎは女子校だから生まれているわけではない(と思う)。

● 安定感がある。危なげがない。そこのところが高校生らしからぬという印象になる(こちらの高校生観が古いのかもしれないが)。らしからぬと言ってはいけないのかもしれない。高校生離れしていると言い直そうか。
 ヴァイオリン奏者を見ていても,オズオズと弾いている生徒はいないようだった。経験者ばかりを集めているわけではあるまいと思うのだが,ひょっとすると全員が経験者なのだろうか。

● 第2部は「千と千尋の神隠し」から。管と打楽器(とコントラバス)だけの吹奏楽バージョンで演奏。
 中学校で吹奏楽をやっていた生徒さんもかなりいるんでしょうね。完全に吹奏楽になっていたから。

● 次の曲からは弦も加わった。「スターウォーズ」は迫力のある演奏だった。
 こと管弦楽に関していえば,奏者が男か女かは基本的に演奏に影響しないね。奏者が全員女子でも,いくらでも力強さは表現できる。
 いや,女はもともと強いじゃないか,という意見もあるかもしれないんだけどさ。

● 第3部はショスタコーヴィチに尽きる。しかも,5番。
 この曲は曲調の変化がめまぐるしい。そこに当時のショスタコーヴィチが余儀なくされていたギリギリ感を読もうと思えば読めなくもない。
 しかし,それは全楽章を通して聴いた場合の話であって,第4楽章だけでは・・・・・・。

● ステージ上の彼女たちなら,全楽章やれと言われれば,苦もなくかどうかはわからないけれども,やってのけるだろう。が,今日のこのプログラムで全楽章の演奏を望むのは,ないものねだりというものだ。
 演奏も解釈もかなり難易度の高い(と思われる)この曲を,よくもまぁ取りあげたものだと思う。チャレンジだったはずだ。

● ひじょうに唐突なんだけれども,今回のこの演奏を聴きながら,過去に二度ばかり聴いたことがある早稲田大学交響楽団の演奏を思いだした。大学オケではたぶん最右翼に位置する早稲オケをなぜ思いだしたのか。
 理由はわからない。テイストが似ていると感じたんだろうか。先に書いた「余裕」が共通項ではある。短期間でどんどんレパートリーを増やしていけそうだと思わせるところも共通している。

● アンコールが3曲あった。ヴェルディ「乾杯の歌」のサプライズも楽しかったけれども,「情熱大陸」はさらに面白かった。
 「情熱大陸」を管弦楽で聴くのは初めてだったせいもある。この曲はアンコールに向いているね。盛りあげて締めるのにピッタリだ。

● すべてが終わったあと,奏者である淑女たちが,ステージで解放感と達成感を躊躇なく身体で現していた。
 その様子を見て,なにがなしホッとした。あ,やっぱり高校生なんだと思えて。

● 来年以降もこの演奏会は継続されるのだろう。栃木県内で開催されるオーケストラ演奏にこの楽団のそれが加わるとなると,幅に厚みがでる。
 そう思わせるだけの存在感は今日,示したのではないか。本格派オーケストラのデビューに立ち会えた満足感がある。

2017年8月17日木曜日

2017.08.12 鹿沼市立東中学校オーケストラ部 第18回定期演奏会

鹿沼市民文化センター 大ホール

● 第14回15回17回と聴いている。今回は4回目になる。だから,レベルの高さはわかっている。全国でもトップ水準にあることも知っている。
 知りたいのはその理由だ。

● 小学生のうちから楽器をやっている子を集めている,というわけではない。公立の中学校なんだから,そんなことはできるはずもない。その前に,楽器をやっている小学生がオーケストラが成立するほどに多くいるとは思えない。
 才能のある子をスカウトしているというのも,同じ理由であり得ない。

● 才能や経験に差がないのだとすれば,考えられる理由は2つしかない。ひとつは教授法が優れていること。もうひとつは,練習の質と量が他校に勝っていること。
 しかし,斬新な教授法が存在するとも思えない。泥臭いやり方以外のやり方は,たぶんない。
 唯一,考えられるのは,顧問の先生の熱が高いという可能性だ。熱に生徒が吸い寄せられる,四の五の言わずに言われたとおりに練習する,そういう可能性。
 それでも,理由としてはまったく足りない。つまり,わからない。

● 場の磁力のようなものがあるのかもしれない。長年の間に全国を狙える場ができていて,そこに集ったメンバーを底上げするといったような。
 場の力は間違いなくある。まるで関係のない例になるけれども,栃木県内だと高級旅館,ホテルは那須にしかない。「山楽」しかり,「二期倶楽部」しかり(ちなみに,ぼくはどちらにも行ったことがないのだが)。
 近くに御用邸を抱えるからだ。しかし,御用邸がなぜ那須のあの場所にできたのか。場の力だとしか言いようがない。

● 旅館にしてもホテルにしても,“高級”は単体では成立しない。贅を尽くした建物を作り,いい食材を仕入れ,腕利きの料理人を雇い,スタッフにも細かく研修をほどこす。
 それだけでは,おそらく,“高級”はできない。そういうこととは別の何かが要る。その何かとは何か。場の力だと考えるよりほかにない。

● そうした場というのが,この中学校にもあるんだろうか。
 地面の「場」なら,多少の災害や景観の変化があっても持続しそうだ。が,人を育てる「場」はそういうわけにはいかないだろう。少し油断すると,崩れ始める。脆いものだろう。
 その場を持続的に「場」たらしめているものがあるはずだ。だから,場の力だと言っただけでは答えになっていない。

● さて。観念の遊戯は以上で終わり。
 開演は午後2時。入場無料。プログラムは前半が,金管,木管,弦のアンサンブル。後半が全体(オーケストラ)の演奏。

● まず,金管。
 管弦楽の場合,旋律を奏でるのはどうしたって弦になるわけで,金管はバックに控えて,盛りあげ役を担当するものというイメージがある。ベートーヴェンの5番では,トロンボーンなんか4楽章まで放っておかれるし。かといって,ラッパなしで管弦楽は成立しようもないんだけど。
 もう少し,金管とはこういうものだっていうのを知りたいと思うことがある。ときどき,吹奏楽を聴きにいくのは,そんな理由もあるのかなと自分で思っている。

● 曲目は次のとおり。
 宮川泰 宇宙戦艦ヤマト
 ロジャーズ 私のお気に入り
 福島弘和 てぃーちてぃーる

● 初めて聴いた「てぃーちてぃーる」が,やはり印象に残った。金管8重奏。「沖縄民謡をジャズ調にした楽曲」らしい。「てぃーち」はひとつという意味で,「てぃーる」は手提げのカゴやざるのこと。
 が,あまりジャズっぽさは感じなかった。万華鏡を覗いているような,次々に景観が変わっていく様,表情の変化が印象的だ(それをジャズっぽさというのか)。

● 次が木管アンサンブル。曲目は次のとおり。
 ダンツィ 木管五重奏曲より第1楽章
 ヒンデミット 小室内楽曲より第4,5楽章
 久石譲 となりのトトロ

● う~む,この演奏を中学生がやっているとは,どうにも信じがたい。信じがたいといったって,現に目の前で演じられているわけだから,こちらのモノサシを替えるしかないわけだが。
 レガートという言葉を思いだす。なめらかに,という。そのレガートを実際の演奏に翻訳すればこうなる。
 誰でも知っている(聴いたことのある)「となりのトトロ」のような曲で,それが如実にわかる。

● ただ,この曲に合わせて歌いだしちゃった男の子がいてね。しょうがない,これは屋内運動会でもある。
 演奏する側とすれば,乗ってくれて逆に嬉しいかもしれないしね。

● 弦楽合奏。ヴィヴァルディの「四季」から「春」と「秋」のそれぞれ第1楽章。チャイコフスキー「弦楽セレナーデ」の第2,4楽章。
 このレベルの高さは,中学生という枠を外しても,県内屈指といっていいだろう。

● 技術的な正確さに加えて,(使いたくない言葉だが)芸術性が乗っている。
 芸術性というのは恣意的に使われるしかない言葉でしょ。あまり頭の良くない人が思考停止になったときに使う語彙だと心得ている。
 だから,何とか別の言葉で言い換えてみたいんだけど,まず,楽譜を読み込んでいるように思われる。楽譜の細部を拾っているといいますか。
 拾った結果を自分に引きつけている。あるいは,自分を通過させて濾過している。それを音に換えている。

● 以上を要するに,解釈がしっかりしている。解釈というのは,豊富な人生経験を積まないとできないものではないらしい。
 人情の機微がわかり,男女の情愛も経験し,酸いも甘いもかみわけ,見るべきほどのものは見つ,というバックグラウンドは必ずしも必要ないようだ。中学生のこの演奏を聴いていると,そう思わざるを得ない。
 多くの楽曲については,すでに解釈が確立していて,その確立されているものを再現すればいいということなのかもしれないけれど。

● 休憩をはさんで,後半はオーケストラ。
 ワーグナー 楽劇「ニュルンベルグのマイスタージンガー」より第1幕への前奏曲
 チャイコフスキー 組曲「眠れる森の美女」より「ワルツ」
 ファリャ バレエ音楽「三角帽子」より「粉屋の踊り」「終幕の踊り」
 ホルスト 組曲「惑星」より「木星」

● 第1音でワーグナーの世界を彷彿させる。あとは曲についていくだけ,って感じ。ぼく程度の聴き手がああだこうだと言う話ではない。
 1stヴァイオリンはツートップ。最初にコンマスを務めた男子生徒のただ者ではない感が好ましい。熱でオケを引っぱる。
 対して,後半にコンミスを務めた女子生徒は理で引っぱる。もちろん,以上は象徴的に言えばという話である。

● これ以上アレコレと申しあげるのは無礼であろうから,駄弁を弄するのは以上にとどめる。
 これで6日の鹿沼高校,昨日の西中学校と続いた,“鹿沼3部作”のすべてを聴けたことになる。こんなことは数年に一度あるかないかだろう。

2017年8月12日土曜日

2017.08.11 鹿沼市立西中学校管弦楽部 第27回定期演奏会

鹿沼市民文化センター 大ホール

● 鹿沼西中管弦学部の定演を拝聴。開演は午後2時。入場無料。
 西中学校の演奏を聴くのは,これが3回目。第23回第25回を聴いている。つまり,1年おきになっている。意図してそうしているわけではなく,偶然の結果。
 平日開催のときにはなかなか行けないわけで,たぶん,そうした事情によるものだと思う。

● プログラムは前半が室内楽的アンサンブルで,後半がオーケストラ演奏。
 まずは,1年生による「聖者の行進」。3年生の管がアシストに入った。その結果どうなったかというと,管の音しか聞こえてこなかった。弦が消されてしまった。
 ま,でも,これは仕方がないか。さすがにオズオズと弓を動かしている気配があった。これからどんどん巧くなっていくのだろう。この年齢の子たちの上達速度は,ぼくらの予想を上回るものだから。

● 2年生による木管三重奏。ジョプリン「エンターテナー」。2年生になると,これだけの安定感が生まれてくるんですねぇ。
 まだ生硬さはあるけれど,1年間でここまでの水準に到達できるという,歴然たる実例。

● 次は2,3年生による弦楽合奏。パッフェルベル「カノン」。これはしっとりと聴かせる曲。この曲のファンは多いに違いない。
 やはり硬い感じはする。もっとふくらみやふくよさかがあればな,とは思う。妙にとんがってる感じも受けた。
 しかし。中学生がここまで弦楽器を操る。その事実は知っておくべきだろう。

● 2,3年生による金管五重奏。メンケン「美女と野獣」。両端のホルンの女子生徒に注目。

● 3年生による木管五重奏。ここでもメンケン。「アンダーザシー」と「パートオブユアワールド」。
 木管五重奏になぜホルンが入っているか。その理由を演奏が教えてくれる。ホルンの音色は木管に合うというか,木管に近いというか。柔らかくて伸びやかな音なんだよねぇ。つまり,ここでもホルンの女子生徒に注目。
 ぼくはホルンが好きなのかもしれない。だものだから,肩入れしてしまうのかも。

● 弦楽合奏。ヴィヴァルディの「四季」から「春」。この曲はポピュラーだから,誰もが評論家になれる。
 メロディーを奏でるのはヴァイオリンだけれども,低弦部隊が下からキチンと支えていればこそだ。その低弦部隊がしっかりしている。

● 次も弦楽合奏。グリーグ「ホルベルク組曲」。演奏したのは「前奏曲」だったか。
 どんどん調子が上がってきている感じ。流れがよくなっている。なめらかな演奏だ。この後,もう一度「春」を演奏してみてくれないかと思った。

● 管楽合奏。タケカワヒデユキ「銀河鉄道999」。お見事。演奏しているのが中学生であることを忘れる。

鹿沼市民文化センター
● ここで休憩。後半はオーケストラの演奏となる。まずは,ウェーバーの「オベロン」序曲。
 全体は部分の総和を超える。これ,“複雑系の科学”の基本テーゼらしい。そのことを思いだした。
 前半のアンサンブルを全部足しても,この管弦楽にはならない。部分の総和を超えている。そこがまた,オーケストラの妙でもあるのだろう。

● それこそ,ふくらみがある。ふくよかでもある。空気をたっぷり孕ませた生ハムのようだっていうか。
 どうもたとえが適切ではないかもしれないけれど,空気を孕ませてお皿に載せた生ハムは,スーパーで売ってる状態の生ハムより断然,旨そうに見える。実際,旨い。

● ステージで演奏している中学生が,紳士淑女に見えてきた。特にヴァイオリン。
 コンミス,かっこいい。ただ,1stの最も客席に近い列に並んでいる女子生徒4人は,誰がコンミスを務めてもおかしくない感じがする(実際,曲ごとにコンミスは替わった)。
 部活だけでここまでになれるんだろうか。部活のほかに個人レッスンを受けていたりするんだろうかねぇ。鹿沼ジュニアフィルの活動もやっているんだろうから,まぁ,部活だけってことはなさそうなんだけどねぇ。

● 次は「ジブリ・メドレー」。ジブリの曲に駄作なし。それをメドレーにしているわけだから,曲としては鉄板のはず。
 オーボエで一人気を吐いている男子生徒がいた。彼,1週間前の鹿沼高校の演奏会にも出ていたな。OB君だね。ここでは,そのOB君が最も目立っていた。

● ロッシーニの「セビリアの理髪師」序曲。金管の見せ場が多い。ヴィオラにも達者な奏者がいたようだ。気づくのが遅くてごめん。

● 最後は,ベートーヴェンの5番。演奏したのは第1,4楽章のみ。奏者も曲に乗って演奏するところがあるのじゃないかと思う。おそらく全楽章を演奏する方がやりやすいのではないか。が,それは6月のジュニアフィルでやってるもんな。
 ここでオーボエの1番を担当したのは,先のOB君ではなくて,(たぶん3年生の)女子生徒だった。そのオーボエが役割をきちんと果たし,フルートも演奏を引き締めた。

● アンコールの「カノン」も含めて,後半のオケ全体の演奏はどれも聴きごたえがあった。
 演奏しつつ場に慣れるということがあるのかもしれない。尻あがりに良くなってきた感があった。

● ただひとつ,惜しむらくは客席。
 この演奏会は一般公開ではあるものの,基本は校内行事なのだろう。客席にいるのは主に保護者だと思われる。校内行事であれば,客席が屋内運動会的なものになるのは致し方がないのかもしれない。
 自分の方が闖入者なので,そこのところをあまり非難する資格はないのだが。

● 動き回る幼児を放置したり,演奏中に入ってきて,空いている席にすぐに座らず,場内をウロウロしたりっていうのは,まぁ,仕方がないとしよう。
 けれども,フラッシュ撮影は,フラッシュ撮影だけは,どうにかやめさせる手だてはなかったものか。あれはステージで演奏している生徒たちへの冒涜で,自分の子どもだったら冒涜してもいいのか,という話になる。
 と言うと,少々以上に大げさになるのかもしれないけれども,演奏が素晴らしかっただけに,この点だけが惜しまれる。

2017年8月7日月曜日

2017.08.06 鹿沼高等学校音楽部管弦楽団 第22回定期演奏会

鹿沼市民文化センター 大ホール

● この年代の若者たちでなければ表現できない「一所懸命」がある。20代や30代の人間が同じようにやっても,こうはならないっていう。
 「その場」にとどまることを許されず,駆け去っていかなければならない若者たちが,それでも石の台座に鉄筆で刻むようにして,「その場」に残そうとする「一所懸命」。

● 彼らは今にしか存在できない。明日の彼らは今日の彼らではない。別の人になっている。
 そう思わせるほどに成長(あるいは変化)の速さをビルトインされた年齢の若者たちが漂わせる,あわいのようなもの。はかなく,哀感にも通じるもの。
 日々,「死と再生」を続けて行かざるを得ない疾風怒濤の渦中にあって,それでもなお,「その場」にとどまろうとする「一懸命」。
 その「一懸命」がステージから客席に向けて,次々に押し寄せる。息苦しくなるほどに。

● もちろん,台座もろとも流されるしかない。どうやったって,それを止める手だてはない。
 生々流転。その流れが最も速い年代に置かれた若者たちだ。激流に翻弄される。それ以外,何ができるだろう。

● そうした若者たちのあわいやはかなさが,音楽という表現形態の一回性,瞬時性と,ぴったり重なるようだ。
 音楽もまた生まれた瞬間に消えていく。そのことを先鋭に知らしめる演奏だった。

● この楽団の定演は過去に一度聴いている。2009年の第14回。以後,8年も遠ざかっていたのは,今回のようなインパクトをそのときは受けなかったからだと思う。
 おそらくは,こちら側が聴き手として今よりさらに未熟だったからだろう。申しわけのないことだった。

鹿沼市民文化センター
● 以上で感想は尽きている。したがって,以下はまったくの余談。形作りにすぎない。

 開演は午後1時30分。入場無料。
 開演前にロビーコンサートも行われた。これは聴いたような聴かなかったような。
 っていうのはですね。JR駅から会場まで歩くわけですよ,この炎天下を。タクシーに乗るほど偉くないし。
 途中にあるコンビニで二度,休憩した。寄る年波ってことでしょうね,会場に着いたときには疲労困憊。ということで,まぁ。

● 曲目は次のとおり。
 シベリウス フィンランディア
 ミュージカルメドレー=オペラ座の怪人,サウンド・オブ・ミュージック,レ・ミゼラブル
 外山雄三 管弦楽のためのラプソディ
 プロコフィエフ バレエ音楽「ロメオとジュリエット」から,第1,2,5,6,7曲

● 特に記憶に残ったものをどれかひとつ選べと言われたら,「フィンランディア」か「オペラ座の怪人」かで悩むところなんだけど,「フィンランディア」かな。
 金管による最初の一音で,ガッと聴衆を鷲掴みにした。楽譜の然らしめるところでもあるわけだけど,演奏の妙にもよる。特に,トロンボーンが印象的。ここが決まれば,あとは一気呵成。

● 「オペラ座の怪人」は楽譜どおりにメリハリを付けるのが,なかなか大変なのじゃないかと思う。それがメリハリの細かいところまで,ほぼ完璧。小さな事故は愛嬌というものだ(事故にまでは至っていないか)。
 「オペラ座の怪人」っていい曲じゃん,と教えてくれる演奏だった。吹奏楽を含めて,この曲は何度か聴いているんだけど,今回しみじみいい曲だと思った。

● 「管弦楽のためのラプソディ」はソーラン節や八木節などの民謡をつなぎ合わせたもの。民謡を取り入れるっていうのは,マーラーもやってるし,ドヴォルザークもやっている。わりと多く見受けられるものだ(と思う)。
 しかし,ここまでのものはあまりないでしょ。アレンジとかオーケストレーションにオリジナリティがあると言われれば,それはそのとおりなんだろうけど,それを「作曲」といってはいけないのじゃないか。

● 印象に残った奏者が3人いた。チューバをしっかり支えていた女子生徒。1番フルートを担当した,これも女子生徒。それから,奏者としての所作が美しかったコンミス(当然,女子生徒)。
 ヴァイオリンを担当していた生徒が途中でパーカッションに回るとか,臨機応変の対応もあった。高校の管弦楽ではわりとあることなんでしょうね。8年前の定演でも,同じことがあった記憶がある。

● ぼくの知る限り,栃木県内の高校で吹奏楽ではなく管弦楽部を有しているのは,この鹿沼高校のほかに,宇高,宇女高,栃女高,足利高,足女高,合わせて6校にとどまる。その中でも,鹿沼高校と宇女高がおそらく双璧なのではないか。
 中学校で管弦楽部があるのは鹿沼市内の西中と東中のみ。その西中と東中から優秀な経験者を集めることができる,地理的な優位性を鹿沼高校は持っている。
 のだろうと思ったんだけど,プログラム冊子の部員名簿を見ると,両中学校の出身者は3分の1に過ぎない(といっても,弦に限ればさすがに割合はもっと高くなる)。鹿沼からひと駅電車に乗れば,そこは宇都宮だからね。ゴッソリかき集めるというわけにはいかないようだ。

● 大人の市民オケに混じったとしても,鹿高オケが埋没することはないように思う。
 6月に鹿沼ジュニアオケの演奏を聴いたときに,鹿沼は栃木県の音楽活動のセンターのひとつなのだと思った。今回,いよいよその感を深くした。