栃木県総合文化センター サブホール
● 先週の24日にコンセール・マロニエ21のピアノ部門の演奏を聴いたばかり。ぼくにはそれで充分すぎる,というのもおこがましいほどだ。
ぼくのような耳しか持っていない者に,小菅さんのピアノを聴かせるのはいかがなものか。聴かせる甲斐があるのか。
と思いながらも,3千円を投じて,総合文化センターのサブホールに出向いた。開演は午後6時30分。
● 平日の午後6時半といえば,多くの人たちは仕事に追われているはずだ。こういうときに悠々と出向ける人というのは,第一線を退いて年金で暮らしている人,時間が自由になるビジネスエリート,逆に出世を見切ってドロップアウトに甘んじているかそれを良しとしている人,のいずれかではないかと思う。
ぼくがそのいずれに属するか,言わずもがなのことである。
とはいえ,時間のやりくりをしての結果だろう,直前にあるいは遅れて駆けつけてくる人もけっこうな数いた。
● ともあれ。音楽雑誌で見知っているとおりの小菅さんが登場。ペコリと一礼して,ピアノの前に。
曲目は次のとおり。
ベートーヴェン ピアノ・ソナタ第5番
ブラームス 4つのバラード
ショパン 12の練習曲
● 茂木健一郎さんがよくお使いになる言葉,ホームとアウェイ。今回は小菅さんにとってはホームの最たるものになるのだろう。
自分のリサイタルだと知って,それを聴きにくるお客さん。自分を指名してくれたお客さんばかりだ。そのお客さんを相手に弾けばいい。
幸せな時間なのではないかと想像する。
● 観客にとっても同様だ。聴きたいと思ってチケットを買ったのだ。その聴きたい人の演奏が聴けるのだ。観客にとってもまた,この場はホームである。
というか,ホームしか選ばない自由がお客には保証されているわけだ。いやなら,チケットを買わないだけだもんな。
● さて,小菅さんの演奏を聴いての感想。ターボエンジンを3基ほど積んだスポーツカーだ。加速がすごい。いや,加速以前の問題か。スッと集中モードに入る。その集中度が並みじゃない感じがした。
演奏するときに集中しない人なんていないだろう。だれもが集中しているはずだ。が,その度合にはたぶん人によって浅深があるはずで,たくまずして深い集中に入れるかどうか。それがつまり才能ってことなのかもしれないと思った。
● 息を詰めて演奏する場面ももちろんある。その詰めた様子が客席にも当然伝わってくる。聴くほうも息を詰めて彼女の演奏を見守ることになる。
が,当然ながら聴く側は彼女の集中にはついていけない。それがもどかしくもあり,癪の種でもある。
● ベートーベン,ブラームス,ショパンと弾きわけるわけだけれども,そのどれもが小菅優なのだった。これをもっと煮詰めていくと,バッハのゴルドベルク変奏曲におけるグレン・グールドに行きつくのかもしれない。そこに行くのがいいのかどうかは別として。
って,そういう単純な話じゃないんでしょうね。単純化は観客の特権だけれども,奏者からすればだいぶピンぼけた話になるんだろうな。
● アンコールは次の2曲。
シューマン 献呈
ショパン エオリアン・ハープ
小菅さんはホームを満喫したように思われた。
● このレベルになってしまうと,ぼくに書けることなんてほとんどない。にもかかわらず,こんなブログなんかを書いていると,書かなきゃと思って聴いてしまう。それが聴く楽しみを相当減殺しているのじゃないかと思う。
こちらも聴く楽しさを満喫したい。ステージの演奏にすべてを委ねてウットリしたい。書かなきゃっていうのがあると,そこに賢しらな知を入れてしまうんだな。われながら愚かなことだと思う。このあたりは本当に考えどころだなぁ。
0 件のコメント:
コメントを投稿