宇都宮市文化会館 小ホール
● ブールジョンチェロカルテット。メンバーは次の4人。香月麗,築地杏里,佐山裕樹,濱田遙。4人とも桐朋の1年生。
佐山さんは,昨年度のコンセールマロニエ21本選に出場していた。当然,演奏も聴いている。チャイコフスキーの「ロココ風の主題による変奏曲」だった。
そのときから1年経っていないんだけれども,だいぶ大人びているという印象を受ける。この年齢層の若者はすべからくそうですよね。
● 開演は午後7時。チケットは1,500円。
今月,東京で二度の演奏会を行っている。この宇都宮が三回目。これでFirst Recitalは終了となる。なぜ宇都宮が選ばれたかといえば,佐山さんの地元だからでしょ。
● 曲目も,東京のときとは違っていて,ラフマニノフの「ヴォカリーズ」やフォーレの「夢のあとに」などが加わっている。
気を遣って,わりとポピュラーな曲を入れてくれたんだろうか。宇都宮だからなぁ,って。と考えるのは,自虐が過ぎるというものでしょうね。
ともあれ。そのためにピアノの百瀬功汰さんも登場。彼もまた桐朋の1年生。
● まずは4人で,フィッツェンハーゲン「演奏会用ワルツ」。
フィッツェンハーゲンという作曲家,もちろん知らなかった。チェロに限らず,フルートやクラリネットなど,その楽器のために作られた曲がたくさんあるけれども,ぼくは曲名も作曲家もほぼ知らないと言っていい。
● で,演奏はというと,円熟っていう言葉が浮かんできた。大学1年生の演奏を聴いて,円熟。
中学生には中学生の,大学生には大学生の,30代には30代の,50代には50代の,そして70代には70代の円熟があるような気がするよね。
70歳っていったって,70歳になった人は初めて70歳になったのであって,70歳の経験を前もって知っていたわけではない。70歳としては初心者だ。円熟していない70歳もいるはずだ。何せ,70歳の経験は初めてするものなのだから。
● 円熟ってそもそもどういう状態を指すんだろうか。普通に音楽雑誌に載っている評論(?)に出てくる「円熟」という言葉については,ここでは次のように定義しておきたい。
当該演奏を形容するのに他に適当な語彙を持たない評者が,一定以上の年齢層の奏者に対してしばしば用いる言葉である。適用範囲が無限大であることと,反駁可能性を閉ざすことができるので,便利に用いられる。
● ともあれ,彼らの演奏に円熟を感じてしまいましたよ,と。大学生なりの円熟ってある。そこから脱皮して,また次の円熟を迎えるのだろう。そしてまた次,と。
逆に,そのときそのときで円熟しないと,次の円熟を迎えられないのかもね。
● 次は,ラフマニノフの「ヴォカリーズ」。濱田さんのチェロに,百瀬さんのピアノ伴奏。
これは有名すぎる曲で,いろんな想像をたくましくさせる。たとえば,30歳近くの,自分はもう若くないと思っている女性が,失った恋を回想しているシーンに似合いそうだ。
この場合,その女性が細おもての美人であれば情景としてはピッタリなわけだけど。
ただし,だね。現実世界においては,細おもての美人ってのはぼくなら敬して遠ざけたいね。その前にこっちが相手にされないだろうけどさ。
● このあとは,香月さんがシューマン「幻想小曲集」から第1曲と第3曲を,築地さんがフォーレ「夢のあとに」を,百瀬さんのピアノ伴奏で。
続いて,百瀬さんがスクリャービンのピアノソナタ4番を。
● 佐山さんがカサドの無伴奏チェロ組曲の第3楽章。客席の拍手が最も大きかったのは,ここ。彼が地元出身者であることを知っていたのだろう。あるいは,応援団が来ていたのかもしれない。
佐山さんご自身は,高校の3年間は東京まで新幹線通学をしていたらしい。
● ここで佐山さんがバンド紹介。このチェロカルテットの紹介をした。4人は高校から一緒で,いつか一緒に演奏しようと話してて,それがついに実現したということ。
10年後にはそれぞれ別の道を歩いている。一緒に演奏するなんてあり得ない。こういうのは学生時代にしかできない。学生時代にしかできないことを学生時代にやる。
やりたいと思っていたことが,大学1年のときに実現してしまう。それがかなり羨ましい。経緯はどうあれ,リサイタルを開催できる実力の持ち主たちだったから,というのが一番の理由だろうけど。
● 次は伊藤栄乃さんが作曲した小曲を。彼女も桐朋(作曲科)の1年生。
本人もステージに上がったんだけど,まだ幼さを残したお嬢さん。あと1~2年でれっきとしたレディになるんだから,この時期の若者の変わりようはまばゆいばかりだ。
成長過程にある人が羨ましい。その羨ましさっていうのは,成長過程を目一杯に満喫している感じから受けるのだと思う。
問題は,ではその頃に戻してやるかと言われても,謹んでご辞退申しあげたいことで,なぜかというに,戻されたところで今度はうまくやれるなんていう自信は皆無だからだ。
● 最後はバッハの「シャコンヌ」。チェロでやるとこうなるのか。ピアノ,吹奏楽,弦楽四重奏では聴いたことがあるけれども,この曲を聴いて何らかの不満をもらす人はたぶんいないと思う。
この曲があれば他は要らないじゃないかとまでは思わないけれども,この曲があるのとないのとでは,音楽世界はだいぶ違ってくるのではあるまいか。
CDで繰り返し聴く曲って,そんなに多くはない。この曲はそのひとつ。が,もっぱら管弦楽版を聴いているんだけど。
● 将来の大器の演奏を青田刈りで聴いたっていう感じですかね。そのコストはわずかに1,500円。ありがたい機会だったと思う。
そこを見逃さないで出かけたんだから,オレも偉いなってなもんだ。
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