彩の国さいたま芸術劇場 音楽ホール
● この楽団の演奏を聴くのは第2回に続いて,今回が2度目。開演は午後6時30分。チケットは500円。
演奏するのは,ベートーヴェンの8番とドヴォルザークの8番。指揮は平井洋行さん。
● 「浦和西高校管弦楽部の卒業生が中心となって立ち上げたオーケストラ」ということなんだけども,ステージにはまだ卒業してからそんなに経っていないだろうと思われる団員もいる。平均年齢はかなり若い。
● 高校のOB・OGによるオーケストラって,あまり聞かない。ぼくの地元である栃木県で,宇女高(宇都宮女子高校)OGオーケストラの演奏を聴いたことがある。けれども,これは(たぶん)2年に1回の演奏会のたびに,OGを集めてやっているもので,常設ではない。
NIONフィルは常設であるようだ。結束力が高い。というか,熱いリーダーがいたんだろうね。
● 交響曲が2つのプログラム。ぼくにははっきりベートーヴェンの方が良かったように思えた。もちろん,曲ではなく演奏の話。
ベートーヴェンの交響曲は,評価がすっかり凋落したかに思えるカラヤンで聴いている。のだけれども,8番だけは小澤征爾+サイトウキネンが愛聴盤。
で,NIONフィルの演奏の出だしを聴いて,おっ,CDと同じじゃん,と思った。何とも雑な感想で申しわけないけど。
● とはいえ,ドヴォルザークの第3楽章の甘美なメロディー(ここが好きな人は多いだろうね)を奏でるヴァイオリン,4楽章の頭のトランペット。いずれも聴きごたえあり。
わりと軽々とやってる感じ。実際には必死こいてるにしても,軽々と見えるところがいい。
● そもそもが「浦和西高校管弦楽部」は部活だろう。高校の部活でやっていた人たちのOB・OG楽団としては,少し巧すぎるように思える。
ひょっとして,浦和西高には音楽科があるのかと思って,ネットで確認してみたんだけど,そんなものはない。普通科のみの高校だ。
現役の音大生がけっこうな数,いるような気がしたんだけどねぇ。
約2時間のコンサートが終了した直後の満足感は,他のものでは代替できません。この世に音楽というものが存在すること。演奏の才に恵まれた人たちが,時間と費用を惜しまずに技を磨いていること。その鍛錬の成果をぼくたちの前で惜しみなく披露してくれること。そうしたことが重なって,ぼくの2時間が存在します。ありがたい世の中に生きていると痛感します。 主には,ぼくの地元である栃木県で開催される,クラシック音楽コンサートの記録になります。
2015年2月28日土曜日
2015.02.28 アパッショナート管弦楽団第15回定期演奏会
めぐろパーシモンホール 大ホール
● 渋谷から東急東横線に乗り換えて都立大学駅で下車。東横線に乗るのは何十年ぶりになるだろう。はるかな昔,日吉まで行ったことがあるんだけど。
駅から柿の木坂を登ると,「めぐろ区民キャンパス」なる一画に出る。パーシモンホールのほかに,図書館と体育館がある。文京エリアですね。かつて,ここに都立大学があったのだろう。
● 開演は午後2時。入場無料。
開演4分前に着座。ギリギリだった。というのも,この日,古河-野木間で人身事故があって,宇都宮線が運転を見合わせていたからだ。栃木の田舎から出て行くとなると,たまにこういうことにも遭遇する。
● 「フロイデ」に載せている紹介文によると,このアパッショナート管弦楽団は「東京大学フィロムジカ交響楽団OB・洗足学園音楽大学卒業生を中心に結成されたオーケストラ」であるとのこと。
であれば,腕はかなりのものだろう。これが,わざわざ出かけることにした第一の理由。
● プログラムは次のとおり。
モーツァルト 交響曲第41番
チャイコフスキー 序曲「1812年」
バーンスタイン 「ウエスト・サイド・ストーリー」よりシンフォニック・ダンス
指揮は川本統脩さん。洗足学園と日大芸術学部で教鞭をとっておられる。
● モーツァルトは知名度のわりには演奏される機会が少ないような気がしている。「ジュピター」はこれまでに一度しか聴いたことがない。もっぱらCDってことになるけれど,CDでも40番に比べるとあまり聴いていない。
ともあれ,生演奏はこれが二度目。こうして聴いてみると,やはりモーツァルトっていいなぁと思うことになる。憂鬱さも混じっているようであり,そうでありながら全体的には軽く,心地よさを追求すればこうなるよなと思わせる。こちらは調べの流れに身を任せていればいい。受け身の快感。
● バーンスタインの「ウエスト・サイド・ストーリー」はあまりにも有名だし,ぼくもCDは持っている。だけど,聴いたことはなかった。断片的にはあるんだけれども,通して聴く気にはなれないでいた。
ミュージカルの舞台を観ないことには始まらないと思っていたし,今も思っている。バレエ音楽と一緒で(あるいはバレエ音楽以上に),どの場面で演奏されるのかを知らないで音楽だけ聴いてもなぁ的な。
● かといって,「ウエスト・サイド・ストーリー」の舞台を観る機会なんてまずないし,かりにあっても,おいそれとは行けない料金になるだろう。
DVDがでてるんですかねぇ。
● “シンフォニック・ダンス”は「ウエスト・サイド・ストーリー」の組曲版のようなものなんですか。
とにもかくにも。これでぼくの「ウエスト・サイド・ストーリー」に対する知見は,0から1か2になった。0と1の違いは大きい。
● 渋谷から東急東横線に乗り換えて都立大学駅で下車。東横線に乗るのは何十年ぶりになるだろう。はるかな昔,日吉まで行ったことがあるんだけど。
駅から柿の木坂を登ると,「めぐろ区民キャンパス」なる一画に出る。パーシモンホールのほかに,図書館と体育館がある。文京エリアですね。かつて,ここに都立大学があったのだろう。
● 開演は午後2時。入場無料。
開演4分前に着座。ギリギリだった。というのも,この日,古河-野木間で人身事故があって,宇都宮線が運転を見合わせていたからだ。栃木の田舎から出て行くとなると,たまにこういうことにも遭遇する。
● 「フロイデ」に載せている紹介文によると,このアパッショナート管弦楽団は「東京大学フィロムジカ交響楽団OB・洗足学園音楽大学卒業生を中心に結成されたオーケストラ」であるとのこと。
であれば,腕はかなりのものだろう。これが,わざわざ出かけることにした第一の理由。
● プログラムは次のとおり。
モーツァルト 交響曲第41番
チャイコフスキー 序曲「1812年」
バーンスタイン 「ウエスト・サイド・ストーリー」よりシンフォニック・ダンス
指揮は川本統脩さん。洗足学園と日大芸術学部で教鞭をとっておられる。
● モーツァルトは知名度のわりには演奏される機会が少ないような気がしている。「ジュピター」はこれまでに一度しか聴いたことがない。もっぱらCDってことになるけれど,CDでも40番に比べるとあまり聴いていない。
ともあれ,生演奏はこれが二度目。こうして聴いてみると,やはりモーツァルトっていいなぁと思うことになる。憂鬱さも混じっているようであり,そうでありながら全体的には軽く,心地よさを追求すればこうなるよなと思わせる。こちらは調べの流れに身を任せていればいい。受け身の快感。
● バーンスタインの「ウエスト・サイド・ストーリー」はあまりにも有名だし,ぼくもCDは持っている。だけど,聴いたことはなかった。断片的にはあるんだけれども,通して聴く気にはなれないでいた。
ミュージカルの舞台を観ないことには始まらないと思っていたし,今も思っている。バレエ音楽と一緒で(あるいはバレエ音楽以上に),どの場面で演奏されるのかを知らないで音楽だけ聴いてもなぁ的な。
● かといって,「ウエスト・サイド・ストーリー」の舞台を観る機会なんてまずないし,かりにあっても,おいそれとは行けない料金になるだろう。
DVDがでてるんですかねぇ。
● “シンフォニック・ダンス”は「ウエスト・サイド・ストーリー」の組曲版のようなものなんですか。
とにもかくにも。これでぼくの「ウエスト・サイド・ストーリー」に対する知見は,0から1か2になった。0と1の違いは大きい。
2015年2月21日土曜日
2015.02.21 宇都宮美術館 第77回森のコンサート
宇都宮美術館 講義室
● 平成9年に宇都宮市が美術館を開設したことはいくら何でも知っていたし,美術品の展示のみならず,ワークショップや講演会や自然観察会やミニコンサートなども開いていることも知ってはいた。
が,美術は見ても何もわからない(感じない)ので,美術館など自分には縁のない施設だと思っていた。
コンサートといったって,ついでにやってるものでしょ,と,まぁ,気にとめることもなかったわけなんでした。
● でも,どんなところなのか一度は見ておいてもいいかと思って,出かけてみた。出かけるなら,音楽を聴ける日がいい。たぶん,本体の美術展は見ないで帰ることになるだろうから。
というわけで,本日,行ってみましたよ,と。
● 開演はだいぶ早くて午前11時。正午までの1時間の演奏会。入場無料。
会場は美術館の講義室。といっても,学校の教室のようではなく,椅子は階段式で,ちょっとしたホールだね。
逆にいうと,講義室なんだけど,生徒がノートを開くスペースはない。どうしてもノートを録りたいんだったら,膝のうえに載せて書くしかない。
● 開演40分前に到着したんだけど,すでにかなりの長さで行列ができていた。収容人員170名の講義室が満席の状態になった。
意外だった。この美術館,けっこう不便なところにあるのでね。これだけの人が来るってのは想定してなかったもので。
毎回,こうなんですか。美術館人気が底辺にあるんですかねぇ。
● 出演者は大島菜保子さん(ピアノ)と上野真理さん(ヴァイオリン)。お二人は,高校,大学と桐朋で同級生だったとのこと。
プログラムは次のとおり。
エルガー 愛の挨拶
クライスラー 愛の悲しみ,愛の喜び
ドビュッシー ベルガマスク組曲より「プレリュード」「月の光」
ラヴェル ツィガーヌ
ストラヴィンスキー イタリア組曲より「序奏」「ガヴォットと変奏」「メヌエットとフィナーレ」
● ドビュッシーはもちろん,ピアノ独奏になる。講義室のこととて,ステージの奥行きがなくて,グランドピアノは設置できず。アップライトピアノでの演奏になった。
けれども,名手が弾けば関係ないんですね。奏者としては大いに関係あるんだろうけど,聴き手(ぼく程度の)にとっては関係ない。
● 小さいホールならではの距離の近さで,まさにライヴという感じ。奏者を間近にすることの高揚感のようなものを感じまくり。
たんに距離が近いだけなら,ここまでの高揚はないだろう。おふたりの技量の高さによる。技量の高さとひと言で言ってしまってはいけないか。
意図しない情感とでもいうべきもの。自然にスイッチが入るような。それがバッと客席を鷲づかみにする。とんでもない水準の演奏でしたよ。
● 演奏の合間に(主に)上野さんのMCが入った。「ツィガーヌ」のあとはさすがに息があがりかけていて,その状態での喋りにゾクッとするような色気を感じたというのは,バカ丸出しの感想になるので,小さな声で申しあげておくことにする。
● 休憩なしの1時間。みっしりと充実した演奏会だった。ここまでの演奏をタダで聴けるとは思っていなかったので,思いがけないボーナスが入ったような気分。
● 美術館では薄久保友司展を開催中。初めて来たわけですからね,こちらも見てきましたよ。常設のコレクション展も。
● 平成9年に宇都宮市が美術館を開設したことはいくら何でも知っていたし,美術品の展示のみならず,ワークショップや講演会や自然観察会やミニコンサートなども開いていることも知ってはいた。
が,美術は見ても何もわからない(感じない)ので,美術館など自分には縁のない施設だと思っていた。
コンサートといったって,ついでにやってるものでしょ,と,まぁ,気にとめることもなかったわけなんでした。
● でも,どんなところなのか一度は見ておいてもいいかと思って,出かけてみた。出かけるなら,音楽を聴ける日がいい。たぶん,本体の美術展は見ないで帰ることになるだろうから。
というわけで,本日,行ってみましたよ,と。
● 開演はだいぶ早くて午前11時。正午までの1時間の演奏会。入場無料。
会場は美術館の講義室。といっても,学校の教室のようではなく,椅子は階段式で,ちょっとしたホールだね。
逆にいうと,講義室なんだけど,生徒がノートを開くスペースはない。どうしてもノートを録りたいんだったら,膝のうえに載せて書くしかない。
● 開演40分前に到着したんだけど,すでにかなりの長さで行列ができていた。収容人員170名の講義室が満席の状態になった。
意外だった。この美術館,けっこう不便なところにあるのでね。これだけの人が来るってのは想定してなかったもので。
毎回,こうなんですか。美術館人気が底辺にあるんですかねぇ。
● 出演者は大島菜保子さん(ピアノ)と上野真理さん(ヴァイオリン)。お二人は,高校,大学と桐朋で同級生だったとのこと。
プログラムは次のとおり。
エルガー 愛の挨拶
クライスラー 愛の悲しみ,愛の喜び
ドビュッシー ベルガマスク組曲より「プレリュード」「月の光」
ラヴェル ツィガーヌ
ストラヴィンスキー イタリア組曲より「序奏」「ガヴォットと変奏」「メヌエットとフィナーレ」
● ドビュッシーはもちろん,ピアノ独奏になる。講義室のこととて,ステージの奥行きがなくて,グランドピアノは設置できず。アップライトピアノでの演奏になった。
けれども,名手が弾けば関係ないんですね。奏者としては大いに関係あるんだろうけど,聴き手(ぼく程度の)にとっては関係ない。
● 小さいホールならではの距離の近さで,まさにライヴという感じ。奏者を間近にすることの高揚感のようなものを感じまくり。
たんに距離が近いだけなら,ここまでの高揚はないだろう。おふたりの技量の高さによる。技量の高さとひと言で言ってしまってはいけないか。
意図しない情感とでもいうべきもの。自然にスイッチが入るような。それがバッと客席を鷲づかみにする。とんでもない水準の演奏でしたよ。
● 演奏の合間に(主に)上野さんのMCが入った。「ツィガーヌ」のあとはさすがに息があがりかけていて,その状態での喋りにゾクッとするような色気を感じたというのは,バカ丸出しの感想になるので,小さな声で申しあげておくことにする。
● 休憩なしの1時間。みっしりと充実した演奏会だった。ここまでの演奏をタダで聴けるとは思っていなかったので,思いがけないボーナスが入ったような気分。
● 美術館では薄久保友司展を開催中。初めて来たわけですからね,こちらも見てきましたよ。常設のコレクション展も。
2015年2月16日月曜日
2015.02.14 宇都宮大学教育学部音楽教育専攻 第64回卒業研究公開発表会
栃木県総合文化センター サブホール
● 出かけてみたのは今回が初めてだけど,戦後まもない頃から続けていたんですね,これ。
教育学部の専攻のひとつだし,対外的にはけっこう地味な印象。栃木県には音楽学科を持つ短大と,附属高校の音楽科もあるしね。
● ともあれ。開演は午後4時30分。入場無料。
ピアノが2人,フルートが2人,声楽が3人,作曲が1人。伴奏ピアノを入れて,ステージに登場したのは12人。たぶん,前半が学部生で,休憩後の後半が院生だったのではないかと思う。
● パンフレット冊子の最後に,音楽教育専攻の概要が載っている。専任教員が6人いる。非常勤が9人。今回登場した12人が卒業(修了)生のすべてではないんだろうけど,それにしたって,学生-教員の比率は,法学部や経済学部とはわけが違う。
羨ましいというか,学生は大変だなというか。卒業後,さらに音大に行くことを考えている人はいるんだろうか。
● 最後に演奏した,チャンドラー秋さんのピアノが印象的。リスト「巡礼の年」の〈ヴェネツィアとナポリ〉より3.タランテラ。曲じたいのインパクトもある。技術の見せどころも多い。
ピアノをガッと引きつけている感じ。こうやって弾いてもらうと,ピアノも喜ぶんじゃないか。
● ざっくりした印象で申しあげると,ピアノ伴奏は皆さん,巧みだったように思えた。
特にということでいえば,声楽の伴奏をした西口彰浩さん。見せるのが巧いのかもしれない。見せ方が巧いというのは,邪道ではなくて大事なことだと思う。ステージでお客さんに見てもらうわけだからね。
っていうか,まず技術があって,そのうえでの見せ方になるわけで,見せ方だけの見せ方なんてあり得ない。
● 行く前は,客席はガラガラなんだろうなと思ってたんですよ。ところが,そんなことはなかった。
音楽専攻の在学生,友人・知人,OB・OG,先生方が多かったのだろうと思うんだけど,かなり活気のある発表会なのだった。
● 出かけてみたのは今回が初めてだけど,戦後まもない頃から続けていたんですね,これ。
教育学部の専攻のひとつだし,対外的にはけっこう地味な印象。栃木県には音楽学科を持つ短大と,附属高校の音楽科もあるしね。
● ともあれ。開演は午後4時30分。入場無料。
ピアノが2人,フルートが2人,声楽が3人,作曲が1人。伴奏ピアノを入れて,ステージに登場したのは12人。たぶん,前半が学部生で,休憩後の後半が院生だったのではないかと思う。
● パンフレット冊子の最後に,音楽教育専攻の概要が載っている。専任教員が6人いる。非常勤が9人。今回登場した12人が卒業(修了)生のすべてではないんだろうけど,それにしたって,学生-教員の比率は,法学部や経済学部とはわけが違う。
羨ましいというか,学生は大変だなというか。卒業後,さらに音大に行くことを考えている人はいるんだろうか。
● 最後に演奏した,チャンドラー秋さんのピアノが印象的。リスト「巡礼の年」の〈ヴェネツィアとナポリ〉より3.タランテラ。曲じたいのインパクトもある。技術の見せどころも多い。
ピアノをガッと引きつけている感じ。こうやって弾いてもらうと,ピアノも喜ぶんじゃないか。
● ざっくりした印象で申しあげると,ピアノ伴奏は皆さん,巧みだったように思えた。
特にということでいえば,声楽の伴奏をした西口彰浩さん。見せるのが巧いのかもしれない。見せ方が巧いというのは,邪道ではなくて大事なことだと思う。ステージでお客さんに見てもらうわけだからね。
っていうか,まず技術があって,そのうえでの見せ方になるわけで,見せ方だけの見せ方なんてあり得ない。
● 行く前は,客席はガラガラなんだろうなと思ってたんですよ。ところが,そんなことはなかった。
音楽専攻の在学生,友人・知人,OB・OG,先生方が多かったのだろうと思うんだけど,かなり活気のある発表会なのだった。
2015年2月12日木曜日
2015.02.11 アンサンブル・コンソルテ第22回演奏会
新宿文化センター 大ホール
● この楽団の演奏会に行くのは初めてのこと。なにゆえ今回は行くことにしたのかと言えば,モーツァルトの「フィガロの結婚」をほぼすべて,コンサート形式ながら聴くことができるから。
開演は午後1時。チケットは2,000円。
● 楽団のサイトには,「8型2管編成の比較的小さなオーケストラ」で,「後の作曲家に多大なる影響を与えたハイドンの交響曲を積極的に取り入れ,これを目標にしました」とある。
察するに,真面目で志の高いアマチュアオーケストラなんだろう。オペラを演奏するのはこれが初めてで,それなりに戸惑いもあったとプログラム冊子には書いてあるんだけど,それを感じさせることはなかった。
細工は流々,仕上げを御覧じろ,といったところか。
● キャストは,アルマヴィーヴァ伯爵が大川博さん,伯爵夫人に鈴木麻里子さん,スザンナが桐越麗さんで,フィガロが小鉄和広さん,ケルビーノに渡邉智美さん,マルチェリーナに有田真恵さん,バルトロは大塚博章さん。
合唱は慶應義塾ワグネル・ソサィエティー合唱団。
● オペラの真骨頂は,何だかんだ言っても歌唱。人間技とは思えない歌いっぷりに聴きほれる快感。
鈴木麻里子さんをはじめ,芸達者を揃えてきた。
● 「フィガロの結婚」って,要するにドタバタを楽しむものですか。たんなるドタバタではすぐに飽きられてしまうから,そこにちょこっと人生を考えさせるような要素を仕込んでおく,と。
いや,違うよな。そういうことではないんだと思いますね。
● “男と女”や“人生”って,リアリズムに徹してしまうと,どうでもいいっていう結論しか出てこない。たいていの大人はそう思っているのではあるまいか。おそらく,昔の人も同じだったろう。
かといって,どうでもいいとは認めたくないという機序もけっこう強烈に働く。
● その面白くもないものを面白く住みなすために何が必要かといえば,高杉晋作よろしく,“心なりけり”と言ってみたいわけで,そうした工夫がそちこちにある。
エンタテインメントが絶えた時代はない(戦争中にだってあった)。それそのものが,面白く住みなすための工夫だろうね。
● 伯爵夫人が浮き世離れした真面目人間。けれども,彼女がドラマの結節点になっているようだ。
ケルビーノも面白い役どころだけれども,彼を抜いてもストーリーは作れる。が,伯爵夫人を除いてしまうと,ストーリーを紡ぐのはかなり難しい。
ドラマを作るには,こうした浮き世離れが必須なのかもしれないなぁ。リアルだけだとどうでもいいっていう結論になるしかないんだから。
● エンディングを迎えて,梁塵秘抄の有名な一節が浮かんできた。遊びをせんとや生れけむ,戯れせんとや生れけん。
そういうことなんだろうなぁと思った。平凡な結論だけれども。
● この楽団の演奏会に行くのは初めてのこと。なにゆえ今回は行くことにしたのかと言えば,モーツァルトの「フィガロの結婚」をほぼすべて,コンサート形式ながら聴くことができるから。
開演は午後1時。チケットは2,000円。
● 楽団のサイトには,「8型2管編成の比較的小さなオーケストラ」で,「後の作曲家に多大なる影響を与えたハイドンの交響曲を積極的に取り入れ,これを目標にしました」とある。
察するに,真面目で志の高いアマチュアオーケストラなんだろう。オペラを演奏するのはこれが初めてで,それなりに戸惑いもあったとプログラム冊子には書いてあるんだけど,それを感じさせることはなかった。
細工は流々,仕上げを御覧じろ,といったところか。
● キャストは,アルマヴィーヴァ伯爵が大川博さん,伯爵夫人に鈴木麻里子さん,スザンナが桐越麗さんで,フィガロが小鉄和広さん,ケルビーノに渡邉智美さん,マルチェリーナに有田真恵さん,バルトロは大塚博章さん。
合唱は慶應義塾ワグネル・ソサィエティー合唱団。
● オペラの真骨頂は,何だかんだ言っても歌唱。人間技とは思えない歌いっぷりに聴きほれる快感。
鈴木麻里子さんをはじめ,芸達者を揃えてきた。
● 「フィガロの結婚」って,要するにドタバタを楽しむものですか。たんなるドタバタではすぐに飽きられてしまうから,そこにちょこっと人生を考えさせるような要素を仕込んでおく,と。
いや,違うよな。そういうことではないんだと思いますね。
● “男と女”や“人生”って,リアリズムに徹してしまうと,どうでもいいっていう結論しか出てこない。たいていの大人はそう思っているのではあるまいか。おそらく,昔の人も同じだったろう。
かといって,どうでもいいとは認めたくないという機序もけっこう強烈に働く。
● その面白くもないものを面白く住みなすために何が必要かといえば,高杉晋作よろしく,“心なりけり”と言ってみたいわけで,そうした工夫がそちこちにある。
エンタテインメントが絶えた時代はない(戦争中にだってあった)。それそのものが,面白く住みなすための工夫だろうね。
● 伯爵夫人が浮き世離れした真面目人間。けれども,彼女がドラマの結節点になっているようだ。
ケルビーノも面白い役どころだけれども,彼を抜いてもストーリーは作れる。が,伯爵夫人を除いてしまうと,ストーリーを紡ぐのはかなり難しい。
ドラマを作るには,こうした浮き世離れが必須なのかもしれないなぁ。リアルだけだとどうでもいいっていう結論になるしかないんだから。
● エンディングを迎えて,梁塵秘抄の有名な一節が浮かんできた。遊びをせんとや生れけむ,戯れせんとや生れけん。
そういうことなんだろうなぁと思った。平凡な結論だけれども。
2015年2月9日月曜日
2015.02.08 日下紗矢子ヴァイオリン・リサイタル
栃木県総合文化センター サブホール
● 6日は伊那,7日は相模原,そして今日(8日)は宇都宮でのリサイタル。開演は午後3時。チケットは2,500円。
● プログラムは次のとおり。ピアノは日下知奈さん。姉君でいらっしゃる。
モーツァルト ヴァイオリン・ソナタ ハ短調 K.303
ピゼンデル 無伴奏ヴァイオリン・ソナタ イ短調
ドヴォルザーク 4つのロマンティックな小品
メンデルスゾーン ヴァイオリン・ソナタ ヘ長調
シューベルト 華麗なるロンド ロ短調
● いい演奏というのはすぐわかる。といっても,ぼくに技術的な細かいことがわかるはずもないので,かなりいい加減なわかり方なんだけど。
つまり,聴衆が消えるんですよ。ステージ上の奏者と自分しかいなくなる。まるで自分のために弾いてくれているような感じになるっていいますか。
わざわざベルリンから宇都宮まで来てくれて,オレのために演奏してくれているのか,すまんのぉ,といった感じね。
● これ,ホールが小さいからでもありますね。大きなホールじゃ,なかなか聴衆が消えてくれない。
ちなみに申しあげると,栃木県内で最も好きなホールをひとつ挙げろといわれれば,ぼくなら那須野が原ハーモニーホールの小ホールだ。が,この総文センターのサブホールも好きなホールのひとつ。
● とにかく。自分ひとりのために弾いてくれるとなれば,初っ端がモーツァルトなのは望むところ。ここから入りたい。気分をウキウキさせたい。
ピゼンデルの無伴奏ソナタは,当然,初めて聴く曲だ。ピゼンデルってバッハの同時代人らしいんだけど,ぼくにはジプシーが街角で流して歩く曲のイメージが湧いてきた。
● おまえ,ジプシーを知ってるのかよ,と言われれば,ごめんなさい,知りません,なんだけど,自分がイメージとして持っているジプシー像にぴったりはまるっていうか,そういう感じでした。
故地を持たない。寄る辺ない流れ者。人生すなわちこれ放浪。そういう人たちが醸すであろう,切なさ,哀愁。それが溢れているように感じてしまった。
● ガラッと趣が変わって,ドヴォルザーク。休憩をはさんで,メンデルスゾーン,シューベルトへとなだれこんで行く。
メンデルスゾーンっていうと優男のイメージがある。ホ短調協奏曲のせいだ。日下さんのメンデルスゾーンはいたって男性的で,力がみなぎっていた。
● その日下さん,手首なんかほんとに細くて,ぼくでもポキッと折れるんじゃないかと思うほどなんだけど,上腕にはしなやかに筋肉がついているんでした。
それと,滅多にないことなんだけど,チラシの写真より本物が美人。滅多にないですよねぇ,こういうことって。たぶん,これが3回目かなぁ。
● アンコールはドヴォルザークの「ユーモレスク」。軽くスッキリして終わりかと思ったら,もう1曲。
おおとりはバッハの「主よ,人の望みの喜びよ」だった。
● ところで。ぼくがチケットを買ったのは3日前の2月5日の夕刻。この時点で,4分の3は空席だった。あれぇと思ったんですけどね。
最終的には後方席にまとまった空きはあったものの,だいぶ埋まっていた。ラス前に大きく動くんですかねぇ。
● 6日は伊那,7日は相模原,そして今日(8日)は宇都宮でのリサイタル。開演は午後3時。チケットは2,500円。
● プログラムは次のとおり。ピアノは日下知奈さん。姉君でいらっしゃる。
モーツァルト ヴァイオリン・ソナタ ハ短調 K.303
ピゼンデル 無伴奏ヴァイオリン・ソナタ イ短調
ドヴォルザーク 4つのロマンティックな小品
メンデルスゾーン ヴァイオリン・ソナタ ヘ長調
シューベルト 華麗なるロンド ロ短調
● いい演奏というのはすぐわかる。といっても,ぼくに技術的な細かいことがわかるはずもないので,かなりいい加減なわかり方なんだけど。
つまり,聴衆が消えるんですよ。ステージ上の奏者と自分しかいなくなる。まるで自分のために弾いてくれているような感じになるっていいますか。
わざわざベルリンから宇都宮まで来てくれて,オレのために演奏してくれているのか,すまんのぉ,といった感じね。
● これ,ホールが小さいからでもありますね。大きなホールじゃ,なかなか聴衆が消えてくれない。
ちなみに申しあげると,栃木県内で最も好きなホールをひとつ挙げろといわれれば,ぼくなら那須野が原ハーモニーホールの小ホールだ。が,この総文センターのサブホールも好きなホールのひとつ。
● とにかく。自分ひとりのために弾いてくれるとなれば,初っ端がモーツァルトなのは望むところ。ここから入りたい。気分をウキウキさせたい。
ピゼンデルの無伴奏ソナタは,当然,初めて聴く曲だ。ピゼンデルってバッハの同時代人らしいんだけど,ぼくにはジプシーが街角で流して歩く曲のイメージが湧いてきた。
● おまえ,ジプシーを知ってるのかよ,と言われれば,ごめんなさい,知りません,なんだけど,自分がイメージとして持っているジプシー像にぴったりはまるっていうか,そういう感じでした。
故地を持たない。寄る辺ない流れ者。人生すなわちこれ放浪。そういう人たちが醸すであろう,切なさ,哀愁。それが溢れているように感じてしまった。
● ガラッと趣が変わって,ドヴォルザーク。休憩をはさんで,メンデルスゾーン,シューベルトへとなだれこんで行く。
メンデルスゾーンっていうと優男のイメージがある。ホ短調協奏曲のせいだ。日下さんのメンデルスゾーンはいたって男性的で,力がみなぎっていた。
● その日下さん,手首なんかほんとに細くて,ぼくでもポキッと折れるんじゃないかと思うほどなんだけど,上腕にはしなやかに筋肉がついているんでした。
それと,滅多にないことなんだけど,チラシの写真より本物が美人。滅多にないですよねぇ,こういうことって。たぶん,これが3回目かなぁ。
● アンコールはドヴォルザークの「ユーモレスク」。軽くスッキリして終わりかと思ったら,もう1曲。
おおとりはバッハの「主よ,人の望みの喜びよ」だった。
● ところで。ぼくがチケットを買ったのは3日前の2月5日の夕刻。この時点で,4分の3は空席だった。あれぇと思ったんですけどね。
最終的には後方席にまとまった空きはあったものの,だいぶ埋まっていた。ラス前に大きく動くんですかねぇ。
2015年2月7日土曜日
2015.02.07 オーケストラであそぼ!! アフタヌーンコンサート
矢板市文化会館 大ホール
● 開演は午後2時。チケットは1,500円。演奏したのは東京ミュージックランドオーケストラで,指揮は一村誠也さん。
団員は一村音楽企画株式会社の社員でもあるらしい。オーケストラに株式会社の網をかぶせているところがあるのを,今回初めて知った。
こういうやり方もあるのかと蒙を啓いてもらった感じ。知ってみれば,当然ありだよなぁと思うんだけど。
● 一村音楽企画のホームページには,社是というか基本方針が掲載されている。「クラシックのコンサートなのに「楽しかった!」-もっと身近にクラシック」ということだ。
実際,普通のプログラムの演奏会は,乳幼児には負荷が勝ちすぎる。じっと聴いていろというのは無理な相談だ。
未就学児にベートーヴェンの5番の生演奏を聴かせるのは,ほとんど拷問に近いのではないか。受忍限度をはるかに超える音圧が,容赦なく襲ってくるわけだから。
● さらに,クラシック音楽の場合,「エンタテイメント」よりも「芸術」として祭りあげられる度合いが高い。拝聴するという感じになってしまって,楽しむという地点に立てている聴衆は少ないかもしれない。もちろん,自省をこめている。
作法もうるさい。昨今では,聴衆の早すぎる拍手をなんとかしようとオーケストラ側が啓蒙に取り組むなんていう動きもあるようだ。要するに,堅苦しい。
かといって,作法なんか取っ払ってしまえばいいというわけにもいかない。
● 加えて,演奏する側にも聴く側にも,ある種の選民思想のようなものがありそうだ。自分は「芸術」を解する人間だぞ,的な。
それやこれやで,なかなか厄介なところがある。
● 誰もが自分なりに楽しめる演奏を提供するのは,さほどに簡単なことではないように思われる。
30分も40分もかかる交響曲を全部聴かせるのは難しいだろう。プログラムを工夫しなければいけない。今回の演奏会でもメドレーが目立ったけれども。
● 当然ながら,演奏水準を下げてもいいという話にはならない。逆だ。初めての人,馴染みのない人にこそ,圧倒的な水準の演奏を聴いてもらいたい。
ずっとクラシック音楽を聴き続けるためには,初期に圧倒される体験をしておくことが必須ではないかと思っている。初めて聴く人に下手な演奏を聴かせるのは,クラシック音楽嫌いを作っているようなものだ。
● 同時に,すでにクラシック音楽に馴染んでいる人をも楽しませるものでなければならない。ま,そういう人には,普通の演奏会に行ってもらえばいいか。
とにもかくにも,誰もが自分なりに楽しめる演奏を提供するのは,脳みそがキリキリしだすくらいに難しいことではないかと思う。
● 今回の「オーケストラであそぼ!!」はかなり練られた回答だと思った。長く試行錯誤を重ねて,現在のパターンに辿りついたのだろう。
演奏水準は,ぼくが言うのもなんだけど,かなりのハイレベル。
● シュトラウスの「春の声」から始まって,弦,木管,金管,打楽器ごとに,楽器紹介をかねた小曲の演奏。エルガーの「威風堂々」で締めて,第1部が終了。
第2部は,吹奏楽ではよくあるバラエティー番組的というか,聴衆参加のお楽しみタイム的なもの。おおとりは,アンコールのラデツキー行進曲。
● 「花は咲く」に感激した。YouTubeでいくつか聴いたことはあったけれども,生で聴くのは初めてだった。ソプラノの峰岸由佳さんが歌った。それこそ圧倒的な説得力で,参りましたというほかはない状態になった。
まず,東日本大震災というリアルが背後に控えていること。この曲がどこかに持っている叙情性。そして,歌唱。
● そのリアルに日常的に向き合わなければならなかった人たちではなく,安全地帯にいて,寝るところもあり食事の心配もない部外者に,この曲はより響くのだろうなと思う。部外者が,それでも前を向こうとする人たちに,何かを伝えようというのはおこがましいに決まっているんだけど,この曲を歌うことを贖罪にしているような。いい逃げ場ができた的な。
ぼくも命はあったし,家族も無事だったから,部外者の一人なんだけど。
● というようなことも思うんだけども,この曲には抗しがたいっていうか。
しかも,あの声で歌われたのでは。
● 聴衆へのサービスが徹底している。株式会社だからというわけでもあるまい。主催者(矢板市教育委員会)もずいぶん楽だったのではないかと,余計なことを思った。
曲の合間に入る,一村さんのトークが巧いことにも一驚。反射神経がいいんだろうな,流れが切れない。緩急も自在。
場数を踏んでいるからだと言ってしまうとそれまでだけど。
● 開演は午後2時。チケットは1,500円。演奏したのは東京ミュージックランドオーケストラで,指揮は一村誠也さん。
団員は一村音楽企画株式会社の社員でもあるらしい。オーケストラに株式会社の網をかぶせているところがあるのを,今回初めて知った。
こういうやり方もあるのかと蒙を啓いてもらった感じ。知ってみれば,当然ありだよなぁと思うんだけど。
● 一村音楽企画のホームページには,社是というか基本方針が掲載されている。「クラシックのコンサートなのに「楽しかった!」-もっと身近にクラシック」ということだ。
クラシック音楽を,周りの人と和気藹々と,息をひそめずに楽しむ――想像したことがありますか? 私たちはそんなコンサートを提案しています。
赤ちゃん連れからご年配の方々まで,誰だって自分なりに楽しめばいいのです。 音楽というエンタテイメントを限られた人だけのものにしておくテはありません! その感動をすべての人に!● コンサートの多くは「未就学児お断り」になっている。ファミリーコンサートと銘打って,乳幼児も迎えているのもあるけれども,極めて少数だろう。
実際,普通のプログラムの演奏会は,乳幼児には負荷が勝ちすぎる。じっと聴いていろというのは無理な相談だ。
未就学児にベートーヴェンの5番の生演奏を聴かせるのは,ほとんど拷問に近いのではないか。受忍限度をはるかに超える音圧が,容赦なく襲ってくるわけだから。
● さらに,クラシック音楽の場合,「エンタテイメント」よりも「芸術」として祭りあげられる度合いが高い。拝聴するという感じになってしまって,楽しむという地点に立てている聴衆は少ないかもしれない。もちろん,自省をこめている。
作法もうるさい。昨今では,聴衆の早すぎる拍手をなんとかしようとオーケストラ側が啓蒙に取り組むなんていう動きもあるようだ。要するに,堅苦しい。
かといって,作法なんか取っ払ってしまえばいいというわけにもいかない。
● 加えて,演奏する側にも聴く側にも,ある種の選民思想のようなものがありそうだ。自分は「芸術」を解する人間だぞ,的な。
それやこれやで,なかなか厄介なところがある。
● 誰もが自分なりに楽しめる演奏を提供するのは,さほどに簡単なことではないように思われる。
30分も40分もかかる交響曲を全部聴かせるのは難しいだろう。プログラムを工夫しなければいけない。今回の演奏会でもメドレーが目立ったけれども。
● 当然ながら,演奏水準を下げてもいいという話にはならない。逆だ。初めての人,馴染みのない人にこそ,圧倒的な水準の演奏を聴いてもらいたい。
ずっとクラシック音楽を聴き続けるためには,初期に圧倒される体験をしておくことが必須ではないかと思っている。初めて聴く人に下手な演奏を聴かせるのは,クラシック音楽嫌いを作っているようなものだ。
● 同時に,すでにクラシック音楽に馴染んでいる人をも楽しませるものでなければならない。ま,そういう人には,普通の演奏会に行ってもらえばいいか。
とにもかくにも,誰もが自分なりに楽しめる演奏を提供するのは,脳みそがキリキリしだすくらいに難しいことではないかと思う。
● 今回の「オーケストラであそぼ!!」はかなり練られた回答だと思った。長く試行錯誤を重ねて,現在のパターンに辿りついたのだろう。
演奏水準は,ぼくが言うのもなんだけど,かなりのハイレベル。
● シュトラウスの「春の声」から始まって,弦,木管,金管,打楽器ごとに,楽器紹介をかねた小曲の演奏。エルガーの「威風堂々」で締めて,第1部が終了。
第2部は,吹奏楽ではよくあるバラエティー番組的というか,聴衆参加のお楽しみタイム的なもの。おおとりは,アンコールのラデツキー行進曲。
● 「花は咲く」に感激した。YouTubeでいくつか聴いたことはあったけれども,生で聴くのは初めてだった。ソプラノの峰岸由佳さんが歌った。それこそ圧倒的な説得力で,参りましたというほかはない状態になった。
まず,東日本大震災というリアルが背後に控えていること。この曲がどこかに持っている叙情性。そして,歌唱。
● そのリアルに日常的に向き合わなければならなかった人たちではなく,安全地帯にいて,寝るところもあり食事の心配もない部外者に,この曲はより響くのだろうなと思う。部外者が,それでも前を向こうとする人たちに,何かを伝えようというのはおこがましいに決まっているんだけど,この曲を歌うことを贖罪にしているような。いい逃げ場ができた的な。
ぼくも命はあったし,家族も無事だったから,部外者の一人なんだけど。
● というようなことも思うんだけども,この曲には抗しがたいっていうか。
しかも,あの声で歌われたのでは。
● 聴衆へのサービスが徹底している。株式会社だからというわけでもあるまい。主催者(矢板市教育委員会)もずいぶん楽だったのではないかと,余計なことを思った。
曲の合間に入る,一村さんのトークが巧いことにも一驚。反射神経がいいんだろうな,流れが切れない。緩急も自在。
場数を踏んでいるからだと言ってしまうとそれまでだけど。
2015年2月3日火曜日
2015.02.01 栃木県交響楽団第98回定期演奏会
宇都宮市文化会館 大ホール
● 今回はモーツァルトの35番「ハフナー」とマーラーの1番(「花の章」も)。開演は午後2時。チケット(前売券)は1,200円。
● ぼくが初めて栃響の演奏を聴いたのは,2009年6月の第87回定演だった。以後,毎回必ず聴いているわけではないけれども,特別演奏会や年末の「第九」など,栃響の演奏を聴いたのはけっこうな回数になると思う。
その中で,特に記憶に残った演奏会もあれば,そうでないのもある。曲にもよるし,こちらの体調というか態勢の問題もあるだろう。
● で,今回のマーラーは記憶に残る屈指の演奏になった。演奏する側にとっても,相当な手応えがあったのではないかと推測する。
以上である。
● であるからして,以下は基本的に蛇足だ。
これだけの大編隊を組むのだから,技量のバラツキはどうしたって出るはずで,それがもたらす細かいノイズは避けがたい。が,そういうことはほぼまったく気になることはなかった。
演奏の活性度が,ノイズを消化していたように思われる。
● 曲が奏者を乗せることがあるのだろうと思う。曲が自分の方を向けと奏者に強制するというかね。曲に没入させ,あるいは集中させるということ。
同じことは,客席にも言えるわけで,曲が聴衆をして聴くことに集中させる。それがステージに伝わる。
演奏は演奏する側だけで完結するわけではない。聴衆も聴くことを通して演奏に参加する。そこのところがうまく働いた。
● 指揮者(末廣誠さん)の功績も大きかったに違いない。
「花の章」のトランペット,第3楽章のコントラバスもさることながら,コンマスの働きが目立ったように思えた。自身も躍動しつつ,オケを引っぱっていくという。
まだお若いように見受けられる。こういうものに年齢は関係ないという見本のようなものだろう。
● アンコールはモーツァルトの「ドン・ジョヴァンニ」序曲。大曲を終えてホッとリラックスしたところ。それが吉と出たようで,聴く側としてはお得なアンコールだった。
● 次の次は第100回になる。100回とはいえ通過点に過ぎないのも確かであって,あまり仰々しくするのも考えものだ。第一,仰々しさと演奏会は相性が悪い。
とはいえ,記念の100回なんだからな。すでに色々と考えているんだろうけど,何を持ってくるのか今から楽しみだ。
● 今回はモーツァルトの35番「ハフナー」とマーラーの1番(「花の章」も)。開演は午後2時。チケット(前売券)は1,200円。
● ぼくが初めて栃響の演奏を聴いたのは,2009年6月の第87回定演だった。以後,毎回必ず聴いているわけではないけれども,特別演奏会や年末の「第九」など,栃響の演奏を聴いたのはけっこうな回数になると思う。
その中で,特に記憶に残った演奏会もあれば,そうでないのもある。曲にもよるし,こちらの体調というか態勢の問題もあるだろう。
● で,今回のマーラーは記憶に残る屈指の演奏になった。演奏する側にとっても,相当な手応えがあったのではないかと推測する。
以上である。
● であるからして,以下は基本的に蛇足だ。
これだけの大編隊を組むのだから,技量のバラツキはどうしたって出るはずで,それがもたらす細かいノイズは避けがたい。が,そういうことはほぼまったく気になることはなかった。
演奏の活性度が,ノイズを消化していたように思われる。
● 曲が奏者を乗せることがあるのだろうと思う。曲が自分の方を向けと奏者に強制するというかね。曲に没入させ,あるいは集中させるということ。
同じことは,客席にも言えるわけで,曲が聴衆をして聴くことに集中させる。それがステージに伝わる。
演奏は演奏する側だけで完結するわけではない。聴衆も聴くことを通して演奏に参加する。そこのところがうまく働いた。
● 指揮者(末廣誠さん)の功績も大きかったに違いない。
「花の章」のトランペット,第3楽章のコントラバスもさることながら,コンマスの働きが目立ったように思えた。自身も躍動しつつ,オケを引っぱっていくという。
まだお若いように見受けられる。こういうものに年齢は関係ないという見本のようなものだろう。
● アンコールはモーツァルトの「ドン・ジョヴァンニ」序曲。大曲を終えてホッとリラックスしたところ。それが吉と出たようで,聴く側としてはお得なアンコールだった。
● 次の次は第100回になる。100回とはいえ通過点に過ぎないのも確かであって,あまり仰々しくするのも考えものだ。第一,仰々しさと演奏会は相性が悪い。
とはいえ,記念の100回なんだからな。すでに色々と考えているんだろうけど,何を持ってくるのか今から楽しみだ。
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