ニールセン 交響曲第3番「広がりの交響曲」
コダーイ ハンガリー民謡「孔雀は飛んだ」による変奏曲
シベリウス 交響曲第5番
が,アンコールはグリーグの「ホルベアの時代から」前奏曲とスメタナの「モルダウ」。ドイツ圏をはずして,北欧と中欧ということだが,狙ってそうしたのかたまたまなのかはわからない。
● この楽団の演奏はすでに何度か聴いている。腕のほどはわかっている。裏切られることはない。
これまで聴いたアマチュア・オーケストラの中でどれが良かったか,ひとつ選べ,と言われても,選べない。が,ユーゲント・フィルはかなり有力。こういうのって,つまりは好みだけど。
端正な演奏。端正でいられるのは技術の裏付けがあるからだ。曲を選ばない表現の柔軟性も,技術の裏打ちがあってのもの。
頭もいいんだと思う。それ以上にノリがいいんでしょうね。客席からは優等生の集団のように見えるんだけど,ノリが悪かったら端正と柔軟性の両立は説明できない。
● ニールセンは著名な作曲家だから,ぼくも何枚かのCDは持っている。だけども,なかなか手が伸びないというのが正直なところ。どうしたってモーツァルトやベートーヴェン,ブラームスを聴いてることが多い。
既知の曲にしか気が行かない。否応なく聴かされないと,なかなか広がりが生まれない。自ら広がりを求めに行くってことが,ぼくにはあまりない。
なので,たとえばNHK-FMの「クラシック・カフェ」を聴くのは悪くないと思っている。かといって,ではそうしているのかというと,それは別の問題になるわけでね。
● あとはこうした生の演奏で聴くこと。とはいえ,ニールセンは演奏機会が多いとは言えない。ぼくが飯田のは,以下がすべてだ。
2011年2月にモーツァルト合奏団の演奏で聴いた「小組曲 イ短調」。5月に当時のマイクロソフト管弦楽団で聴いた交響曲第2番。2013年7月にル スコアール管弦楽団で聴いた「仮面舞踏会」序曲。2015年8月に日立フィルハーモニー管弦楽団で聴いた「ヘリオス序曲」。2017年10月に丸の内交響楽団で聴いた交響曲第4番。
以上ですべてだ。しかも,どんな曲だったかほぼ憶えていない。聴いたことすら忘れている。ぼくの聴き手としての水準はこんなものだ。
● 我慢(?)して何度か聴いていると,ある日,唐突に視界が開ける思いがするのが,クラシック音楽を聴くことの醍醐味だとは思う。そのためにはCD(ネットでもいいが)を使うのが必須。
問題はそのとっかかりをどう作るかということ。が,今までのところはニールセンに関してはそのとっかかりを作ることに失敗している。
● ニールセン3番の第2楽章にソプラノとバリトンの二重唱(今回は平中麻貴さんと菅谷公博さん)が入る。気持ちが洗われるようだった。
ホルスト「惑星」の“海王星”にも女声合唱が入って,これが何ともいえない効果を生んでいる。この曲でも二重唱は効いていて,幽玄というのか神秘というのか,人間的ならざるものを産んでいる。人の声が人間的ならざるものを産むのは不思議なものだ。
● コダーイのこの曲は初めて聴く。CDも持っていない。チェロとコントラバスが主題を提示して,以後,16の変奏曲が続いていくというのは知識としては知っている。
が,どこに主題が残っているのか,ぼくの耳ではわからない。何だかな。
ま,この曲に限らないわけで,典型的にはバッハのゴルトベルク変奏曲がそうだ。あの30の変奏のどこに主題が残っているのか,ぼくには聴きとれない。グレン・グールドのピアノで聴いてもわからない。曽根麻矢子さんのチェンバロで聴いてもわからない。30個の独立した曲を聴いているようなものだ。
● シベリウスの5番はいくらか馴染みがある。少しホッとした。
今回の曲目はメインを3つ重ねたようなもの。その後にアンコールが2曲。2曲目が「モルダウ」。これをアンコールに持ってくるとは畏れ入った。けっこう長いものね。
難解な曲が続いたので,これなら知ってるでしょっていうサービスだったのかなぁ。
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