杉並公会堂大ホール
● この日のふたつめはOrchestra HAL。
まったく東京にはどれだけのアマオケがあるんだか。東京に住んでれば毎日音楽三昧で暮らせるねぇ。実際,そうなったらかえって聴かなくなってしまいそうだけどね。
● 開演は午後6時半。チケットは1,000円。曲目はシューベルトの交響曲第4番とドヴォルザークの8番。交響曲2つというあまり見かけないメニュー。
シューベルトの4番を生で聴ける機会なんて,そんなにはないのじゃないかと思う。
● 特徴は団員が若い人たちだってこと。腕は確かで,ひょっとすると自分たちの大学のオケに飽き足らない学生たちが集まっているのかもしれないと思いましたね。
ドヴォルザーク8番の2楽章では,木管のピアニッシモの表現にへぇぇと思い,3楽章では弦の透明感に感心し,4楽章では初っ端のトランペットのファンファーレに驚いた。2つのトランペットがここまで溶けあっているのって,そうそうないように思えたので。
アンコールはドヴォルザークのスラヴ舞曲第2番ホ短調。
● この楽団の指揮者は石毛保彦さん。楽団のホームページによれば,3歳からヴァイオリンを始めたそうだ。しかし,幸か不幸か勉強もできちゃったんでしょう。大学は国立の医大。医者になって10数年働いたんだけど,「指揮者になる夢を棄てきれず」に桐朋学園に入学したとある。現在は音楽活動に専念しているようだ。夢が叶ったってことですよね。
7月に聴いた東京農業大学OBOG管弦楽団の内藤佳有氏もそうなんだけど,傍目には成功したと思われる人生を途中で降りて,音楽の方向に梶を切る人にとっての,音楽の吸引力の強さってのは,ぼくには想像がつかないところがある。
● 医者になりたくてもなれなかった人がたくさんいるに違いないし,東大に入りたくても入れなかった人もたくさんいるはずだ。そういう人から見ると,医者をすてたり東大をすてたりってのは,大いに驚くことなんだけど,それって当事者には関係ないもんな。
自分がやりたいことがほかにあった。自分と環境との間に数ミリか数センチの隙間があって,合わないサイズの洋服を着ているのが我慢ならなかった。そういうことなんでしょうね。あたりさわりのなさすぎる結論だけどさ。
● ひょっとして,傍目には成功に見えても,本人たちにはその仕事がつまらなかったのかなぁ。でもなぁ,仕事ってつまらないもんだよねぇ,普通。そうじゃない? 仕事がつまらなくないっていう人がそんなにいるとも思えないねぇ。
好きを仕事にするったって,仕事にしてしまったら,好きが好きじゃなくなりそうな気がするんだけど。
● でもですよ,そこまでしてでもやりたいことがあったっていうのがね,何かすごいなぁ,と。そういう人って,やっぱり選ばれた人だなと思うんですよ。
自分のことを言っても仕方がないけれども,ぼく,やりたい仕事って別にないもん。可能であれば,何もしないで遊んで暮らしたいもん。
やりたいことがあるってのは,それだけで相当たいしたものなんだよ。たとえばさ,売れっ子の芸能人なんて寝る暇もないくらいでしょ。よくやってるなと思うんだよね。でも,そういうものに私はなりたいと思えているってのは,(なれるかなれないかにかかわらず)たいしたもんですよ。
政治家や官僚になりたいってのもそう。国家権力を握って支配欲を満足させたいのかと言われたりもするけど,そういうものに私はなりたいと思っているのであれば,それはそれでたいしたもの。
● と色々書いたけれども,実際に石毛さんの指揮を見ると,すべてためにする議論だったなぁと思えてきた。石毛さん,幸せそうだったからね。
● ところで,その石毛さん,栃木県の出身なんですね。石毛って名字は,県南,特に足利あたりに多いかなと思うんだけどね。
● 残念だったのは客席があまり埋まっていなかったこと。多けりゃいいってわけじゃないけれど,これほどの演奏だもの,多くの人に聴いてもらいたいね。
ひょっとしてあれか,この程度だったら東京では珍しくもないってことなのか。まさかね。
約2時間のコンサートが終了した直後の満足感は,他のものでは代替できません。この世に音楽というものが存在すること。演奏の才に恵まれた人たちが,時間と費用を惜しまずに技を磨いていること。その鍛錬の成果をぼくたちの前で惜しみなく披露してくれること。そうしたことが重なって,ぼくの2時間が存在します。ありがたい世の中に生きていると痛感します。 主には,ぼくの地元である栃木県で開催される,クラシック音楽コンサートの記録になります。
2012年8月26日日曜日
2012.08.25 NSシンフォニー・オーケストラ第10回定期演奏会
紀尾井ホール
● 25日も東京へ。NSシンフォニー・オーケストラの定期演奏会。「NS」とは「Nippon Steel」のイニシャルで,「団員は新日鐵グループの社員を中心に,その家族,友人,あわせて約60名で構成されて」いるとのこと。
ちなみに,会場の紀尾井ホールを運営しているのが新日鐵文化財団であることも,今回,初めて知った。
● 会場に向かう前に秋葉原で下車。ヨドバシカメラに立ち寄った。といっても,ヨドバシに用があったわけじゃない。ここに「おむすび権米衛」があるものですからね。ここのおにぎりと自販機のお茶。これで朝兼昼食。幸せですよ。
● 四谷駅で降りるのは生涯でたぶんこれが二度目。麹町口を出て,ソフィア通りを歩けば,紀尾井ホールはすぐ。
このあたりは大名屋敷跡で,都内でも屈指の高級地といっていいんでしょうね。隣はホテルニューオータニ。ホテルの宿泊客とおぼしき人たちも含めて,きちんと身なりを整えた人たちが行きすぎる。
暑くないのかねと思うけれども,お洒落の要諦のひとつがやせ我慢であることくらいは,ぼくだって知っている。やせ我慢を通している人は立派だと思う。
● 開演は午後2時。チケットは1,000円。曲目は次のとおり。
ボロディン 「イーゴリ公」序曲
グリーグ ピアノ協奏曲 イ短調
ベートーヴェン 交響曲第6番「田園」
● この楽団のホームページには「様々な技術レベルの人たちがそれぞれのベストで奏でるサウンドを誇りとしています。それがアマチュアの醍醐味ではないかと考えているからです」とある。
そうだよなぁ。プロが上手でアマチュアは下手っていう区分けは,正しいのかもしれないけれども,薄っぺらいと思いますよねぇ。メジャーリーグにはメジャーリーグの,日本のプロ野球には日本のプロ野球の,草野球には草野球の,それぞれの楽しみ方があって,その楽しみ方において,草野球がメジャーリーグに劣るのかって話だよねぇ。
● 上の文章からは,「レベルがバラバラだからね,ちょっとくらいヘタでも勘弁してね」っていうニュアンスを感じることもできるよね。プログラムの団長挨拶にも「ちょっとしたミスは大目にみていただいたうえで」とあった。小さなミスを鬼の首をとったかのように言いたてるヤツがいて,閉口したことがあるのかもしれない。
でもね,実際の演奏を聴いた結果で言うと,ヘタが目立つ人なんていませんでしたよ。
ここはむしろ,「レベルはバラバラだけどね,上の方はセミプロ級だよ,ひょっとするとセミのつかないプロ級かもよ」と言いたいのだと解釈した方がいいのかも。
● 特にね,ベートーヴェンの「田園」はね,大雑把な言い方で申しわけないんだけれども,純度が高いっていいますかね,聴いてるうちに涙が出てきましたよ。時々ね,あるんですよ,こういうことが。
老人性涙腺失禁だろうって? そうかもしれないけどさ,そうだとしてもだよ,この演奏がぼくの脳内の何かを刺激してくれたことは間違いないわけで。つまらない演奏を聴かされて涙が出るなんてないからねぇ。
● 団長挨拶には「会社の人事異動や仕事の都合で思うように人が集まらず,満足な練習ができない場合もあります」ともあるけれど,これ,企業オケの宿命なんでしょうね。
でも,それあればこそこれありで,そうしてできあがった音楽は,淡々とできあがったものより艶めくのではあるまいか。
● 紀尾井ホールはシックかつゴージャスですな。お金がかかっていることがすぐにわかる。
天井が高い。正確にいうと,もっと天井が高いホールはざらにあるけれど,平面が小さいので,その分高く感じるわけね。その高い天井からシャンデリアが6つ,つりさげられている。
機能だけからいえば,なくてもいいものだよね(響きをつくるうえで役にたっていたりするのか)。ムダといえばムダ。でも,ムダの効用ってあるもんね。
● ムダっていえば,ステージ正面にパイプオルガンを設えてるホールってありますよね。あのパイプオルガンって,使用頻度からしたら壮大なムダかもよ。
ただね,パイプオルガンって有無を言わさぬ存在感があってさ。神につながるための装置だぞ,音楽はもともと神をたたえるためのものだぞ,文句あるか,っていうね。
ならば,パイプオルガンが実際に使われることがまったくないとしても,それはムダではないともいえるわけでしょ。
まぁね,何をムダと考えるかが人によって違うもんな。デコラティブに対する許容度も人によって違う。しかも,同じ人でもそのときの気分や環境に左右される。十人十色なんてもんじゃない。十人千色といっても足りないくらいだ。
● そもそも音楽を聴くなんてムダじゃないか,君の生活からムダを省きなさいよ,と言われると,反論するのにけっこう難儀しそうだ。ほっといてくれとしか言えなくなりそうだな。
● 25日も東京へ。NSシンフォニー・オーケストラの定期演奏会。「NS」とは「Nippon Steel」のイニシャルで,「団員は新日鐵グループの社員を中心に,その家族,友人,あわせて約60名で構成されて」いるとのこと。
ちなみに,会場の紀尾井ホールを運営しているのが新日鐵文化財団であることも,今回,初めて知った。
● 会場に向かう前に秋葉原で下車。ヨドバシカメラに立ち寄った。といっても,ヨドバシに用があったわけじゃない。ここに「おむすび権米衛」があるものですからね。ここのおにぎりと自販機のお茶。これで朝兼昼食。幸せですよ。
● 四谷駅で降りるのは生涯でたぶんこれが二度目。麹町口を出て,ソフィア通りを歩けば,紀尾井ホールはすぐ。
このあたりは大名屋敷跡で,都内でも屈指の高級地といっていいんでしょうね。隣はホテルニューオータニ。ホテルの宿泊客とおぼしき人たちも含めて,きちんと身なりを整えた人たちが行きすぎる。
暑くないのかねと思うけれども,お洒落の要諦のひとつがやせ我慢であることくらいは,ぼくだって知っている。やせ我慢を通している人は立派だと思う。
● 開演は午後2時。チケットは1,000円。曲目は次のとおり。
ボロディン 「イーゴリ公」序曲
グリーグ ピアノ協奏曲 イ短調
ベートーヴェン 交響曲第6番「田園」
● この楽団のホームページには「様々な技術レベルの人たちがそれぞれのベストで奏でるサウンドを誇りとしています。それがアマチュアの醍醐味ではないかと考えているからです」とある。
そうだよなぁ。プロが上手でアマチュアは下手っていう区分けは,正しいのかもしれないけれども,薄っぺらいと思いますよねぇ。メジャーリーグにはメジャーリーグの,日本のプロ野球には日本のプロ野球の,草野球には草野球の,それぞれの楽しみ方があって,その楽しみ方において,草野球がメジャーリーグに劣るのかって話だよねぇ。
● 上の文章からは,「レベルがバラバラだからね,ちょっとくらいヘタでも勘弁してね」っていうニュアンスを感じることもできるよね。プログラムの団長挨拶にも「ちょっとしたミスは大目にみていただいたうえで」とあった。小さなミスを鬼の首をとったかのように言いたてるヤツがいて,閉口したことがあるのかもしれない。
でもね,実際の演奏を聴いた結果で言うと,ヘタが目立つ人なんていませんでしたよ。
ここはむしろ,「レベルはバラバラだけどね,上の方はセミプロ級だよ,ひょっとするとセミのつかないプロ級かもよ」と言いたいのだと解釈した方がいいのかも。
● 特にね,ベートーヴェンの「田園」はね,大雑把な言い方で申しわけないんだけれども,純度が高いっていいますかね,聴いてるうちに涙が出てきましたよ。時々ね,あるんですよ,こういうことが。
老人性涙腺失禁だろうって? そうかもしれないけどさ,そうだとしてもだよ,この演奏がぼくの脳内の何かを刺激してくれたことは間違いないわけで。つまらない演奏を聴かされて涙が出るなんてないからねぇ。
● 団長挨拶には「会社の人事異動や仕事の都合で思うように人が集まらず,満足な練習ができない場合もあります」ともあるけれど,これ,企業オケの宿命なんでしょうね。
でも,それあればこそこれありで,そうしてできあがった音楽は,淡々とできあがったものより艶めくのではあるまいか。
● 紀尾井ホールはシックかつゴージャスですな。お金がかかっていることがすぐにわかる。
天井が高い。正確にいうと,もっと天井が高いホールはざらにあるけれど,平面が小さいので,その分高く感じるわけね。その高い天井からシャンデリアが6つ,つりさげられている。
機能だけからいえば,なくてもいいものだよね(響きをつくるうえで役にたっていたりするのか)。ムダといえばムダ。でも,ムダの効用ってあるもんね。
● ムダっていえば,ステージ正面にパイプオルガンを設えてるホールってありますよね。あのパイプオルガンって,使用頻度からしたら壮大なムダかもよ。
ただね,パイプオルガンって有無を言わさぬ存在感があってさ。神につながるための装置だぞ,音楽はもともと神をたたえるためのものだぞ,文句あるか,っていうね。
ならば,パイプオルガンが実際に使われることがまったくないとしても,それはムダではないともいえるわけでしょ。
まぁね,何をムダと考えるかが人によって違うもんな。デコラティブに対する許容度も人によって違う。しかも,同じ人でもそのときの気分や環境に左右される。十人十色なんてもんじゃない。十人千色といっても足りないくらいだ。
● そもそも音楽を聴くなんてムダじゃないか,君の生活からムダを省きなさいよ,と言われると,反論するのにけっこう難儀しそうだ。ほっといてくれとしか言えなくなりそうだな。
2012年8月20日月曜日
2012.08.20 間奏23:お読みいただき,ありがとうございます
● このブログ「音楽はライヴで!」のページビューが1万を超えました。お読みいただいた皆さま,ありがとうございました。
● 今年の3月に立ちあげて,半年かかってPVが1万ですから,あまり読まれていないブログってことになるのでしょう。とはいうものの,素材はクラシック音楽のコンサート,しかも栃木ローカル。加えて,ごらんのとおりの雑な文章。
にもかかわらず,読んでくださる方がいるというのが不思議な気もします。もちろん,嬉しいんですけどね。
● ぼくがこのブログで気をつけているのは次の3つです。
・貶さない
・比べない
・無理にほめない
ただし,時々,逸脱していることがあるかもしれません。
● 貶さないのはなぜか。自分の鑑賞力をまったく信じていないからです。この程度でステージ(に立つ人たち)を貶すってのはあり得ないことです。かけ算もロクにできない者が高等数学の話に口をだしちゃいけない。
鑑賞力をどうにか高めたい,レベルの高い鑑賞者になりたい,っていう気持ちも,正直いうとあまりないんです。沖に出て波をとらえるサーファーではなく,波打ち際で水とちゃぷついている幼児でありたいと思うのです。
高遠な考えがあってのことではありません。たんに怠け者だからです。
蛇足を加えれば,たとえば中野雄『指揮者の役割』(新潮選書)なんかを読んでしまうと,今さらぼくなんぞが高みを目指したところで,何も始まらないぞと思っちゃうわけですね。
● 美術というものがぼくにはわかりません。絵画であれ彫刻であれ陶磁器であれ,モノに体化された美というものを理解する能力に欠けています。
はやい話が,あの「モナ・リザ」を美しいと感じたことがないのです(もっとも,本物を見たのは一回だけなのですが)。ルノアールやセザンヌといった印象派の画家たちの作品も同じです。
でも,音楽は違いました。理屈抜きに体の中に入ってくるのです。だから,美術品のすべてが灰燼に帰してしまっても,音楽さえこの世に残ってくれれば,ぼくはべつに痛くも痒くもないのです(音楽だけがあって,他の芸術は存在しないという世界は,まったく想像できないけれども)。
● ぶっちゃけ,人生なんてしょせんは無駄の積み重ね(あるいは,死ぬときまでの暇つぶし)に過ぎないと達観しておくことも必要だと思っています。そのことを心のどこかに留めておいた方がいい(最近,しきりにそういうことを思います。老化現象のひとつかもしれません)。
そのうえで,どうせなら楽しい無駄がいい,面白い暇つぶしがいい,と思うのです。
● 何が楽しいか。何を面白いと思うか。人によって違います。人それぞれです。行きたい方に行けばいいのです。向かいたいところに向かえばいいのです。
ですから,誰もが音楽のライヴに行くべきだと言うつもりはありません。一方で,ぼくの知らない楽しい世界,面白い世界が膨大にあるに違いないのですから。
● でも,どこに行けばいいのかわからないという人もいるかもしれません。そういう方々にお願いです。音楽をライヴで聴くことを選択肢のひとつに加えていただけないでしょうか。
● というような駄文をお読みいただいた皆さま,本当にありがとうございました。
2012年8月19日日曜日
2012.08.18 合奏団ZERO第9回定期演奏会
三鷹市芸術文化センター風のホール
● この日ももうひとつ。三鷹まで移動して,合奏団ZEROの定期演奏会を聴いた。開演は午後6時。入場無料。
● 曲目はメンデルスゾーンの序曲「フィンガルの洞窟」と交響曲第4番「イタリア」。それとベートーヴェンのこれも4番。交響曲が2つ続く重量級の選曲。
合奏団というくらいだから弦は充分な陣容を備えているんだけど,ラッパはホルンとトランペットが2人ずつ。
● 演奏が始まった瞬間に雑念がスーッと消えていって,ステージが紡ぎだす音の流れだけが脳内に存在する状態になった。演奏を聴くことだけに集中できている状態ですね。
これを密かにコンサート禅と名づけているんだけど(っていうか,今思いついたんだけど),この禅定状態に入れるのは,そうしょっちゅうあることではない。こちら側の体調如何もあるけれども,そこはそれ,演奏側の水準に依拠するところが大きい。
● 「イタリア」もズンズンと説得力を持って迫ってくる。弦のうねりが心地いい。木管に破綻がない。いや,破綻がないというレベルではない。
どうせ,上手をエキストラで引っぱってきたんだろうなと思ったんですよ。ところが,あとでプログラムで確認したら,木管・金管はほとんどが団員なのだね。
なんだこりゃと思いましたよ。いったい何者なのだ,あんたたち。好きでやってる素人ですってんじゃないよねぇ。
● ベートーヴェンの4番も,まぁ何と言えばいいのか,見事にベートーヴェンだったとでもいうか。非常に微細に見ればいくつかのミスはあったのかもしれないけれど,聴きごたえ充分。
この反応がぼくに限ったことではないことは,終演後の客席を見れば明らかだった。
● この楽団は,若干の例外を捨象して言えば,オッサン連中と若き乙女たちで構成されている。この辺もミステリアス。
それからね。受付の対応も素人離れしていたっていいますかね,高級ホテルのフロントにいるような錯覚を覚えた。
重ねて問う。いったい何者なのだ,あんたたち。
● 指揮は松岡究さん。オペラの指揮で実績を重ねてきた人なんですね。彼の指揮ぶりも見所のひとつと,偉そうに言っておきましょうか。
● 入場は無料なんだけど,カンパを募っていた。有り金全部置いてくるわけにもいかず,些少な額に過ぎなかったけれども,カンパ箱に入れてきた。
こちらとしては有料チケット制にしてくれた方がありがたいんだけども,そこは諸々の事情を勘案して,楽団が決めればよいことだからね。
● ぼくの隣には,中学生の男の子が座った。ひとりで来ていた。吹奏楽部で楽器をいじっているんだろうか。だとしたら,勉強熱心で偉いぞ。ひとりで来たってのはさらに偉い。群れる必要なんかないぞ。友だちなんてたくさんは要らないものだぞ。その調子で頑張れ,少年。
でも,あれだね。中学生の少年がこうした行動をとれるのも,東京なればこそかもしれないね。東京の強みってあるよなぁ,やっぱり。
● この日,この楽団の演奏を聴いたのは,あくまでタマタマだった。「Freude」なんぞを参考にして,いくつもある演奏会から偶然,選んだに過ぎない。
けれども,ラッキーな偶然でしたね。自分の中の「お気に入り」に追加したのは言うまでもない。次回は来年の2月3日か。何とか都合をつけたいものだ。
● この日ももうひとつ。三鷹まで移動して,合奏団ZEROの定期演奏会を聴いた。開演は午後6時。入場無料。
● 曲目はメンデルスゾーンの序曲「フィンガルの洞窟」と交響曲第4番「イタリア」。それとベートーヴェンのこれも4番。交響曲が2つ続く重量級の選曲。
合奏団というくらいだから弦は充分な陣容を備えているんだけど,ラッパはホルンとトランペットが2人ずつ。
● 演奏が始まった瞬間に雑念がスーッと消えていって,ステージが紡ぎだす音の流れだけが脳内に存在する状態になった。演奏を聴くことだけに集中できている状態ですね。
これを密かにコンサート禅と名づけているんだけど(っていうか,今思いついたんだけど),この禅定状態に入れるのは,そうしょっちゅうあることではない。こちら側の体調如何もあるけれども,そこはそれ,演奏側の水準に依拠するところが大きい。
● 「イタリア」もズンズンと説得力を持って迫ってくる。弦のうねりが心地いい。木管に破綻がない。いや,破綻がないというレベルではない。
どうせ,上手をエキストラで引っぱってきたんだろうなと思ったんですよ。ところが,あとでプログラムで確認したら,木管・金管はほとんどが団員なのだね。
なんだこりゃと思いましたよ。いったい何者なのだ,あんたたち。好きでやってる素人ですってんじゃないよねぇ。
● ベートーヴェンの4番も,まぁ何と言えばいいのか,見事にベートーヴェンだったとでもいうか。非常に微細に見ればいくつかのミスはあったのかもしれないけれど,聴きごたえ充分。
この反応がぼくに限ったことではないことは,終演後の客席を見れば明らかだった。
● この楽団は,若干の例外を捨象して言えば,オッサン連中と若き乙女たちで構成されている。この辺もミステリアス。
それからね。受付の対応も素人離れしていたっていいますかね,高級ホテルのフロントにいるような錯覚を覚えた。
重ねて問う。いったい何者なのだ,あんたたち。
● 指揮は松岡究さん。オペラの指揮で実績を重ねてきた人なんですね。彼の指揮ぶりも見所のひとつと,偉そうに言っておきましょうか。
● 入場は無料なんだけど,カンパを募っていた。有り金全部置いてくるわけにもいかず,些少な額に過ぎなかったけれども,カンパ箱に入れてきた。
こちらとしては有料チケット制にしてくれた方がありがたいんだけども,そこは諸々の事情を勘案して,楽団が決めればよいことだからね。
● ぼくの隣には,中学生の男の子が座った。ひとりで来ていた。吹奏楽部で楽器をいじっているんだろうか。だとしたら,勉強熱心で偉いぞ。ひとりで来たってのはさらに偉い。群れる必要なんかないぞ。友だちなんてたくさんは要らないものだぞ。その調子で頑張れ,少年。
でも,あれだね。中学生の少年がこうした行動をとれるのも,東京なればこそかもしれないね。東京の強みってあるよなぁ,やっぱり。
● この日,この楽団の演奏を聴いたのは,あくまでタマタマだった。「Freude」なんぞを参考にして,いくつもある演奏会から偶然,選んだに過ぎない。
けれども,ラッキーな偶然でしたね。自分の中の「お気に入り」に追加したのは言うまでもない。次回は来年の2月3日か。何とか都合をつけたいものだ。
2012.08.18 Ensemble MUSIKQUELLCHEN第18回演奏会
杉並公会堂大ホール
● ここのところ,毎週東京に出ている。ヨメが下賜してくださった「青春18きっぷ」があるからだ。当然,往復とも在来線を使っている。新幹線は高嶺の花。
ま,1分1秒を惜しむような窮屈な暮らしはしていないから,それで困ることもない。宇都宮から乗ればまず座れるしね。車内では音楽を聴くもよし,本を読むもよし,美人の女性客をチラッチラッと見るもよし,何もしないでボーッとするもよしで,まずまず快適だ(ということにしておこう)。
電車,バス,飛行機,船を問わず,乗り物が好きなんで,動いてるものに乗ってれば幸せだしさ(ということにしておこう)。
● Ensemble MUSIKQUELLCHEN,ホームページによれば「早稲田大学フィルハーモニー管絃楽団の卒業生を中心としたメンバーで結成され」たとのこと。活きのいい演奏を聴かせてもらえそうだ。
開演は午後2時。入場無料。
● 曲目は次のとおり。
シベリウス 交響詩「フィンランディア」
プロコフィエフ 交響組曲「キージェ中尉」
シベリウス 交響曲第2番
プロコフィエフの「キージェ中尉」をライブで聴くのは初めてだけれども,まずもって文句のないラインナップ。
● 問題はこちら側が演奏会に対してオーバーペースになっていること。聴き方が雑になっているに違いない。雑の度合いが過ぎると惰性に至る。その状態でコンサート会場に足を運んではいけない。演奏者に申しわけない。そうなる前に,抑制をかけないと。
● 指揮者は征矢健之介さん。本業は東京シティ・フィルのヴァイオリン奏者とのこと。
メインのシベリウス2番の演奏前に,この曲の聴きどころを解説してくれた。各楽章の出だしの部分などを実際に演奏してみせて,ほらね,こんな感じだよ,と。長すぎず短すぎずの面白いトークで,「雑」が一気に吹っ飛んだ感じ。
ヴァイオリン奏者なのに氏の声はチェロの低音。いい響きですな。
● その後に聴くシベリウスは風味絶佳。4楽章では金管が気持ちよさそうに音をだす。前に座っている木管奏者の耳が痛くなるのではないかと心配になるほど。が,迫力は充分。
● ぼくの隣の席には美しいお嬢さん。ひとりで聴きに来たらしい。女性のひとり行動って,以前より増えてますね。ひとり食事,ひとり映画,ひとり買いもの・・・・・・。ひとりで動いている女性って,たいてい格好いいものですね。
2012年8月13日月曜日
2012.08.12 クリビアバレエカンパニー&クリビア管弦楽団第3回公演:バレエ「コッペリア」
なかのZERO大ホール
● 5月に聴いたマイクロソフト管弦楽団のファミリーコンサートのプログラムで,同団指揮者の山口琢也さんが立ちあげたクリビア管弦楽団のことを知った。その時点でこの楽団の演奏会に行くことを決めてましたね。
● ひとつには,山口さんのオーラといいますか,この人が立ちあげた楽団なら聴きに行って失望することはないだろう,と思ったことですね。
それと,演しものがドリーブのバレエ「コッペリア」であること。オーケストラの生演奏をバックに,ステージでバレエが展開される。バレエ公演って,音楽は録音を使うのが普通だと思う。オケピットにオーケストラがスタンバってるなんて,それだけでも贅沢だ。しかも,それを1,000円で鑑賞できるんですよ。お得でしょ。
開演は午後5時半。
● バレエはクリビアバレエカンパニー。演出・振付は主宰者の田中舞花さんが担当。
ぼくはバレエに関しては(関しても)無知蒙昧で何もわからないんだけど,彼女のあいさつに「アマチュアだからこそできるアツい舞台をどうぞお楽しみ下さい」とあった。アマチュアだからできることってたしかにあると思う。管弦楽だってそうだ。プロの無難に巧い演奏より,たどたどしくても記憶に残るアマチュアの演奏って今までにもあったもの。
記憶に残る理由が何なのかを言葉にできないもどかしさがある。演奏者の熱い思いとか,真摯な姿勢とか,鮮度を保った態度とかって言ってしまうと,そこからこぼれ落ちるものがある。それだけじゃないんだよねぇ。
● 客席はほぼ満席。この公演の贅沢さを大勢の人が知っているわけだろうね。
1階席の中程に座ったんだけど,次の機会があれば2階にあがろうと思う。要するに,オケピットの中が見える席。オーケストラが演奏している様子も見たい。
● 舞台の設営も素晴らしかった。アマチュアがここまでよくやったなって思う。軽くて明るくて,でもチャチと思わせない。お手本はあるのかもしれないけれど,細かい工夫を重ねたんでしょうね。
これねぇ,普通はもうちょっとゾンザイになるものなんだよねぇ。手抜きが見えるものなんですよ,アマチュアが自作するとね。しかるべき業者に任せたんだろうか。とすると,お金がかかっているはずだ。
そう,お金がかかっているなと思わせますね。本格的。照明や衣装も。これだけの環境を整えるって大変でしょ。ひとり1,000円の入場料だけで賄えるとは思えない。足りない分は誰が出したのだ。って,出演者が負担したに決まっているよね。
● 舞台上で繰り広げられるダンスも,ゲストダンサーを迎えて相当に本格的だった。賑やかで華やか。そして,軽やか。
いっぱいいっぱいのパフォーマンスなんだろうけど,傍目にはのびのびとやってる感じ。私,楽しんでやってますよ,ってのが伝わってくる。
これ,アマチュアの特権。特権を行使するのに遠慮があってはいけないよね。
● これだけの舞台を作れるものなんですね。主宰者の田中さんはもちろん,他の団員さんもモチベーションが高いんでしょうねぇ。手間ひまを惜しんでいない。陳腐すぎて申しわけないんだけれども,どうしたってこれが必要条件。
問題は,何が彼女たちをそうまでさせるのかってことなんだけどね。「好き」ってことですよと言われそうだな。それはそうなんだけれども,その言い方だけではこぼれてしまうものがあると思うんだよねぇ。
● 客席への違和感があった。公演が始まってもざわつきが治まらないとか,公演中に席を立つ人がけっこういるとか。
乳幼児を連れた親子連れが多いってのが理由のすべてだ。母親が子供をトイレに連れて行くわけだよね。その母親にスタッフのネームプレートを付けている人もいたから,それがイレギュラーなのだとも思いにくい。
バレエ公演って,そもそもそういうものなのか。
ただ,そういうものなのだと割り切ってしまえば,さほど気にもならない。違和感は違和感として,後半は舞台上の演技を観ることに集中できた。
● もしそういうものなのだとすれば,理由はたぶん次のふたつだろう。
ひとつは,管弦楽に比べると,バレエの場合,ステージ側が客席に対してフレンドリーだってこと。
管弦楽だと拍手するところも決められている。変なところで拍手なんかすると,白い眼で見られる。が,バレエはその辺の決まりごとが緩やか。というより,自由に拍手していい感じ。自分がオッと思ったところで拍手してもいい,と。むしろ,ステージは客席に対してそれを慫慂しているようだ。
もうひとつは,管弦楽には音しかないのに対して,バレエの場合はダンスという目に見える具象があるってことね。あるいは舞台がある。具体的な手がかりがある分,音だけの管弦楽よりわかりやすいかもしれない。
● 5月に聴いたマイクロソフト管弦楽団のファミリーコンサートのプログラムで,同団指揮者の山口琢也さんが立ちあげたクリビア管弦楽団のことを知った。その時点でこの楽団の演奏会に行くことを決めてましたね。
● ひとつには,山口さんのオーラといいますか,この人が立ちあげた楽団なら聴きに行って失望することはないだろう,と思ったことですね。
それと,演しものがドリーブのバレエ「コッペリア」であること。オーケストラの生演奏をバックに,ステージでバレエが展開される。バレエ公演って,音楽は録音を使うのが普通だと思う。オケピットにオーケストラがスタンバってるなんて,それだけでも贅沢だ。しかも,それを1,000円で鑑賞できるんですよ。お得でしょ。
開演は午後5時半。
● バレエはクリビアバレエカンパニー。演出・振付は主宰者の田中舞花さんが担当。
ぼくはバレエに関しては(関しても)無知蒙昧で何もわからないんだけど,彼女のあいさつに「アマチュアだからこそできるアツい舞台をどうぞお楽しみ下さい」とあった。アマチュアだからできることってたしかにあると思う。管弦楽だってそうだ。プロの無難に巧い演奏より,たどたどしくても記憶に残るアマチュアの演奏って今までにもあったもの。
記憶に残る理由が何なのかを言葉にできないもどかしさがある。演奏者の熱い思いとか,真摯な姿勢とか,鮮度を保った態度とかって言ってしまうと,そこからこぼれ落ちるものがある。それだけじゃないんだよねぇ。
● 客席はほぼ満席。この公演の贅沢さを大勢の人が知っているわけだろうね。
1階席の中程に座ったんだけど,次の機会があれば2階にあがろうと思う。要するに,オケピットの中が見える席。オーケストラが演奏している様子も見たい。
● 舞台の設営も素晴らしかった。アマチュアがここまでよくやったなって思う。軽くて明るくて,でもチャチと思わせない。お手本はあるのかもしれないけれど,細かい工夫を重ねたんでしょうね。
これねぇ,普通はもうちょっとゾンザイになるものなんだよねぇ。手抜きが見えるものなんですよ,アマチュアが自作するとね。しかるべき業者に任せたんだろうか。とすると,お金がかかっているはずだ。
そう,お金がかかっているなと思わせますね。本格的。照明や衣装も。これだけの環境を整えるって大変でしょ。ひとり1,000円の入場料だけで賄えるとは思えない。足りない分は誰が出したのだ。って,出演者が負担したに決まっているよね。
● 舞台上で繰り広げられるダンスも,ゲストダンサーを迎えて相当に本格的だった。賑やかで華やか。そして,軽やか。
いっぱいいっぱいのパフォーマンスなんだろうけど,傍目にはのびのびとやってる感じ。私,楽しんでやってますよ,ってのが伝わってくる。
これ,アマチュアの特権。特権を行使するのに遠慮があってはいけないよね。
● これだけの舞台を作れるものなんですね。主宰者の田中さんはもちろん,他の団員さんもモチベーションが高いんでしょうねぇ。手間ひまを惜しんでいない。陳腐すぎて申しわけないんだけれども,どうしたってこれが必要条件。
問題は,何が彼女たちをそうまでさせるのかってことなんだけどね。「好き」ってことですよと言われそうだな。それはそうなんだけれども,その言い方だけではこぼれてしまうものがあると思うんだよねぇ。
● 客席への違和感があった。公演が始まってもざわつきが治まらないとか,公演中に席を立つ人がけっこういるとか。
乳幼児を連れた親子連れが多いってのが理由のすべてだ。母親が子供をトイレに連れて行くわけだよね。その母親にスタッフのネームプレートを付けている人もいたから,それがイレギュラーなのだとも思いにくい。
バレエ公演って,そもそもそういうものなのか。
ただ,そういうものなのだと割り切ってしまえば,さほど気にもならない。違和感は違和感として,後半は舞台上の演技を観ることに集中できた。
● もしそういうものなのだとすれば,理由はたぶん次のふたつだろう。
ひとつは,管弦楽に比べると,バレエの場合,ステージ側が客席に対してフレンドリーだってこと。
管弦楽だと拍手するところも決められている。変なところで拍手なんかすると,白い眼で見られる。が,バレエはその辺の決まりごとが緩やか。というより,自由に拍手していい感じ。自分がオッと思ったところで拍手してもいい,と。むしろ,ステージは客席に対してそれを慫慂しているようだ。
もうひとつは,管弦楽には音しかないのに対して,バレエの場合はダンスという目に見える具象があるってことね。あるいは舞台がある。具体的な手がかりがある分,音だけの管弦楽よりわかりやすいかもしれない。
2012.08.12 エルデ・オペラ管弦楽団第6回演奏会
大田区民プラザ大ホール
● 7月15日にベルディの「椿姫」を観て,オペラって面白いものだな,と。けれども,お金はそんなに出せないよ,と。
管弦楽も世界の一流楽団の演奏をCDで聴くより,国内のアマチュアオーケストラの演奏であっても,生で聴く方がずっと充実感がある。同様に,DVDで本場のオペラを観るのもいいけれども,やっぱ生で観たいよなぁと思うようになるんですね。
となれば,アマチュアでオペラを上演しているところを探して(こういうとき,ネットって便利ですよね),観に行くってことになるわけですね。
● 荒川区民オペラがある。7月28日,29日にヴェルディの『マクベス』を上演した。ソリストは二期会や藤原歌劇団から招いている。指揮者は小崎雅弘さん。チケットは5,000円。だいぶお得っぽいんだけど,残念ながら他のコンサートとかぶってしまった。
ほかにもあるんだけれども,だいたい東京に一極集中。当然といえば当然。オペラを観たいときには東京まで出ないといけない。電車賃は必要経費。
● で,今回は,エルデ・オペラ管弦楽団の演奏会にお邪魔することに。場所は大田区民プラザ。田舎者は大田区民ホール「アプリコ」と混同しそうになる。両者は別の施設なんですな。ご注意。
蒲田駅から東急多摩川線。乗客の顔かたちや服装,車内の雰囲気が,栃木と同じ。つまり,鄙びた感じ。落ち着くね,ぼくは。
大ホールといっても,収容人員は500人程度の小さなホールだ。演しものはプッチーニの「蝶々夫人」。ただし,ハイライトを演奏会形式で。チケットは1,000円。開演は午後1時。
● 蝶々夫人を演じるのは和泉万里子さん(ソプラノ)。蝶々さんを弄んだピンカートンにファビオ・ブオノコーレ氏(テノール)。シャープレスに渡辺弘樹さん(バリトン)。スズキに河野彩子さん(メゾソプラノ)。ケイトに実川裕紀さん(メゾソプラノ)。
和泉さんとブオノコーレ氏以外の皆さんは,国立音大声楽科を卒業している。それぞれの居場所で活躍中。
指揮は大浦智弘さん。
● 演奏会形式を聴かせてもらって感じたことは,オペラは観るよりもまず聴くものだっていうあたりまえの事実ですね。しいていうと,聴くが8割,観るが2割ってところですか。
黒田恭一『はじめてのクラシック』(講談社現代新書)に出てくる話だけれども,ステージ上の演者は何よりも先に良き歌い手でなければならない。演者が劇中人物のイメージと写実的には似ていなくても,歌を支えきれていれば許される。観客からすれば,若き乙女の役をオバサンが担っていても,彼女が歌を支えきれているのであれば,それを許さなければならない(念のために申しあげますが,今回の「蝶々夫人」のことを言っているんじゃありませんよ)。
ゆえに,演奏会形式は決して邪道ではない。
● けれども,2割の方はどうでもいいかといえば,もちろんそんなことはない。味わいの奥行きが違ってくるだろう。演奏会形式だと同じステージでオーケストラが音を奏でるわけだから,どうしたって管弦楽が勝ちすぎてしまうしね。
ただね,その2割を埋めるためには相当なお金がかかるってことなんですよねぇ。単純に本物指向を良しとするだけでは,局面の打開はできないもんなぁ。
演奏会形式はオペラじゃないってのは確かだとしても,コストのくびきを脱して,観客に低廉な料金でエッセンスを提供する方策としては,演奏会形式って賢いやり方だと認めざるを得ないものなのでしょう。実際,ありがたかったからね。わずか1,000円でこれを聴けたことがね。
● 和泉さんはもとより,シャープレスの渡辺さんもスズキの河野さんもお上手で。なんでああいう声が出るのかね。世の中には異能者っているものなんだねぇ。努力や鍛錬だけでこうはならないよね。という,今さらのことを,思わされましたね。
それと,語り手の森山太さん。本業は俳優とのことなんだけど,よく通る落ち着いた声で,状況説明に登場する。彼だけが日本語を話すわけですね。もちろん演者としての口調で。これがまた達者なんですな。彼の説明がなくても字幕でストーリーはわかるんだけど,これがあると独自の味わいが出る。もちろん,ヘタがやったら邪魔にしかならないはずだけどね。
● 蝶々さんは熱情の人ですね。こんな女性が実際にいたら,たいていの男は裸足で逃げだすに違いない。熱情なんて愚かの別名だよって言いだすリアリストもいるかもしれない。
それとね,ケイトの立場はどうなるんだよって思いますよねぇ。夫に結婚式まで挙げた愛人がいて,しかも子供まで作ってた。それを知らされてもグチひとつこぼさずに,自分が引き取って育てようとする。できすぎた奥さんだぞ。ピンカートンのやつ,うまいことやりやがって・・・・・・。
まぁ,しかし,そんなことを言っていては,オペラの筋立てが成り立たない。ここは蝶々さんは悲劇のヒロインでなきゃね。
● 7月15日にベルディの「椿姫」を観て,オペラって面白いものだな,と。けれども,お金はそんなに出せないよ,と。
管弦楽も世界の一流楽団の演奏をCDで聴くより,国内のアマチュアオーケストラの演奏であっても,生で聴く方がずっと充実感がある。同様に,DVDで本場のオペラを観るのもいいけれども,やっぱ生で観たいよなぁと思うようになるんですね。
となれば,アマチュアでオペラを上演しているところを探して(こういうとき,ネットって便利ですよね),観に行くってことになるわけですね。
● 荒川区民オペラがある。7月28日,29日にヴェルディの『マクベス』を上演した。ソリストは二期会や藤原歌劇団から招いている。指揮者は小崎雅弘さん。チケットは5,000円。だいぶお得っぽいんだけど,残念ながら他のコンサートとかぶってしまった。
ほかにもあるんだけれども,だいたい東京に一極集中。当然といえば当然。オペラを観たいときには東京まで出ないといけない。電車賃は必要経費。
● で,今回は,エルデ・オペラ管弦楽団の演奏会にお邪魔することに。場所は大田区民プラザ。田舎者は大田区民ホール「アプリコ」と混同しそうになる。両者は別の施設なんですな。ご注意。
蒲田駅から東急多摩川線。乗客の顔かたちや服装,車内の雰囲気が,栃木と同じ。つまり,鄙びた感じ。落ち着くね,ぼくは。
大ホールといっても,収容人員は500人程度の小さなホールだ。演しものはプッチーニの「蝶々夫人」。ただし,ハイライトを演奏会形式で。チケットは1,000円。開演は午後1時。
● 蝶々夫人を演じるのは和泉万里子さん(ソプラノ)。蝶々さんを弄んだピンカートンにファビオ・ブオノコーレ氏(テノール)。シャープレスに渡辺弘樹さん(バリトン)。スズキに河野彩子さん(メゾソプラノ)。ケイトに実川裕紀さん(メゾソプラノ)。
和泉さんとブオノコーレ氏以外の皆さんは,国立音大声楽科を卒業している。それぞれの居場所で活躍中。
指揮は大浦智弘さん。
● 演奏会形式を聴かせてもらって感じたことは,オペラは観るよりもまず聴くものだっていうあたりまえの事実ですね。しいていうと,聴くが8割,観るが2割ってところですか。
黒田恭一『はじめてのクラシック』(講談社現代新書)に出てくる話だけれども,ステージ上の演者は何よりも先に良き歌い手でなければならない。演者が劇中人物のイメージと写実的には似ていなくても,歌を支えきれていれば許される。観客からすれば,若き乙女の役をオバサンが担っていても,彼女が歌を支えきれているのであれば,それを許さなければならない(念のために申しあげますが,今回の「蝶々夫人」のことを言っているんじゃありませんよ)。
ゆえに,演奏会形式は決して邪道ではない。
● けれども,2割の方はどうでもいいかといえば,もちろんそんなことはない。味わいの奥行きが違ってくるだろう。演奏会形式だと同じステージでオーケストラが音を奏でるわけだから,どうしたって管弦楽が勝ちすぎてしまうしね。
ただね,その2割を埋めるためには相当なお金がかかるってことなんですよねぇ。単純に本物指向を良しとするだけでは,局面の打開はできないもんなぁ。
演奏会形式はオペラじゃないってのは確かだとしても,コストのくびきを脱して,観客に低廉な料金でエッセンスを提供する方策としては,演奏会形式って賢いやり方だと認めざるを得ないものなのでしょう。実際,ありがたかったからね。わずか1,000円でこれを聴けたことがね。
● 和泉さんはもとより,シャープレスの渡辺さんもスズキの河野さんもお上手で。なんでああいう声が出るのかね。世の中には異能者っているものなんだねぇ。努力や鍛錬だけでこうはならないよね。という,今さらのことを,思わされましたね。
それと,語り手の森山太さん。本業は俳優とのことなんだけど,よく通る落ち着いた声で,状況説明に登場する。彼だけが日本語を話すわけですね。もちろん演者としての口調で。これがまた達者なんですな。彼の説明がなくても字幕でストーリーはわかるんだけど,これがあると独自の味わいが出る。もちろん,ヘタがやったら邪魔にしかならないはずだけどね。
● 蝶々さんは熱情の人ですね。こんな女性が実際にいたら,たいていの男は裸足で逃げだすに違いない。熱情なんて愚かの別名だよって言いだすリアリストもいるかもしれない。
それとね,ケイトの立場はどうなるんだよって思いますよねぇ。夫に結婚式まで挙げた愛人がいて,しかも子供まで作ってた。それを知らされてもグチひとつこぼさずに,自分が引き取って育てようとする。できすぎた奥さんだぞ。ピンカートンのやつ,うまいことやりやがって・・・・・・。
まぁ,しかし,そんなことを言っていては,オペラの筋立てが成り立たない。ここは蝶々さんは悲劇のヒロインでなきゃね。
2012年8月6日月曜日
2012.08.05 クラシカルバレエアカデミーS.O.U 2012バレエコンサート
栃木県総合文化センター メインホール
● バレエを観に行ってきた。「クラシカルバレエアカデミーS.O.U」というバレエ学校の発表会ですね。S.O.Uとは教室が佐野と小山と宇都宮にあるので,その頭文字を取ったものでしょう。
プログラムによれば,この発表会は2年に1回の開催になっているらしい。
このバレエアカデミーには本科と児童科があって,児童科はさらにA,B,Cに分かれる。年齢による区分だと思う。最も幼いクラスがC。
公演は4部構成。開演は午後3時半で,第4部が終了したのは7時20分。入場無料(プログラムは別売。500円)。
● 1階は指定席になっていた。事前に出欠を確認して確保した保護者席だろうか。ぼくのような部外者は2階の自由席にそっと場所を確保する。
バレエの公演にオッサンがひとりで行くと目立っちゃうかなぁと,やや躊躇もあったんだけど,行ってみたら全然。違和感はまったく感じなくてすんだ。
● が,バレエ学校の生徒の方は,ほぼ全員が女子。「ほぼ」というのは,男子がひとりだけいたからなんだけど,さすがにひとりってのはやりづらいだろうねぇ。
「バレエ=バレリーナ=女子」という図式がぼくの頭にもあるんだけれども,最近は男子の看護師も出てきてますからね,この世界ももう少し男子が増えてもいいんじゃないかと,ま,他人事チックに考えたりして。
● 第1部。バラエティと言っていいのでしょうね。最初は幼子たちによる「おそうじだんす」。オムツがとれたばかりじゃないかと思える子もいた。これはもう可愛らしいというしかない。幼稚園のお遊戯会的なもの。もちろん,幼稚園のお遊戯会よりは動きが揃っているけれど。
次はやはり児童科による「Bersagliere」。今回のすべての演目の中で,これが最も面白かった。楽しめた。
踊っているのは小学生の女の子たちだろうと思うんだけど,すでにしてお色気を漂わせているんですね。そこに凛々しさが加わる。プチ宝塚という感じね。バレエの型が然らしめるところなんでしょう。
● ここからは大人の部。大貫沙織さんによる「into・・・」。ソロのモダンダンス。身体能力の高さを存分に披露。
最後は「Sing Sing Sing」。本科の生徒さんたちの群舞。ジャズ音楽をバックにパントマイム的な踊りを繰りだす。大人の大人による大人のためのステージって感じで,大人の安定感ってやはりいいものだな,と。安らかに観ていられるっていいますかね。
● 第2部。幼子たちの「ソワレ・ミュージカル」から始まって,ゲストダンサー(高島康平さん)をまじえた3人のダンサーで「ジゼル」第1幕より「ペザント・パ・ド・トロワ」。
続いて,やはりゲストダンサーの賀川暢さんと本科生の女性ダンサーで,「パリの炎」より「グラン・パ・ド・ドゥ」。オペラでいえば,見せ場のアリアを取りだして歌ってみせたようなものでしょうか。
締めは本科生の群舞「ナポリ」。
● 第3部。「眠れる森の美女」第3幕より「オーロラの結婚」。主役級はゲストダンサーと本科生のダンサーだけれども,脇を固めるのは幼子たちを含む児童科の生徒さん。
第4部。「ドン・キホーテ」からの抜粋。この学校の用語では「本科合同作品」ということ。
ステージに設えられた長いすに座って成りゆきを見守る役のダンサーたちの,その姿勢の美しいこと。力を抜くことは許されないわけでね。座っているだけでもけっこう疲れると思うんだけど,ほんとにきれいでしたねぇ。
もちろん,主役級のこんな動きができるのかという見せ場はこれでもかというほどにあって,そのたびに客席から拍手が起こる。
● 無料でこれだけのものを観せてもらって,文句を言ったらバチがあたる。しかし,言いたくなることがひとつだけあった。
生徒の発表会となれば致し方がないのだけれども,客席がねぇ。公演中もケータイでメールを打っている年配のご婦人。ゲーム機を離さない子供とそれを注意しない母親。私語をやめない母子連れ。しばしば響く乳児の泣き声。席を揺らす小学生の群れ。公演中に席を立つ者多数。公演が始まってから入ってくる者も多数。
そういうのに部外者が紛れこむのが間違っているのだよと言われれば,反論はできないんだけどね。小学校の運動会で,応援にきた父兄に,動かないで静かにしてろって言うのは,言う方に無理があるだろって話だよね。
● バレエを観に行ってきた。「クラシカルバレエアカデミーS.O.U」というバレエ学校の発表会ですね。S.O.Uとは教室が佐野と小山と宇都宮にあるので,その頭文字を取ったものでしょう。
プログラムによれば,この発表会は2年に1回の開催になっているらしい。
このバレエアカデミーには本科と児童科があって,児童科はさらにA,B,Cに分かれる。年齢による区分だと思う。最も幼いクラスがC。
公演は4部構成。開演は午後3時半で,第4部が終了したのは7時20分。入場無料(プログラムは別売。500円)。
● 1階は指定席になっていた。事前に出欠を確認して確保した保護者席だろうか。ぼくのような部外者は2階の自由席にそっと場所を確保する。
バレエの公演にオッサンがひとりで行くと目立っちゃうかなぁと,やや躊躇もあったんだけど,行ってみたら全然。違和感はまったく感じなくてすんだ。
● が,バレエ学校の生徒の方は,ほぼ全員が女子。「ほぼ」というのは,男子がひとりだけいたからなんだけど,さすがにひとりってのはやりづらいだろうねぇ。
「バレエ=バレリーナ=女子」という図式がぼくの頭にもあるんだけれども,最近は男子の看護師も出てきてますからね,この世界ももう少し男子が増えてもいいんじゃないかと,ま,他人事チックに考えたりして。
● 第1部。バラエティと言っていいのでしょうね。最初は幼子たちによる「おそうじだんす」。オムツがとれたばかりじゃないかと思える子もいた。これはもう可愛らしいというしかない。幼稚園のお遊戯会的なもの。もちろん,幼稚園のお遊戯会よりは動きが揃っているけれど。
次はやはり児童科による「Bersagliere」。今回のすべての演目の中で,これが最も面白かった。楽しめた。
踊っているのは小学生の女の子たちだろうと思うんだけど,すでにしてお色気を漂わせているんですね。そこに凛々しさが加わる。プチ宝塚という感じね。バレエの型が然らしめるところなんでしょう。
● ここからは大人の部。大貫沙織さんによる「into・・・」。ソロのモダンダンス。身体能力の高さを存分に披露。
最後は「Sing Sing Sing」。本科の生徒さんたちの群舞。ジャズ音楽をバックにパントマイム的な踊りを繰りだす。大人の大人による大人のためのステージって感じで,大人の安定感ってやはりいいものだな,と。安らかに観ていられるっていいますかね。
● 第2部。幼子たちの「ソワレ・ミュージカル」から始まって,ゲストダンサー(高島康平さん)をまじえた3人のダンサーで「ジゼル」第1幕より「ペザント・パ・ド・トロワ」。
続いて,やはりゲストダンサーの賀川暢さんと本科生の女性ダンサーで,「パリの炎」より「グラン・パ・ド・ドゥ」。オペラでいえば,見せ場のアリアを取りだして歌ってみせたようなものでしょうか。
締めは本科生の群舞「ナポリ」。
● 第3部。「眠れる森の美女」第3幕より「オーロラの結婚」。主役級はゲストダンサーと本科生のダンサーだけれども,脇を固めるのは幼子たちを含む児童科の生徒さん。
第4部。「ドン・キホーテ」からの抜粋。この学校の用語では「本科合同作品」ということ。
ステージに設えられた長いすに座って成りゆきを見守る役のダンサーたちの,その姿勢の美しいこと。力を抜くことは許されないわけでね。座っているだけでもけっこう疲れると思うんだけど,ほんとにきれいでしたねぇ。
もちろん,主役級のこんな動きができるのかという見せ場はこれでもかというほどにあって,そのたびに客席から拍手が起こる。
● 無料でこれだけのものを観せてもらって,文句を言ったらバチがあたる。しかし,言いたくなることがひとつだけあった。
生徒の発表会となれば致し方がないのだけれども,客席がねぇ。公演中もケータイでメールを打っている年配のご婦人。ゲーム機を離さない子供とそれを注意しない母親。私語をやめない母子連れ。しばしば響く乳児の泣き声。席を揺らす小学生の群れ。公演中に席を立つ者多数。公演が始まってから入ってくる者も多数。
そういうのに部外者が紛れこむのが間違っているのだよと言われれば,反論はできないんだけどね。小学校の運動会で,応援にきた父兄に,動かないで静かにしてろって言うのは,言う方に無理があるだろって話だよね。
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