2018年11月30日金曜日

2018.11.24 第9回音楽大学オーケストラ・フェスティバル 東京藝術大学・武蔵野音楽大学

ミューザ川崎 シンフォニーホール

● 死ぬ間際に,どれかひとつだけ食べられるとなったら,何を選ぶだろうか。豚肉と野菜のハウスバーモントカレーか,永谷園のお茶漬け海苔か,納豆ご飯か,子供の頃に母親が作ってくれた醤油味の焼き飯か。寿司とかラーメンにはならないような気がするが,けっこう迷って決められない。
 しかし,音楽のコンサートをひとつしか聴けないとなったら何を選ぶか。これに関してはほとんど迷いがない。このコンサートにすると思う。厳密には4回あるんだけれど,まとめてひとつということで。

● 音楽を専攻する若き学生たちの,1回に込める思いの質量の絶対的な大きさが,ヒリヒリするような緊張感に満ちた演奏を生む。
 通し券を買っていたこともあるんだけど,4回全部を聴くことは,ぼくのような暇人にも難しい。が,今年は,たとえ行けない回があろうとも,通し券を買ってしまおうと思う。

● 8月26日にミューザに行ったので,音大フェスの通し券を購入。1回1,000円のところ,通し券だと750円になる。が,通し券用の席はあまりいいところは用意されていないようだ。
 たぶん,1回券を買った方がトータルではお得かもしれない。ということを,前にも言ったような気がする。ま,気は心というやつで,通し券を買っておこうと思ったわけだから,それでかまわないと思っているんだが。

● さて,今日はその1日目。開演は午後3時。
 客席はほぼ満席。空席はそれなりに見受けられたのだが,たぶんチケットは買ったものの,都合がつかなくなった人がそれなりの数いたのだろう。その程度の空席。
 このフェスティバルは,首都圏の音大生が渾身をこめて演奏するし,わが国を代表する錚々たる指揮者が指揮をするし,会場はミューザと芸劇だ。演奏,指揮,会場と3拍子揃っているわけで,それでいてチケットはたったの1,000円なのだ。
 とりあえずチケットは買っておくかという人がいて当然。万難を排して都合をつける価値がある演奏会だと思うのだが。

● ぼくの席は,ステージの(客席中央から見て)左側。1st.Vnの奏者の背中を見る感じのところ。指揮者の表情や動きはよく見える。
 こういう席も悪くはない。というか,こういう席があるホールはそんなに多くない。ミューザの他にはサントリーホールくらいしか知らない。“みなとみらい”もそうだったか。

● 藝大はバルトーク「管弦楽のための協奏曲」。指揮は梅田俊明さん。
 迫真の演奏というか。この曲はわりと演奏される機会が多いが,これほど真に迫った(という言い方は変か)演奏を過去に聴いたことがあったろうかと,記憶をまさぐってみた。うぅん,あったかもしれないのだが,記憶にはひっかかってこない。

● 何なんだろうかなぁ,空気をパリーンと凍らせるようなというか,呼吸をするのも許さないというかなぁ,そういう緊張がステージから発し,あっという間にホール全体を覆ってしまう。
 音楽の楽しみ方って,揺り椅子でくつろぎながらというものではないんだよねぇ。いや,そういうのもあるんだろうけど,それだけじゃない。
 そんな聴き方をしたんじゃ,こちらが呑まれてしまう。客席でこちらも演奏に対峙するというか,迎え撃たないと,“楽しむ”こともできない。
 でもって,そういう聴き方を強いられることにも,ある種の快感がたしかに存在するのだと思わされる。

● 武蔵野音楽大学は「第九」を持ってきた。指揮は北原幸男さん。ソリストも当然,自前。合唱団も同じだろう。
 難しさに満ちていると思われる緩徐楽章も,さすがは音大と思わせる仕上がり。こういうふうにやればいいのか。って,頭ではわかっても実際にやれるかというとね。

● おばちゃん(おじちゃん)とお婆ちゃん(お爺ちゃん)がいない合唱団は,それだけでとてもいい。何もしないで立っているうちから,見た目の美しさが違う。ということを,お爺ちゃんのぼくが言ってはいけないのだが。
 「第九」を聴くのは今年2度目なんだけど,こういうのを聴くと,今年は「第九」はもういいかなぁと思ってしまう。満たされた。「第九」のシーズンはこれからなんだけど,今年はもういいか,と。

● ところで。北原さんは暗譜で振っていた。「第九」ではそれが普通なんだろうか。って,そんなことはないと思うんだけど。
 とまれ。1日目から美味しかったよ。大満足で,千里の彼方にある自宅を目指したんでした。

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