2015年5月31日日曜日

2015.05.31 作新学院高等学校吹奏楽部 フレッシュグリーンコンサート2015

宇都宮市文化会館 大ホール

● 高校の吹奏楽の多くはこの時期に定期演奏会を行っているようだ。が,作新は定演は10月。その代わりにというか,“フレッシュグリーンコンサート”と銘打って,この時期に演奏会を開催している。
 秋の定演はすでに3回聴きに行っているけれども,グリーンコンサートは今回が初めて。

● なにゆえにフレッシュかといえば,1年生が入ってきたばかり,2年生,3年生も進級したばかりだからだろうけど,演奏会の内容や構成は定演と同じ。
 この学校では年に2回の定期演奏会を開いているようなものだ。

● で,フレッシュと言いながら,上手すぎる。ここからさらに細部を詰めていって,仕上げを施して,吹奏楽コンクールに臨むというわけなのだろうけど,素人にはどこをどう直していけばいいのかがわからなかった。
 わかる人にはわかるわけだ。東関東で勝ちあがっていくには,ここからどこまで行けるかの勝負なんだろうから。

● 第1部で特に印象に残ったのは2つ。ワーグナーの“エルザの大聖堂への行列”。「ローエングリン」の中の一節。
 腕に覚えがあるんでしょうね。押しだしがいいというか,堂々としているというか。前に前に出る感じ。それがワーグナーのこの曲には合っているというか。
 ま,ワーグナーに限らず,たいていはこれで合うんだろうけど。

● もうひとつは,真島俊夫「三つのジャポニズム」より。これはエキゾチック。ジャポニズムと題された曲を日本人が聴いて,エキゾチックと感じるのもいかがなものか。ワーグナーの後に聴いたからだということにしておこう。
 曲が面白い。でも,その面白さを客席に伝えることのできる,ステージ側の技術はやはり大したものと言うしかない。

● 第2部では,まず八木節。和太鼓も入った。当然,日本人にあったノリ。入っていきやすい。曲が蓄えている生命力もすごい。
 真島俊夫「カリビアン・サンダンス」ではスティールパンという楽器が登場。カリブの楽器らしいんだけど,このスティールパンをたたいた女子生徒がすばらしかった。
 リズム感というのでもなく,運動神経というのでもなく,しかしそのどちらでもあって,かつそれ以上のもの。そういうものを持って生まれてきたんだろう。

● 第2部の最後は,ガーシュウィンの「ラプソディー・イン・ブルー」。これは管弦楽で何度か聴いている。CDでも聴いている。ので,馴染みがある。
 馴染みがあるものを聴くとホッとする。ホームに戻ってきたな,と。吹奏楽はぼくにとってはまだアウェイであるようだ。

● 第3部はドリルステージ。「千と千尋の神隠し」に合わせた合奏とパフォーマンス。誰がデザインするんですかねぇ,ラインの取り方なんかねぇ。
 旗の使い方は各校の特徴がありますね。何というか,その特徴が毎年変わらないっていうか。

● クラリネットを吹いていた部員が,3月に芸大に合格したらしい。おそらく,来年も芸大合格者は出るのじゃないか。たぶん,複数。
 ただし,行けるからといって行ってしまうのが賢い選択かどうかは,おのずと別の問題になる。賢かったかどうかは選択してみないとわからないという,究極の厄介さが控えているわけだけど。

● ここまで高い技量を備えた部員を抱えているのが,この学校の強みかもしれない。
 スタープレーやヤーだけでは戦えないにしても,スタープレーヤーの波及効果は大きいはずだ。アベレージを引きあげるのに一番いい方法は,トップを伸ばすことらしいから。

● 10月の定期演奏会の前売券を販売していた。必ず行くと思うので,ここで購入。
 裏面に刻印されている番号は00001だった。

2015.05.30 Bourgeon Cello Quartet First Recital

宇都宮市文化会館 小ホール

● ブールジョンチェロカルテット。メンバーは次の4人。香月麗,築地杏里,佐山裕樹,濱田遙。4人とも桐朋の1年生。
 佐山さんは,昨年度のコンセールマロニエ21本選に出場していた。当然,演奏も聴いている。チャイコフスキーの「ロココ風の主題による変奏曲」だった。
 そのときから1年経っていないんだけれども,だいぶ大人びているという印象を受ける。この年齢層の若者はすべからくそうですよね。

● 開演は午後7時。チケットは1,500円。
 今月,東京で二度の演奏会を行っている。この宇都宮が三回目。これでFirst Recitalは終了となる。なぜ宇都宮が選ばれたかといえば,佐山さんの地元だからでしょ。

● 曲目も,東京のときとは違っていて,ラフマニノフの「ヴォカリーズ」やフォーレの「夢のあとに」などが加わっている。
 気を遣って,わりとポピュラーな曲を入れてくれたんだろうか。宇都宮だからなぁ,って。と考えるのは,自虐が過ぎるというものでしょうね。
 ともあれ。そのためにピアノの百瀬功汰さんも登場。彼もまた桐朋の1年生。

● まずは4人で,フィッツェンハーゲン「演奏会用ワルツ」。
 フィッツェンハーゲンという作曲家,もちろん知らなかった。チェロに限らず,フルートやクラリネットなど,その楽器のために作られた曲がたくさんあるけれども,ぼくは曲名も作曲家もほぼ知らないと言っていい。

● で,演奏はというと,円熟っていう言葉が浮かんできた。大学1年生の演奏を聴いて,円熟。
 中学生には中学生の,大学生には大学生の,30代には30代の,50代には50代の,そして70代には70代の円熟があるような気がするよね。
 70歳っていったって,70歳になった人は初めて70歳になったのであって,70歳の経験を前もって知っていたわけではない。70歳としては初心者だ。円熟していない70歳もいるはずだ。何せ,70歳の経験は初めてするものなのだから。

● 円熟ってそもそもどういう状態を指すんだろうか。普通に音楽雑誌に載っている評論(?)に出てくる「円熟」という言葉については,ここでは次のように定義しておきたい。
 当該演奏を形容するのに他に適当な語彙を持たない評者が,一定以上の年齢層の奏者に対してしばしば用いる言葉である。適用範囲が無限大であることと,反駁可能性を閉ざすことができるので,便利に用いられる。

● ともあれ,彼らの演奏に円熟を感じてしまいましたよ,と。大学生なりの円熟ってある。そこから脱皮して,また次の円熟を迎えるのだろう。そしてまた次,と。
 逆に,そのときそのときで円熟しないと,次の円熟を迎えられないのかもね。

● 次は,ラフマニノフの「ヴォカリーズ」。濱田さんのチェロに,百瀬さんのピアノ伴奏。
 これは有名すぎる曲で,いろんな想像をたくましくさせる。たとえば,30歳近くの,自分はもう若くないと思っている女性が,失った恋を回想しているシーンに似合いそうだ。
 この場合,その女性が細おもての美人であれば情景としてはピッタリなわけだけど。
 ただし,だね。現実世界においては,細おもての美人ってのはぼくなら敬して遠ざけたいね。その前にこっちが相手にされないだろうけどさ。

● このあとは,香月さんがシューマン「幻想小曲集」から第1曲と第3曲を,築地さんがフォーレ「夢のあとに」を,百瀬さんのピアノ伴奏で。
 続いて,百瀬さんがスクリャービンのピアノソナタ4番を。

● 佐山さんがカサドの無伴奏チェロ組曲の第3楽章。客席の拍手が最も大きかったのは,ここ。彼が地元出身者であることを知っていたのだろう。あるいは,応援団が来ていたのかもしれない。
 佐山さんご自身は,高校の3年間は東京まで新幹線通学をしていたらしい。

● ここで佐山さんがバンド紹介。このチェロカルテットの紹介をした。4人は高校から一緒で,いつか一緒に演奏しようと話してて,それがついに実現したということ。
 10年後にはそれぞれ別の道を歩いている。一緒に演奏するなんてあり得ない。こういうのは学生時代にしかできない。学生時代にしかできないことを学生時代にやる。
 やりたいと思っていたことが,大学1年のときに実現してしまう。それがかなり羨ましい。経緯はどうあれ,リサイタルを開催できる実力の持ち主たちだったから,というのが一番の理由だろうけど。

● 次は伊藤栄乃さんが作曲した小曲を。彼女も桐朋(作曲科)の1年生。
 本人もステージに上がったんだけど,まだ幼さを残したお嬢さん。あと1~2年でれっきとしたレディになるんだから,この時期の若者の変わりようはまばゆいばかりだ。
 成長過程にある人が羨ましい。その羨ましさっていうのは,成長過程を目一杯に満喫している感じから受けるのだと思う。
 問題は,ではその頃に戻してやるかと言われても,謹んでご辞退申しあげたいことで,なぜかというに,戻されたところで今度はうまくやれるなんていう自信は皆無だからだ。

● 最後はバッハの「シャコンヌ」。チェロでやるとこうなるのか。ピアノ,吹奏楽,弦楽四重奏では聴いたことがあるけれども,この曲を聴いて何らかの不満をもらす人はたぶんいないと思う。
 この曲があれば他は要らないじゃないかとまでは思わないけれども,この曲があるのとないのとでは,音楽世界はだいぶ違ってくるのではあるまいか。
 CDで繰り返し聴く曲って,そんなに多くはない。この曲はそのひとつ。が,もっぱら管弦楽版を聴いているんだけど。

● 将来の大器の演奏を青田刈りで聴いたっていう感じですかね。そのコストはわずかに1,500円。ありがたい機会だったと思う。
 そこを見逃さないで出かけたんだから,オレも偉いなってなもんだ。

2015年5月28日木曜日

2015.05.24 宇都宮シンフォニーオーケストラ第14回定期演奏会

宇都宮市文化会館 大ホール

● クラシック音楽の愛好家(聴くほうの)は世の中にあまたいらっしゃる。クラシックに特化したブログも数えきれないほどにネット上に存在している。
 じつは,それらを読まないようにしている。なぜというに,読んでしまうと,自分がこういうブログを書いている意味が疑わしくなってくるからだ。もっというと,書く資格が自分にあるのかどうかも。


● ところが,ときどきは読んでしまう。そうすると,存分に劣等感が刺激されることになる。
 そもそもの耳の感度。鑑賞能力。曲とその背景に対する理解。音楽を聴いている期間の長さ(キャリア)。聴き始めた年齢。語彙の豊富さ。文章表現の巧みさ。
 自分はそのどれにおいても劣るというのはわかるわけでね。さて,ではどこに立ち位置を求めればいいのか。そんな場所は残っていないのじゃないか。


● その隙間を地元密着に求めて,ノラリクラリと今まで書いてきたんだけどね。そろそろ年貢の納め時かもしれないなぁ。ま,何とかしぶとく,しがみついていたいとは思うんだけど。
 などと思いながらこれを書き始めた。


● 管弦楽は今月10日に宇都宮ジュニアオケを聴いたばかり。なんだけど,ずいぶん昔のことのような気がする。この感覚って,久しく味わったことがない。この間,何があったってわけでもないんだけどね。
 開演は午後2時。チケットは1,000円。当日券を購入。曲目は次のとおり。
 ブラームス 大学祝典序曲
 ラフマニノフ ピアノ協奏曲第2番
 ブラームス 交響曲第1番


● ブラームスの1番。ブラームスが長年かけて完成させたわけだけれども,彼の4つの交響曲の中でも最も高揚感に満ちていると思われる。
 偉大すぎるベートーヴェンの背中が眼前にあったはずだ。ベートーヴェンと自分の間には誰もいない。途方にくれるのと光明を見いだすのと,その繰り返しだったかもしれない。放り投げようと思ったこともあったか(いや,それだけはなかったか)。


● ベートーヴェンとの格闘に注がざるを得なかったエネルギーの総量は,凡人の想像が及ぶところではないけれども,その熱が曲の全体に充満していると,こちらは勝手に受けとめる。
 この曲の4つの楽章が保持している質量たるや,とんでもないものだということくらいは,ぼくでも感じる。朝,ちょっと聴いてみようかとCDをかけるとエラい目にあう。この曲を聴くんだったら,それ相応の覚悟を要する。


● ベルリオーズのように競技ルールを変更することを自らに許さなかった。ベートーヴェンが敷いたレールのうえで勝負したいと思ったのか。
 律儀という単語を思いだす。シューマン夫妻への献身や,ドヴォルザークへの細やかな対応をみると,いっそうその感を強くする。宮沢賢治的な気配を感じたりもする。
 まぁ,勝手な受けとめ方ではあるんだけどね。


● この曲は高揚感に満ちていながら,基本姿勢はいたって端正だ。ゆえに,演奏もまた端正であってほしい。突き抜けていいところなど,この曲の中には1ヶ所もない。ピシッと統制がとれた演奏であってもらいたい。
 波やうねりはもちろんある。どこまであがるんだと思うところもある。が,基本は抑制でなければならないと,これまた勝手に思っている。どんな曲でもフライングは厳禁だろうけど,この曲ではいっそうそうだ。

● と偉そうに語っているんだけどねぇ,演奏する側はどんな気持ちで演奏してるんだろうか。こういう容易ならざる曲に対して。
 2楽章のコンミスのソロ。3楽章の木管の連弾(という言葉をここで使っていいのか?)。4楽章のステージがせりあがるかのような重厚な高揚。
 聴きどころはいくつもあった。奏者側からすれば聴かせどころ。そのどれもが聴かせてくれるものだった。たいしたものだ。
 いや,実際,疲れると思うんですよねぇ。聴いてる側がこれだけ疲れるんだからねぇ。文字どおりの意味で,体力って大事なんだろうな。


● ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番。ピアノは越田美和さん。彼女のピアノを堪能すればいいわけだ。が,協奏曲はやっぱりバック(管弦楽)が締まっていることが大事だよね。
 ソリストと指揮者とオケが三つどもえになって押したり引いたりってのもあるのかもしれないし,ソリストがオケを引っぱるってこともあるのだろうけれども,押そうが引こうが引っぱろうが引っぱられようが,演奏の出来を決めるのは管弦楽のような気がする。


● であればこそ,ソリストも乗っていけるのではあるまいか。乗ってオケを引っぱることもできる。オケがこけちゃってたら,引っぱる気にもならないもんね,たぶん。というわけで,このオーケストラであればこそ。
 高名なピアノ協奏曲を生で聴いている,今ここに自分はたしかに存在しているっていう,自分に対するリアリティーのようなものを感じることができた。

2015年5月14日木曜日

2015.05.10 宇都宮ジュニアオーケストラ第19回定期演奏会

栃木県総合文化センター メインホール

● 昨年は聴けなかったけれども,これが4回目になる。開演は午後2時。入場無料。

● 団員名簿を見ると,下は小6で上は大学2年生まで。20歳まで在籍できるんだろうか。一昨年に比べると,年少組が減って高校生クラスが増えたような感じを受ける。
 自然淘汰ってあるんだろうかなぁ。巧い人が残ったっていう印象があった。同時に,一昨年はいたあの子,なんでいなくなっちゃったんだろ,もったいないなぁ,っていうのも。

● 曲目は次のとおり。
 エルガー 「威風堂々」第1番
 ビゼー 組曲「アルルの女」より
      第1組曲からは“前奏曲”,“メヌエット”,“カリヨン”
      第2組曲からは“パストラーレ”,“間奏曲”,“ファランドール”
 ドヴォルザーク 交響曲第8番 ト短調

● 「威風堂々」なんか文字どおりに堂々たるものだ。自信を持って演奏してたっぽいのが良かった。充分に練習してたんですかねぇ。
 大人のエキストラもけっこうな数いたんだけどね。

● サクソフォンが一人入って,「アルルの女」。これも安心して聴いていられた。
 管弦楽を聴くのは久しぶりな気分なんだけど,やっぱいいものだなぁと素朴なことを感じながら聴いていた。

● メインのドヴォルザーク8番。今回のプログラムはどの曲も木管の出番が多い。フルートの巧さは格別だと思えたけれども,オーボエ,クラリネットもそれぞれ健闘。っていうか,巧いよねぇ。
 3楽章はスィーティーでやや憂愁をおびた短調の舞踏曲(じゃないかもしれないけど,要するにワルツ)。ここが好きだという人は多いと思うんだけど,なんかねぇ,ジュニアなのに色気がありましたねぇ,この部分。
 4楽章の始まりを告げるトランペットのファンファーレもハモっていたし,透明感があったしね。

● 一昨年より明らかにレベルが上がっているという印象。が,ジュニアってそんなに巧くなくてもいいような気もする。
 そもそもが小学生から大学生までいたんじゃ,個々の奏者のレベルなんて揃いっこないわけで,揃わなくたって別にかまわないんじゃないか。
 そうでもないのかね。技術の追求って,求心力があるんだろうとは思うけど。ブラックホールのようなものでね。

2015年5月7日木曜日

2015.05.06 宇都宮南高等学校吹奏楽部第7回定期演奏会

宇都宮市文化会館 大ホール

● 一昨年に続いて,二度目の拝聴。開演は午後2時。入場無料。
 一昨年は男子生徒はゼロだったのに対して,今回は36人中2人が男子だった。女子しかいないと何か困ることがあるかといえば,たぶん,それはないんだと思うけれども,たとえ少数とはいえ男子がいると,何がなしホッとするところがある。
 ぼくが男だからか。そういうわけでもないと思うんだけどね。

● 第3部ではラヴェルの「ボレロ」を演奏。こういう曲を演奏してノーミスで通せたら素晴らしい。躓きの元がそちこちにある。
 高校生にとっては挑戦だったと思う。善戦していたと思いました。

● 挑戦だとすれば,ノーミスで通すよりも,もっと大事なことがあるのかもしれない。演奏する側にしかわからないこと。
 ぼくとしては,脳天気に,まず曲に負けないことだね,とか言いたくなる。曲に圧倒されないこと。オズオズと曲に対さないこと。
 といっても,この曲に対するに,そういう姿勢を取れる人なんているのか,っていうことだよね。

● 「オペラ座の怪人」は楽しそうにやっていたように見えた。それが一番だ。これをトリに持ってきたのは正解だったと思う。

● 第1部ではラフマニノフの「交響的舞曲」も演奏した。第3楽章のみだったけれども,「ボレロ」といい「交響的舞曲」といい,クラシックの正統派を揃えてきた感じ。
 こうした選曲って,吹奏楽ではわりと見かけない。とにもかくにも,これらを形にできるっていうのは,基礎体力には問題がないってことですか。

● 吹奏楽に必ずあるのが課題曲の演奏ですね。コンクールの課題曲ね。コンクールがいくつもあるようなんだけど,これ,功罪の両方があるんだろうな。
 高校吹奏楽の指導者層の間にも,コンクールの是非については賛否両論あるのじゃないかと推測する。いや,両論だけじゃなくて,百花繚乱的な意見があるのかもしれない。

● 一部の曲は,顧問の先生ではなく,佐川聖二さん(元東京交響楽団首席クラリネット奏者)が指揮した。佐川さんの指導をどのくらいの頻度で受けているのかわからないけれど,学校側も力を入れているんだろうか。そうそう予算はないと思うんだけどね。
 ただ,佐川さんの背中を見るだけでも上達する年齢なのかもしれない。高校生って。

● 司会者もいて,CRT栃木放送アナウンサーの福嶋真理子さん。ご自身も音大でトロンボーンを専攻していた。さすがに詳しい。
 うるさくならない程度に蘊蓄を披露していた。

● 惜しむらくは,客席がやや閑散としていたこと。ステージでこれだけの演奏をしているのに,客席がこれだけなのはなんでなんだろ。
 部員が36人と少なめであることですか。それもあるにしても,それだけでもなさげだな。ちょっともったいない。

2015年5月6日水曜日

2015.05.04 第20回マーキュリーバンド定期演奏会

宇都宮市文化会館 大ホール

● 3年連続で3回目の拝聴となる。開演は午後2時。入場無料。

● 20回目の今回,持ってきたのはバーンスタインの“シンフォニック・ダンス”。これが聴きたくて出かけていったというわけなんだけど,ではこの曲好きなのかと問われると,どうも回答に窮するところがある。
 今年の2月にオーケストラで聴いている。で,気にはなった。けれども,とっつきにくいとも思った。何これ,雑音じゃない? と思う人もいるかもしれない。

● プログラム・ノートの曲解説によれば,「クラシック,ジャズ,ポピュラー・ミュージック,ラテン音楽などが混合されており,ラテン音楽の打楽器が数多く使用」されている。
 っていうか,指パッチンまで使われているからね。
 同じくプログラム・ノートの団長あいさつによれば,この曲は「とてもリズムが楽し」いということ。

● ジャズとかラテン音楽までカバーしてないと聴いても楽しくないってこと?
 そんなはずないだろ。好き嫌いはあるにしても,事前学習を要求するような音楽だったら,あんなにヒットするはずがない。

● ゴチャゴチャ言ってないで,とにかく聴いてみろってことだね。
 いかにもアメリカだなと思った。そのアメリカ的なるものっていうのは,こっちが勝手に作りあげたイメージでしかないわけだけど。
 あまり小難しく考えないノーテンキさ(のようなもの)も感じるし,空間の広がりも想像しようと思えば想像できるし,ごった煮的に何でもあるという印象も受けるし,細かい木理より展開の起伏を大事にしているようでもあるし。
 要するに,聴く側の勝手な想像を許容する懐の深さがある。

● おそらく,この曲を聴くについては,ミュージカルの舞台を(DVDでいいから)観ておいたほうがいいんだろうな。舞台の設え,俳優の動きやセリフのタイミング,そういったものを踏まえて聴くと,音楽の背景が具体的にわかるだろうから。
 もっといいのは,そこまで脳内で生成できる能力があることだけどさ。

● といっても,この“シンフォニック・ダンス”は,「ウエスト・サイド・ストーリー」の組曲版のようなもので,舞台からいったん切り離して,音楽だけで自立させている。
 舞台を観ておかないとっていうのも,ちょっと筋違いかねぇ。

● ともあれ。“シンフォニック・ダンス”だけで観客を放りだすようなことをマーキュリーバンドはしないわけで,第2部でちゃんと救いの手をさしのべてくれる。
 で,ぼくのような者でも,帰るときにはそれなりに折り合いがついた気分になることができる。

2015年5月4日月曜日

2015.05.03 宇都宮北高等学校吹奏楽部第29回定期演奏会

宇都宮市文化会館 大ホール

● 4年連続で4回目の拝聴。ぼく的には,黄金週間の定例行事になった感がある。
 開演は午後1時半。チケットは800円(前売券の自由席)。

● 生徒さんたちが全力でステージを作っていることは,直截に伝わってくる。これはもう,ビンビンと言っていいほどに。
 ならば。
 こちらも全力で聴き,全力で観なければならない。耳と目をカッと見開いて,入ってくる情報のすべてを受けとめなければならない。
 自分にそれができるかどうかは別問題だ。現に,現時点ではできていない。
 が,心構えはそうありたい。

● 恒例の3部構成。
 まず,第1部。プログラムは次のとおり。
 ショスタコーヴィチ 祝典序曲
 久石譲・木村弓 Spirited Away
 ストラヴィンスキー バレエ組曲「火の鳥」より“序奏”,“王女たちのロンド”,“魔王カスチェイの凶悪な踊り”,“子守唄”,“終曲”。

● 選曲に衒いや小細工はない。演奏もまた同じ。
 直球勝負の「祝典序曲」で客席を掴む。高校生がちょっと背伸びをして(していないのかもしれないけど)大人の演奏をする。自分が聴きたいのはこういう演奏なんだと気づかされる。

● 「火の鳥」ではホルンの1番奏者(という言い方をしていいんですか)が印象的。捌きの見事さ,見た目の美しさ。
 終演後,指揮者もまっ先に彼女を立たせて,客席に紹介した。むべなるかな。

● 「火の鳥」って,相当に難易度が高いと思うんだけど,きっちり形にしてくるのはさすがというべきでしょうね。
 以上を要するに,北高クォリティは健在である,と。

● 第2部はマリンバの安倍圭子さんを招いて,安倍さんが作曲した「The WAVE」(独奏マリンバと吹奏楽の為の小協奏曲)を演奏。
 安倍さんが語ったところによると,この曲を作るにあたって念頭にあったのは,世界で進んでいる自然破壊であったらしい。このままでは地球はダメになる,と。それに心を痛めていた,と。

● ではどうすればいいか。人間の叡智を信頼して,次世代に託す。
 ん? それって,解決を放棄して,問題を先送りしようってこと?
 といっても,市井の人間に具体的に何ができるのかってことになると,祈ることしかできないというのは,しごくまっとうな結論ではある。国内ならともかく,よその国のことであればなおさら。
 ともかく,その祈りを曲にした,ということだった。

● 曲の動機になったのは,そうした思いであったとしても,動機とできあがった作品は別物だ。問題は作品であって,作曲者の動機や思いではない。
 でね,動機はありふれたものであったとしても,そこから素晴らしい作品をものするのが,芸というか才能というか。

● 安倍さん,かなりの御歳と見受けられるんだけど,彼女の演奏が始まったとたん,そこから目を離すことができなくなった。
 というと,不遜な言い方になるかもしれない。目を離すことを許さないという感じね。一流とはこういうものかっていう,オーラというのか気迫というのか,それがドバーッっと放出される。
 ぼくの小賢しい理屈など一発で吹き飛ばされる。

● ところで。安倍さんにインタビューした女子生徒がアナウンサーばりの声の持ち主だった。プログラムノートにも「口を開くと見た目を裏切るアナウンサーのようなvoiceが飛び出します」と紹介されているんだけど,まったくそのとおり。
 声だけじゃなくて,発声の流れも天然なのか研究したのか,アナウンサーのそれ。いろんな生徒がいるんだねぇ。

● 第3部は,今年は「サウンド・オブ・ミュージック」。自分たちも楽しみながら,観客を楽しませようということですか。
 「自分たちも楽し」んでいるように見えたんだけど,そう見せるのも芸のうちなのかなぁ。

● トランプ大佐役の女子生徒がどうしたって人目をひく。男装の麗人的なイメージ。
 宝塚だって,娘役より男役のほうが人気がでるんでしょ。これ,わりとお得な役回りだよね。

● この演奏会の特色のひとつは,他校の生徒がかなりの数,聴きに来ていること。ぼくの後の席にも,宇都宮市内の女子高の生徒が何人か座っていた。
 彼女たちの口は休憩ということを知らないね。それこそ休憩時間はずっと喋りっぱなし。何だかね,恐怖に似たものを感じてしまったんですけどね。絶対,俺,勝てねえぞ,っていうね。

● この学校の演奏会は,いきなり演奏から始まる。演奏で終わる。演奏以外のものはステージに登場しない。
 演奏会には演奏以外のものはあってはならないとぼくは思っているんだけれども,なかなかそうもいかないという事情があるだろう。
 が,ここは演奏以外の雑音(たとえば,校長あいさつ)はステージに乗せない。演奏にすべてを語らせる。その潔さがいい。もって範とすべき例ではないかと思う。

2015.05.02 矢板東高等学校合唱部・吹奏楽部 第12回プロムナードコンサート

矢板市文化会館 大ホール

● この高校がプロムナードコンサートと銘打った定期演奏会を開催していることは,前から知っていた。なかなか行けないでいたんだけど(他のコンサートと重なったりしてね),今回,初めてお邪魔することができた。
 開演は13時30分。入場無料。

● 会場は矢板市民会館の大ホール。言っちゃなんだけど,このホールにこれだけのお客さんが入るのは滅多にないような気がするね。
 過半は学校関係者だったと思う。そうだとしても,相当な賑わいと華やかさがあった。

● 内容は3部構成。第1部は合唱部。コダーイの「Adventi ének」で始まった。
 まず感じたのは駒の少なさ。特に男声はテナーが2人,バスにいたっては1人しかいない。男声が少ないのはどこでも同じだと思うんだけど,さすがにこれは,っていう。
 1学年4クラスと生徒数もさほど多くないらしい。やむを得ないところでしょうかねぇ。

● が,少ないからダメだってことでもなくて,少数精鋭なのだともいえる。少数精鋭にしたければ,精鋭を少数集めるという発想ではダメで,少数にしてしまえば自ずと精鋭になると考えるのが現実的だ。
 とはいうものの,女子10人に対して男子3名では,女圧(?)に抗するのもなかなか難しいだろう。特にソプラノはかなりの水準にあるようだったしね。

● と思うんだけど,見ているとそうでもないようなんだよねぇ。3人ともわりと闊達にやれている感じがした。
 今の高校生のビヘイビアを昔と同じに考えてはいけないのかもしれない。ひょっとして,女子を女子として意識していないのか。高校生の年齢でそれはあり得ないと思うんだけどね。

● 第2部は吹奏楽。客席を楽しませる,盛りあげることに照準を合わせているようだった。その狙いは120パーセント達成されたろう。
 人を楽しませるって,それ自体が楽しいんでしょうね。であれば,こちらも思いっきりはじけてあげるのが礼儀というものだ。なかなか礼儀どおりにはできないんだけどさ。

● ぼく的には,最後にOB・OGも入って演奏した,樽屋雅徳「ノアの方舟」が最も印象に残った。音に厚みがあった。曲調に乗った音のうねりも力がこもったもので,何より聴いていて気持ちが良かった。
 できうれば,こういう曲,もう少し聴かせて欲しかったかな,という。

● それと,忘れてはいけないのが,付属中の生徒が演奏した,福田洋介「The Phoenix Spirit」。
 吹奏楽って,だいたいどこでもフルートは巧いんだよね。フルートが下手なところってそんなにないような気がする。この演奏でもフルートは達者が揃っていた。
 オヤッと思ったのはホルンを吹いていた女子生徒。たぶん経験はそんなに長くはないんじゃないかと思う(中学生だしね)。でも,あの難しい楽器を上手に操っていた。捌きがサマになっているっていうか。

● 彼らがこれから高校生になっていくわけだ。となると,楽しみだね。県北に吹奏楽の名門が誕生するやもしれぬ,と思わせるものがあった。
 付属中の1期生はすでに高1になっていて,その1年生部員が20名を超えているようだから,陣容は整いつつあるのかもね。

● 第3部は,両部合同で「ライオンキング」。吹奏楽部はピットで演奏し,合唱部が舞台で歌う。さすがにダンスはない。
 高校生たちが客席に懸命のサービス。こちらはその一生懸命を受けとめればいいだけだ。
 が,ここでも,中年男にはそれがなかなか難しいんだな。たぶん,劇団四季のミュージカルも女性客が圧倒的に多いのではないかね(ぼくは行っていない)。

● ちなみに,この劇で一番目立っていたのは,スカー役の女子生徒。演技上手。大人びていた。
 ひょっとすると,悪役ってやりやすいんですか。テレビのドラマなんかでも,はすっぱな女性の役って,誰がやってもだいたいはずさないっていう印象があるんだけどね。
 ともかく。こういう場では目立ってなんぼだ。

● 高校生のパワーってかなりすごくてね。受けとめきれないというか,受けとめる術を持ち合わせていないというか。
 1時半に始まって,終演は5時近かった。合唱と吹奏楽の合同演奏とはいえ,これだけの時間をちゃんともたせるんだから,天晴れと言っていいと思う。