栃木県総合文化センター メインホール
● 2年に一度の定期演奏会。4年前の一度目の演奏会で感じた鮮烈な清新さは,今でも印象に強い。
演奏される曲目が何であっても聴きに行くつもりでいるけれど,今回はショスタコーヴィチの5番。
有名な曲のわりに生で聴く機会はさほどない。さほどっていうか,ぼくはこれまで一度も聴いたことがない。
● というわけで,出かけていった。開演は午後1時半。チケットは1,000円。曲目は次のとおり。
ベートーヴェン 序曲「レオノーレ」第3番
ドヴォルザーク チェロ協奏曲 ロ短調
ショスタコーヴィチ 交響曲第5番 ニ短調
● 指揮は曽我大介さん。曽我さんの指揮ぶりも鑑賞の対象であることは言うまでもない。
大きく躍動的な指揮。身体が柔らかい。指揮台が小さくて落ちないかと思うほどだったんだけど,そこは足裏がすべて憶えているんだろう。
それぞれのパートに入るタイミングを明確に指示する。奏者にはわかりやすくていいね(と思う)。これじゃどこで入ったらいのか,オケはわからないだろうな,と思わせる指揮者もいないわけじゃないもんな。
● この楽団の一番の特徴は何だろうかと考える。一途さ? 真面目さ? ストイックなところ? 狎れから免れているところ?
その前提としてやはり技術の問題がある。指揮者のいじりに応えられる技術。指揮者にいろんなオプションを提供できる技術。
この楽団のメンバーの多くは宇都宮大学管弦楽団のOB・OGで,音大卒ではない(と聞いている)。でもここまでやれますよ,という範例でしょ。
子どものころから楽器を始めた人もいるだろうし,音大に行こうと思えば行けた人も多いんだろうし,宇都宮大学管弦楽団の優秀な卒業生ではあっても,宇都宮大学を卒業したと言うには若干憚りがあるという人もけっこういるんだろうけど。
● ベートーヴェンのレオノーレ3番。偉そうな言い方を許していただければ,ベートーヴェンの非凡さ,傑出ぶりは,5番や9番を聴かなければわからないというものではない。この短めの曲を聴けば充分だ。
このあたりは,しかし,生で聴けばこそというところもある。CDだと(ベートーヴェンの序曲は2枚しか持っていないんだけど)ピンと来ないところもある。来る人のほうが多いんだろうとは思うんだけどね。
さらに言い募れば,ある程度以上の水準の演奏を生で聴けばこそ,というところがある。
● ドヴォルザークのチェロ協奏曲。ソリストは伊藤文嗣さん。言わずと知れた東京交響楽団の首席。
協奏曲は,でも,いくつかの例外を除いて,ソリストではなく管弦楽で決まると思っている。この曲もそうで,ソリストの聴かせどころは多々あるにしても,底の水準を決めるのは管弦楽だ。で,底の水準こそ重要だ。底が全体を作る。
● とはいえ,伊藤さんのチェロを聴けることなんか滅多にない(ぼくはプロオケの演奏をあまり聴かないので)。お得感がかなりある。
コンサートの費用をチケット収入だけで賄えるはずもないので,要は,団員の負担でこちらが得をしているということになる。申しわけないような気がする。
● さて,ショスタコーヴィチの5番。ショスタコーヴィチを聴くのに厄介なのは,彼がソヴィエト・ロシア(しかも,スターリンの時代)に生きた作曲家だということだ。
作曲家の自由な芸術創作vs社会主義の圧迫,という図式。ショスタコーヴィチの場合は,生命の危機と隣り合わせだったと言われる。
これを自分の中でどう折り合いをつけたらいいのかという脳内作業が発生する。この作業,落とし所がない。
● プログラムノートにも,「当時のスターリン独裁政権への批判を込めて作曲」しているとか,「スターリンの政治思想を強要され,思い通りの作曲活動が出来ない苦悩を感じ取ることが」できるとか,「恐怖で心を毒されながらも踊りを強要されるバレリーナ」のようだとか,ショスタコーヴィチの苦悩に思いをはせる解説が出てくる。
それがいかほどのものだったのか,想像のしようがない。それ以前に,本当にそうだったのかという思いもある。
● 彼の成果物である音楽を聴きながら,同時に作曲した彼の外部環境から彼の想いを想像して,その想像を音楽にフィードバックしたうえで,音楽を味わわなければならない。大変困る。脳に負荷がかかりすぎる。
音楽から彼の苦悩を感じとろうとすれば感じなくもない。このあたりにスターリンへの反発が窺われるのかと思いながら聴けば,なるほど窺われなくもない。
が,別の聴き方もいくらでもできるわけでね。どの聴き方が正解かということもないんだろうし。
● 落ち着きのない曲だなとは思った。初演が「ロシア革命20周年を祝う演奏会」だったから,社会主義を称揚しなければならなかったのだろう。一方で,自分が盛りこみたいのはこれじゃないということだったのか,と想像することはできる。結果,落ち着きを欠くことになったのか,と。
が,二度三度と聴けば,また違った印象を持つことになるかもしれない。
● 要するに,わからない。わからないものはわからないままにして,自分の中で飼っておくことだと思う。長いスパンでお付き合いすることが大事でしょ。簡単にわかろうとしないほうがいい。
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