約2時間のコンサートが終了した直後の満足感は,他のものでは代替できません。この世に音楽というものが存在すること。演奏の才に恵まれた人たちが,時間と費用を惜しまずに技を磨いていること。その鍛錬の成果をぼくたちの前で惜しみなく披露してくれること。そうしたことが重なって,ぼくの2時間が存在します。ありがたい世の中に生きていると痛感します。 主には,ぼくの地元である栃木県で開催される,クラシック音楽コンサートの記録になります。
2010年5月31日月曜日
2010.05.26 間奏14:老後が楽しみ
● 車の車検で一日だけ代車で出勤した。いつも車中で聴いている音楽は聴けなかった。けれども,代車にもラジオは付いていて,ちょうどぼくの出勤時間にはNHK-FMでクラシックをかけているのだった。
ぼくの学生時代はクラシック音楽の音源はFMだけだった。もちろんレコードやステレオはあったわけだけど,貧乏学生には手が出るシロモノじゃなかったから。ステレオは何とか買えても,レコードをどんどん買っていくってのがあり得ない状況だった。
ラジカセでFM放送をカセットテープに録音することが,コレクションを増やす唯一の方法だった。
そんなことを思いだしながら久しぶりにFMを聴いたんだけれども,これって意外にいいかも。CDだと自分の好きな音楽しか聴かないことになるけれど,FMなら自分の知らなかった曲も含めて,聴く曲の範囲が否応なしに広がる。すべて自分の意思で制御できる聴き方に比べて,曲との出会いが格段に増えるだろう。その効用は大きいんじゃなかなって。
● 最近は老後を考える。目下の家庭の事情からすると,60歳で悠々自適の生活に移行することは,許されないようだ。若い頃はトットと隠居して悠々自適というか,何もしないで暮らせたらなぁと夢想したものだけどね。
自分の父親を見ててもそう思う。父親は80歳近い。さすがに今では仕事もできなくなっているが,気持ちはまだまだ若い。
悠々自適というのは,その基盤が脆弱たらざるを得ないように思う。つまり,生活の舞台がひとつしかないわけだから,どうしたって不安定になる。仕事をしていれば,少なくとも2つの舞台を確保することができる。家と職場と。その方が安定する。
● とはいっても,いつまでも仕事はできない。っていうか,させてもらえない。70歳を過ぎたらどうしようかと考える。
じつは,これを考えるのが楽しい。自分が若い頃に,したくてもできなかったことをやってみたい。
● 楽器の演奏もそのひとつだ。クラリネットかフルートがいい。ヨメは中学生のときに吹奏楽部でクラリネットを吹いていた。が,それが理由じゃない。第一,そのヨメは今では音楽とは無縁の生活だしね。
モーツァルトのクラリネット協奏曲を管弦楽をバックに演奏できたらすごいと思うからだ。夢のまた夢だけど。
っていうかさ,やっぱり楽器はやらないな。聴く時間が減ってしまうもの。
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