2019年3月31日日曜日

2019.03.30 FAF管弦楽団 第56回定期演奏会

すみだトリフォニーホール 大ホール

● この楽団の演奏を聴くのは,今回が初めて。知ったキッカケは,どこかの演奏会でチラシをもらったからなんだけど,どこの演奏会だったかは忘れた。
 もうひとつ,曲目に惹かれた。ちょうど,北欧の作曲家が書いた曲を聴きたかった気分だったということ。

● 開演は午後1時30分。チケットは2,000円。当日券で入場。
 曲目は次のとおり。指揮は森口真司さん。
 グリーグ 「ペールギュント」組曲第1番
 シベリウス 交響曲第7番
 ニールセン 交響曲第4番「不滅」

● ペールギュントは白紙の状態で聴いても,充分に味わえると思うけれども,やはりイプセンの戯曲のストーリーを頭に入れておいた方がいいんでしょうね。それもWikipediaに載ってる“あらすじ”程度ではなく,もう少し詳しく。
 要するに,ペールってのはとんでもない野郎で,こんなヤツがどうして昔の婚約者(ソルヴェイグ)の腕の中で死ねるんだよと思うわけですよ。無茶苦茶だよ。魔王の娘を籠絡して自分が魔王になろうとしたりね。ドンファンよろしく,飽きたらどんどん捨てていく。ソルヴェイグはもう女神としか言いようがない。

● ということを知ったうえで聴いた方がいいでしょ。組曲版ではあきたらなくなって,全曲版を聴きたくなるでしょ,たぶん。
 ぼくはといえば,カラヤンの組曲版からエド・デ・ワールト&サンフランシスコ交響楽団の抜粋版に移って,今はその抜粋版を聴くことが多い。理由はひとえにエリー・アメリングのソプラノに魅了されているからで,彼女のソプラノを聴くと,胎内回帰という言葉を思いだす。母親の子宮の中で羊水にたゆたっていたときの気分はこうでもあろうかと思うんですわ。

● とはいっても,カラヤンも捨てがたい。器楽がこれほど叙情的に歌えるのかと驚きたいなら,第1組曲の第2曲(オーセの死)をカラヤンで聴くのが最も手っ取り早い。第1曲の初っ端のフルートも気持ちが震えるようだ。
 というようなことを思っているうちに,目の前の演奏は終わってしまった。何やってるんだか,オレ。

● シベリウスの7番はぼくには少し程度が高すぎるかもしれない。付いていけないところがある。小さな器にたくさんのものを盛りこみすぎているという先入観があって,その先入観が自分の足を引っぱっているのかもしれない。
 あるいは,正真正銘,自分の耳では手に負えない水準にあるのかも。

● ニールセンの4番を聴くのはこれが2度目(→ 1度目はこちら)。迫力のある演奏で,その迫力を迫力と感じることができるのは生だからこそだろう。
 ニールセンがこの曲を作曲したのは第一次世界大戦の最中らしい。行進曲かと思えるようなところもある。戦意高揚のために作ったわけではもちろんないだろうけれども,そう思えば思えるというようなところがある。

● 2012年5月にマイクロソフト管弦楽団の演奏で,ニールセンの2番を聴いている。そのときに司会を務めた女性(三輪田真澄さん)がニールセンが大好きだと話していたことを憶えている。
 そのときはそういう人もいるのだなと思っただけなのだが,今,そのことを思いだして,少し感に堪えない思いがする。いろんな好みがあるのだということは,頭の中ではわかっている(つもりでいる)。が,彼女ほどにはなれなくても,ニールセンとの距離をもう少し詰めることが自分はできるだろうか。

● と思えたのが,今回,ニールセンを聴いたことの最大の収穫かもしれない。プログラム冊子の“プログラムノート”には,「本日の演奏会をきっかけに,より大戦色が濃く,ニールセンの最高傑作との呼び名が高い第5をお聴きいただけたら幸甚です」とあるのだけれども,その5番も聴こうと思えば今すぐにでも聴けるのだ。CDは手元にあるんだから。
 さて,その機会を活かせるのか,オレよ。

● ということで,ニールセンの4番は刺激的だった。が,それよりもアンコールの「フィンランディア」にゾクッときた。
 えっ,アンコールでこれをやるのかとまずは驚いたのだけど,この「フィンランディア」はこちらの気持ちの殻を食い破って,ずんずん中に入ってくる。何だか泣きそうになってしまった。
 シベリウスが込めた思いが見えたような。フィンランド人とは友だちになれそうな気がした。

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