2018年12月31日月曜日

2018.12.31 ベートーヴェンは凄い! 全交響曲連続演奏会2018

東京文化会館 大ホール

● ベートーヴェンの9つの交響曲を,1番から9番まで順番に演奏するこの演奏会,8年連続で8回目の拝聴。今年で最後にしようと2,3年前から思っている。が,できないで今年も来ましたよ,と。
 この日,小ホールでは「ベートーヴェン弦楽四重奏曲演奏会」も行われているのだ。こちらはさすがに全曲とはいかないけれども,2年続けて行けば全曲を聴くことができるはず。
 こちらの方が通っぽいじゃないか。交響曲は華やかだけれども,その華やかさに惹かれてしまうのは,どこかにミーハーの気配を残すじゃないか。

● 開演は13時。終演はたぶん来年。指揮者(小林研一郎)とコンマス(篠崎史紀)は不動。管弦楽は岩城宏之メモリアル・オーケストラ。メンバーは毎年入れ替わっている。
 今回の席は3階左翼の2列目(B席)。昨年は4階右翼の1列目(C席)だった。そっちの方が良いと思う。このC席はかなりお得。
 ただし,この席を取るには,スマホかPCをスタンバイさせておいて,発売開始と同時に申し込まないといけない。3時間後では遅い。今回,ウッカリしてしまったのだ。
 とはいえ,B席でも1万円なわけで,この演奏会を1万円で聴けるとは,タダ同然といっていいかもしれない(S席でも2万円なのだ)。あまり席のことで文句を言ってはいけない。

● 1番と2番を続けて演奏して,休憩を挟んで3番,さらに4番。こういうのを聴かされると,今年でやめようと思ったところで,そうもいかないよなぁと思う。
 この演奏会は,演奏する側にとってもお祭りの気味合いが多少なりともあるのではないかと思う。プロ野球のオールスターゲームと一緒で,真剣にやっていないわけではないけれども,ペナントレースと同じ構えではないだろう。それぞれが所属するオーケストラの定期演奏会に臨むときとは違うはずだ。
 何がいいたいのかというと,リラックスしているんだろうなってこと。だからいけないというのではない。逆だ。リラックス効果というものがあるような気がする。

● ただね。この演奏会の客席の水準はそんなに高くないよ。おまえが言うなって話だけど。演奏中にプログラム(別売,2,000円)を見るバカがいるし,プログラムを落とすヤツもいるしね。
 さすがに楽章間の拍手はない。ほんのちょっとしかない。電波が遮断されるので,ケータイの着信音がなることはない。

● 4番が終わった後に主催者の三枝成彰さんの話があった。「日本(アジア)と欧米における文化評価の違いについて」というタイトルになっていたが,それはまぁそれとして,この演奏会のコストの話があった。ぼくはこちらの方に興味がある。
 チケット収入ではとても賄えない,と。トヨタをはじめ協賛企業の資金提供があればこそ。当然そうだろう。例年,チケットは完売になるのだが,そもそも破格に安いわけだから。
 出演者には4回分のギャラを払っている。そうだったのか。付帯経費を含めると,相当な額になる。

● ということは,セコい話だけども,聴かなきゃ損ということ。チケット代の半額(かどうかは知らないが)補助を受けているようなものだから。
 協賛企業が全額負担して,自社の社員を客席に派遣するなんてことになったら,コンサートは成立しない。客席にはどんな動機であれ,聴きたいからここに来たという人がいなければならない。だから,あまり遠慮しないでゴチになったらどうか。

● ここで45分の中休止。館内のレストランではビールやワインも商っている。もちろん,悪いことではない。まともなホールならバーコーナーくらいはある。
 リラックスして聴けるし,それが楽しみだという人も少なくないだろう。自分は演奏を楽しむために来ているのだ,勉強しに来ているわけじゃない,と。
 それぞれなりの楽しみ方をすればいいのだと思うが,それでもアルコールはどうなんだと思うのだ。昨年,自分もそれでだいぶ損をしたと思っているので。

● 楽しみ方は人それぞれだとしても,全員に共通する前提がある。「聴く」がそれだ。「聴く」を妨げるような要素は排除した方がいいのでは。
 その「聴く」にもいろいろあるだろうと言われれば,それはそのとおりだと返すしかないのだが。耳をすますのではない聴き方もたしかにあると思うので。子守唄がわりに聴くというのだってありだと思うし。
 でも,コーヒーにとどめておいた方がいいのでは,と思ってしまうのだ。ぼくらはお金を払ってチケットを買った,サービスを受ける側の人間であることに間違いはないのだけれどもね。

● 中休止のあと5番。例年,5番と7番で熱く盛りあがるというふうになる(もちろん,9番は別格)。演奏者も聴いてる側も同じなのだから,曲そのものの然らしめるところと解する他はない。
 冷静に(?)そう解してみても,皮膚がビリビリするような感触を味わうのだ。マイクで拾ってアンプで増幅してるわけじゃない。生音でこの音量。多彩な音の粒が巨大なひとつの塊になる。オーケストラって凄いなと思うわけだよね。

● 6番はやや退屈と感じたこともある。が,同じ旋律にバリエーションをつけて巨大な構築物にする手法は,5番より徹底しているかもしれず,その構築物ができあがってゆく過程を堪能すればいい。
 要所要所で存在感を示すオーボエが素晴らしい。音色の明晰さが非常によくわかる。

● 6番が終わった後は90分の大休止。夕食タイム。当然,レストランでビールやワインを嗜む人も多い。が,先に申しあげたような理由で,アルコールは終演まで我慢するのが吉かと存ずる。
 客数に比してテーブル席は圧倒的に少ないので,ワイングラスを片手に立って喋っている人も多い。ピッと背筋を伸ばしていると,文句なくカッコいい。
 あ,見られることを意識しているな,こいつ,とか思う。エッへへへ,だから来てるんじゃないか,って。いや,気持ちはよくわかる。
 ロビーからレストランに至る石の階段に腰をおろしている人はもっと多くいる。でもって,おにぎりとか食べてる。堅実派。これまた,気持ちはよくわかるっちゃわかる。
 ぼくは朝のうちに1日分のカロリーを摂取しちゃってるんで,夕食は抜き。

● 大休止の後に7番と8番。7番はやはり盛りあがった。終演後,立ちあがって拍手するヤツが出る。気持ちはわからんでもないが,すこぶる目障りだ。座っていることがなぜできぬ?
 それからブラボーの専門家もいる。こいつのブラボーが早すぎるんだな。一拍置けと言いたくなる。こういうバカを摘みだす方策はないものか。
 場内放送で言ったらどうかね。下品なブラボーは他のお客様のご迷惑になりますので・・・・・・

● 音楽とは何の関係もない話なんだけど,女子奏者にはドレス着用を義務付けてほしい。稽古着なのかよく知らないけど,レオタードみたいなのは困る。体の線がくっきりでる。
 それでなくても演奏中の奏者はセクシーなのだ(演奏中だけセクシーなのだが)。どうしても見てしまうのだ。見るなというのは酷である。よろしくご配慮をお願いしたい。

● 8番が終わった後,指揮の小林さんが客席に話しかけた。これだけの音は超一流じゃないと出せないと思うんですよ・・・・・・。
 で,客席がヤンヤの拍手。そっか,その超一流の演奏に,今,俺は立ち会っているんだ,やったぜ。オーケストラへの称賛というより,その満足感の方が勝っていたように思えた。
 どんだけ根性がひん曲がってんだ,おまえは,と言われますかねぇ。

● ここでまた45分の中休止。そうして「第九」となる。日本で1年の最も遅い時間帯に演奏される「第九」だ。この時間に声を出さなければならないのも大変だと思う。
 ソリスト陣は昨年と同じく,市原愛(ソプラノ),山下牧子(アルト),笛田博昭(テノール),青戸知(バリトン)の諸氏。合唱はこれまた不動の武蔵野合唱団。

● 何というのか,ぼくの耳には,完璧以上。何ものかを孕みつつある混沌を描いたかのような第1楽章からして,どこに飛んでいくのかわからないほどに,ダイナミックでワイルド。が,フォーメーションは1mmも崩れない。
 低弦部隊もヴァイオリンも木管も金管も打楽器も,そして合唱陣も,それぞれの役割を果たして,何というのか空白がないという感じ。いやはや,何とも。

● 会場を出たときには年があらたまっていた。年なんかどうだっていいと思った。
 さて来年(いや,今年)はどうするか。9回連続にするか,弦楽四重奏曲演奏会にするか。
 ベートーヴェンにあやかって9回は聴くかな。そうしてから,小ホールの客になるか。そのあたりがまとまりのいい結論っぽいな。

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