2017年3月31日金曜日

2017.03.20 東京アマデウス管弦楽団 第85回演奏会

ミューザ川崎 シンフォニーホール

● この楽団の演奏会にお邪魔するのは,第78回,80回に次いで,3回目。
 開演は午後2時。チケットは2,000円。当日券を購入した。指揮は北原幸男さん。

● この楽団の特徴は次の3つだ。第1に男性が多い。特に弦。弦で男性が女性を圧倒しているところは,じつに希有な存在。
 第2に年齢のバラツキが大きい。これも以外に少ない。○○大学OBOGオーケストラっていうような楽団でも,年齢層を異にする楽団が複数あったりする。若い人と一緒にやりたいと思う年寄りはいても,年寄りと一緒にやりたいと考える若者はいないものだ。

● この楽団では若者も大人なのかね。年輩者が決定権を若者に委ねているのだろうか。あるいは圧倒的に巧い年寄りたちで,若者が一目も二目も置いているのか。
 同じ音楽を歩む同志なんだから年齢差なんて関係ないよ,って,それだけはないような気がするんだけどなぁ。

● 第3は,巧いということ。芸達者が揃っている。その代表として,新交響楽団や都民交響楽団などの名はしばしば聞く。ぼくはまだ聴く機会を得ていないのだが。
 東京アマデウス管弦楽団もその一角に名を連ねるのだろう。演奏を聴いていると,プロオケなんて要らないじゃんと,半ば本気で思う。

● 曲目は次のとおり。
 オットー・ニコライ 「ウィンザーの陽気な女房たち」序曲
 R.シュトラウス 交響詩「死と変容」
 ブラームス 交響曲第4番 ホ短調

● 交響詩「死と変容」のはじめの方,オーボエ,フルートの軽やかなメロディーが現れ,独奏ヴァイオリンに受け継がれる。このあたりは,この曲の聴きどころでもあるんだろうけど,聴きどころを確かな聴きどころにできる力量を感じる。

● プログラム冊子の曲目解説によれば,「この交響曲はブラームスが居を定めるウィーンにおいて,もう1つ人気が出なかったそうです」とある。「古風な印象のせい,という見解も見られ」るという。
 あるいはそうかもしれない。が,当時のウィーン市民(音楽の愛好家)がブラームスに付いていけなかっただけだと単純に考えておきたい。
 当時のウィーン市民にとって,ブラームスは決して斬新でも奇妙奇天烈でもなかったろうけど,それでも創造者はフォロアーの先を行く。

● 今のぼくらもそうだ。はたして本当に創造者(作曲家)の意図するところに付いて行けているかどうか。
 時代に洗われて残った楽曲に,つまり時代の評価に,寄りかかって聴いているだけかもしれない。自らを顧みてそう思う。
 ただ,このあたりが難しいところで,あまり頭で聴きたくないっていうか,自分の意識を肥大させて,意識で曲を受けとめるというのも,聴き方としては上等とは言えないように思う。上手く言えないんだけど。

● さて,東京アマデウスが紡ぎだすブラームスの4番。指揮者のどんな要求にもお応えしますよってことなんだと思う。
 おそらくこの楽団の団員たちは北原さんにも物申す人たちだろう。もちろん,喧嘩腰ではなくて和気藹々と。
 腕に覚えがあればこそ。指揮者の要求に応えられるだけの技量があって,初めてその技量に応じた“物申す”ができるわけだろうから。

● これだけの人数がいるのに音がひとつの束になっていて,バラけないのは大したものだ。メリハリ,緩急,GO&STOP,加速の良さ。そういう言葉を思いださせる。
 かなりの性能を持つスポーツカーというかね,そういう演奏をする。

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