那須野が原ハーモニーホール 大ホール
● 開演は午後2時。チケットは1,000円。けっこう前に買っておいた。
● 曲目は次のとおり。
シベリウス 交響詩「フィンランディア」
グリーグ 「ペール・ギュント」から「イングリッドの嘆き」「山の魔王の宮殿にて」「オーセの死」「朝」「ペール・ギュントの帰郷」「ソルヴェイグの歌」
シベリウス 交響曲第1番 ホ短調
● 指揮者は,小さな巨人,田中祐子。小さな巨人というのは,小さな身体を大きく使って指揮をするから。しなやかさと俊敏さ。スピード感と鋭角的な切れ味。そこに女性的なまろみが加わる。
指揮そのものが一個のパフォーマンスとして鑑賞に耐える。いや,耐えるんじゃなくて,惹きつけるものがある。腹筋背筋と運動神経の賜だろうと思われる。それだけであるはずはないのだが。
● 北欧諸国に対してのぼくのイメージは,まずロシアの膨張政策に悩まされた歴史を持ち,高福祉国家であり,税金が高く,慢性的な閉塞感に覆われている,といったものなんだけど,もちろん勝手きわまるイメージにすぎない。
「フィンランディア」の当時はスターリン時代のソ連。鬱陶しかったろう。その鬱陶しさのなかで,この曲がフィンランド国民に受け入れられたのは当然だと思われる。シベリウスの意図もはっきりと見える。
● 行進曲ではないけれど,フィン人よ,立て,と鼓舞する内容だ。金管と打楽器の出番が多い。ここがこけたらどうにもならないわけだけれども,きちんと役割を果たした。
ピンと張りつめたその緊張感は,しかし,主には弦が作りだす。プログラムノートでは「暗鬱な部分」といい,「緊迫感を次第に高めていく」と書いているけれども,つまりそういうことだ。
聴きごたえのある「フィンランディア」だった。この曲は何度も生で聴いているけれども,ここまで張りつめた演奏で「フィンランディア」を聴いたのは,ひょっとすると初めてだったかもしれない。
● グリーグの「ペール・ギュント」。ペール・ギュントとは「ノルウェーに古くから伝わる伝説的な人物」であるらしいんだけど,イプセンの戯曲に描かれたペール・ギュントは異常な女好きのようなんだな。女を得るために危険に挑む冒険野郎だ。カサノバ的というよりはドンファン的なんだろうな。
それはそれとして,グリーグが付けた音楽は,ペール・ギュントが何者かを知らなくても楽しめる。
● つまり,このあたりが微妙なところで,それを知っていたほうがいいのか知らないほうがむしろいいのか。知らなければ聴き手が勝手に(自由に)イメージを作ってしまえる。知っていれば,その知っているところに縛られる。
でも,知っていたほうがいいんでしょうね。縛られたほうがいいんだろうと思う。イプセンの戯曲を読んだうえで(翻訳がいくつか出ているようだ),CDで全曲を聴いてみよう。いつになるかわからないけど。
● この組曲の中で最も有名なのは「朝」だろう。誰でも,曲の名前は知らずとも,何度かは聴いているはずだ。
何の脈絡もないんだけど,この曲を聴くとベートーヴェンの6番「田園」が浮かんでくる。でもって,「朝」のほうが洒落てるよなぁと思う。
● 最後はシベリウスの1番。2番は何度も聴いているけれど,1番を聴くのは初めてだ。聴いてみれば,2番と比べて演奏される機会が少ないのが不思議に思える。
奏者にとっては楽な曲ではないだろう。かといって,2番が楽かっていうとそういうわけのものでもないよねぇ。
● 静謐なフィンランドの森と湖をイメージすることももちろんできる。が,この時期,シベリウスは酒と浪費におぼれ,自堕落な生活を送っていたらしい。そのあたりを,この作品からうかがうことはできない。
作者の生活と作品は当然ながら別物だ。シベリウスに限らない。音楽に限らない。絵画も小説もそうだ。ぼくらには作品が与えられる。
● アンコールは,シベリウス「カレリア組曲」から「行進曲」。このアンコール曲に至るまで,今回の那須フィルは,間然するところがなかったように思う。
ふっと気が抜けてケアレスミスをするなんて,どこのオケの話?って感じだね。
● 田中さんの指揮はこれが2回目になる。すっかり那須フィルの顔になっているし,田中人気は客席にも浸透していたようだ。受け入れられている。
あと4回は彼女の指揮で那須フィルの演奏が聴けることになる。これはね,聴いておくべきですよ。
0 件のコメント:
コメントを投稿