高根沢町 ちょっ蔵ホール
● 宝積寺駅東口のちょっ蔵ホールに初めて入った。東口ができる前は,大谷石の米倉があった。米倉をそっくり残したわけではないけれども,大谷石を残してホールに改造した。かの隈研吾さんの設計。
普段は,バンド好きの若者がここで練習している。高根沢町で若者がたむろしているほとんど唯一のスポットがここだ。
18時からジャズとゴスペルのコンサートがあったので行ってみた。わが家から徒歩13分。
● まずはジャズ。演奏するのは「SPEED STAR」というバンド。サックスとトランペット,ベース,ドラムス,キーボードの男性5人組。好きでやっている人たちだね。
● ジャズって輪郭がわからない。Wikipediaを読んでもよくわからない。クラシックなら,訳のわからない現代クラシックも含めて,ある程度の輪郭はつかめる(つもり)。
知識から入るのはよろしくない,まず聴いてみろ,ってことだよね。で,何度か聴いてはみてるんだけども,ジャズはとりとめがないという印象。
初期のメランコリックなメロディーのジャズとラテンジャズとの間に,何か共通点があるんだろうか。今日聴いたのは,ボーカル抜きのロックのようにも思えた。
● 以前,山下洋輔さんがどんな音楽でもジャズになると言ったのを聞いたことがある。たとえばバッハはジャズとの相性がいいと,実演してみせてくれた。そのときはなるほどと思ったんだけど・・・・・・
あまり聴いていないからだと思うんだけど,初めて聴いたときに染みてくるものがなければ,次に聴くこともないわけでね。
初期のジャズからCDを聴き始めてみようかと思わないでもないんだけど,クラシックだけでも聴ききれないのに,ジャズまで手を伸ばすことがなかなかできないまま,5年,10年と歳だけ取ってしまった。
● 疑問に思ったことがもうひとつあった。聴衆に手拍子を求めるんだよねぇ。これって何なんだ?
かなり昔,ジャズの演奏中に手拍子ってのはあり得なかったんじゃないか。ジャズと手拍子って水と油じゃなかったか。いつからこういうことになったんだろう。演奏される曲調が変わってきたってことなんだろうか。
皆さん,ノってください,楽しんでください,というわけなのだろうけど,大きなお世話だ。ノルときには言われなくても自然にノル。
● 後半はゴスペル。演奏したのは「Free Souls」。オヤジと7人の熟女たち。と,チャカしては申しわけないな。好きでやっていることがよく伝わってきた。熱っぽさがある。
そういうものを持てていること自体,羨ましい。幸せの半分は手にしているようなものだ(ただし,半分だけだ)。
● ゴスペルって初期ジャズの声楽版? ぼく的にはかなりジャズを感じた。ぼくのジャズ観がかなり古いのだろうな。
演奏の中に入っていくのに,困難は感じなかった。演奏する側も自分を乗せやすいだろう。ゴスペルが日本に入ってきてからだいぶ経つけれど,これを聴きたいという潜在需要はけっこうあるのじゃないかと思った。
● と,勝手なことを言ってきたけれど,“踊る阿呆”と“見る阿呆”を比べれば,常に必ず,“踊る阿呆”が上位だ。
踊ってみなければ気づけない諸々があるのだ。見ているだけでは盲点がそちこちにできるだろう。聴く側は,そこだけは心得ておかなければならない。
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