2009年6月30日火曜日

2009.06.30 間奏2:聴き方の変遷

● 音楽がこんな感じで自分の生活の一部になるとは思ってなかった。ぼくの興味・関心が変わってきたというより,ハード・ソフトの技術まわりの進歩の恩恵を受けているというのが実情に近い。

● 昔,レコードをレコードプレーヤかステレオで聴く時代,だったらこうはならなかったと思う。レコードじたいが贅沢品だったし,そんなにたくさん買い集めることはできなかった。
 プレーヤーがある部屋で聴くしかなかった。音楽を聴くための時間をわざわざ作らなくてはならない。音楽は謹んで聴くものだった。
 第一,レコードって高くて,滅多には買えないものだったからね。

● ラジカセが出たのは大きかった。30年以上も前の話ですね。FMが放送する音楽をノイズなしにカセットテープに録音できるようになった。FMラジオを音源にすることができるようになった。

● そして,ソニーのウォークマンの発売。場所を選ばず音楽を聴けるようにした画期的な商品だった。が,食指が動かなかった。
 外で音楽を聴くという習慣が(その時点では)なかった。外で音楽を聴く自分を想像できなかったから。音楽を聴くこと以前に外でやることはたくさんあると思っていた。

● レコードからCDに変わった。CDウォークマンやCDラジカセも出た。CDをレンタルする店が現れた。CDを借りてCDラジカセでカセットテープにダビングする。ここでまた音源が大きく増えた。コレクションが作りやすくなった。
 しかし,この時点でもぼくはあまり動かなかった。つまるところ,当時の音楽への興味はその程度だったんですね。

● 2001年にiPodが発売された。当初の予想を覆してiPodは世界を席巻した。コレクションのすべてを持ち歩けるってのは,これほどまでに快適なものだったのか。
 テープにしろディスクにしろ,1時間足らずしか持たない。別な曲を聴きたければ,テープやディスクを入れ替えなければならない。些細なことながらこれが煩わしい。iPodはそれを無用にした。

● iPodはパソコンを介して使うものだから,iPodの以前にパソコンが普及している必要があった。ハードディスクの小型化・軽量化,CDの音楽データを吸いあげて,音質を損なわずにその容量を圧縮する技術(もちろんまったく損なわないわけにはいかないが,ぼくの耳だとほとんど判別できない)など,デジタル技術の進展が背後にあって,初めて可能な変化だ。
 そのおかげで,コレクションのすべてを持ち歩けるようになったのだし,温度や使用頻度によって延びてしまうこともあるカセットテープから解放されたのだ。

● iPodを管理するためのソフトがiTunes。iTunesがあれば,iPodを持っていなくてもパソコンで音を鳴らすことができる。ワープロや表計算を使いながら,BGMがわりにモーツァルトを聴くことができるようになった。
 しかも,画面をクリックした後は何もしなくていい。3時間でも4時間でもパソコンからモーツァルトの楽曲が流れてくる。ぼくにとっては,これが最も大きな画期になった。

● 画期になった理由があとひとつ。1時間のCDをカセットテープにダビングするには1時間を要する。CDのデータをパソコンに吸いあげるのをダビングと呼ぶとすれば,デジタルはダビングに要する時間も大きく短縮した。

● オペラやバレエなどもDVDで見ることができるようになっている。音楽をCDで聴けるのと同じだけれど,芸術は基本的に一回性のものというか,複製できないものでしょ。
 CDで聴ける,DVDで見れる,それも技術の進歩がもたらしてくれた恩恵であって,その恩恵を享受できるのは幸せというしかないが,生の演奏や演技に接することで得られるゾクゾク感はCDやDVDでは得られない。

● 音楽(の演奏)や演劇(の演技)は一回性ゆえに,それに接することにはある種の贅沢性,貴族性がある。
 それゆえ,昔だったらぼくのような者が音楽のライブに出かけることなどできなかったはずだ。
 ここでも外部環境に助けられている。あちこちの市町村に市民会館・文化会館と名のつく箱物が建てられ,市民オーケストラが次々に生まれた。演奏活動の裾野が広くなった。
 その果実を味わうことができるようになった。

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