栃木県総合文化センター メインホール
● 今回はハイドンの『オラトリオ天地創造』。このCDはたしか2枚持っている。アーノンクールとカラヤンだったか。
だったかというのは,どちらも聴いたことがないからで,なぜ聴いたことがないかといえば,歌詞の意味がわからないからだ。
オペラのCDもあるけれども,はやりまず聴くことがない。理由は同じ。
● 部屋に座ってゆったりと聴くということをぼくはしない。だいたいスマホにイヤホンをつないで聴いている。つまり戸外で聴く。そういうのを聴くというのかという意見もあるだろうけれども,そういった聴き方しかしていない。
となると,歌詞カード(?)を見ながら聴くことはありえないし,オラトリオやオペラのような長い曲は,結果的に敬遠することになりがちだ。
● であればこそ,グローリアが年に1回,声楽が入った大曲をやってくれるのがありがたい。しかも,宇都宮で。
開演は午後2時。チケットは2,000円。当日券を購入。
● で,『天地創造』である。当然,「旧約聖書」の「創世記」から取っている(第3部はミルトンの「失楽園」)。
客席にいたほとんどの人がそうだと思うんだけど(ステージで演奏していた人たちも同じだろう),ぼくも聖書は読んだことがない。ので,「創世記」ってこういう話だったのかと,今回,初めて知ったというわけだ。
率直にいって,このストーリー,じつに深みがない。幼稚なつじつま合わせにすぎない。
重箱の隅を突く言い方になってしまうけれども,神が光りあれと言われてから,太陽を創造するまで間があるのだ。その間,光はどんなあり方をしてたんだろうと思ってしまう。
● 日本の古事記に出てくる神話も同じだし,ギリシャ神話もしかりだ。それに深みを見つけるのが,神話学なり宗教学の仕事なのだろう。
逆に,こういう話に小学校の理科程度の知識でもってチャチャを入れるほうが,人間性を疑われるべきなのだろう。
● 神が自らの似姿をもって人間を創造してからは,一夫一婦制の賛歌になる。人間が地に満ちなければならないんだから,それが当然だ。男と女が夫婦になって子を産まなければならない。
ここでは,神はまず男を創って,男の一部から女を創る。常識的に考えると,女が産む性なんだから,まず女を創って,女の一部から男を創るのが理にかなうように思われるんだけど,ユダヤの神はそういう創り方をされなかったのだ。
● 曲調は軽い感じ。おどろおどろしくない。ハイドンは過度に神々しくはしなかったようだ。
神の御業を称えるための曲だ。何をもって称えるかといえば,まずは声楽の言葉をもってするわけだが,器楽もまたそれに寄り添う。器楽が言葉を霞ませてしまうような事態を避けたのだろうか,と埒のないことを思ったりした。
● 第3部はグングンと上にあがっていく。神が自分たちを創造してくれたことを,アダムとエヴァが全身全霊で言祝いでいるようだ。
現代的(?)な視点で見れば,やったぜ,創ってもらっちゃえばあとはこっちのもんだぜ,と大喜びしているふうでもある。
が,ここに焦点を当てすぎて一夫一婦制が原理主義的な色彩を帯びるようになると,かえって不幸な人を増やすことになる。ほどほどにしておかないとな。すべての男女が結婚するなんて,あり得ないわけだから。
結婚は人生において必須のものではなく,あくまでオプションのひとつにすぎない。男が男を,女が女を,好きになってはいけないということもない。このあたりは徹底的に自由たるべし。
劇中と実人生は区別しておかないと。
● と,勝手な聴き方をしたわけだけれども,ともかくハイドンの大きな曲をひとつ,生で聴くことができた。得がたい体験だ。
指揮は片岡真理さん。ソプラノが藤崎美苗さん,テノールが中嶋克彦さん,バリトンが原田 圭さん。この布陣でグローリアの合唱と管弦楽。管弦楽は栃響有志のように思われる。
原田さんのバリトンが最も印象に残っている。合唱は各パートに途方もなく巧い人がいる。特にソプラノ。
● 字幕がありがたかったのは言うまでもない。これでCDを聴く準備も整った。あとはこちらの心がけ次第。
しかし,だ。『天地創造』を初めて生で聴いて,この程度のことしか書けないのか。何だかなぁ。
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