宇都宮市文化会館 小ホール
● 昨年は当日券がなくて入れなかった。今回は事前にチケットを買っておきましたよ,ええ。
そのチケットは1,000円。1,000円でここまでの邦楽演奏を聴けるんだから,聴かない手はない。開演は午後2時。今年も満席。
● 鮎沢京吾さんの三味線は初めて聴くもの。「碧潭第二番」(浦田健次郎)。危うい緊張がすうっと続いて,気がついたら終曲していたっていう感じ。切れるんじゃないか,切れるんじゃないかと思わせながら,それが切れないという妙。
三味線がエレキギターに見える瞬間があった。音が通るからだろうか。
● 「鳥のように」(沢井忠夫)。箏の群奏。14人の女性。見た目も美しい。これだけの人数で演奏すれば,綻びが生じることもあるだろう。が,それは最小限。
ピタリとまとまっていた。これ,録音してくれないかなぁ,と思いながら聴いてたんだけど,音だけではなくて,演奏する様を間近に見ていることの効用が大きいでしょうね。
逆に,録音した演奏を聴いて,この様を脳内にイメージできれば,その人は聴く達人といっていいのでしょう。
● TVテーマ曲メドレーもあった。編曲した水越丈晴さんがおっしゃるには,西洋の楽器は西洋の建物の中で演奏されたときに一番よく響くようにできているのに対して,邦楽器は木と紙でできた日本家屋で演奏されるものだから,そこに気をつけて編曲した,と。
これ,とても腑に落ちた。西洋の建物(教会が代表だろうが)は石でできていて,天井が高い。石は音を跳ね返す。残響が生じる。
紙は音を通すし,木は音を吸収する。残響はない。直接音だけを聴くことになる。だから,邦楽器の場合は音を遠くに飛ばす必要はない。むしろ飛ばない方がいい。その場にとどまる。くぐもる感じになる。
● ところが,その日本家屋が日本から消えつつある。木造の小中学校はなくなったし,一般家屋も鉄骨造が珍しくない。マンションに至っては,鉄とコンクリートとガラスでできている。
それ以前に,オーケストラと同じコンサートホールで演奏されることが多くなった。
となれば,邦楽器も変わらざるを得ないんだろうな。楽器じたいが大きく変容することはないだろうけど,演奏の仕方とか演奏形態とか。
現代の津軽三味線は,こうした変化に対するひとつの答えかもしれないと思うことがある。
● このテーマ曲メドレーでは「情熱大陸」に注目。福田智久山さんの尺八がラインを作る。いやがおうでも熱演になる。
● トリは「篝火」(牧野由多可)。十七絃もいれると箏が15人。「鳥のように」もそうだったんだけど,箏がこれだけ並ぶと,それそのものが美しいという不思議。ステージにこれだけの箏が並んでいるだけでアートっていうか。
ポツンと置かれた一面の箏のたたずまいも,それはそれで絵になるんですけどね。箏って造形的にもよくできているなぁと思いますね。
ホールで演奏するにふさわしい楽曲。ぼくらが幽玄と感じるものは,こうした邦楽器の響きによって作られているのかもしれないね。響きが先で,言葉は後。
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