● 例年は平日の夜に,宇都宮市の栃木県総合文化センターで開催している。が,ただ今は総文センターが大規模改修中で使えない。
という理由からだと思われるが,今回は自前のホールで開催。お客さんが来やすいのは,当然,総文センターの方だが,その代わりの休日開催。
● 良くも悪くも,長坂キャンパスの周りには何もない。コンビニもない。学生は食事も学内で賄っているんだろうか。途中で弁当を買ってくるんだろうか。
そうだとすると,サラリーマンのようだな。ぼくも出勤途中にコンビニに寄って,その日の昼飯を調達しているのでね。菓子パンとカップ麺。ときどき,おにぎりも付ける。
● ま,そんなことはどうでもよろしい。この演奏会にお邪魔するのは2年ぶりになる。昨年は行かなかった。なぜかといえば,開催日時の情報を見逃したからだ。
総文センターで開催するのであれば,総文センターのサイトで把握できるはずなのだが,それを怠ったということだ。
● 今回は自前のホールということなので,大学のサイトを確認してみたんだけども,この演奏会の告知は発見できなかった。階層の深いところに潜んでいるんだろうか。
で,どうして知り得たかというと,地元の公共施設にチラシが置いてあったからだ。が,知ったのは7日。けっこう危うい。可能ならば,大学サイトのトップページに掲載しておいてもらえると嬉しいのだが。
● 開演直前には座席のほぼすべてが埋まった。大学や附属高校の関係者が多いのだろう。演奏会の性格からして,それが当然。
何だかんだ言って,栃木県の音楽のセンターに位置する機関の少なくともひとつは,ここだ。人材の供給源というにとどまらない。
● 開演は午後2時。46回,47回,49回に続いて,4回目の拝聴になる。
聴きに来た理由は2つ。第1に普段はなかなか聴く機会がない曲を聴けるからであり,第2に,若い人たちの演奏には,はぼ例外なく,生体としての美しさが体化されて宿っていることを,過去3回の演奏を聴いて確信しているからだ。
彼ら彼女らの技術や表現力というのは,これから先,まだまだ進歩するのだとしても,技術なり表現力が限界に達したあとの演奏が良くて,発展途上の演奏はダメかといえば,そんなことはまったくない。
宇都宮短期大学 |
正確にいうと,円熟しようと枯れようと,そこにかすかにでも“発展途上”を宿していないものを聴いても面白くないのではないかと思っている。
70歳や80歳になってなおステージに立つ巨匠は昔もいたし,今もいるのだろうが,そうした人たちは,なお“発展途上”を抱えているに違いない。ぼくはそうした演奏を聴いたことがないので,想像だけで言うのだが。
● 若い人たちの“発展途上”は,発展前の途上だから,本当に発展するのかどうかも未知数だ。そこが良い。良いというと不穏当かもしれないが,若い人たちの魅力というのは,つまりはそういうところにある。
ぼくらロートルは見守るだけだ。見守るだけのそのことが,ロートルにはけっこう以上の楽しみだったりする。わかってもらえるだろうか。いや,わかってもらえなくてもいいんだけどね。
● 過去の例を思いだすと,これはと思う傑出した演奏が2つ3つあったものだ。ところが,附属高校の今回の演奏ではそれがない。
いや,逆の意味だ。それぞれレベルが高くて,2つ3つを抜きだすことができない。そこをあえてやってみようかとも思ったんだけども,恥をかくだけだからやめておく。
● あとは,毎回思うことを今回も思った。女子の場合,高校生は完全に一個の淑女だということだ。身体が大人のものになっている。
男子の場合は高校生の時期が,まさに疾風怒濤のさなかで不安定を極める時期だと,自分の体験から思うのだけれども,女子の場合,疾風怒濤の時代は小学校高学年から中学1,2年くらいまでだろうか。高校生になると,もう安定期に入っているように思える。
人体の成長過程からすれば,10代で出産し,20代で子育てを終え,30過ぎたら死ぬ,というのが最も自然であろうから,彼女たちはすでに出産の準備を整えている。一個の淑女であって当然といえばいえるのだが,その当然がなかなか腑に落ちてこないんだな。
● 短大&研究科では,伴朋美さんのソプラノと渕岡涼さんのサクソフォンが印象に残った。
最後の合唱も。『女声合唱とピアノのための「こころの色」』の第3曲と5曲。グリーグの“朝”を思いだした。突飛な連想であいすまぬが。
ざっとYouTubeを見たところでは,全部を聴くことはできないっぽい。CDは出ている。さぁて,どうしようか。
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