リムスキー=コルサコフ 「皇帝の花嫁」序曲
シューベルト 交響曲第7番「未完成」
チャイコフスキー 交響曲第5番
● この楽団の演奏を聴くのは,今回が二度目。6年前に第36回定演を聴いている。場所も同じ川口リリア。そのときのメインもチャイコフスキーの5番だった。
かなりの満足感が残ったことを記憶している。なのに,6年も間があいたのは何ゆえか。
● 医学部管弦楽団といっても,医学部の学生だけで構成されているわけではないことは,前回でわかっている。他学部や他大学の学生もいて,数はそちらの方がずっと多い。
少人数の医学部だけでオーケストラを構成するのは,いかな慶応でも難しいだろう。慶応には「慶應義塾ワグネル・ソサィエティー・オーケストラ」という全国に冠たるオーケストラもある。ぼくはまだ聴く機会を得ていないけれども,その名声は届いている。それとは別に,医学部でオーケストラを立ちあげるのはなかなか。中には両方をかけ持ちしている学生もいるかと思うんだけど。
半世紀近くも続いている。そのこと自体,賞賛されて然るべきかと思う。
● 入場料は取らない。カンパも募らない。つまり,この演奏会に要するコストは,その全額を演奏者側が負担している。
N響といえども,チケット収入だけで賄えているはずがない。NHKからの助成金がなくなったら,たぶん消滅するしかないだろう。
まして,アマオケの場合,チケット収入など楽団運営の屁のつっかい棒にもならないかもしれない。にしても,演奏者側が全額を負担している。
● 曲ごとにコンマスが交替する。ので,曲ごとに指揮者は全員を立たせる。
メインのチャイコフスキーが圧巻だった。まず気がいくのは,第2楽章冒頭のホルン独奏だけれども,これを危なげなく演奏できれば,相当な技量の持ち主と考えていいのだろう。
細く儚げな不安定感を表現しなければならない。不安定を安定して表現できれば,それは相当なものだ。
● トロンボーンの技量に一驚を喫した。抑えが効いている。第1楽章はもちろん,第4楽章の怒濤の行軍のところでも,トロンボーンに感じたのは抑制の美とでもいうべきものだった。
演奏中に凜々しさを通したのもいい。素人はそうした絵的なところに反応するものだ。っていうか,そうしたものにしか反応できないと言った方がより正確かもしれないけれど。
● 曲そのものの力もある。演奏はすべからく作曲家とオーケストラの合作だと思うのだが,力のこもった演奏に導かれて,長い旅を終えたような気分だ。
録音音源をいくら聴いても,この感興はまず味わえまい。これこそが生演奏の,ライヴの醍醐味だ。
● この演奏をぼくは素晴らしいと思ったのだけれども,素晴らしさを構成するものは何だろうと考えてみたくなる。技術はもちろんある。けれども,畢竟,若さが持つ何ものかという気がするのだ。
若さが持つ真摯さ,若さが持つ柔軟性,若さが持つ向こうっ気のようなもの。そうしたものが織り合って,攪拌されて,沈殿して,また攪拌されて,そうしてできあがったものが,独特の香気を放つということではないだろうか。
● 佐藤さんの指揮も若々しい。胃袋がいくつあっても足りないのが指揮者という商売ではないかと思うんだけど,この学生たちと曲を磨いていくのは,佐藤さんにとっても楽しい時間なのではないか。
基本,素直な学生たちのように思われるし,向上心も持ち合わせているだろうから。
● というわけで,今回も満足感とともにリリアを後にすることができた。
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