杉並公会堂 大ホール
● オーケストラHALの定演。今回が2回目の拝聴になる。前回は2012年の第4回定演だった。だいぶ間があいてしまったけれども,やっと裏を返すことができた。
前回の印象をひと言でいえば,若い奏者による確かな演奏というもの。このあたりは好みの問題になるだろうけれども,成長するだけ成長して,そこから先のいわゆる円熟の境地に至った演奏に,ぼくはあまり惹かれなくて。
伸びているときの勢いのある演奏に魅力を感じる。だから,中学生や高校生の演奏を聴くのも好きだ。技術よりも勢い。将来どこまで到達できるかではなくて,現在進行形の勢いに惹かれる。
● にしても,間が空きすぎた。特別な理由はない。結果的にそうなったというだけだ。にしても,空きすぎたわけだが。
開演は午後2時。チケットは1,000円。当日券を買って入場。
ただし,チラシを持参すれば無料にするとか,招待券とか,実質無料といっていい。そうしているアマチュア・オーケストラは多い。
集客のためだと思う。実際,その効果はあって,客席はほぼ満席だった。第4回のときとは様変わり。
● が,ぼく一個は,そこまでへりくだってはいけないと思っている。“聴いていただく”一辺倒ではなく,どこかに“聴かせてやる”が混入しているべきだ。
“聴かせてやる”のに無料はあり得ない。300円でも500円でも取るべきだ。徴収の手間が大変で,いっそ無料にした方がCPがいいのかもしれないが,それでも取るべきだ。
● 中には,無料にしたうえで,寄付を募るというやり方をしているところもある。それもダメだ。
自分の作品には自分で値付けをするべきだ。それをしないで,どれほどの価値があったのか(あるいは,なかったのか)を観客に決めてもらおうというのは,本末を転倒している。
稀に,これで金を取ってはいかんだろうと思える演奏に遭遇することもある。その場合だけは別だ。
● 曲目は次のとおり。指揮は石毛保彦さん。
ワーグナー 「タンホイザー」序曲
リスト 交響詩「レ・プレリュード」
ブラームス 交響曲第3番
● 衒いのない演奏。変化球を繰りだすことには興味がないようだ。これを愚直ともいうのだが,愚直に何事かを付加するのはいいとして,愚直さそのものをなくしてしまっては,人間もオーケストラも一巻の終わり。
その愚直さが好印象につながる。もっとも,変化球を繰りだすなんて,怖くてできないかもしれないが。
● 特に印象に残ったのは,ブラ3の第4楽章。切先が鋭い。活きがいい。良い意味で生意気な演奏だ。攻めに行っているから,“生意気”に映るわけで。
そこが若い楽団の魅力の最たるもの。こうでなくちゃと思う。
● 2週間前にも同じ曲を聴いている。曲は同じでも演奏は別。聴くというときに,それは演奏を聴くのか曲を聴くのか。
二にして一で,両者を切り分けることはできないのかもしれないが,演奏を通じて曲に至るとした場合,演奏に左右されない聴き手が聴き巧者となりそうだ。想像力を利かせられる人。
一方で,その想像力をどう喚起するかは,演奏が左右する。喚起の仕方が多様であるのが良い演奏ということか。このあたりは,頭だけで考えると袋小路に入ってしまいそうだ。
● 「醜女は3日で慣れるが,美人は3日で飽きる」という言い方がある。これから結婚しようとする若い男(最近は,若くもない例が増えているが)に与える警句だ。
醜といい美といっても,それは顔の造作ではなく表情で決まるものだ。笑顔なら誰でも美人だ。表情の変化の様,その多彩さがすべてなのであって,生まれつきの造作はまったく本質ではない。
しかるに,若い男は面白いほどに女の造作に囚われがちだ。ゆえに,上の警句は有効性を持つ。
● のであるが,それは音楽にはあてはまらない。美人は永遠に美人であって,3日どころか,3年経っても30年経っても,飽きることは(おそらく)ない。ブラームスの交響曲に飽きることがあり得ようか。
なぜ,音楽においては永遠なのか。誰か教えてくれないか。ただし,長い歳月を経て古典として残っているものだから,なんぞという薄っぺらな回答なら要らないぞ。
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