が,行きたいと思ったコンサートのチケットは,たとえ行けなくなることがあろうと,とにかく買っておけという方針だ。根拠なしに申しあげるんだけれども,そうした方が行ける確率が高くなるような気がする。
● ということはつまり,この演奏会を知ったときに,行くぞと即行で決めたということ。九大フィルハーモニー・オーケストラの演奏を聴くために福岡まで行くっていうのは,まったく非現実的だからね。相手方が東京まで出張ってくれるんだから,この機を逸すべからず。
ソリストが上原彩子さんだってのもあった。彼女のピアノが聴けるんだったら,それだけで元がとれるぞ的な。
● そういうこと以前に,ぼくは若い人たちの演奏が好きなのだ。
どういうわけのわけがらか,プロのオーケストラよりも,大学オケの方が聴いていて幸せな気分になる。ほんと,どういうわけなのか。
● ということで,5ヶ月間チケットを温めて,東京に出てきたのだ。“青春18きっぷ”が使える時期だしさ。
開演は午後2時。席はS,A,Bの3種で,それぞれ,3,500円,2,500円,1,500円。先に少々偉そうに啖呵を切ったんだけども,ぼくが持っているチケットは一番安いB席なのだ。あしからず。
● コンサートのタイトルに“2018”とあるくらいだから,この楽団は何度か東京公演を催行しているのだろうと思っていた。が,戦前戦後を通じて初の東京公演らしい。
となると,楽団のみならず大学当局も乗りだしてくる。熱の入れ方も違ってくるのだろう。新キャンパス(伊都キャンパス)への移転の仕上げの時期にもあたっているらしかった。
● 開演前に九州大学の総長が登壇して挨拶を述べた。東京公演を人寄せパンダにして,という言い方は語弊があるか,この演奏会を契機に首都圏に在住している卒業生を集めたいということのようだった。
卒業生に新キャンパス移転をアピールしなければならないし,子弟に九州大学を受験させてもらいたいし,もっというと寄付のお願いもしたい。
演奏会のあとはレセプションも用意されていた。この演奏会を機に卒業生の旧交を温めましょうという。
● が,演奏会のステージには演奏以外のものを載せない方がいいとは思った。総長あいさつはプログラム冊子に載っているのだから,それで充分。わざわざ口頭で繰り返すことはない。
なぜ,演奏会のステージに演奏以外のものがあってはならないのかといえば,たとえそれが何であれ,場を冷やしてしまうからだ。
総長の出番はレセプションで作れば良かったのではないか。いや,そういうわけにはいかない,観客の多くは九州大学にゆかりのある人が多いんだから,総長が出ないわけにはいかないんだよ,というのもよく理解できるんだけれどもね。
● ともかく開演。曲目は次のとおり。
ブラームス 大学祝典序曲
チャイコフスキー ピアノ協奏曲第1番 変ロ短調
ドヴォルザーク 交響曲第9番 ホ短調
中村滋延 九大百年祝典序曲(2018年改訂版)
● 指揮は鈴木優人さん。彼の指揮には一度接している。2年前の麻布学園OBオーケストラの演奏会で。
あと,NHK-FMの「古楽の楽しみ」を聴いている。朝の放送を出勤中の車中で。わが家から職場までは45分で着くんだけど,始業1時間前には着いていることをモットーにしている(?)ので,ちょうど放送時間と出勤時間が重なるのだ。
というわけだから,鈴木さんとは知り合いの気分だ。もちろん,彼はぼくをまったく知らない。
● 団員にとっては初の東京公演。どうせやるならサントリーホールでということか。そのサントリーホールのステージ。
とすれば,熱くなって当然かと思われるのだが,中にはいるんだろうかね。せっかくの夏休みなのに,なんで東京くんだりまで行ってなくちゃなんねーんだよ,ザケんなよ,やってらんねーよ,っていう人。
いてもいいと思うんだけども,ま,いないでしょうね。勇躍,東京に乗りこんできたに違いない。
● が,熱さの罠には落ちていない。冷静だ。当然といえば当然。東京でやろうとするくらいだから,腕に覚えはあるのだと思う。こちらもそれを期待している。
「大学祝典序曲」でその腕前は了解した。いや,ここまでとは思っていなかった。芸のない言い方で申しわけないけれども,かなり巧い。
● チャイコフスキーのピアノ協奏曲。当然,上原さんのピアノを聴きたいわけだ。ぼくの席はP席に近い。金管が最も近くにいる。ので,音の聴こえ方はいつもと多少違うっちゃ違う。が,上原さんの指遣いはよく見える。神の指,だよね。
それよりも,オケにしばしば視線を送り,しばらくその視線を固定していたのが印象的。私に付いてらっしゃい,というのではなく,自らオケに寄り添っていこうという感じね。あるいは,オケを気遣っている感じ。
● で,そのオケはといえば,かなりリラックスしているようなのだ。もちろん,集中しているし,張りつめている。しかし,ベースにリラックスがあって,ほぼ理想的な状態でやれているのではないかと思われた。
今どきの若者はこのあたりがすごい。“あがる”という言葉をたぶん知らないんじゃないかと思うほどだ。
● 協奏曲というのは,(もちろん,曲によるんだけれども)ソリストが3割で管弦楽が7割だと思っている。演奏の出来不出来を決めるのはつまるところ管弦楽だ。っていうか,ソリストにはこれ以上はないというピアニストを迎えているのだ。
ここまで仕上げてくれば大したものだと思う。文句ない。妙な言い方になるが,仕上げすぎていないのもいい。ここで筆を置くという,その置き際がいいというか。指揮者の功績だろうか。
特に印象に残ったのは,フルートとオーボエの1番奏者。
● ので,次のドヴォルザークは,そのフルートとオーボエの1番奏者に視線をほぼ固定した。
音大に行こうと思えば行けたよねぇ。それを選ばず,九大に進学した。どちらが良かったのかなぁ。彼女たち以外にもそういう人,けっこういそうだ。
ほんと,どちらが良かったのかなぁ。って,結論ははっきりしている。これで良かったのだ。自分が選んだ選択肢が常に必ず正解なのだ。そういうものだ。
● という,かなり埒のないことを考えながら聴いた。熱さより清々しさが勝っていた。後味が相当にいい。
終演後もしばらく立たずに余韻を味わっていたかったけれども,そういうわけにもいかない。いったん,ホールを出て,近くの公園のベンチに座って,終えたばかりのコンサートのあれやこれやをボーッと反芻した。
● 上原さんのアンコールは,ラフマニノフ「プレリュード」。しっとりと聴かせる聴衆サービス。元が取れたどころではない。
オケのアンコールはチャイコフスキー「トレパック」。
サントリーホール |
が,やはり特別なのだろうな。それはホールがある場所の力(場力=バリキ)によるものかと思われる。
東京芸術劇場を出ると,ビッグカメラと居酒屋とカラオケの看板が目に入る。すみだトリフォニーを出ると,カプセルホテルの看板がどっと視野を占める。ミューザ川崎も一歩外に出れば,街の雑踏に紛れる感を味わうことになる。
が,このホールだけはそれがない。雑踏から隔離されている。余韻を味わうにはいいホールだ。
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