暑い。暑すぎる。この暑さはどういうわけのものか。
五反田駅から会場まで歩いたんだけども,着いたときにはTシャツが汗でビッショリで,脱いで絞れば水滴になって落ちるんじゃないかと思った。
この状態でコンサート会場に行くとはマナーに反するのかもしれないし,他のお客さんに不快感を与えてしまうのかもしれないけれども,どうにもこうにも防ぐ手立てがない。
● ホールの中は冷房が効いていて,生き返った心地がした。けれども,ここに到着するまでに生気を使い果たした。この涼しさに吸い込まれるようにして,眠ってしまいそうだ。
そうなってしまっては,何のためにここに来たのかわからなくなるんだけどね。それくらいだったら,ずっと涼しいところにいればよかった。わざわざ灼熱地獄を歩いた意味がなくなる。
● 開演は13時。入場無料。
曲目は次のとおり。
モーツァルト ホルン五重奏曲 変ホ長調 K.407
ベートーヴェン 木管八重奏曲 変ホ長調 Op.103
シューマン ピアノ四重奏曲 変ホ長調 Op.47
モーツァルト ピアノ,クラリネットとヴィオラのための三重奏曲 変ホ長調 K.498
ゴルターマン 「2つのサロン風の小品」より“レリジオーソ”
クレンゲル 4つのチェロのための即興曲 Op.30
ハイドン 交響曲第45番 嬰ヘ短調「告別」
● シューマンのピアノ四重奏曲をはじめ,生で聴く機会は少ない室内楽の大曲が並んだ。変ホ長調の曲をズラッと並べたのは意図があってのことだろうか。
技術のばらつきは当然あった。あるんだけれども,下の方の奏者でもかなり上手い。
● 最後はハイドンの45番「告別」。奏者が次々去っていく。このときに,客席に一礼しちゃっちゃいけないよね,たぶん。
悄然として去っていかねば。その方が「告別」の趣旨に沿うような気がするね。
● 暑いのは奏者にとっても同じ。会場に来るだけでエネルギーを吸い取られるのも同じだろう。ん? 朝のうちに来ているから,あれか,けっこう涼しい思いをしているのか。
ともあれ。真夏のこの時期にこういう催しを開催しようとする,そのモチベーションってのはどこから来るんだろうと,ボーッとした頭で考えた。
● 音楽が好き。自分から音楽を除いたら何も残らないから,音楽にすがるしかない。ステージで演奏するのは他人の曲であっても,それ自体が自己表現であって,身体表現ってのは気持ちのいいものだ。
そういうことなんだろうかね。よく言われる観客の観客の拍手を浴びる快感っていうのも,身体表現の気持ちよさがあってのものなのだろう。
● 音楽にすがるしかない,というのがもしあるんだとすれば,とてもいいことだよね。あらかじめ自分の居場所をいくつも作っておくのは,賢そうでいて,何だかダメっぽい。最後まで腹が据わらずに終わるから,結局,何ほどのこともしないまま人生の終着駅に着いてしまう。
● にしても,開催にこぎつけるまでには諸々の面倒くさいアレやコレがあるはずで,ぼくは絶対ダメだ。その面倒くささをあえて引き受けてまで,表現したい自己などないや。
そういう人間は聴く側に回るしかないのだ。いくら暑いといっても,会場に自分を運んでいくだけでいいんだから,こんな楽なことはない。
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