曲目は次のとおり。指揮は高橋勇太さん。
ブラームス ハイドンの主題による変奏曲
ブルックナー 交響曲第5番
● 昨夜は東京のホテルに泊まった。せっかくだから何か聴いて帰ろうとなる。帝都東京ともなれば,休日の同じ時間帯に開催されるコンサートは1つや2つではない。
その中から何を選ぶか。じつはいったんは別のところに決めていた。が,急遽こちらに変更したのだ。理由は,第1にホテルから行きやすかったこと。乗換えなしですむのだ。
曲目のこともある。ブルックナーのしかも5番を生で聴ける機会がそんなに頻繁にあるとは思えない。
要するに,この楽団に決めたのは,半ば以上は偶然だ。別のホテルに泊まっていれば,おそらく別の楽団の演奏を聴きに行ったに違いない。
● ちなみに,楽団のサイトを確認することはほぼしなくなった。けっこうな数の楽団の演奏を聴いたので,サイトよりは自分の経験をモノサシにすればいいと思ってしまっていることも理由だが,情報発信の主な媒体をFacebookに移動するところが増えたことが大きいかも。
ぼくはFacebookに愛想を尽かし(Facebookに愛想を尽かされ)Facebookを閉じた人間なので,Facebookは閲覧できない。で,自分がやめたから言うわけなのだが,Facebookはもう見限るべきではないか。面白いかね,あの閉じられた空間の中でワイワイやるのは。
● ともあれ。というわけで,この楽団の演奏を聴くのは今回が初めて。
要するに,この楽団に決めたのは,半ば以上は偶然だ。別のホテルに泊まっていれば,おそらく別の楽団の演奏を聴きに行ったに違いない。
● ちなみに,楽団のサイトを確認することはほぼしなくなった。けっこうな数の楽団の演奏を聴いたので,サイトよりは自分の経験をモノサシにすればいいと思ってしまっていることも理由だが,情報発信の主な媒体をFacebookに移動するところが増えたことが大きいかも。
ぼくはFacebookに愛想を尽かし(Facebookに愛想を尽かされ)Facebookを閉じた人間なので,Facebookは閲覧できない。で,自分がやめたから言うわけなのだが,Facebookはもう見限るべきではないか。面白いかね,あの閉じられた空間の中でワイワイやるのは。
で,結論から言うと,ここにして正解だった。偶然を信頼するべきだな。
正解だったと思う所以を以下に述べる。
正解だったと思う所以を以下に述べる。
● この楽団は活性度が高い。モチベーションや意欲という言葉に置き換えてもいいものだ。もともとそういうメンバーが集まっているのか,この楽団がメンバーをそうさせる場になり得ているのか。
たぶん両方だろうが,活性度の高さを感じた。活き活きしている。楽団としての躍動感が非常に濃いという印象。
● その原因なのか結果なのか,これまたそのいずれでもあるのだろうが,個々のプレーヤーの技術水準が高い。かなり高い。
大学生のときにオケ活動に明け暮れていた人でも,卒業してサラリーマンにでもなってしまえば,学生時代の水準を維持するのは生半なことではないと思われる。
もっと言ってしまうと,学生のときの水準を維持するというのは加齢に抗うことでもあって,加齢が相手とあっては,いくら抗ってみたところで,まずもって勝ち目はないとしたものだ。
社会人になってもこれだけの水準を維持しているとなると,学生のときにはどんな演奏をしていたのか。
● 演奏は技術だけで決まるものではないと思っている。ぼくらがステージから受け取るものの質量を決める要因は,技術だけではない。そうだとすれば,中学生や高校生の演奏から受けるものがあれほど大きいことの説明がつかない。
しかし,どうも・・・・・・技術はやはり大きいらしい。というか,何をするにしてもその核になるのは技術だろうというのは,まぁ万人の共通了解事項ではあるのだけれど。
● それはやはり,ブルックナーの5番にわかりやすく現れる。長大で,頂点がいくつもあって,主題の長い再現があって,ややもするととりとめがないという印象を与えかねないこの曲を,これだけスリリングに差しだせるその駆動力の源にあるものは,やはり技術なのだろう。
複雑精緻なアンサンブルを,70分を超える長丁場にわたって持続させるのは,そもそもが並ではないと思われるのだが,やってのけるんだねぇ。
● とりわけ,2nd.Vnのトップ奏者が,ぼくの視野の中心を占め続けた。ピチカートの軽やかさ。楽器と身体の一体感。こいつ,何者なんだ。
トレーナーが出演しているのかとも思ったんだけど,どうもそういう雰囲気でもない。
● というわけだから,フライハイト交響楽団という名前は憶えておくべきだ。憶えたからといって,この楽団の年2回の演奏会に必ず行けるとは限らない。そのままならなさが,世の常ではあるんだけどさ。
そうではあっても,この楽団の名前は脳内に留めておくべきである。
たぶん両方だろうが,活性度の高さを感じた。活き活きしている。楽団としての躍動感が非常に濃いという印象。
● その原因なのか結果なのか,これまたそのいずれでもあるのだろうが,個々のプレーヤーの技術水準が高い。かなり高い。
大学生のときにオケ活動に明け暮れていた人でも,卒業してサラリーマンにでもなってしまえば,学生時代の水準を維持するのは生半なことではないと思われる。
もっと言ってしまうと,学生のときの水準を維持するというのは加齢に抗うことでもあって,加齢が相手とあっては,いくら抗ってみたところで,まずもって勝ち目はないとしたものだ。
社会人になってもこれだけの水準を維持しているとなると,学生のときにはどんな演奏をしていたのか。
ティアラこうとう |
しかし,どうも・・・・・・技術はやはり大きいらしい。というか,何をするにしてもその核になるのは技術だろうというのは,まぁ万人の共通了解事項ではあるのだけれど。
● それはやはり,ブルックナーの5番にわかりやすく現れる。長大で,頂点がいくつもあって,主題の長い再現があって,ややもするととりとめがないという印象を与えかねないこの曲を,これだけスリリングに差しだせるその駆動力の源にあるものは,やはり技術なのだろう。
複雑精緻なアンサンブルを,70分を超える長丁場にわたって持続させるのは,そもそもが並ではないと思われるのだが,やってのけるんだねぇ。
● とりわけ,2nd.Vnのトップ奏者が,ぼくの視野の中心を占め続けた。ピチカートの軽やかさ。楽器と身体の一体感。こいつ,何者なんだ。
トレーナーが出演しているのかとも思ったんだけど,どうもそういう雰囲気でもない。
● というわけだから,フライハイト交響楽団という名前は憶えておくべきだ。憶えたからといって,この楽団の年2回の演奏会に必ず行けるとは限らない。そのままならなさが,世の常ではあるんだけどさ。
そうではあっても,この楽団の名前は脳内に留めておくべきである。
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