2010年5月31日月曜日

2010.05.22 真岡市民交響楽団第43回定期演奏会

真岡市民会館大ホール

● 22日(土)は真岡市民交響楽団の定期演奏会。18時から真岡市民会館大ホール。何をおいても,これだけは行くぞと思っている。大恩があると思いこんでいる。昨年の今月の9日に開催されたこの楽団の定期演奏会がぼくにオーケストラのライブを聴く趣味をもたらしてくれたのだから。
 実際は,たまたま最初に聴いたのが真岡市民交響楽団だったってこと。それだけのこと。ぼくの気持ちの中で着火点は近づいていた。いずれは火が着いたはずだ。
 けれども,そこが縁というものだ。最初に聴いたのが真岡市民交響楽団だった。なぜそうなったのかはどうでもいい。この事実が大きい。

● 今回の曲目はシベリウス「春の歌」,ビゼー「アルルの女 第1組曲」,ブラームス「交響曲第4番」。ブラームスの4番は栃響の演奏で一度聴いているが,あとの2つは初めて聴くもの。
 チケットは5百円。4日前に聴いたN響の10分の1だ。しかし,その価値も10分の1しかないか。そんなことはない。
 そのものの価値は,まわりの状況から隔絶してそれ自体で独立して存在しているものではない。ぼくの耳,鑑賞能力との相関で決まるものだ。自分にとって価値があるかどうかだ。

● 地方の演奏会ではいつも感じることだけれども,どう見ても音楽に縁がありそうには思えないオジチャンオバチャンやオジイチャンオバアチャンがけっこうな数いる。団員の親とか祖父母だったりするのかもしれない。団員にチケットのノルマが課せられていて,家族や親戚に買ってもらっているのかもしれない。
 だからといって,彼らのマナーに問題があるわけではない。おとなしく聴いて,おとなしく帰って行く。子や孫の顔を確認できて満足そうだったりする。

● 小中学生も多い。部活で吹奏楽をやっている子たちだろうか。あるいは団員の子弟でもあるのだろうか。彼らの年齢からオーケストラをライブで聴くことができるなんて羨ましい。ぼくが彼らの頃には,とてもそんな環境ではなかったから(コンサートホールの存在じたいを知らなかった),ジェラシーすら感じてしまう。
 でも,もし今と同じ環境が当時あったとしても,やはりぼくはホールに足を運ぶことはなかったろう。それが容易に想像できることがまた悔しさにつながる。

● シベリウスの「春の歌」。プログラムでも解説されていたが,タイトルから中身を想像すると間違う。
 「アルルの女」は中学校の音楽の時間で聴いたのが最初だ(と記憶する)けど,出だしの勇壮なメロディは一度聴けば忘れるはずがない。
 ブラームスの4番。ステージから醸し出されてくる心地よい緊張感。今年の8月にも東京交響楽団の演奏で聴く予定だ。

● 指揮台のうえに楽譜はない。指揮者は高根沢町出身の佐藤和男氏。氏は暗譜する主義のようだ。
 初めてのライブが佐藤氏の指揮だったから,指揮者はみんなそうなのかと思った。が,ぜんぜんそうじゃないんですな。

● アンコールはビゼー「アルルの女 第2組曲」のメヌエット。ハープとフルートの掛けあい。こういうのを聴くと,自分も楽器を弾けるようになりたいと思う。オーケストラの一員に加えてもらって,ステージに立てたらすごいな。

● これが今年19回目のコンサートになる。回数だけはけっこうすごいでしょ。県内の文化会館や市民会館などのホームページをこまめにチェックしているのと,毎週金曜日の「よみうり栃木」(わが家では読売新聞を購読している)を情報源にしている。
 クラシック音楽関連があれば,ダボハゼのように喰いついている結果だ。たまに東京に出かける。主には「青春18きっぷ」が使える時期に限られるのだけれども。

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