2018年11月30日金曜日

2018.11.23 宇都宮高等学校創立140周年記念演奏会

栃木県教育会館 大ホール

● この演奏会を知ったのは,今月の3日。東京フィルハーモニー交響楽団の演奏会が宇都宮市文化会館であって,そこにチラシが置かれていた。速攻で行くことに決め,その場でチケット(1,000円)を買った。
 東武から西へはしばらく行っていない(JR駅から東武駅の間が宇都宮だと思っている)。そっち方面に用があるわけではもちろんないんだけど,久方ぶりに“そっち方面”の空気を吸ってみるか。

● 開演は午後2時。それなりに空席はあったのだが,当日券は取り扱っていないようだった。
 第1部が合唱。第2部が管弦楽。いずれも宇都宮高校の音楽部OBによるもの。曲目は次のとおり。

 木下牧子 鷗
 伊勢正三 なごり雪
 清水 脩 男声合唱組曲「月光とピエロ」

 ベートーヴェン エグモント序曲
 ベートーヴェン 交響曲第7番 イ長調

 指揮は藍原寛治さん(合唱)と水越久夫さん(管弦楽)。2人ともOBであるのは言うまでもない。

● 合唱で聴きごたえがあったのはどうしたって「月光とピエロ」。中でも「秋のピエロ」。合唱ってぼくはあまり聴いたことがないんだけど,「月光とピエロ」は男声合唱の決定版だと,勝手に思っている。男声でしかこれは表現できないという意味で。
 堀口大學の詞が染みてくる。ピエロに人生の悲しみを投影する。ピエロってたしかにそういう存在だ。道化が自ずと表出するものの中にそれがある。笑いの創出者が持つ,どうしようもないやるせなさのようなもの。

● さて,と。ぼくはベートーヴェンの7番を聴きに来た。“のだめ”効果があってか,ひと頃はだいぶ演奏されていた。が,最近は聴く機会が減ったような気がする。“のだめ”に関係なく,これは素晴らしい曲だから,これからもしばしば聴く機会には恵まれることは間違いないんだけど。
 あと,コンサートで演奏される曲目って,わりと偏る傾向があるような。チャイコフスキーの5番が続いたり,ブラームスの4番が続いたり,ドヴォルザークの8番が続いたり。そういうことがけっこうある。

● ベートーヴェンの曲って,曲中のエレメントの数はそんなに多くはないように思える。その多くはない要素を使って,これほど巨大な建築物を構築できるのはなにゆえかと思うことがある。
 その解答らしき話も聞いたことがある。フレーズの繰り返し,オフビート,っていう。たしかにそうなんだけど,どうもそれらは本質ではないように思われる。フレーズの繰り返しとオフビートだけでベートーヴェンの交響曲を作れるかという話だ。

● というわけで,不思議は残る。が,解けるはずのない不思議にかかずらっていても仕方がない。まずは曲を聴かないとね。
 宇都宮高校は男子校なんだけども,各パートに女性がいた。栃響の定演で見かける顔が多かった。OBにも栃響の団員が何人かいるようだ。その栃響団員のOBがコンマスやパートの首席を務めていたし,助っ人陣も協力だった。
 だからと言ってしまってはいけないのかもしれないが,最後まで安定感は崩れず。無難というか破綻がなかったというか。7番を聴いたなという気分になった。

● でも,この種の演奏会っていうのは,破綻があった方がむしろ面白かったりしない? しないか。ちょっとそうした面白さを期待してもいたんだが。
 合唱にはそれがあったから,むしろ合唱の方が印象に残ってしまった感じなんだよなぁ。

● 観客の多くもOBとその家族なのだろう。が,高齢者が多かったようだ。
 働き盛りのOBはなかなかね。今日も仕事だったかもしれないし,休日はゆっくり休みたいだろうし,家族のリクエストでどこかに行楽に出かけたかもしれないし。
 同窓会とはそもそもそういうもの。同窓生の多くには関心を持たれないものだ。それでこれだけ客席が埋まったんだから,大したものだ。宇都宮高校の吸引力か。

● ともあれ,いきおい,高齢者が多くなる。ぼくもその一員に足を突っこみつつあるわけだけれども,彼らから感じたのは寂しさだった。高齢者は寂しかりけり。
 その寂しさを安易に散らそうとしないで,寂しさの内に踏みとどまれるかどうか。もうすぐ同じ境遇に入る自分に言い聞かせるのはそこのところかなぁと思って,会場をあとにした。

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